009-藤多柚衣/私の夢が叶う場所
藤多柚衣
「やほやっほー! 藤多柚衣です!」
姿見に向かって、元気よく自己紹介をした。しかし、どこかぎこちない。取ってつけたような明るさは、どうにも藤多柚衣のアバターには馴染まなかった。
UNIVRSにログインしてしばらくの間、こうして鏡の中の自分に向かって自己紹介をしている。もう、さすがに疲れてきた。目の前の少女が本当に自分なのか、自分は誰なのか、たまに分からなくなる。
今の姿、藤多柚衣の身長は156センチで、現実世界よりかなり小さい。当然、顔は現実の自分とは似ても似つかない。これほど愛嬌のある顔だったらどんなに良かったか。髪だってこんな金髪ロングではないし、頭頂のアホ毛もない。加えて言うなら、現実の体には、この豊満な胸すらないのだ。衣装がステージ衣装だからかもしれないが、目の前の彼女は明らかに、自分とは違う世界の存在に思えた。
「今、何時だろ」
ふと思い立ち、UNIVRSのメニュー画面を出す。すると、目の前に半透明の画面が表示された。そこにはいくつもアイコンがあり、自分のアカウントやフレンド情報の確認、エリア間の移動やアイテムの出し入れなど、ほとんどの事がここから出来るようになっている。メニュー画面の端には現在時刻が表示されていた。
「げ、もう22時!?」
学校から帰ってきてすぐにこっちへ来たが、数時間も自分に自己紹介をしていたらしい。疲れて頭もおかしくなる訳だ。メニュー画面を閉じ、「のわー」と、伸びをしながら頭上を見上げる。
「知らない天井……」
なんて呟いてみる。改めて見ると、不思議な感覚だ。今、現実の自分は自宅の天井を見上げているはずだが、目に見えているのはバーチャル空間の天井。パステルピンクを基調とした壁紙には、藤多柚衣のトレードマークである金髪アホ毛の模様があった。
ここはUNIVRS内にある藤多柚衣のプライベートエリアだ。だから、実際は初めてという訳でもない。アイドルの楽屋、のような内装で、姿見にローテーブル、壁には藤多柚衣のポスターも飾ってある。しかし、現実の方にこれらはない。その感覚がまだどうにも慣れない。
もう一度、姿見に向かってみる。やはり、何かパッとしない。アバター自体は、かわいいし、文句のつけようはない。
という事はつまり、中身が藤多柚衣になりきれてないんだろう。
「はぁ、もう時間がないよぉ……」
思わず弱音がこぼれてしまう。
藤多柚衣には時間があまり残されていない。こんな数時間も一人で自己紹介の練習をしているのも、そのせいだった。
メニュー画面を再び開く。その中でも一際目立つアイコンを見た。
【VRoadway】
ポリゴン調のデザインで書かれたその言葉を、UNIVRS内で知らない者はいないだろう。
VRoadwayは、4年前に伝説となったバーチャルタレントのトップを決める祭典である。老若男女、人間人外、生物無生物、もはや物体と概念の枠をも超えた、ある意味、世界最高峰のエンターテイメントコンテストだ。
そして、その第2回大会の予選が今まさに、開催中なのだが。
VRoadwayのアイコンを指でタッチすると、メニュー画面が切り替わり、藤多柚衣の画像と、細かい文字や数字、折れ線グラフなどが表示される。
「うぅ……やっぱりファン登録者数、全然増えてない」
画面の端には、【No.7735藤多柚衣】という文字の下に、このあいだ投稿した自己紹介動画のサムネイル画面と、その再生数やファン登録者数が表示されていた。
サムネイル画面は、真顔の藤多柚衣と、【はじめまして藤多柚衣です】という太文字だけのシンプルなもの。シンプル故、見やすくはあると思う。しかし、こんなありふれたサムネでは、他の多くの動画に埋もれてしまうだろう。実際、見てくれている人も少ない訳で。おそらく、この自己紹介動画を見た人は、全ての参加者動画を見漁っているんじゃないだろうか。そう思えるくらい、今の動画は際立つものがない。
「ダメだこの動画、早くどうにかしないと……」
この惨状を、放っておく訳にもいかない。よって、動画の撮り直しが必要なのだが、どう改善したものか。全く見当もつかない。
何がいけないのかと問われると、思い当たるだけでも両手じゃ足りなかった。故に、どこから手を付けて良いやら分からない。動画の編集もあるし、本当に時間がない。
兎にも角にも、VRoadwayの予選通過条件は、UNIVRSアカウントでファンを1000人集める事だ。少なくとも、自己紹介動画は必須で、あとは動画配信やライブ活動などを通し、アカウントのフォロー数を増やさなければならない。
「あと3週間で994人か……」
でも、結果はこの有様だ。
あの自己紹介動画だって手を抜いた訳じゃなかった。むしろ、今持てる全てを投じたと言っても良い。収録までの段取りは色んな動画を見て、ちょっとは研究したし、慣れない編集も二徹でやった。おかげで授業中に何度も寝そうになった程だ。しかし、慣れない作業を突貫工事でやれば、サムネイルの例のようにボロが出る。
今の実力じゃ、予選突破は――
「無理、なのかな……?」
誰に問うでもなく、口に出していた。いや、藤多柚衣が現実の自分に聞いてきたのかもしれない。彼女だって、この世界で何かをする為に生まれてきたはずだ。
ふと、鏡を見る。
心配そうに、藤多柚衣がこちらを見ていた。自分はここで終わってしまうの? と目で訴えているように見えた。終わりじゃない。時間はあまりないが、まだ足掻く時間くらいはあるはずだ。
「ユイならきっと、諦めない……」
自分に、藤多柚衣にそう言い聞かし、笑ってみせた。彼女は笑い返してくれる。
「と言ってもなあ、どうしよう?」
どれだけ練習しても、藤多柚衣の姿で魅力的な振る舞いは出来なかった。現状、この技術がそもそも自分の中にないのだろう。他のランキングトップ参加者達は、アバターの姿をちゃんと魅せているような気がする。一体、あんなのどうやって――
「勉強すればいいんだ!」
自分にその技術がないなら、他から取り入れれば良い。実際に見て、真似して、自分のものにすれば良い。
「よし、やるぞ!」
メニュー画面からエリア移動を選択し、藤多柚衣はプライベートエリアを後にした。