店主、応対する
店まで戻ると、閉まった扉の前に人がいた。
おそらく、というよりは確実に客だ。二人には黒いローブの後ろ姿だけで誰なのか分かってしまう。
もはや顔なじみのそいつが振り返り、しかめっつらを寄越してくるのを見つめ返した。
「何処に行っていた」
「このやり取り、いつまで続けるつもり? 昼食だよ」
分かっているだろうに、と呆れながらスティナはその客に言う。
「大体、来るなら私たちが店を閉めていない時に来てほしいんだけれど」
「お前こそ分かって言っているだろうスティナ。客がこうして来ているというのに、この不真面目が」
「私の趣味の為の場所だ、ついででやってる本屋の客になる方が罪じゃないかと思うんだ」
しかめっつらで投げ掛けられれ言葉の毒をさらりと無表情で流し、けれどもスティナはやって来た客に相応の応対はする。
「まあ、まずは入ろう。また何か依頼でもするのかな、クローク」
「生憎だが今はあの魔導書を読んでいるからしばらくは依頼はなしだ」
「そう」
扉が開く。レオが手早く解錠を終わらせたのだ。
ご苦労様、と彼を労った後、三人は店に入っていく。
再び店に、明かりがついた。
~店主、応対する~
クロフストーク・ハインシュタット、と言えば有名な人間である。
知らない人などそれこそ旅の者や、無知なる赤子くらいのものではないだろうか。それ程までに彼は有名である。
【魔術の神】の『加護』を最大限に受ける『神子』に師事した一人であり、魔力総量は大きくないもののその術式の無駄のなさ、コントロール力は称賛に値するものであるという。
そしてそんな彼がいるこの国の、住人たるスティナから見れば――彼、クロフストークことクロークは多少面倒な性格をしている常連客、という認識であった。
「珈琲です」
ことり、と置かれたカップが三つ。煎れたばかりのそれは微かに湯気を揺らめかせている。満腹であるためか、僅かに舐めるようにしてからすぐにソーサーに戻し、
「ありがと、レオ。……でもね」
「はい」
どうかしたんですか、とでも言いだしそうな顔だなと思いつつ、行き際に置いていた本を手にとりスティナは言った。
「私たちがこんな風だからクロークも味を占めてやってくるんじゃないかと最近思うんだ」
机の上には、珈琲。
と、全部合わせれば一食ぶんにはなりそうなお菓子がこんもり皿に盛られていた。
向かい側には珈琲片手にそれをもっしゃもっしゃと食べている魔術士の姿。
整っている顔は台なしだし、威厳も何もあったものではない。かの高名な魔術士を、誰がこんなのだと想像しただろうか。
「やだ、あの人かっこいい……!」なんて理由で、スティナ越しにクロークを、その正体も知らずに餌付けしている近所のお菓子屋の店主に正体を明かしてやりたい、などと内心思うのだ。
「相変わらず美味いな」
「そちらに珈琲煎れが上手な方はいないのか」
「いるわけないだろう、何せ魔術馬鹿どもばかりだ。……かくいう私もそうだが」
ただ、クローク相手になると多少口調の和らぐレオを見ていると、そんな気持ちも消えてしまう。
のではあるが、まず顔を合わせればそう思わずにはいられないスティナである。
断じて不真面目やら怠け者やら罵倒される仕返しを企んでいるわけではない、決して。
「それでわざわざ此処まで一服しに来る、と」
もっとも、この男の場合は来るといっても転移魔術ですぐだ。
つくづく魔力の無駄遣いとも思うが、クローク曰くスティナもあんまり人のことは言えないらしいので言葉にすることは自重する。
「私自身も意外だが、案外この店の空気は私に合っているらしい」
「……へぇ、そう」
少し、驚いた。
いや、こうしつこくやって来る時点で悪感情を持たれてはいなかったのだろう。視線を外し、本のページをぱらぱらとめくりながら、そう思った。
先程まで読んでいた本の、読み終えている最後の記述を見つけだし、目を落とす。
「残りのお菓子、好きに食べていいから。レオもね」
「はい」
「……そうか」
