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旅情  作者: 西山鷹志
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湯布院編 

湯布院編 


 今日が教師としての最後の授業となった。石田直彦は定年を迎えたのだ。

 教員生活35年。思えば何千人の生徒を教え、そして卒業していったのだろうか。

 福岡県内の中学と高校を何度か渡り歩き、最後は最初に勤めた高校に戻って来た。

 いろんな教え子がいた。それもこれも今は懐かしい思い出となった。

 定年になったら妻と二人で、九州に居る教え子たちを訪ねて周ろうと決めていた。

 毎年教え子達から年賀状が届くが、時間がなく尋ねることも出来なかった。

 25年前に高校を卒業した教え子からは今でも便りが届く。立派な会社の社長だと聞く。

 教師にとって教え子の出世は何よりも嬉しかった。


 10年前に教頭となり5年前にやっと念願の校長になった。少し遅咲きの出世だったが教員生活に悔いはない。

 しかし楽しみにしていた妻との旅も定年して間もなく妻は病に倒れこの世を去った。

 そして秋、やっと心の整理がつき妻が一番お気に入りのハンドバックを知り合いの鞄屋に無理して頼み、バックを加工して財布を作って貰った。これで妻と一緒に旅が出来ると、自分に言い聞かせた。妻の仏壇に手を合わせて。


「かあさん……それじゃあ行ってくるよ。この財布はかあさんお気に入りのバックを財布に作り変えてもらったものだ。だからいつも一緒だからな」


 車に荷物を積み込んで、年賀状に書いてあった教え子達の住所を控えてそれをカーナビにセットした。

 まず湯布院にいる新井智子旧姓真部智子を尋ねる事

にした。確か高校を卒業して……から10年だ。まだ結婚して間もないという。

 披露宴の招待状が来たことは覚えている。残念ながら学校の行事が重なり行けなかった。

 そんなことを考えている内に由布岳が見えてきた。

 標高1584Mのいわば湯布院のシンボルだ。

 20年も昔はここが観光地になろうとは誰も想像できなかった田舎町だっが。

 それが今では九州でも観光の目玉となっている。

 智子は金燐湖の近くで喫茶店をやっていると云う。


 もう由布岳もすっかり紅葉の季節に入り、金燐湖の畔は落葉の絨毯のようだ。

 駐車場に車を停めると、すぐ若い女性が走りよってきた。

 「せんせ〜〜い。石田せんせ〜〜い」

 高校時代から天真爛漫な子だったが、今もそれは変わっていないようだ。

 誰はばかることなく、大きな声をあげて手を振って駆け寄ってくる。

 しかし嬉しいものだ。教え子がそんなに喜んで迎えてくれる教師冥利に尽きる。

「 やぁ新井くん…いや今では真部くんか、幸せそうだな。結婚式には来れなくて申し訳なかったね」

 「いいえ、それよりも先生、ご定年おめでとう御座います」

 「はっはは、定年は目出度いと云うのかね」


 「それより先生。早くお店に来てください。うちの珈琲とっても美味しいですよ」

 「そうかい。それは楽しみだね」

 「そうそう先生。今日は先生の為に貸切にしたんですよ」

 「えっ? なにも私の為にわざわざそんな事までしなくても」

 「違うんです先生。まあまあ、お店に行けば分かります」

 智子はそう言って私の背中を押しながら、子供のようにはしゃいでいた。

 それはもう小学生の子供のように、親にでもじゃれているようだった。


 子供と云えば私にも智子と同じくらいの娘が居る……いや居た。

 あれは5年前、ちょうど校長に就任した年だった。娘が大学を卒業し就職してから間もなくの頃だった。

 社会人とはいえ毎晩夜中の1時過ぎに帰宅したので私は厳しく叱った。

 いま思えば失恋した時と重なり。お父さんに何が判るのと罵声を

 浴びせて出ていった。それっきり何処かに消えた。

 妻が亡くなり知らせたくても未だに消息不明の状態だ。

 他人の子は何千人にも教えてきたが肝心の娘だけは教えることが出来なかった。

 教師であった自分が最大の汚点となって残っている。


 「さあ先生、どうぞ中に入ってください」

 中に入ってビックリ。大きな張り紙には、このように書いてあった。

 (石田先生長い間お疲れ様でした。そしてようこそ湯布院へ)

 中に入ると6〜7人の人々が拍手で迎い入れてくれた。

 私はキョトンとしていると、智子が言った。

 「せんせい、覚えてらっしゃいますか。主人を除いてみんな先生の教え子ですよ。

 みんな湯布院が気にいったらしく、住み着いてしまったみたいですよ」

 「そっそうか……え〜〜と君は確か・・・澤田友則君……君は本木明子君……それからえ〜〜と」


 「先生凄い! 覚えていてくれたんですか」

 澤田が自分の名前を覚えていてくれたことに感激していた。

 「いやあ、ちょっと待ってくれよ。卒業アルバムを持ってきているから」

 そう言って、バックをゴソゴソと探りアルバムを取り出した。

 「すまんすまん。急に言われもみんな大人になったから顔と名前が一致しないんだよ。だからこうして用意してきたよ。ハッハハハ」

 「それでは先生、再会を祝って乾杯しましょう」

 パティーは和やかな中で行われた。私は改めて思った。本当に教師をやって良かった。

 出来るならばこの場所に妻も居てくれればとフッと頭に浮かんだ。


 「実は家内が亡くなってね。一緒に旅をする予定だったが……」

 「え〜そうなんですか。それじゃあ先生も寂しいでしょう。私達もお陰でさまでなんとか一人前になりました。これからは少しでも先生のお役に立てれば良いのですが。先生、私達を息子や娘だと思っていつでも遊びに来てください」

 「ありがとう、みんな。私は幸せ者だよ。全国に沢山の子供達がいるものな」

 「そうですよ先生。元気を出してください。そして私達をいつまでも見守って下さい。


 その日は教え子達が手配してくれた宿に泊り、教え子と夜遅くまで語り明かした。

 翌日、湯布院を案内してもらい、最後に記念写真を一緒に撮った。

 次の目的地に向けて車に乗ると、教え子達は沢山のお土産を持たしてくれた。

 私は胸がジーンと熱くなるものを感じて、恥ずかしながら涙が毀れてきた。

 やっぱりもう年なのか、すっかり涙もろくなったのだろうか。

 私は後ろ髪を引かれる思いで湯布院を後にした。


「かあさん……ホラあれが由布岳だよ見てごらん。それとかあさん娘がまだ見つからないんだ。お前も心配だろうが次の旅の途中にでも探して見るよ。

 きっと探して母さんの墓参りさせるからな」

 そう言って妻の写真を由布岳に向けた。湯布院の守り神、由布岳は雄大に聳え立っていた。 私は由布岳に次の旅の安全を祈願した。




教え子達を一人訪ねて、石田直彦の旅は続く。

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