001- /それは夢に見たステージ
藤多柚衣
「ついに、ここまで来たんだね」
私は、暗闇の中で呟く。
この控室には、会場の熱気も輝きも一切届かない。嘘のような静寂。
だからか、私の鼓動はより鮮明に感じられた。期待と不安、それから高揚感も混じっている。
その時、僅かなノイズの後、着けているヘッドセットのイヤホンから、聞きなれた声が届いた。
「準備は良いか?」
「は、はい」
私は答えたあとで、声に緊張が漏れてしまったと気づく。
「嘘をつくな」
こちらに訂正させる隙も与えず、その言葉は届いた。
さすがはプロデューサーだ。やはり、すどーPには、声だけでも嘘が見抜かれてしまうようだ。彼の小さなため息が聞こえる。今、すどーPはライブの演出準備に追われているはずだ。でも私が心配になり、その合間を縫って、無線を飛ばしてくれたのだろう。
そして、彼の予感は的中し、実際に私は緊張でガチガチ。彼が眉間に寄ったしわを指で伸ばしているのは、容易に想像できた。
少し間をおいて、彼は私に問う。
「お前の夢はなんだ?」
唐突な問い。今、私が陥っている緊張とは全く関係がない。
しかし、私はその質問に対し、すんなりと答えを出せた。
「みんなを、笑顔にすることです」
「なら、そんな表情はやめろ」
『表情』と聞いて、ハッとした私は辺りを見回す。だが、どこまでも暗闇しかない。
やはり、彼はここにいないようだ。
「間抜け。お前がどんな顔をしているかくらい、声だけで分かる」
彼はやれやれ、といった声色で言う。どうして、周りを探したことすらもバレているのだ。こっちは声すら出していないというのに。全く、この人には敵わない。
「笑え」
「笑、う?」
「そうだ。これまでと何も変わらない。笑顔を共有する、それが『シェアスマ』なんだろ? お前が笑っていなくてどうする」
ああ、その通りだ。これまでと何も変わらないではないか。お気に入りのハットとステッキ、そして蝶をイメージしたこの衣装。ずっとこれでやってきた。私のやること、できることは1つだ。緊張なんてしている場合ではない。
私の仕事は、みんなに笑顔を届けることだ。
もう、鼓動は治まっていた。
「準備、できました」
「少しはマシになったな。行くぞ、藤多柚衣!」
彼の合図で、僅かな浮遊感が生じる。
視界が開けると、目がくらむほどの光量と、全身を震わせんばかりの歓声が私を襲った。
「みんなーシェアスマァーーーッ!」
叫んだ。収容人数二万人の会場に、私の声が反響する。
辺り一帯、どこを見ても人がいる。みんな、思い思いの衣装に身を包み、私を見ていた。サイリウムが揺れる。歓声で空気が震える。みんなの熱気が、私へ一気に押し寄せた。
夢に見たステージ。私は今、その遥か上にいる。
宙に現れた私は、ゆっくりとステージに降りていく。温かい歓声で泣きそうになりながらも、必死に笑顔を保ち、みんなに手を振った。
着地し、改めて見回すと、会場の大きさに圧倒される。二階席まで人がびっしりだ。この人たちが全員、私のステージを見に来てくれた人、というのはどうにも実感が湧かない。
だけど、実感なんてともかく、とても嬉しかった。
「みんな、今日は集まってくれてありがとー! 藤多柚衣です!」
すると、爆風のような歓声が返ってくる。肌が、振動で痺れるようだ。
「今日は、みんなと最っ高のシェアスマが出来るように、柚衣頑張るね! だから、みんなもガンガン盛り上がっていってくださーい!」
そこで、ステージ中央が暗転する。
闇の中でドラムロールが鳴る。サーチライトが会場を駆け巡る。懐かしい演出。私のはじまり。
そして今日まで、私は進化し続けた。この衣装は蝶を模しているけれど、まだ蛹だったのかもしれない。いつか飛び立てるその日を夢見て、蛹はもがいたのだ。
でも今日、ついに私は蝶になる。
ジャーン、とシンバルが打たれた。
「ユイ・オン・ザ・ステージ!」
照明が私に集中する。今回特別に用意したサーカス風の衣装が披露される。瞬く間の衣装チェンジ。サプライズになっただろうか。黒と赤でまとめられたタキシードドレス、スカートにはアイドルらしく白のフリルがあしらわれていた。
会場の喧騒が止まないうちに、私は手元のステッキを振るう。すると、ステッキで指したステージの端に巨大なクラッカーが現れ、炸裂する。更にステッキを振るうと、次々にクラッカーは連鎖し、爆発と共にステージ全体が光に満ちる。
赤を基調とした、ビビットな楽しいカラーリングのステージ。宙に浮かぶオーケストラ楽器たちが、陽気な音楽を奏で始める。ここから、私はみんなに笑顔を届ける。
「じゃあ早速、柚衣の笑顔をシェアしちゃうよ!」
