救出せよ!
天窓からの侵入に成功し、とりあえず4階にも監視がいないことを確認した俺は、1階から4階まで吹き抜けになっているエントランスを上から観察した。
誰もいないか...。
市役所の正面玄関を入ると4階部分まで天井をぶち抜いた吹き抜けの空間が広がっている。役所を訪れた村人が手続きが終わるまでの間よくこのエントランスで天窓から差し込む日光を浴びながら気長に世間話をしていたのを思い出す。
今やこのエントランスにも村人の影はない。天窓から差し込む闇を照らす星空の光と役所の外で燃えている家の明かりが暗いエントランスを仄かに照らしていただけだった。
「みんな...どこにいる?」
このエントランスの空間は市役所内では一番広いはず。捕まえられた人たちはここにいるのではないかと予測していたが、どうやら外れたようだ。
人質がいるというのにやけに静かなのが気になる。監視も正面玄関に一人亜人がいただけだ。
「もしかしてもういないのか...?」
そんな可能性も捨てきれない。さきほど巡回をしていた亜人の一人が収容所に連れて行くと話していた気がする...。
4階の廊下を中腰の姿勢を保ったまま、下へと続く螺旋階段へと向かう。
上から覗き込み、下からこの階段を上がってくる姿があるか念の為確認すると、
...いた。
薄紫色のスキンヘッドの頭にガスマスクに似た仮面を着け、右腕には太いザリガニのような真っ赤なハサミ。そして左腕には人間より一つ関節の数が多い腕が付いている。背中にはサメのヒレのような出っ張りが確認できた。
間違いない....あれは....。
半魚人だ。それも半魚人では珍しい異種族同士の交配を可能にしたミックスである。
推測の域に過ぎないが、あのガスマスクは陸上で生活するためのものだろう。魔王が誕生する前、人間の国に攻め入れるため亜人の国は半魚人を海のルートから侵攻させようとしていたらしい。その水中では無敵の亜人である半魚人が何故こんな辺鄙な村にいる!?
ペタンペタンと音を立て、この静かな階段を登ってくる姿は実に奇妙だ。
そんな奇妙な外見も相まって、薄暗い役所内を歩いている半魚人の姿は正直言って恐怖でしかない。
俺は急いで引き返し、4階の一室に隠れた。
どうやらここは資料室のようだ。図書館のように本棚がいくつも設置されており、羊皮紙に書かれたこの村に住んでいる村人達の情報や農産品などの情報が本棚に所狭しに詰められている。
俺は一番奥まで行き、本棚の近くに設置されていたデスクの足を入れる空間に身を丸くして縮こまる。一応椅子を持ってきて外から俺の姿が見えないように障害物も置いておく。
さすがにここまではこないだろう...。
ただでさえ監視がゆるゆるな状態なのだ。それに人質を救出しようとする人間などいないと思っているだろう。
思っているはず...。
ガチャっ!
.....嘘だろ....。
心臓が凍った。なるべく息が漏れないように音を出さない呼吸法に切り替える。
やばい...この資料室のドアが開かれた。
ペタンペタンと足ヒレが地面を叩く音、そしてガスマスクから漏れるシューシューという呼吸音がゆっくりと近づいてくる。
なんでだよ!? なんでよりによって俺が隠れている部屋に来るんだよ!
このままデスクの下に隠れ続けるべきか!?それとも移動するべきか!?
バコンっ!
半魚人がこの資料室に設置されていた掃除用具入れの扉を開けた音が聞こえた。
バコンっ!バコンっ!
そしてその隣にあった戸棚の扉を開ける音が立て続けに聞こえる。
全ての扉の中を確認している!?
あんなデカイハサミを持っているんだからわざわざもう片方の腕で扉を一つずつ開けて確認するという面倒な作業をやらなくてもいいのに....それじゃ俺見つかっちゃうじゃん!
