店主と護衛、扮する
ちょい短めです。
二人して出かける、なんて時の用事は限られている。
スティナは着慣れない服に人の認識を逸らす効果を持つ魔道具、加えて顔がちょうど隠れる形のヴェールを被る。
おさまりの悪そうに二、三度かぶりを振ってから、同じように変装・・中の護衛に声をかけた。
「いつ見ても、慣れないものだね」
色が変わっただけですが、とやや困惑気味な顔をする彼に、一つ息をつく。
「……その色が、さ」
その視線の先もまた、確かに普段からは見慣れない。
獣の耳や尻尾は変わらないが、それにしては印象が違いすぎているのだ。
――明るい茶の髪は白銀に、琥珀の目は艶のある黒に。
顔の造作は変わらずとも、色味の派手さも相まってもはや別人にも見える。姿が主の目にさらされ、これまたおさまりの悪そうにしているのがなければ、スティナも近寄りがたく感じる風貌だ。
それでも彼もまた、スティナの護衛たるレオ・ウルリクなのである。
「アンバー」
「………………」
「これで分かるのがいるのだから、不思議だと私は思うのだけど」
髪紐を口にくわえて、頭に手を回している状態では返事はなかった。まあ、そうしていなくとも返事はなかったのだろうが。
そんな風に思いながらスティナは、中途半端に肩口まで伸びた髪が無造作にまとめられるのを見つめた。
主であるとはいえ、そして彼も望んだことであるとはいえ。彼女の都合で枷をつけることを、申し訳ないと思う。
スティナにはその気持ちなど到底分かるはずもないのだが……時折、その獣としての本能に手入れをするように、どうしようもないほどの渇望が沸き上がることがあるのだという。
――堅固な忠誠の中に、けれど主の身を守るがために闘争に置いた身。わずかな高ぶりは、確かに潜んでいるのだろう。
スティナは彼を自由にさせたかった。
けれど、それがレオの答えだったのだ。
ゆえに。渇望を満たすがため、その時その身に纏う、彼を偽るものが必要だった。
それは道具の性能としては、十二分にその効力を発揮しているといえよう。
普段と両用できる戦闘装束はより戦闘に重きをおいたように変わっていて、どこか剣呑な雰囲気を漂わせている。
とろりとした琥珀は深淵を感じさせる黒だ。普段とは正反対ともいえる厳しさと冷たさを感じさせた。
……逆にこれほどの変化でレオだと、そう判別できる女性、もといストーカー達は何なのだろうか、とスティナは首を捻る。
もしかしたら単に、追跡者の尾行が上手いというだけなのかもしれないけれど。
髪を結わえ、どこか不機嫌そうにも見える表情で、彼は言う。
「貴女にその名で呼ぶ方が、俺にはよほど慣れません」
「そんなに?」
「仮の名なんてものはあちらにいる時だけで十分です」
そう、と頷いて、スティナはその、彼の言うところの、その仮の名前もいいと思うけど――と言いかけ、結局口にはしなかった。
~店主と護衛、扮する~
足音が近づいたのは、彼の部屋だった。
軽やかとは言い難いそれに、こんこん、とどこか慌ただしくも聞こえるノックの音が追加される。
「お入りなさい」
フェルマ・ピアーは伏せていた目をゆるりと上げ、書類に向かう手を止めた。
鼻の頭からわずかにずり落ちた眼鏡を直してやってきた受付嬢を見やる。言うか言わないかのうちに開かれた扉に、たしなめることはない。
普段なら注意もするのだろう。が、そもそもその普段をしっかりしている者を雇っている。フェルマはそういうことにうるさかったから、そうせざるをえない事情があったのだろうと判断した。
「ギ、ギルドマスター」
「――なにか、ありましたか」
フェルマはギルドマスターだ。
彼自身もかつてはA級冒険者として名を馳せた、最強とは言わなくとも程近い場所にはいるであろう強者。
引退してからもその十数年を、後進を導くことに費やして生きてきた、まさに生粋の冒険者。
慣れなかった書類仕事も今ではもうおてのものである。昇格試験の立ち合いなどもあるが、大部分の仕事はそれなのだ。
しかしそんな普段のことならばこんな反応にはならないだろう、と考え、焦った様子の受付嬢を見る。
何か重大な案件でもあったのだろうか。
「アンバー・ブラウン様が……」
「――――あぁ、君はまだここギルドに来たばかりですから、知りませんね」
心配要りませんよ、と安心させるようにほほ笑み、内心を知らせないようにこっそりとため息をついた。
アンバー・ブラウン。
ふらりと現れ、またぱったりと来なくなる狼獣人の冒険者だ。この町を拠点にしているらしいが、やって来ることはほとんどない。
フェルマから見た彼は、冒険者としてはひどく不誠実な男だった。
似合っていないともいえるが、その性格はおよそ問題児というイメージを持たせない。
――しかも、腕がいいのだからなおたちが悪い。
実力は随一、S級の資格を持っている程だ。
それで冒険者稼業を副業といわれれば、納得はできないに決まっている。だが、その本業を、詳しくは知らないとはいえ、どういうものかは知っていた。
