004-葛城省吾/巡る季節
葛城省吾
進路希望調査書。
今や、その薄っぺらい紙を機械的に配るようになってしまったが、かつては俺も、そんな紙一枚に苦心した事があった。
夢を、見ていた時期があったのだ。
「今から進路希望調査書を配るぞ。ホームルーム中に書いてくれー」
地元では有名な進学校に通っていた俺に、実質選択肢は多く与えられていなかった。
候補の大学は既に決まっていて、その中から順番をつける作業。例外は許されない。世間は想定外や、異端分子を排除するように出来ている。
例えば、「アイドルになりたい」という女の子がいたとして、それを本気で支えてくれる人間がどれだけいるだろう。笑わない人間がどれだけいて、笑われても夢を見続けられる人間がどれだけいるんだろう。「世の中、そんな甘くないよ」「今はいいけど、ずっとアイドルなんてできないよ」「みんな、ちゃんと大学出て普通の職につくんだよ」そうやって、夢は大衆心理に押し潰されていく。
その淘汰の中でも、強く生き残ったものが夢だというなら、俺が夢だと思っていたものは何なのだろう。どうして、俺の夢なのに、他人に淘汰されなければならないのだ。
人生の選択肢を増やすため、そう言われて勉学に励んだが、その間にもレールは着々と建設されていたのだ。そのレールに乗るための車体を、マニュアルを、俺達は叩き込まれる。
この希望書だって、「お前が選んだ道なんだから、悔いなく進めるだろ?」という建前を演出するための装置に過ぎない。茶番だ。
だからこそ、この希望書は俺達にとって大きな意味をもつ。
大衆の声に黙って従うか、自滅覚悟で突き進むか、その意思表示をするために。
「ほい、葛城」
前の友人から希望書が回ってくる。空欄が三つ。どの空欄上にも志望「校」とある。要はそういう事だ。周りの皆は迷うことなく、空欄を埋めていっているようだった。
俺もシャープペンシルを構える。「この葛城省吾には夢がある」だなんて大層な啖呵こそ切れないが、夢を見る権利くらいはあるはずだ。
夢を、刻んでいく。ただそれだけの行為に寒気がする。
そんな事はないはずなのに、周りの笑い声が、俺への嘲笑に聞こえた。気付くと俺は、シャープペンシルを置いて、筆箱に手を伸ばしていた。
「葛城、書き終わったか?」
書き終わったらしい友人が振り返る。
もう、俺は耐えられなかった。
「いや、まだだわ。ハハ」
俺はそう言いながら消しゴムで夢を潰し、卑屈な笑みを浮かべる。
自分が嫌になる。誰も悪くない。俺が悪い、そんな風に思う。
結局、俺はレールに乗った。大衆と同化し道化となる意思を示した。
夢を捨て、レールに乗るのは気持ちがいい。それだけで皆が認めてくれる。安心できる。いつか描いた自分が殺されていくのを尻目に、俺は先へと進み、ついには高校教師となった。
夢をあきらめた俺が、生徒に夢を説いているのだから、こんなに滑稽な事もない。
あの時、進路希望調査書をそのままにしていたらどうなっていただろう? そして、あの場所へ夢を書き殴り、それを追い続けられる奴なんて本当にいるんだろうか? 今でもたまにそんなことを夢想する。
「今から進路希望調査書を配るぞ。ホームルーム中に書いてくれー」
立場は変われど物事は繰り返す。今年も一番嫌いなこの時期がやってきた。
ここから第一章です。
省吾と瑞希はそれぞれの夢に向かって進み始めます。