二人の馬鹿
「世に混沌を齎す……」
「ソウ、ソレコソガ我等ガ邪神ノノゾマレルコト。即チ我ガノゾミ」
「そ、そうか」
ちょっとなに言ってるかわからない。
あと、我等がという部分を訂正して欲しい。あれは僕と何ら関わりが……なくもないんだよな……。
「で、結局何の用だ?」
「サキホドモ言ッタ通リ、世ニ混沌ヲ——」
「できればもっと具体的な説明を」
そしてもっと僕と部下らが関心を持てる用はないのか。
ラダカーンは全く注意を払っていないが、お互いの部下の間に一触即発の、自然界らしい殺し合いの気配が漂っている。
待てを強いる価値のある用がないなら、僕はさっさと移動したい。
「神ガソレヲノゾマレタ」
……実はラダカーンは違う言語を話しているってことはないだろうか。
それともあれか?こいつ具体的って言葉を知らないのか?
もういい。
「そうか、私たちはもう行こう」
「ナニカ、用事デモアルノカ友ヨ」
「追手がいてね。長話はできないんだ」
それだけ言い捨ててくるりと背を向けた僕をラダカーンが呼び止める。
「マテ」
犬崩れに待てと言われる屈辱を腹の底に抑え、平静を装う。
「まだ何か?」
「ソレナラバ、協力デキルカモシレヌ」
「協力?」
「サヨウ、友ノ敵ハ我輩ノ敵。戦ウコトニ異存ハナイ」
悪くない。実に悪くない話しに見える。
罠にしては手が込みすぎている。それに、認めたくはないがナニかが僕に囁いていた。目の前の輩は同類だと。
無論、頭のおかしいコボルトと同類なんて冗談でもないが、ラダカーンが邪神に関係していることは明白だ。
邪神を崇拝する輩と同じ空気を吸うことは耐え難い屈辱だ。しかし、利益のためには耐えなければならない。
チラリとゴブリンリーダーに視線をやれば勝手にしろとばかりに肩を竦める。
湧き上がった苛立ちを抑え、慎重に言葉を紡ぐ。
「……それは素晴らしい。君の助力を頼みとしよう」
「ナニ、コレホド寵愛厚キ者ノ信仰ニニ手ヲ貸スノハ我輩トシテモ名誉ナコト。気ニスルナ」
どこから信仰の話しが出てきたのか。僕はゴブリンリーダーが燃やした種火に油が注がれていることを自覚する。
ついて来いと言ってスタスタ歩き出すラダカーンとコボルト連中に、少し距離を空けて僕たちも続いた。
「謝らないぞ」
僕は無表情に最後尾を歩いていたゴブリンリーダーの横に並んでから呟いた。
「謝る必要はねぇよ。相談する時間はなかったんだから」
素っ気なく返すゴブリンリーダーに何と言うべきか迷った僕は月夜の森でトボトボと足を動かした。
吹き付けるぬるい風のせいか考えが纏まらなかった。
「一つ頼みがある」
あやふやな思考の中で僕は思わずこんなことを言っていた。
「なんだよ」
「私を……」
森の闇に溶けてしまった言葉を探して視線を彷徨わせる。
なのに、視界に言葉なんてどこにもない。目に写るのは怒ったような、迷うような、引っ込みがつかなくなった子供のような表情。
「僕を……」
言い直しても言葉は見つからなかった。
僕はこの男に何が言いたいんだろう。
背中を預けた戦友に、よく仕えてくれる部下に、不器用に手を差し伸べてくれたこいつ。
いつの間にか、僕も彼も歩みを止めていた。
そもそも、どうして彼は僕に従ってくれるのか。どうして僕を助けてくれるのか。
わからない。
ただ、一つだけわかることがあった。僕はなにか、何かを確かに求めているのだ。
「なあ、……僕はどうしようもない奴だ。本当に悲しくなる程どうしようもない」
続く言葉が出てこなくて、僕は唇を噛み締めた。
噛み締めた唇の内側から望んでいるものが欲しくて、ショーウィンドウに駆け寄る子供のように言葉をぶつけた。
「だけど、だけど信じてほしい。わかってる。信じられないだろ。だから信じる努力をしてほしい。僕も信頼に応えられるように努力する」
自分勝手で、幼稚で我儘なあまりにも、救えない感情。
拒絶したはずなのに、もう望まないと決めたはずなのに、また願っている自分が気持ち悪くて仕方がない。
それでも、それでも、
「厚かましいことはわかってる。浅ましいことも知っている。だけど、頼む。僕を信じてくれ」
ゴブリンリーダーは、果たして呆気に取られた表情をしていた。
「前々から思ってたけどよ。お前あれだな。結構バカだよな」
「は?」
思ってもいなかった返しに、僕は目を点にする。
「俺はとっくにお前に命預けてんだよ」
じゃなきゃお前と逃げたりしねえだろと笑うゴブリンリーダーに、僕は膝から力が抜けるのを感じた。
「そうか」
「そうそう。あと……俺からも頼みたい」
何気ない風を装ったゴブリンリーダーに僕も居住まいを正す。
「なんだ?」
「俺のことあんま舐めんなよ」
彼の強い眼差しに僕は、思わず唾を飲んだ。
「確かに、最初にあんたに付いて行ったのは成り行きもある。ただな、その後は俺の意思であんたに人生賭けてんだ。俺の覚悟舐めんな。あんたにならどこまでもついて行く。そう決めたんだ」
そう言って僕の胸に拳を軽く当てた。
「だからよ、あんたも俺を信じろ」
ああ、こいつは。こいつは。とびっきりな大馬鹿だ。
馬鹿で、向こう見ずで、大胆で輝いて見える。
「……いいのか。まともな道は歩かないぞ」
「覚悟の上だ」
ニヤリと、笑ったゴブリンリーダーに、僕も同じような笑いを返す。
「族長、何してるんですか?」
「なんでもない」
僕たちが続いていなかったことに気付いたのか、戻ってきた部下に簡単に返す。
ついでに空気を読んで離れていた子狼を抱えた僕はゴブリンリーダーに目をやった。
「さっさと行くぞ」
「わーってるよ」
月が険しい道を照らしていた。