そして、わざわざ知らせに来る、というのは。その副業を中断するような何かがあったのだろう。
普段は連絡なんて入れない奴がこうしてくる時なんて、限られているのである。
心配そうな受付嬢に退出を促し、その背と閉まる扉を見送って、フェルマは胃のあたりをさすった。
一体何度目だ、と。
実際は十にも満たない回数でしかないのだが、それでも彼にとっては十分すぎるものだ。
自身が同じ轍を踏むことはないにしても――これから起こることと、かつて自分がしてしまったことを重ね合わせずにはいられなかったのである。
✥ ✥ ✥
『彼』がいったいどこから現れるのか、と言われて分かっている人はいない。
本人の証言をあてにせずとも――そもそも、虚偽を言うような性格にも思えないのだけれど――この街中に住んでいるのは確かだ。否、泊まっている宿は判明しているのだがそれも機密を漏らさない宿だ。情報も漏れないからそうなのだと思うことしかできない情報である。
彼は、冒険者として動く短い間しか見られていない状態にしかその姿を見せない。それ以外の足どりを辿ることはひどく難しい。
滅多にないことではあれど、たとえその行き先を知ってしまった者がいたとして、それを話すことは当然阻止されるのだから当然ではある。
ゆえに、あの白銀と黒の色合いは目立つものだが、なかなかどうして、見た者はいなかった。
――そして、その場所へ、まさにその当人が歩いている。
建つ建物たちの中でも一際大きな威圧感を放つところ、周囲には武器屋や薬問屋などが寄り集まっている。
いわゆるギルド、と言われる場所。その周辺は冒険者通りとも呼ばれ、武具を常から身につけているような戦闘を生業にする者たちが多くいた。
どこから現れたのか。気づけば到底無視できないような圧迫感を与えるその人が、けれどどこからやって来るのか知る者はいない。
「おい、あれ……」
誰かがそう呟き、否、その言葉なくとも――いつの間にか彼を見ていた。
もちろん、当人は何の反応もない。ただその人の半歩後ろをついて歩いている。服装からして女性であろうが、その顔はヴェールに隠されて見えず、はみ出るように揺れる髪が金であることしか窺い知れない。
通りにいた冒険者たちは、彼のその背中がギルドの中に入っていくのを見つめていた。
✥ ✥ ✥
「………………」
煩わしい視線に、顔をしかめる。
入ったら入ったで、普段は粗野で好き勝手に騒ぐ男たちも口をつぐむ。
しかし、目は口ほどに物を言う、とも言うように……その視線は痛いほどだった。
しん、と静まり返る建物に、緊張の走る受付。
中に入れば、詳しいのは彼の方で。今度は主の前を歩き、受付に歩み寄る。
つい先ほど、ギルドマスターのフェルマに彼の来訪を伝えた新人の受付嬢が、わずかに肩を揺らした。
「連絡は受けたか」
「は、はいッ! 来られたらお通しするようにと……」
「ならば、頼もう。彼女も一緒だ」
受付嬢は彼のすぐ後ろに立つ、その彼女に視線を送った。
一目で上質と分かる服装。ヴェールに覆われた顔はどこか無感情な口元しか見えず、不思議な雰囲気を感じさせる。
けれども、何故かあまり気になるような人じゃないように思える。
『彼と一緒に彼女も来るだろうから、通してあげなさい』
『女性の方ですか?』
『見たら分かるよ』
むしろ、そうあることが自然なように。
事前に言われていたとおりであるにしても、それにしてはあっさりと、受付嬢は二階のギルドマスターの部屋に続く階段へ二人を案内する。
彼らが遠ざかるにしたがって、ざわざわとした空気が戻っていく。
けれども、その姿に畏怖を認めた故か。最初ほど活気のあるまではいかなかった。
✥ ✥ ✥
気配がした。何度か経験したことのある、重い圧を感じさせるもの。
「ああ、来たね」
扉が開く。二人だけを中に通して、受付嬢は下の階へ戻っていく。
ヴェールを被り、今まで一言も話さなかった彼女が、少し後ろを振り返り三人になったのを確認して、そこで初めて口を開いた。
「久しぶりになるかな、ギルドマスター」
その中性的な声は、認識阻害の魔道具のせいだ。一般人の受付嬢があっさりと彼女を通したのもそのせいで、しかし冒険者であったフェルマはそのことに気付いている。
実際、彼女の声を聞いたことがないし、感情の読めない口元が動く以外の顔も見たことはない。
ただ、始めて会った時と全く変わらない、とそんなことを考えて……昔のことを思い出しただけだった。
【アンバー・ブラウン】
=レオ・ウルリク。ギルド内での偽名である。S級冒険者。
銀髪黒目。スティナ曰く、本人とは考えられない程冷たい雰囲気を醸し出すらしいが、それは彼が戦闘モードだからである。
【フェルマ・ピア―】
元A級冒険者。物腰柔らかな壮年だが、その言葉に潜んだ毒は結構精神にくると評判。
スティナとレオのことが苦手である。
【受付嬢】
本作一番一般人してる人々その2。たまに熟練の冒険者だった人も混じっているが、新人である彼女は少なくとも一般人。