このままデスクの下に隠れ続けるのは危険だ。このままの流れだとおそらくここも確認されるだろう。あいつのハサミに掴まれたら間違いなく胴体が二つになりそうだ。
ゆっくりと摩擦音が出ないように俺を隠すために置いておいた椅子を押し出し、隙間から体を捻ってデスク下から脱出する。そしてそのまま本棚の裏へと回り、本棚に詰められていた資料と本棚の板との隙間から反対側の状況を垣間見る。
半魚人の野郎はいない。音から予測すると俺が今いる本棚から数えて2列先にいる可能性が高い。
『サウンドジェネレーター』は残り1つ。まだあいつには俺の存在自体はバレていないはずだ。ここでマジックアイテムを消費するのは得策ではない。
俺はこのまま今いる本棚の後ろに隠れながら半魚人の進行と反対方向に移動し、資料室からの脱出に成功した。
ふー。
「危なかったな」
今もなお、資料室内部から扉を開ける音が聞こえている。あれは心配性によるものなのかそれとも何かしら侵入者の存在を察知したものなのか判らないが、後者でないことを祈るしかない。
再び螺旋階段へと戻り、今度は監視も登ってきていなかったので3階へと降りることに成功した。
この3階には会議室があったはずだ。エントランスを除けばこの市役所内で一番広い部屋だ。
「会議室にいる可能性が高い...」
恐怖が去ると自然と独り言が出てしまう。気をつけなければならないことは重々承知しているが、それでも少しでも気を紛らわしたいのだ。
3階の廊下には亜人の姿がない。もしかすると先ほど遭遇した半魚人がこの建物の巡回を担当しているのかも知れないな。だとすると再びこっちに戻ってくる可能性もある。
会議室がある部屋の前まで行き、耳を澄ますと微かに物音が聞こえた。
「ここにいるかもしれないが...」
さすがにこのまま会議室に入るわけにはいかない。監視がいるだろう。
1、2階にはここの村人達を収容できるほどのスペースがある部屋はなかったはずだ。全ての部屋を確認しに回るべきなのだろうが、先ほどみたいに監視と遭遇するリスクが高い。
自分の身が持たない...。
この会議室にイザベル達がいることに賭けるしかないだろう。ならば自分ができる最大限の工夫をして壁を隔てた先にいるイザベルとライアンを救出するしかないか...。
「そういえば役所には予備備蓄庫と放送室があったな...これを使うしかないな」
–––––––市役所3階会議室。
手首手足を布で縛られ、猿轡を噛ませられた総勢30人ほどの村人がこの会議室に自由を奪われた状態で捕まっていた。
それは酒場でマークの後を追って行ったアランを見送ったイザベルとライアンも例外ではなく、他の村人同様に拘束されていたのだ。
イザベルの隣にはライアンがいるが、猿轡の所為でこの距離でも会話ができない。お互い恐怖に怯える目で見つめ合いアイコンタクトをして会議室に居座っている一体の亜人の状況を共有することが今できる精一杯の行動だ。
(アランとマークはどうなったの...生きてて!)
イザベルは心の中で恋人と友人の無事を祈る。彼女は既に覚悟を決めていた。もう自由に生きることはできないだろうと。死ぬ覚悟さえしている。
この部屋を監視しているのは人狼だ。オークやミノタウロスに比べ体が小さいことから人間サイズの部屋の中で監視の任に就いているのだろうがとても暇そうだ。
イザベルは天井を見上げ、今までの己の人生を振り返っていた。村長の娘として何不自由なく暮らせてきた。友人達も今日飲んでいたのは男ばかりだが、昔からの付き合いなので女友達よりも気安く話せる。恋人でもあるアランはとても優しかった。ただ優し過ぎてマークの世話をし過ぎるのが不満の種であるが、それも含めて素晴らしい人だった。
(今頃マークと一緒に村から脱出をしているのかしら...マークのことだからまたアランに助けられたんでしょうね...フフフ)
そんなことを考えていると、天井に設置されていた空気ダクトの網目状の蓋から何やら白い粉が吹き出し始めていることに気づいた。最初はただの錯覚かとも思ったが、すぐにそれは現実だとわかった。
その白い粉は次々と空気ダクトから流れてきていた。これはイザベルだけが気づいたのではなく、監視の人狼も気づいたようだ。人狼は人間よりも鼻が利く。
「なっ? なんだこの粉は?」
会議室内に溢れ出した白い粉の量がどんどんと急速に増え出すと、徐々に視界が粉に覆われて悪くなっていく。
(ん? なんかむず痒い もしかしてコショウも入ってる?)
