参謀
「なんだその細い丸太は!お前ら舐めてんのか?え?」
下処理を受けた丸太が並ぶ作業場にゴブリンリーダー監督補佐の下品な胴間声が響く。怒鳴られたゴブリンたちは肩を縮こまらせて嵐が過ぎるまで耐えていた。
「まあまあ補佐。落ち着きなさい」
「ですが監督……」
「間違えたならまたやり直せばいい。そうだろ」
僕のこの場に合わない温かい声音が響いた。
作業員であるゴブリンたちが木の香りしかしないこの部屋でどこからか希望の匂いを嗅ぎつけたの目に光を宿す。僕もそれを笑顔で見つめる。
「ただ……君たち第三班は作業予定から遅れているようだね」
わざとらしく予定表を見つめる僕にゴブリンたちの顔が不安げに歪む。
そう、確かに確かに三班の作業は遅れていたのだ。
班長が代表して一歩前に出た。
「それは昨日の欠員の影響で6人分の仕事を5人でやることに……」
「それが?」
「ですから……」
続けようとした班長をオーバーに指を振って黙らせる。
「そんな細事は関係ないよ。ノルマをこなす。そこからどう貢献するかが大事だろう?」
口には出さないが班員の顔にはありありと不満が浮かんでいた。
班員たちからしてみればまた上が無理難題を押し付けて来たとしか思えないだろう。
「工程が遅れれば社の利益に響く。利益に響けば君たちの給料に響く。わかったら——
その続きを僕が聞くことはなかった。
「夢、か」
眠りから覚めた僕はいつも通り硬い床に痛めつけられた体を伸ばした。ユカカタイマジで。略してYTM。ニトリに飛んでいく勢い。あればだけど。
少しでも楽なように草と毛皮を敷いているが、それでも床で寝るのはきつい。
貧血気味の頭に何か入れるために布の袋に入れて日の当たらない所に保管しておいた干し肉を取り出した。
一口食べようとしたところで思い止まる。
このまま食べたら口の中の水分を全部持ってかれるな。悟ってしまった僕は水差しを探すがもちろんない。
昨日は報酬の交渉だけで結局眠ってしまった。いつもは用意している水差しが見つからなかった。
ガリガリと頭を掻いた僕は桶拾ってから、ため息をついて梯子を伝って階下に降り立ち、静かに戸を開けた。
今は春か秋だ。暑すぎず、寒すぎず、過ごしやすい季節に生まれたことだけは邪神に感謝ても良い。
しかし、朝方は少し冷えた。冷たい空気の中広場の前に集められた水が入った桶を持ってきた桶と交換する。
以前は集落の中にある小川から獣のように水を飲んでいたのだ。しかし、それではあまりに動物的だし、細い水源ではいつ枯れるかわからない。
そこで僕の考案したシステムが生きてくる。担当となった部隊が水を汲んでくることによって安定的に集落に水を供給できたのだ。
あの時はこれに反発するゴブリンが多かったものだ。その大半は昨日の戦いで死んだが。
重さによってかかる鈍い痛みに顔を顰めた。水にしろ他の何かにしろ重荷を背負うのは好きじゃない。
呑気に眠っている部下の前で桶から水差しに水を移し、ようやく毛皮に腰を下ろした。
古くなった干し肉の味はよくないが、何もないよりはマシだ。
そう言えば……。
ようやくスイッチが入り始めた頭の片隅に邪神の言葉がチラついた。
ステータスはどうなったかな……。
「ステータス」
種族:ゴブリン呪術師
位階 :ゴブリン 班長
状態:通常
Lv :7/40
HP : 180180
MP :184/184
攻撃力:43
防御力:52
魔法力:65
素早さ:49
魔素量:D
特性スキル:[成長率向上][邪神の加護:Lv5][仲間を呼ぶ][指示:Lv2][限界突破魔術]
耐性スキル:[毒耐性Lv1]
通常スキル:[罠作成:Lv2][槍術:Lv1][剣術:Lv2][無属性魔術Lv2][呪術Lv1]
称号スキル:[邪神の教徒][同族殺し][狡猾][ゴブリンチーフ][上位種殺し]
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
攻撃力が下がってる。邪神が言っていたようにステータスが単純に自分の能力を反映するものだとすれば、僕の力は下がったのか……。
が、代わりにレベルがそれなり上がっていた。そして前回無視した限界突破魔術。
ん?