私のステッキを客席に構える。何も、今度は客席を爆発させる、という訳ではない。疑問符を浮かべる会場へ、私は魔法でもかけるようにステッキで弧を描く。
「シェアスマ!」
バフン! 私の掛け声で、客席が白煙に包まれる。ざわめく会場。まだみんな、本当の異変には気づいていない。
続いて、私はステッキを頭上に高く上げ、ぐるぐると渦を巻く。すると今度は広がった白煙がステッキの先に集まり、大きな雲になっていく。
煙がすっかり晴れた所で、声が上がる。
「柚衣ちゃんの笑顔がシェアされてる!」
私は一つ、魔法を使った。「柚衣の笑顔をシェアする」その言葉通りのことをしたのだ。
「全員の顔が、柚衣ちゃんになってるぞぉ!」
客席にひしめく藤多柚衣たちが慌てふためく。その表情は一様に笑顔だ。
これはちょっとしたサプライズ、ここからが本当のステージだ。
「みんなシェアスマしてるね!? みんなに今日1回目のシェアスマができたところで、最初の曲いっくよー!」
私が指をパチンと鳴らせば、浮遊する楽器たちがピタリとその音色を止める。そして、ヴァイオリンやトランペットが突然軋み始めた。何事かと、観客の目線は楽器達に集まる。ステージ後方のモニターにも、楽器のズームが映し出された。
震えるヴァイオリンには、ついにヒビが入ってしまう。さらに、そのヒビから白い手袋が二つ、ぬっと這い出した。手袋の一つは、真っ赤なエレキギターを持っており、ヴァイオリンを脱皮するように、取って代わってしまった。あちらこちらで楽器の脱皮は進み、すっかり顔ぶれはロック風に変わる。
ギュン、どこかでギターが鳴った。初めのコードはG、何度も歌ったあの曲のイントロ。もう既に、会場のざわめきは大きくなりつつある。
ワンフレーズ、小気味いい音が会場を貫く。さぁ、盛り上がっていこう。
「恋はニンニクマシマシ!」
ドラムがドルドルとリズムを刻み始めれば、もう会場のボルテージは最高潮を迎える。
「私を、いつも温めて――」
二万人の藤多柚衣が、跳び跳ねる、歌う、手拍子をする。
「みんな! サイリウムで力を貸して!」
歌の合間にそう呼びかける。すると呼応する様に、光の波が広がっていく。その光景に私は息をのんでしまう。なんて美しい光景。この景色を特等席で見られるのは私だけで、それはみんなのおかげなのだ。そう思うと、どんどん力が湧いてくる。
そして、その目に見えない力は、ここでなら具現化される。みんなの振るサイリウムの光が、虹の束となってステージに集まる。その先には、さっき作った大きな雲。雲は虹を取り込むと、まるで生物のように渦巻き始める。
「絶対にー飽きたりしないわ――行くよ!」
サビ直前で、私は走る。ステージから客席へ。
ステージの端で大きく踏み込み、空へと跳躍する。
「恋は、ニンニクマシマシ! カラメは少なめ――」
客席に落ちる!
しかしその瞬間、眼下に落ちたのは巨影。受け止めようと下に集まってくれたファン達は、こちらを仰いで口をあんぐりと開けていた。
辺りに降り注ぐまばゆい鱗粉。優雅に、されども強かに、それは羽ばたいていた。
藤多柚衣たちの笑顔は、巨大な蝶の翼となって、私の体を空へと舞いあげたのだ。
この羽化は、ファンのみんながいたから成し遂げられた。その思いをなんとか表現したいと、私がすどーPに頼んでいた演出だ。しかし、いつも私の期待を優に超えてくるのだから、彼には本当に頭が下がる。
もう、本当に――
私は宙で一回転、客席中に指で狙いをつけながら、止める。サビのラストだ。
「そんなあなたをーおかわりしたいの!」
大歓声とサイリウムの光が私を包みこむ。
間奏が始まる。もらった翼で私は客席を縦横無尽に飛び回る。手を伸ばす人々にハイタッチをして、ステッキを使い花びらを散らした。会場は大盛り上がり。間奏がもう終わる、という所で私はうんと高度を上げる。
「じゃあ2番行くよ! って、へ?」
上昇していたはずが、下降している。もしかして、落ちている?
背中に目をやると、翼がない。どうして?
頭が混乱状態の中、耳にノイズが入る。
「藤多柚衣、機材トラブルだ。ラグったらしい。スピードは出し過ぎるなってあれ程言ったろ」
「ええ!? ど、どうすれば!」
「死にはしない。上手くやれ」
「いやいや、上手くやれって、そんな……」
一体どうしたら。高度は考えている間もぐんぐん落ちていく。せっかくここまで来たのに。
ああ、もうだめだ。やっぱり私は――
はじめまして、藤川ジョンと申します。
これから1カ月ほど(落とさなければ)毎日更新していきたいと思います。
短い間ですがお付き合いいただけると幸いです。