あたり一帯に白い粉が舞った後、鼻がむず痒くなっていた。拘束された村人が次々とくしゃみをし出す。これは人間以上に鼻が利く人狼も例外ではなく、
「なんっ.....ハアアックション!!」
鼻を手で抑えながら悶えていた。
「どうなってんだ!?」
人狼が会議室の扉を開け、換気をしようしたが既に廊下にも白い粉が溢れていた。
「お前ら! なんだこれは! 欠陥か?この建物は!」
人狼が捕まっていた村人に怒鳴りつけるが誰も答えるものはいない、何しろ猿轡をはめられているのだから...。
すると次の瞬間、天井に設置されていた市役所内に声を拡散することができるマジックアイテム『ボイスエクステンション』から見知った声が流れてきた。
『市役所内部は既に手中に収めた...粉塵爆発を知っているかな? 亜人達よ人間に刃を向けたことを後悔するがいい! 俺を捕まえたいなら市役所内の部屋をくまなく探すのだな...』
(マーク!生きていたのね!!)
この声は明らかにマークの声だった。逃げたのかとも思ったがまさか市役所内に来ていたとは!それも人質を救うために!
「ハアアックション!! クソ野郎が! あの牧場のガキだな! 放送室にいるんだろうが はっ 他の奴は役所内を把握してねえみたいだから俺が行くとしよう! 村人よ お前らの希望を殺してきてやるぞ」
ニヤニヤと笑いだした人狼が会議室の扉を勢いぶち破り、鼻を抑えながら廊下へと飛び出した。
(ああ...マーク! 早くそこから逃げて!)
何故人狼が声の主の正体を知っているのか判らないが早くマークには逃げて欲しいとイザベルは思った。監視はいないが、拘束されていては逃げることもできない。
すると、開け放たれた扉から一人の人間が現れた。
(マーク!!!)
拘束されていた村人達もマークの姿を確認すると、猿轡をはめられたまま皆口々に唸りながら解放してくれてとアピールをしだした。
それはイザベルの隣にいたライアンも例外でなく、皆と同じように興奮していた。
一直線にイザベルのところまで向かってきたマークは懐から小さなナイフを取り出し、イザベルを拘束していた布を切った。
「マーク!来てくれたのね!」
「イザベル!次はライアンだ」
大粒の涙がイザベルから零れ落ちた。そのまま抱きつきそうになったが、素早くライアンを拘束していた布を切り始めたマークに邪魔はできない。
そしてライアンを拘束していた布が切られる。
「マーク...すまない」
「ああ さあ行くぞ! すぐに亜人がやってくる」
「マークまだ他にもいるんだ...」
「時間がない...だが」
涙目で訴える村人の姿を見たマークが近くにいた一人の老人の拘束を解き、ナイフを渡した。
「これで他の人の拘束を切れるはずです。時間がないので後は人生の先輩に任せます。救うのも逃げるのもあなた次第です」
「若者よ...ありがとう 誰も君を責めることはできない さあ早く行きなさい! あとは任せて」
「お気をつけて!」
イザベルもライアンもマークに対して何か言いたいという気持ちはあった。だが、命からがら助けに来てくれた恩人に対して一般的な正義論を言う気はなかった。それよりも早くこの場から逃げたいという欲求の方が勝ってしまう。
「イザベル、ライアン 逃げるぞ!」