011-すどーP/素晴らしきこの世界
すどーP
ナルとんに扮した私が初めに向かったのは、ラーメン博物館in UNIVRSだ。このエリアは、現実の新横浜ラーメン博物館を忠実に再現したエリアである。昭和時代の雰囲気を出すため、小物や建物の外装、看板にいたるまでレトロなアイテムで占められている。空は、夕暮れ時の朱と紺が混じったような色で、どこからかチャルメラの音が聞こえてくる。各店舗からは、モクモクと湯気が漏れ出し、空へと消えていく。匂いこそしないが、無性にラーメンが食べたくなってくる空間だ。
「腹が減るブー……」
私は、名店の味を思い出しながら、辺りを舐めるように見まわした。
勿論、バーチャル空間なので、実際にラーメンを食べることは出来ない。その代わり、実店舗のラーメンを通販で買えたり、湯気と麺をすすってる時のリアルな音が出るラーメンの3Dモデルなどが販売されたりしている。このモデルのこだわりはなかなかで、ちゃんと店舗ごと、ラーメンごとに音が異なっている。私はこれらをコンプリートしているのだが、初めてこの事実に気付いたときは震えた。しかもこれがまた、麺をすする音が美味そうなのだ。あの音だけで、私は白飯を食えるんじゃないかと思う。
何故、ここを一番初めに訪れたのかといえば、藤多柚衣のtwitwiの最新の投稿が、このエリアに関する投稿だったからだ。というか、最近は、ほぼラーメンの事しか呟いていない。それまでは、最新のスイーツや、他のバーチャルアイドルについての投稿もあったのだが、彼女の中で、空前のラーメンブームが来ているらしい。
元々、大人気というほどのエリアではないから、全員のIDを確認するのはそう難しい事ではなかった。UNIVRS内での容姿は、いつでも変えられるから、個人を特定するには、アバターのIDで個人を見分けなければならない。
「うっそ、ナルとんやん!」
その声に振り返ると、私が、いや、ナルとんがいた。ぴょんぴょんと跳ねて、なんだか嬉しそうだ。
そのナルとんを注視すると、その頭頂に掛かった生卵のさらに上、宙に英数字の文字列が表れた。これがIDである。一応、藤多柚衣の物と比べてみるが、それは一致しなかった。
「君もナルとんなんだブー?」
「めっちゃなりきるやん?! 自分、おもろいな!」
どうやら、マイナーゆるキャラ被りという奇跡によって、彼に気に入られてしまった。話を聞けば、彼もラーメンをこよなく愛しているようで、暇さえあれば、このエリアでラーメン通たちと語り明かしているらしい。
「この、藤多柚衣って子、知らないかブー?」
そこで、私は彼に藤多柚衣の画像を見せてみた。
「あーこの子ね! 昨日、来てたで。めちゃくちゃラーメンに詳しい女性アバターやったからよう覚えとるわ」
「ほ、ほんとかブー?!」
「ほんまやって! たしか、VRoadwayに出るとか」
それなら確かに藤多柚衣だ。彼女は昨日、ここに来たのだ。
「今日も来るかブー?」
「なんや自分、ファンなんか? どうやろ? 俺もずっとおる訳やないからなあ。よっしゃ、もし現れたら、自分に教えたるわ。フレンド申請飛ばしとくで」
そう言って、関西弁のナルとんは、私にフレンド申請を送ってくれた。これを許可すれば、UNIVRS内でメッセージのやり取りが可能になる。
「ほな、頑張りやー」
「ありがとブー」
彼とはここで別れ、私は次のエリア捜索に赴く。今度は、VRoadwayに出るという観点から探してみるか。既にtwitwiの情報も、手掛かりになりそうなのは、もう数か月前のスイーツ関連の投稿くらいしかない。となれば、藤多柚衣が何故に、UNIVRSに来ているのかを考えるのだ。単に、UNIVRSを楽しむ、という事もあるだろうが、やはり、VRoadwayの予選突破に向けて動いているに違いない。
予選突破条件は、ファン登録者数1000人だ。彼女がパブリックエリアにいるとすれば、それはファン集めのため、という可能性がある。営業を行うなら、人の多い所が良いだろう。人が集まる場所と言えば、間違いなく初めに、ナナ公像前広場が挙げられる。待ち合わせや、ストリートライブ、イベントなど、人と文化が集まる中心である。
「にしても、すごい人だかりだブー」
広場にはすっかり人が溢れ、中央の像に近づく事すらままならない。それこそ、1000人くらいいるだろうか、高校の全校集会よりは遥かに人が集まっていそうだ。これだけの人数がいるにも関わらず、声はほとんど聞こえず静まり返っている。何か始まるのだろうか。
手近な女性アバターに私は声をかける。
「ここで何があるんだブー?」
彼女は最初驚いたような表情をしたが、手招きをして小声で教えてくれた。
「ミライヤミちゃんのゲリラライブですよ。さっき告知があって」
