ただ鳥の啄むのみ
集落を離れてから2日目。僕たちは変わらず森を北上していた。
そろそろ森を出たいのだが……
「止まって」
狼の接近にいち早く気付いた例の部下……斥候が鋭く言い放つ。
言葉通り足を止めて姿勢を低くした僕たちの耳にも、ガヤガヤと人間の話すが聞こえた。
昨日戦ったような人間が大量にいるのだ。
元から北には人間が多いのか、それとも使徒や騎士たちに便乗する形で森に侵入してきたのか。
どちらにせよ僕たちからすれば良い迷惑だ。
人間たちは完全に纏まっているわけではない。大抵が5、6人でグループ、いや一党を形成している。
ファンタジー的に解釈するなら、冒険者という奴だろう。
まあ、冒険者でも傭兵でも廃棄物回収業者でもなんでもいいが、とにかくパーティー一つくらいなら僕たちでも対処できる程度の強さしかない。
昨日の奴らなんて敵じゃなかったし。
周りに増援を呼ばれるのは面倒なのでわざわざ喧嘩を売りはしないけど。
ただ出来れば孤立しているパーティーがあれば狩りたいとは思っている。
奴ら歩く宝箱なのだ。倫理上の問題はともかく。
ゴブスレさんが殺した小鬼の武器を使うなら、僕が殺した冒険者の武器を使っても戦えるはずだ。
それにこう、スニーキングミッションはストレスが溜まる。戦った方が気楽ですらある。
段々と遠ざかっていく足音に耳を傾けながら、僕はうんざりと予定を計算する。
そろそろコボルトの領域に入ったはずだが、生きているコボルトとはまだ遭っていない。
冒険者に殺されたと思われる死体は散らばっていたが。
ナチュラルに殺し合っているが、幸いというべきか、討伐証明部位のような物はなかった。
単に冒険者どもが取らなかっただけかもしれないが、これで万一やられたとしても遺体は傷付けられないことは確定である。
……確定じゃないか。わざわざ腑分けしたりする勤勉で狂った冒険者に遭わないことを願おう。
安全を確認した斥候が手振りで再び移動を始めるように示した。
……ちょっとイラッときたが、能力は有用なので我慢我慢。
「なんでこんなに居るんだよ」
うんざりとした顔でゴブリンリーダーが溢した。
「いつもはもっと少ないのか?」
「ああ。そもそも人間がここまで入ってくることが珍しいぜ」
やっぱり冒険者どもはあの遠征部隊に便乗したのだろうか。
迷惑極まりない。
「アオォーーン」
その遠吠えに僕とゴブリンリーダーは思わず目を見合わせた
近い。
狼か。もしかして昨日の奴ら?
いや、狼なんて森にはいくらでもいるだろう。ただちょっと嫌な予感がするだけで。
「あの肉に変なもの混ぜたか?」
同じ物を感じたゴブリンリーダーが、僕に疑いの目を向ける。
「失礼な。私がそんなことするわけ……」
ありそうですね。本当にありがとうございました。
部下に変なもの食べさせたり、族長(旧)を裏切ったり、挙句の果てに邪神なんぞに祝福されるやばい奴。
あれ?僕何も細工してないよな……?
段々と不安になってきた僕はだらだらと冷や汗を垂らす。
「アオオオオォォォォォーーン」
二度目の遠吠えに僕は身を固くした。
これは、冤罪だよな。そう。冤罪だ。
でも、取り敢えずは逃げよう。
「逃げるぞ」
部下が頷くのを確認せずに、僕は遠吠えと逆の方向に走り出していた。
直後、後悔する。
ガシャガシャガシャ。
聞こえるのは鎧を着た生き物が動く音だ。
「アオォォォォー」
それに応えるような遠吠え。
どちらも近いこれは、まずい。
「*****!」
そして、激突した。
人間と狼が。
金属音と、怒号と唸り声が僕の耳を叩いた。
……そりゃ隠れてるゴブリンよりも目立つ人間を狙うか。
違う?まあ、どうせ戦っているので、そこはどうでもいい。
「どうする?」
「すぐに移動するぞ。ここは近すぎる。一段落着いたら漁りに行く」
散らばっている人間の関係性は知らない。最悪、ここには人間が殺到する。狼どもは目立ち過ぎたのだ。
……これはもう人間が鎧だのを残してくれることに期待するしかない。
「はいよ」
部下に合図を出して移動を開始する。
斥候を先頭に、僕たちは足音を殺して歩き出した。
途中で何度か人間とすれ違いかけたが、茂みに潜めば、緑の皮膚が保護色になる。
「あの洞窟に入るぞ 」
部下にそう命じた僕は、斥候を先頭に警戒しながら洞窟に侵入した。
幸いなことに、先客はいないようだ。
「広いな」
思わずそう呟いてしまうほどその洞窟の中は広かった。
壺型と言うべきか、狭い出入り口に反して中はゆったりとしている。