鼻の頭を掻こうとした手が偶然[限界突破魔術]の項目を触った時、一瞬画面が切り替わった気がする。
もう一度触ると、
———————————
[限界突破魔術]
規定量以上の魔力を注ぎ込むことによって魔術の威力を向上させる力。切り札となり得るがコストパフォーマンスが悪い
—————————
……これは……まさか、必殺技が来ましたか?
あの辛口のステータスが「切り札となり得る」なんて表現するのだ。多少のコスパの悪さなんて問題にもならない。
他のスキルも見られるのか。
——————————
[呪術]
魔力を消費することによって相手を呪う魔術。
—————————————
——————————————————
[邪神の加護]
邪神によって与えられた恩寵の証。
—————————————
あとはそのまんまだろうから省略していいだろう。出来た時は驚いだが割と大したことのないか力だ。
邪神の加護がLv5になった時の報酬としてはパンチが薄いと思うんだけどな……
何にせよ、役立つことは間違いない。そう割り切った僕はぼんやりと自分の昨日の行動を思い返す。
なぜか、なぜか僕は集落の防衛強化のための作業を自分が行うと安請け合いしてしまった。
誤解のないように言うが後悔している訳ではないさ。でもね、夢の内容のせいで掴みどころない不安が僕を苛んでいた。
干し肉を口に納めた僕はゆっくりと横になる。
そもそも集落の防衛の強化なんてどうやってやるんだろう。
柵を作るとか?土塁と堀ぐらいはつくれそうだけた作れそうだけど柵はなぁ……
悶々と考えていると部下が起き出してきたのかごそごそと下が騒がしくなってきた。
それに合わせて僕も起き出すことにした。
体を起こしてから伸びをする。森神官とゴブリンリーダーの所在に思考を巡らせた所ではたと気付いた。
そもそも工具はあるのか。昨日の話しからして斧くらいは調達できそうだが、スコップは存在しているのか。
塹壕も掘れれば、白兵戦で武器としても使える万能の道具は果たしてこの集落に存在しているのだろうか。
ありそうな気もするしなさそうな気もする。確かめてみるしかないだろう。
「部隊長。今日はどうしますか?」
四人に減った部下の一人がそう問いかけてきた。
まだ決まってねぇよ。と答えられたら世界はどれだけ平和になるだろう。ならないか。ゴブリンに平和は作れないわな。
「族長に会いに行き、資材と人員を頂戴する」
再び森神官とゴブリンリーダーの所在に思考を割いた。ついつい家の場所を聞いていなかったな。
昨日は僕も疲れていたらしい。
「広場に向かうぞ。防具だけ揃えて付いてこい」
そう。昨日僕に割り当てられた報酬によって部下の武装を整えることができたのだ。もちろん僕もようやくボロボロになったツギハギの鎧を卒業した。
今はそれなりに立派な革鎧を身につけている。兜は相変わらずないが。どうして兜との巡り合わせが悪いんだろう。
視界が狭められるとはいえあるとないとじゃ安心感が違うんだけどな。
それよりも、問題は……。
僕は歩きながらさりげなく左腕を動かしてみた。やはりぎこちない。
この分だと白兵戦は避けた方がいいかもしれないな。幸い、魔術師の使う杖が僕の手に渡ってくるように手筈は整えてある。
杖で僕の魔術が向上するのか甚だ疑問だけど、それを言い出したらというやつだ。一度試してみる他ない。
門番に案内を頼んで族長の部屋に移動した。
戦いの余波でここも被害を受けたのか所々痛々しい傷跡が残っていた。
「族長。お話したいことがあるものが参りました」
「誰だ?」
「ええと……」
扉越しに聞こえてきたくぐもった声に門番が困ったように眉を潜めた。
不思議に思っていた数秒経ってから僕はようやく合点がいった。
そう言えば僕名前がなかった。
「私です」
と同時に門番の苦心を思い遣って自分から名乗り出た。名前ないけど。
「入れ」
部下にリーダーと森神官を呼んでおくように命じる。
室内からの簡潔な言葉に従って族長の側仕えが開けた扉に僕は一人入った。
「呼び名がないと少し不便だな」
挨拶の前に執務机から飛んできた不満に思わず口の端に苦笑が浮かんだ。
「ええ、まあ」
「欲しい名前はあるか?」
「欲しい名前?」
オウム返しに答えた僕に族長は椅子を勧めながら答えた。
「そうだ。何かないのか?」
僕はちょっと考え、特にないという結論に達した。前世ではあったはずだし別に今付けてもらう必要もないだろう。
「光栄です。しかし部隊長で構いませんよそれが私です」
「そうか?ではそうしよう。部隊長今日は何のようだ?」