彼女が宙を指で弾くと、ピンク色のメニュー画面が現れた。メニューを指で操作しながら、こちらに見せてくれる。そこにはtwitwiの画面が映っており、【ミライヤミのVRoadway参戦決定特別ゲリラライブ@ナナ公広場】とあった。
「VRoadwayの参加者なんだブー?」
「ですです! 元から大ファンなんです。もう始まると思いますよ」
「なるほど、ありがとブー」
彼女は「いえいえー」と笑うと、広場の中央に視線を戻した。
ゲリラライブ、と言っていたが、一体どこで行うつもりだろう? この人だかりの中、ステージなしでライブは不可能だと思うが。それこそ、彼女のような最後列のファンに姿は見えないのだから。
その時、地響きのような歓声があがる。隣の彼女も「ヤミちゃーん!」と叫ぶ。周りの視線を追うと、その先は遥か頭上――
「みっんなー元気かぁ!? ミライヤミだぜぇ!」
黒のドレスに身を包んだ少女が、ナナ公像の上空にいた。空中カメラがあるのか、彼女のアップが、突如現れた空中モニターに映し出される。黒に映える真っ白な肌、力強い目つきと堂々とした態度には、圧倒的なカリスマ性を感じさせられる。少女が足元に顔を向けると、金色のポニーテールが荒々しく跳ねた。そして、ゴシックロリータ風のスカートが、この状況で真価を発揮する。
「ちょっ、スカートの中は見るなよなっ!」
ミライヤミは顔を赤らめ、幾重にも重なったスカートの層を手で押さえる。
観客のボルテージは最高潮となった。
「今日は急なライブだったのに、集まってくれてありがとな! 早速、一曲目いって良いかあ!?」
ミライヤミの煽りに、ファンの雄たけびが呼応する。ここにはないはずの熱気が、私にはありありと感じられた。これが本物のアイドルとファンの力。私の鼓動が早くなる。やはり、私はここに全てを賭けてみたい。
ミライヤミが右手を横に伸ばす。すると、黒い粒子がどこからともなく、彼女の手へと収束し、漆黒のエレキギターを形作る。
「1、2……」
曲が始まると、ミライヤミのライブは更なる盛り上がりを見せる。踊り、歌、ファンサービス、どれも高いレベルだ。古参のファンも多いのだろう、彼女の掛け声に対し、阿吽の呼吸でレスポンスが返される。ファンが一体となれるライブは、さぞ楽しいはずだ。おかげで、どのアバターも飛んだり跳ねたりのドンチャン騒ぎである。空中でのライブという、仮想現実ならではの演出も良い。ミライヤミがファンの頭上を跳ね回る様子は、さながら黒い妖精だった。
「ラスト、行っくぜぇ!」
エレキギターの小気味良い音が、広場に轟く。すると、ミライヤミの衣装はフリルがあしらわれたロリータ系の衣装から打って変わり、セクシーなライダースーツ風の衣装に換装される。激しいロック調の曲に合わせて、ミライヤミのライブは勢いを落とすことなく終幕へと向かった。
「ありがとな、みんな最っ高だぜ! ファン登録もよろしくな!」
そして、ミライヤミの別れの言葉と共に、黒い紙吹雪が撒かれた。近くに落ちたその一つを見るに、彼女のファンクラブ特別エリアへのリンクが記されたビラのようだ。紙吹雪に触れた人々は、次々に光と共に消えていく。どうやら、触れるだけでエリアへのワープが実行される仕組みらしい。
人々が散り散りになっていく中、私は藤多柚衣を探してみたが、結局、藤多柚衣はここで見つけられなかった。これだけの人数だと、いちいちIDを見るのも難しい。
「全然だめだブー……」
第一線の実力を見せつけられた。だというのに、私は、肝心のプロデュースするアイドルにさえ会えていない。あまりの絶望的な状況に、脱力した私はその場に崩れ落ちる。
「だいじょーぶか? ブタさぁん」
その時、頭上から声が降ってくる。視界の端に垂れる金髪。差し伸ばされる手。
その手を反射的に取ろうとするが、豚足はその手を貫通してしまう。その元を目で追うと、ライダースーツを纏ったミライヤミが心配そうに私を見下ろしていた。
「み、ミライヤミ!?」
「おーう、ミライヤミだぜ! 立てるかぁ?」
「ど、どうして……」
「いや、子ブタさんがライブ終わりに倒れてるもんだからさ」
立ち上がる私の手に、彼女は律儀にも手を添えてくれる。無論、仮想現実のここにおいて、その行為にどれだけの意味があるかは分からない。しかし、私は彼女に自然と立つよう誘導されていた。
「ありがとだブー」
「いいよ、いいよー。アタシ様のライブで、倒れるくらい楽しんでくれたんならさ!」
ニカっと笑って、ミライヤミは親指を立てる。
私の無事を確認すると、「んじゃねー、ファン登録と水分補給、忘れんなよ!」と、ミライヤミはメニュー画面を出すと、どこかへ移動してしまった。ファンエリアにでも行ったのだろうか。
あれだけの技量と、元からのファンをもったミライヤミでさえも、ゲリラライブの実施など戦略的にプロモーション活動をしているのだ。
無名、素人の藤多柚衣をVRoadwayの栄光へ導くにはおちおちしていられない。