湿度も気にするほどではない。虫の類は毒水を放っておけば死滅するだろう。
それでも生き残る毒虫は……毒耐性に期待したい。
腰を下ろして靴や防具の紐を緩める。
「あぁぁ」
これだけで温泉に入ったおっさんのような声が出てしまった。
かなり効くのだ。
目は洞窟の出入り口に張り付けておきながら、僕は先ほど冒険者から奪った、革製の水筒を煽る。
……どう見てもクズゴブリンなことは気にしないでおこう。
「そろそろ日が暮れます。今日はここで夜を越した方がいいかと」
耳元で囁く斥候に頷いて返した。
そうだな。夜目が効くとはいえわざわざ安全な場所での睡眠を放棄することはない。
スコップを持ってきた奴に出入り口に落とし穴でも掘らせよう。
気休め程度だが、伝統ある罠だ。効果もないよりましだろう。
「そろそろ行くか」
「だな」
時間を取って休憩してから、僕は紐を締めて立ち上がる。
これくらい時間をかければ充分だろう。
斥候を先頭に姿勢を低くして歩き出した。
戦闘のあった場所に近づくに連れて鼻に嗅ぎ慣れた臭いが襲いかかってくる。
血と臓物と、鉄の臭い。
嗅ぎ慣れた臭いだ。怯えるなんて本当に今更だ。
鼻にシワを寄せたゴブリンリーダーが、不満気に呟いた。
「あーあ、平和ってのはなんでこんなに遠いのかね」
ゴブリンらしくない一言に僕は肩を震わせる。
滑稽だ。僕の下に着くなら平和なゴブ生を享受することなんてどだい無理な話だ。
さらに歩けば、目でもその惨状を確認できた。
文字通りの死屍累々。近づく僕たちに死体を啄んでいた鳥たちが慌てて飛び立った。
かなりの激戦だったらしい。
死体の場所から見るに、人間も狼も集まってきたようだ。
「あれは……」
「昨日の狼だな」
見るも無残な姿で倒れている狼がいた。これは多分、死んだ後にも傷つけられたのだろう。死体蹴りをする感性の人間がいるわけだ。
これだから、これだから世の中嫌いなのだ。
「よし、各員死体を漁れ。今回は集めた者は各自に帰属する。喧嘩はするな、私を煩わせるな、以上」
ゴブリンたちが各々、分かれて死体を漁り始める。
剣を探す者、鎧を脱がそうと奮闘する者、盾を掲げている者。
さてと、僕も参戦するとしよう。
とは言っても、僕はそこそこの杖を持っているで、予備の短い杖を探すくらいしかやることがない。
うつ伏せになっている死体をひっくり返し、手から杖を抜き取る。
大した力がなさそうであれば念のため端折り、良品であれば懐に収める。
鉢金をつけた戦士を見つけた。
「ふむ……」
試しに鉢金をつけてみれば、少し緩いが着けられない程ではない。
兜はなしだ。視界が狭まる。
代わりにこれでも着けておこう。
良品を見つけた僕は頬を緩めながら更に人間の死体に近づく。
やっていることも、その精神も、全くのクズっぷり。
某ハンターゲームで魔物の死体を漁るレベルの悪行だ。
あれ?僕悪くない?
まあいいや。
「———ン——ュ——」
小さな声が聞こえた。
無心で声の方に近づく。
「仔犬、子狼か」
最後の力を振り絞った親狼の亡骸に抱えられながら、ネズミのように小さな狼が泣いていた。
「どうする?」
「どうもしない。食べる部分も少ないしな」
ゴブリンリーダーの冷徹な声に、僕も素っ気なく返した。
興味がなかった。
「ヒュンヒュン」
高い声でなく子狼に興味なくした僕は視線を外す。
「キュン!」
突然子狼が、暴れ始めた。親狼の腕を跳ね除け、僕の側に駆け寄り、腹を見せる。
「僕に媚びるのかよ……」
哀れみを感じてしまった。
ゴブリンに媚びているのだ。
辛いだろう。苦しいだろう。悔しいだろう。
少し前までは気高い親狼に抱かれ少なくとも満ち足りた生活をしていた子狼が、薄汚いゴブリンに媚びているのだ。
ただ、生きるために。
その屈辱は誰よりも僕に覚えがあった。
馬鹿で、惰弱で、小狡いゴブリン。そんな奴の下につく苦痛は僕が保証する。
不覚にも同情してしまった。共感すら覚えてしまった。
まあ、構うまい。今はそこまで食べないだろうから。大した負担にもならないだろう。
「おい。前言撤回だ。やっぱりコイツを飼うことにする」
そう言って僕は子狼をすくいあげた。
僕は自分が好きだ。
短いゴブ生で今まで自分に呆れて、憎んでも、嫌ったことはそれほどない。
シニカルで現実的な思考も、汚い性格もまったくもって嫌いじゃない。
だが、僕はまた自分に失望しなければいないようだ。
腐り切った同情なんて一番嫌ったはずなのに。
小首を傾げた子狼の小さな背を撫でる。せめて、面倒くらいはみてやろう。
次は木曜に