こうしているいつも通りの様を気に入っているのならば、別に気にすることなどありはしない。
返事を聞き、言うべきこともなくなって文字列を目で追いかけることだけに集中する。
あっという間に、周りの音も聞こえなくなっていった。
「……多分、もう聞こえてないから話し掛けても意味ないぞ」
ちょくちょくレオも摘んではいたためか、かなりの量だった一皿ぶんの菓子は存外に早く平らげられた。
クロークが黙々と本を読みつづけているスティナに断りを入れようとしたところ、途中から棚の整理作業に戻っていたレオが顔を覗かせて言う。
「……いつもこうなのか」
「大体いつもこんなんだな」
つい先日までは一応クロークの昼食、のような一時に付き合っていたスティナだったので、その普段通りの姿の自由さに顔を引き攣らせた。想像のそれを上回る不真面目さであった。
店番くらいしろよ、と思うのも無理からぬことである。
「多分、さっきの言葉で少し心を許されたんじゃないか? スティナ様はそういったことに敏感な方だ」
「……お前、こいつに甘すぎるんじゃないか?」
そうかな、と僅かに頬を緩ませて言いつつレオは主を見た。それは自覚しているのかいないのか、呆れながらもその視線を辿ってクロークも彼女を再び見遣る。
二人のさして小さくもない声の会話に、けれどもスティナが顔を上げることはない。物語の中に入り込んで、おそらくは暫く出てこないのだろう。
ふと。少しその様子を眺めてからちらりと時計を見る。
時間であった。もうか、つぶやいてクロークは小銭を置いた。
ちゃりん、と音が鳴る。それは昼の代金でもあった。クロークが『無限書巻』の客となり恒例となったこの一時に対し、これまた恒例となった行動である。
「此処に置いておく。スティナに帰ったと言っておいてくれ」
「ああ、また明日」
「……そうだな、また明日来よう」
扉に程近い所で、軽く目を閉じ集中すると、一瞬ゆらりとその姿が揺らめいてから掻き消える。レオはその姿を見送り、微かに漂う魔術の残滓が消えるのを感じた。
「…………」
転移魔術でやって来たのならば転移魔術で帰るのも当然である。
頻繁にやって来るクロークによりようやっとこの現象にも見慣れてきたレオだが、それでも不可思議な現象だった。
空間魔術に属するそれの使い手は少ないもののレオの身近におり、けれどもそのように使うことはない。一人分の転移でさえコントロールが難しいらしいので、そう軽々と出来るのもクロークくらいなのだろうが。
便利なものだとは思う。けれども、レオにとっては便利かどうか、そんなことよりもそれを彼女が使えるか否かの方が重要で。使えないということにほっとしてもいた。別の、似たようなものは使えるにしても四六時中一緒にいる彼女がそれをできるとは思えない。
ただでさえ、吹かれて消えてしまいそうな人だから。
スティナ自身が彼に約束したところで、掴み所のない雰囲気がそう思わせずにはいられなかった。
クロークの、つい今まで座っていた椅子をスティナの座るカウンターから少しずらして自分が腰掛ける。 彼女が気づく気配は全くといってなかったがいつものことであるし、それでも良かった。
そうして、レオはしばし緩やかな時間に身を任せることにした。
✥ ✥ ✥
レオに見送られたクロークはその後、王宮に勤める者たちの通行口に転移した。
『無限書巻』は端の方に位置しているので、これでもかなり時間の短縮になるのだ。
門の両側に立つ門番二人の片方が先に気づいて彼に声をかける。
「魔術師様。お疲れ様です」
「お、お疲れ様です!」
「……あぁ、今戻った」
全員共通に設けられている休み時間とはいえ、わざわざ町に出る者は意外と少ない。
いざ外に出たところで、時間的にそう長くはいられないからだ。それならばきちんと仕事を終わらせて時間を作るが余程面倒がない。
けれども、その『少ない』筆頭がクロークである。出入りはもはやいつもの出来事であることは門番達に密かに知られており、高名な彼を見たいがために、いつも使われている門でのシフト争奪戦がしばしば起こる。
