014-榛原瑞希/人類みな麺類
榛原瑞希
翌日の放課後になっても、頭のどこかで藤多柚衣のことをぼんやりと考えている。
スマホに視線を落とす。
【もし、私にプロデュースをさせてくれるなら、来週の月曜日、22時にVポンテ広場に来てほしい。宿題も忘れずにな。 すどーP】
藤多柚衣とすどーPの間で、何回かメッセージを交わし、返事の日程が決定した。メッセージで済ませる事もできただろうが、私からどうしても直接会って話したいと持ち掛けた。
こういう大切な事は、例えバーチャルの世界であっても、直接伝える方が良いはずだ。ただ問題は、「自分らしさについて考えてきてほしい」という、あの宿題だろう。
いきなり「自分らしさは何か?」なんて問われても、ほとんどの人が回答に困るだろう。自分らしさを探して、見つけられないから、大衆の意見にその身を預ける。
でも、夢を与える存在のアイドルがそうではいけない。
生身だろうが、バーチャルアバターだろうが、中身の魅力なしでは人気は出ない。
藤多柚衣の自分らしさって一体――
「なーに、難しい顔してんだよっ」
こつん、額を不意に小突かれる。
犯人の方をキッと睨めば、「しわが痕になるぞーっ」と、茜がキャキャと笑っていた。
昨日に引き続き、放課後恒例のラーメン屋巡り。今日は家に帰っても1人の日だ。こんな日は、茜がラーメン屋に付き合ってくれていた。今日は、鳥白湯が美味しい駅前の店だ。
10人ほど入れるカウンターだけの小さな店舗だが、その味は格別だと近所でも有名である。夕食時にはまだ少し早いので、小さな店内に、客は私と茜だけだった。
「余計なお世話」
ふんっと顔を茜から背け、カウンターの向こうで上がる湯気を見つめる。吸い込んだ小麦の香りが、私の胸を満たす。
「茜はさ、自分らしさってなんだと思う?」
茜ならなんて答えるだろう。私は思い付きで聞いてみた。
「ふーん、なるほどねっ。進路の話、まだ考えてたんだなっ」
したり顔で茜はそう言った。
そういえば、昨日は学校でそんな事もあった。進路、という訳でもないが、無関係ではないだろう。とりあえず、「まぁ、そんな感じ」と肯定しておく。
「まぁ、アタシの自分らしさって言ったら、速いの一言に尽きるでしょっ」
「そう言うと思った」
予想通りの回答に、私は頬を緩める。
「じゃあ、なんで聞いたんだよっ!」
「あーほらほら、ラーメン来たよ」
カウンターの向こうから、特製鳥白湯ラーメンが差し出される。それを受け取り、茜の前に置いてやった。濃厚なスープの蒸気が、私の食欲を掻き立てる。
「もー、ごまかすなっ!」
ぷんすかと怒る茜だが、鳥白湯スープの前には無力。すぐに割り箸を半分にしていた。本当に速いな、コイツは……
私も自分の器に視線を落とす。なんて白いスープなのだ。あまりの濃厚さに麺さえ見えない。箸を雪原のようなスープに突っ込み、引き上げる。すると、キラキラと輝くスープが、細麺に絡みつきながら持ち上がる。そのまま、口へと運んだ。
「美味いっ!」
二人の声が揃った。これ以上の言葉は不要だ。鳥の旨味が、口にいっぱいに広がる。更にこの店は、だしに貝も使っており、後から魚介の香りが鼻に抜ける。悪魔的な美味さ。食べれば最後、食す者の箸は「もっと食べたい」という欲求のみに従うだろう。
私たちは無言でラーメンをすすった。
「ごちそうさまでしたっ!」
茜は元気よく完食宣言をする。いつもなら、すぐさま「また私の速さが証明されたねっ!」なんて、スピード自慢をしてくる頃だ。だというのに、今日は珍しく私の顔をじっと見つめている。じろじろ見られると食べにくい。
しかし、スープまで飲み干したいという欲は抑えられない。スープまで飲み干し、私は感謝の気持ちを込め両手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
器の底には、【ご完飲ありがとうございます】と書いてあった。ラーメン屋に来てしまうと、どうにも器の底まで見たくなる。ここの店長さんはどんなメッセージを、スープの海に隠したのだろうかと、思いをはせてしまうのだ。
私がラーメンの余韻に浸っていると、茜は何かに気づいたように、うんうん、と頷いた。
「分かったよ、瑞希っ」
茜が声を上げる。
「え、何が? 隠し味のバターのこと?」
「いや、ラーメンの話じゃないってっ! さっきの、自分らしさの話っ!」
「ああ、そっちか」
私の気の抜けた返事を聞いて、茜は頬を膨らませる。
せっかくの友人の厚意だ。私は「ごめんごめん」と頭を下げた。
なんとか機嫌を直してくれたようで、茜は指をピンと立て、自信たっぷりに口を開く。
「アタシから見て、瑞希らしさはズバリ、ラーメン好きってところだっ!」
刑事ドラマで犯人を言い当てるシーンばりの、自信たっぷりな様子で茜は言い切った。
一方の私は、口をヘの字にして不満を示す。
「いやまぁ、ラーメンが世界から消えたら死ぬくらいには好きだけどさ」
「ええっ?! め、めっちゃ好きじゃん……アタシの想像をはるかに超えてきたよっ!」
「そう?」
「そうだよっ! これはなるしかないね、ラーメン系アイドルっ!」
茜は立ち上がり、「目指せ、帯解カグヤちゃんっ!」と一人で息巻く。
「そもそも、ラーメン系アイドルって何なのよ……」
「そりゃ、ラーメンが死ぬほど好きなアイドルだよっ!」
「絶対売れないでしょ、そのアイドル……」
私の自分らしさは、ラーメンが好きな所だと、茜は言った。藤多柚衣も確かに、ラーメンが好きであると自己紹介動画で公言している。だが弱い。
第一線で戦う魅力としては、あまりにもパッとしないのだ。
これぞ藤多柚衣だといえるような魅力はもっと強く、誰もが惹きつけられる物でないといけない。
「あとはそうだなー、瑞希は誰にも非情だよねっ」
「非情で悪かったわね……」
さっきのお返しにと、私は茜の額を小突いた。
本当に非情なのは、今の状況だ。全く時間がない。
少なくとも、藤多柚衣の魅力だけでも早く引き出さなければ。なぜなら、既に藤多柚衣のやることは山積みなのだ。
藤多柚衣の仕事は、動画撮影だけではない。撮影前には、動画構成の練り直しが必要だし、撮った後も動画の編集がある。加えて、twitwiなどのSNSアカウント運営、ネット記事への取材打診、といった広報活動もしなければならない。
前回、動画が失敗に終わったのは、この広報活動の不足による所も大きいと思われる。
やはり、どうにも手が足りない。
そこで、すどーPの出番が来る。藤多柚衣は動画撮影にのみ、全力を注ぐべきだ。あとの動画編集などは、すどーPを利用してしまえば良いのだ。分担という観点で、今回の協力関係は、藤多柚衣にとって好都合だ。
次の動画に向けた演技指導や、動画の編集などは、すどーPの仕事にする。
一方、裏での広報活動は私がすべきだろう。
私は誰にも、自分にも非情になれる。きっとそれは、大切な私らしさなんだろう。とにかく、今は私にできる事をやろう。
「ありがとう、茜。今日は私が奢るよ」
「おおっ! さすがは誰にも優しい瑞希さんっ!」
「……その手のひら返しの速さも茜らしさだよね」