015-葛城省吾/公私混同教師問答
葛城省吾
昨夜のUNIVRSでのことが、思い出される。あの出会いは、俺にとって進展となるのだろうか。まだ不安しかない。ただ、それはお互い様だろう。互いの素性も能力も分かっていないような他人を、すぐに信頼しろという方に無理がある。
そもそも藤多柚衣の抱える課題が多い、というのも不安の種だ。すどーPと俺で、それらの課題を解決できるのだろうか。
自分らしさを考えろという、あの宿題も、正しい解答が得られるか分からない。
そんなことを考えていると、仕事にも身が入らず、気づけば職員室に他の教師はほとんど残っていない。部屋の時計を確認すると、午後8時過ぎになっていた。そろそろ帰ろう。
俺はパソコンを閉じ、帰り支度を始めた。
「ショーちゃん」
その時、耳元で俺の名前が囁かれた。
慌てて振り返ると、いたずらな笑みを浮かべる美女の顔があった。
「ま……京終先生、でしたか」
「別に舞でも良いのにー。ほら」
彼女はそう言うと、数少ないまだ残っている他の先生の方を指さす。なるほど、皆さん寝るか、イヤホンをしてらっしゃる。この時間ともなれば、こうなるか。
彼女は京終舞、俺より一年先輩の音楽教師だ。そして、幼少期からの幼馴染でもある。そんな縁もあって、舞は時折、学校でも俺をからかおうと、昔のあだ名で呼んでくる。こいつのおかげで、俺は昔から大変な迷惑を被っている。
これで舞が、地味な女性だったら良かったのだが、そうじゃないから困る。大和撫子を地でいく、容姿と所作の美しさは、昔から性別を問わない人気だった。
手入れの行き届いた黒髪ロングは、いつも濡れているかのような光を放っている。目は穏やかで、笑った顔が何より似合う。大人になってからはプロポーションもすっかり良くなって、俺としては目のやり場に困るばかりだ。
さらに舞は、その美貌に加えて、人懐っこい性格で多くの男たちを虜にしてきた。ただ、舞自身には誘惑する気なんてさらさらなく、男女構わず距離を詰めるタイプだ。
しかし、そんな事を当事者の男たちは知らない。すぐに好意を寄せてしまう訳だ。こうなったら時が、俺にとって非常に面倒なのだ。
というのも、幼馴染で、習い事も同じだった俺は、自然と舞と話す機会が多かった。そうくれば、俺は舞のファンから気に食わない奴としてすぐに認定される。多感な中学生の頃は、それが原因でからかわれることもよくあった。
辛くなかった、と言えばウソになるが、舞にそれを打ち明けるのは、カッコが付かないし、きっと舞の笑顔を奪う事になる。だから、結局しなかった。とはいえ、俺もそれなりの処世術は身に着けた。
「で、何の用でしょう? 京終先生」
俺は呼び方に力込めてやる。人前では、あくまでも他人として接する。これが、俺の導き出した京終舞ファン対策である。学校でも、名前呼びは勿論、舞が毎度誘ってくる昼食も、断るようにしている。
つれないと分かるや、舞は口をつーんと尖らせる。
「かわいい後輩が悩んでるみたいだから、飲みに誘おうと思ったんだよー」
舞はこうしていつも俺の味方でいてくれる。姉はいないが、妹と共々、本物の姉のように慕っている。舞なら、何かいい案を出してくれるかもしれない。
「そういう事なら、喜んで」
「お、二つ返事とは、珍しいこともあるんだねー。これは相当参ってるなー?」
「まぁ、少し」
「よしよし、お姉さんが聞いてやろー! 帰る支度してくるねー」
とてて、と舞は自分のデスクに戻り、支度を始めた。また変な誤解をされても困る。先に出て、廊下で待った方が良いだろう。俺は、手荷物をまとめ、職員室を後にした。
しばらくすると、舞が不機嫌そうな表情で職員室から出てきた。
「わざわざ外で待たなくても良いのにー」
「まあまあ。別に良いでしょう? ささ、行きましょ」
なんとか舞をなだめつつ、学校から駅の方へ向かう。駅までは徒歩なら十分くらいだ。
夜風の涼しさを感じていると、舞が前へ回り込み、俺の顔を覗き込む。
「で、ショーちゃんは何を悩んでるのー?」
「い、いきなりですね」
「まぁ、朝からずっと元気なさそうだったからねー。もしかして、妹ちゃんの事? 手術、来週だったよね?」
朝から勘付かれていたとは、おそるべし幼馴染力。舞には、妹の事を話していたし、余計に心配をかけたのかもしれない。
ただ、妹の手術に関しては、俺が何かを出来る訳ではない。それは、執刀をしてくれる先生や看護師さん、妹自身が頑張るしかないんだと思う。
「いや、そっちじゃないんです。心配は心配ですけど。俺としては祈るしかないですし」
「まぁ、そうだねー。うん、きっと大丈夫だよ。信じよう。で、妹ちゃんじゃないなら、ショーちゃんは何で悩んでいるの?」
VRoadwayのことで――という訳にもいかない。なんて切り出したものか。考えあぐねた結果、とりあえず俺は、あの質問を舞にもぶつけてみる事にした。
「自分らしさって、なんだと思います?」
「自分らしさ、随分と哲学的な質問だねー。あー分かった。進路指導関係だな?」
舞は「そうかそうか」とご満悦だ。教師から突然、「自分らしさってなんだろう?」なんて聞かれれば、進路指導で悩んでいるのかと、推測するのは自然な流れかもしれない。そういえば、進路指導の方も決着をつけなくてはならない。とはいえ、うちのクラスでまだ調査書を提出していないのは、あとは榛原だけなのだが。
「まぁ、そんなところです。で、質問の方はどうです?」
「それは、ショーちゃんの? わたしの?」
「んーじゃあ、俺ので」
それを聞くと、舞は再び後ろ歩きで進み始める。両手を後頭部にやって「うーん」と唸っている。しばらくすると、また口を開いた。
「優しい、とか?」
「おいそれ、思いつかなかっただけだろ」
「あ、やっとタメ口になってくれたー!」
「いや、ごまかすな!」