ただ挨拶をして、ただ隣を通りすぎるだけ。数瞬の出来事を、けれども彼の黒ローブの背中が小さくなっていくのを感慨深げに眺めて門番の一人がぽつりと漏らした。
「あれが……」
「お前、ほんっと運いいよな。皆あの人を見たがるからここすごい人気なのに」
何故その場所が人気なのか、理由も知らないままに立候補し見事シフトを勝ち取ってしまった新人は、先輩達が「その時になれば分かる」とか言って理由を教えてくれなかった心情を理解した。
クロフストーク・ハインシュタット。
一般人と何ら変わりのない彼らが、しかし一般人と違うのは、あまり顔を知られていないかの魔術師の顔を見ることが出来ることだろう。
「しかし、魔術師っていえば捻くれ者でどっか変な引きこもり集団と思ってたんだけど」
「まあ間違っちゃあいないぜ? あの人はかなりまともな方だからな……それにしてもどこ行ってるんだか」
「あの服装だと目立ちそうだから分かりそうなもんだが?」
「いや、それも転移魔術ですぐ消えちまうからなぁ……あ、でもクロフ様たまに俺達にクッキーとかマドレーヌとかくれるんだぜ」
言わずもがな、スティナが出した茶菓子である。ちゃっかりお持ち帰りなど多々あった。
「え、いやでもまさか、菓子屋めぐり、か……?」
「…………ぷっ、くくっ。それはそれで似合わないよなー」
二人は顔を見合わせて噴き出した。そんなことあるわけないだろうと考えながら。
……後ろでそんなことを言われているなどもちろん知る由もなく、クロークは早足に歩き続けていた。
魔術師という名の引きこもりが多くいる場所、言い方を変えれば魔術馬鹿の巣窟。
王宮の端にある、その切っ先を貫くかのごとく尖らせた無数の尖塔。それが彼の仕事場所であった。
人気のない所になったところで辺りを見渡し、再び転移する。行き先は最上階に位置する部屋。
さすがに階段はめんどくさいのだ。
「今戻った」
雑然とした部屋。高度が中々であるために小さな明かり取り用の開けられない窓しかなく、空気は少し淀んでいる。
もぞもぞと頭を上げこちらを見上げる数人を認めて、クロークは帰還を告げた。
といってもたかが数十分間ではあるが。
書類の山と格闘する者、魔術鍛練所に行って席を外している者、何事かを呟きながらひたすら魔術陣を書き連ねる者、仮眠と自称して行く前から変わらない体勢のまま部屋の隅に毛布なしで転がっている者。
その中を通り抜け、自分のうずたかく積まれた書類の山を前にする。ちょっと憂鬱な気持ちになった。
「おやクロフ、戻ったのですか」
「早いね」
「…………」
「ボス、お菓子の匂い……?」
部屋で静かに仕事、という名の趣味に没頭していた皆は思い思いの言葉を口にしてぐっと伸びをする。
寝ていた奴まで起き上がってきた。
彼らには楽しみがあった。もちろん、何よりも大切で最優先事項である魔術に比べれば二の次には違いないのだが、引きこもりを動かすくらいならば十分すぎるもの。
「今日はカップケーキだった」
おぉ、とどよめく部下達に空間魔術で何個か取り置きしておいた菓子を放り投げ、椅子に座る。頬杖ついて、一時の休憩を楽しむ部下をクロークは眺めた。
働き詰めで、もちろん弁当を作る家事能力もない、するつもりもないのは放っておくと後で仕事に支障をきたすからこうして、スティナから頂戴したものを与えたりしている。
「んむんむ……おいしい、ボス、お茶」
「私も欲しいですねぇ」
「…………」
……これで注文さえつけてこなければこの空気もまあ、楽しめるものなのだろうが。
あと最後、無言で手を挙げるな。
「自分で行け。そっちの方がポットは近いだろう」
「えー」
短い問答の末に結局、自分達でやらせることに成功したクロークは小さく鼻を鳴らす。
やはりというか、生きがいと言っても過言ではない魔術以外についてクロークを含めた魔術師達は皆、無頓着に過ぎる。
「で、前から思ってるんですがねクロフ。これ誰から貰ってるんですか」
「わたしも、むぐ、それは気になってる」
