021-葛城省吾/時の止まった部屋
葛城省吾
UNIVRSからログアウトして、俺はすぐ行動にでた。
あの部屋へと向かう。もう一か月ほど足が遠退いていただろうか。リビングを出てすぐ右手の一室。扉には、プレートが1枚掛けられていた。【ユイのへや!】と、カラフルに彩色された木製の文字ピースが並んでいる。
ここで、藤多柚衣は生まれた。きっと、この中でなら藤多柚衣に込められた想いが、夢が見つかるはずだ。
本音を言えば、この扉を開けるのは気が引ける。だが、これもユイのためだ。
俺は意を決し、ドアノブに手を掛けた。
扉が開くと、洗剤のいい香りが鼻に入ってきた。壁のスイッチを手探りで見つけ出し、点灯させる。
ここだけ時間が止まっているのかと思われるくらい、彼女の部屋は一か月前と何も変わっていなかった。ベッドの上には、うちの高校の制服が乱雑に放られていた。
左手にある学習机を確認して、俺は慎重に近づく。
部屋へ勝手に入った罪悪感からか、秘密を探る事への高揚感からか、俺の鼓動は早くなっていった。
ユイの机の上にはいくつかのフォトスタンドが並び、その周囲を乱雑に置かれた雑誌が囲んでいる。フォトスタンドには、友人だけではなく、俺や両親の写真もあった。
「ごめんな、ユイ。今度謝るよ」
机に手を合わせてそう言うと、俺は机の引き出しに手を伸ばす。
鍵などはかかってなかったようで、引き出しはすぅーと開いた。まず目に入ったのは、何枚も重ねられた学校の課題と思しきプリント。
「おいおい、あいつは大丈夫なのか」
謝罪と合わせて、教師としての小言も聞かせてやらなければならないようだ。
プリントの山を掘り返していると、古びた一冊のノートが出てきた。
表紙には、【極秘事項!】とかわいらしい丸文字で書かれている。
「確かこれだ」
このノートの存在は知っていた。いつか、俺がユイの部屋に入った時、慌てて彼女が隠したのは、こんなノートだったはずだ。
勿論、努めて人の秘密を覗くような趣味もないので、このノートを開くのは初めてである。
ノートを手に取り、数ページ送ってみる。
【苗字はふじた? 由来はナイショ!】
見ると、聞き馴染みのある苗字について、メモが書かれていた。色とりどりのボールペンが使われていて、俺からするとナンセンスだなあと感じるが、楽しんで書かれた事は想像に難くない。
【名前はゆいでいいかなぁ、漢字は変えたいよね】
自分と同じ名前を付けてしまう辺り、若干のイタさはあるけれど、一方で彼女らしい。きっと、俺がツッコミをいれても、「私がやるんだから、名前はユイに決まってるじゃん!」なんて言い切ってしまう事だろう。
【藤多柚衣! 姓名診断もばっちり!】
俺なら、きっと占いなんて気にも留めないだろう。だが、ユイなら気にする。毎朝、聞いてもないのに、俺の運勢を教えてくれたほどだ。
【藤多柚衣は、みんなを笑顔にするアイドル。一人じゃ駄目なの。みんななの。バーチャル世界なら、きっとみんなに届けられるの。だから――】
そこで、その文章はページの端を迎えていた。
顔が熱くなる。
なぜこれまで気づかなかったのか、けれども今ならユイの願いがわかる。
そうか、だからあの言葉だったのだ。まだ俺には想像もできないし、為しえないことかもしれない。でもきっと、現実世界では出来ないことが、バーチャル世界でなら可能になる。簡単な事だった。答えはそぐそこにあった。
俺は、ページを捲る。
【シェアスマ】
その文字はノートの真ん中に、やさしい文字で書かれていた。
俺はふと、昔の事を思い出す。ユイはよく「みんなに笑顔を分けたげるの!」と、笑いながら自分のほっぺをつねっては、誰彼構わず笑顔を振りまいていた。
好きだった幼児向けアニメの真似だったのだろうが、今思うと微笑ましい。
俺は確かめるように、その言葉を声に出す。
「みんなを笑顔にする。それがシェアスマ」
それこそが、藤多柚衣に込められた想い。彼女がVRoadwayに参加する理由。
ここまで知ってしまったのなら、ユイが藤多柚衣に込めた夢を、俺が引き継がなければならないだろう。
「お前の願い、俺が絶対に叶えてやるからな」
俺は、写真の一枚の中で笑う、彼女に誓った。
お前の笑顔で、俺はみんなを笑顔にすると。