「僕も」
けれどもそういう性であるのか、一旦興味がわいたならばどこまでも追求したがる。あるいは執念深い、ともいうのかもしれない。
「……何度聞かれても知り合いとしか答えんぞ」
自分もそうであることを棚に上げて――それでもクロークは自分は彼らよりはましな部類であると自負している――唸るように答えた。
事実、そうなのだろう。スティナとはあまり他人に知られるようなことをしたがらない傾向にある、ということを知る程度の知り合いだ。
ある程度信用されるようになった、軽口をたたき合う関係になった。とはいえ、知らないことの方が多い。そのくらいの関係でしかない。
「まあ、だろうね」
「なら言うな」
クロークは魔術師でスティナは魔術師ではない。その違いは重要なことだ。
そこで価値観の違いがある以上、今を越えた関係にはなりえないのは明らかである。
「場所を知っていれば私達も交代で受け取りに行くのもやぶさかではないのですが……ですよね?」
「んむ。やぶさかでもない」
「しつこい。却下だ」
「えー」
それに、あの少々奇妙な本屋との今の距離感を、クロークはそれなりに気に入っていた。
必ず面倒を引き寄せるし、ろくなことをしない部下を行かせてそれを崩すのは気が引けたのだ。
そんな会話をしている内に、彼らもまた休憩を終える。
「むぐ……ん、ごちそうさま。今日もおいしかった」
「……僕糖分補給したから鍛練行ってくる」
「じゃあ私はもう少し研究しましょうか」
「…………」
一人がぐっとお茶を煽って立ち上がると、それぞれまた自分達の仕事を再開する。一人はまた寝に戻った。
「……」
もはや見慣れた光景。見事に混沌としている。
……とは言え。まだましな方だ。今までどうやって生きてきたんだ、とでも言いたくなるほどの生活能力のなさと引き換えにそのぶっちぎった能力を手に入れたのだろう『神子』たる師はもっと酷かった。
思い出したせいでちょっとため息を吐きながら、クロークは部下が扉から出ていく時と同時に風魔術で空気の入れ替えを行うことにする。
時間の経つのを忘れてしまう気持ちも理解できなくはないが、このくらいそれ程手間でもないだろうに。
上の方に乗る書類の数枚が微風に煽られ、ぱらりと床に落ちるのを見て、舌打ちが漏れた。
「ボス、行儀が悪い」
「放っておけ。……ああくそ、私も鍛練が足りないな」
コントロールをそれ以上良くしてどうするつもりだ、という視線に気づかぬままクロークは書類の山を睨みつける。なお、部下が同じことをしようとすれば部屋が大惨事となることを彼は知らない。
仕事が多すぎて魔術に触れることが少なくなっているのによくない傾向を感じつつ、さっさとこれを終わらせて魔導書読んでやる、と決心した。普通なら大部分を読み終えているはずのそれを、全くと言っていいほどできていないのだ。
そうして猛然ととりかかり始めた。
そんな様子に二人の部下はどちらからともなく顔を見合わせ、肩をすくめる。
これもまた、日常の一端なのだろう。
【クロフストーク・ハインシュタット】
スティナはクローク呼びだが、大体は「クロフ様」と呼ぶ。その愛称の通りローブを着用している。ばっと翻す姿がかっこよすぎて王宮内で多分ファンクラブが出来てる。
国民からすれば雲の上の人で顔も公にはされていない。だがその実態は王国という企業に勤めるブラック戦士。
彼はスティナにその仕事量を分ければいいと思う。
【守衛】
この作品内で一番一般人してる人々。警備。
あこがれという意味で『クロフ様ファンクラブ』に入っている人は割りといる。
【クロークと愉快な仲間達】
その1:~です、~ます口調の食わせ者
その2:喋りが少したどたどしいお菓子好き系女子
その3:割とまともだが、必要以上は喋らない少年
その4:菓子だけ食って会話は「……」で済まされた夜行性魔術師。寝てる。
その5:席を外していた。用意されていた菓子は他のメンバーがおいしくいただきました。
何か変な箇所、あるいは誤字報告などありましたら、お願いします。