2 エルフの旅人
昼過ぎに二組のお客さま(帝都のお医者様の一行と隣県からやってきた中年女性のグループ)が到着し、荷物を預けて町内観光に出かけていった。
そろそろやってくるはずの最後の一組は、ハイネ&ハイネの常連さんだった。
一組というか、一人だけれど。
「おい、あいつはまだか」
エリシャさんがロビーにやってきた。
「まだみたいですね」
ぼくが答える。
今ロビーにいるのはぼくとアンネ、それから今やってきたエリシャさんだ。
ザッハとトルテは到着したお客さまの荷物を客室に運び入れているところだ。
「……今回はちょっと間がありましたか」
「どうだったかな」
エリシャさんはそう言ってそっぽを向いた。
「エリオットさんが前に来たのは……もう一年近く前だね」
フロントの中にいるアンネが宿帳を繰りながらそう言った。
「もうそんなになるか。
まったく、あのバカは手紙の一つも寄越さず……」
エリシャさんは吐き捨てるように言うが、その声音はどこか優しい。
常連さんはエリオットさんと言って、エリシャさんの遠縁の親戚にあたるエルフの男性だ。
エルフの多くはエデンで一生を送るのだそうだが、エリオットさんはその例外で、世界中を旅して回っている。
世界には、エルフに対して友好的ではない国も多い。
ここアセイラム帝国は異民族や異種族に対して比較的寛容だが、隣国のクロッチェンにはエルフを社会の害悪の根源と見なし、排除しようとする勢力が存在していて、クロッチェンの政情不安とともに人々の支持を集め始めているという。
また、そういう政治的な事情を抜きにしても、辺境に近づけば近づくほど迷信的なエルフ嫌悪が強くなる傾向もある。
この世界はエルフの旅行者に対してあまり優しくはないのだ。
エリオットさんは多少のトラブルなら笑って切り抜けてしまうような人だけれど、やはり待つ身としてはやきもきさせられる。
エリシャさんも、なんだかんだでエリオットさんの身の上を案じていたのだろう。
その時、正門から入ってくる人影が見えた。
エリオットさんかと思ったが、違った。
エリオットさんにしては背が小さい。
それに、特徴的なドリルの金髪ツインテール。
「ミランダ嬢か」
エリシャさんがつぶやく。
ミランダさんの後ろからは、例のごとく黒服の男女。
ミランダさんは本館の中にいるぼくらを睨みつけるように見ながらゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
ミランダさんは悠然と本館に入ってくると、ぼくらに微笑んでみせた。
「ごきげんよう、ミスター・ハイネ、ミス・アンネ。
……そちらは?」
「どうも、ミス・シュルンベルク。
こちらは当館の料理人、エリシャ・ハインデルハットです」
「……ハインデルハット。
エルフの方?」
ハインデルハット家はエルフの名門として多少名前が知られている。
シュルンベルク家の三女なら知っていてもおかしくはなかった。
「……わたしはエルフの血は流れているが、純血ではない。
よろしく、ミス・シュルンベルク」
エリシャさんはいささか気分を害したらしく、言い方がつっけんどんだった。
「そう。よろしく、ミス・ハインデルハット」
ミランダさんはそう言うとスカートをつまんで優雅に礼をして見せた。
「それで、どのような御用向きですか?」
ぼくが聞く。
「どのようなもこのようなも、わたしの用件なんて一つしかないわ」
「もうすぐお客さまが見えます。
商談をする時間はお取りできないのですが」
「それなら、待たせていただくわ」
「……いつ到着するかわかりませんよ」
「かまわないわ」
ミランダさんは片方のドリルを手で跳ね上げながらそう答えた。
ぼくはひとつため息をついて、
「……じゃあ、アンネ。
応接室にご案内してくれる?」
「……わかった」
アンネも不承不承という感じでうなずいた。
ミランダさんはこの場の空気をものともせず堂々としている。
「こちらへどうぞ」
アンネがミランダさんを案内しようと歩き出す。
ちょうどそこへ、
「……エリオットだ」
エリシャさんがつぶやく。
ぼくとアンネは正門の方を見る。
テンガロンハットを斜めに被った長身の伊達男が、樫で組まれた正門からこちらへ向かって歩いてくる。
エリオットさんにまちがいなかった。
エリオットさんはぼくらに気がつくと、小さく帽子を持ち上げながらウインクを飛ばしてきた。
その際にエルフ特有の尖った耳が少しのぞいた。
「……お客さまですか。
わたしたちはここで大人しくしていますわ」
ミランダさんが言って、ロビーのソファに腰かけた。
黒服の男女がその背後に立つ。
エリオットさんが玄関をくぐってロビーに入ってきた。
「いよう! ハイネ&ハイネのみんな! 戻ってきたぜ!」
エリオットさんがおどけた口調でそう言った。
「おかえりなさい、エリオットさん」
「おかえり、エリオットさん」
「やっと帰って来たか。
死んだかと思ったぞ」
ぼく、アンネ、エリシャさんがそれぞれ答える。
「おうおう、男の顔になったじゃないか、アルト」
エリオットさんはそう言ってぼくの頭を撫でる。
「おかげさまで。
エリオットさんはお変わりないようで」
「まあな。
いつだって俺は俺だよ」
そう言ってエリオットさんは親指と人差し指で銃を撃つようなしぐさをした。
「アンネちゃんはまた可愛くなったね」
「それはどうも。
相変わらず口が軽いね、エリオットさんは」
「いやいや、本当に可愛くなったよ。
いつでもアルトのお嫁さんになれるね」
「な、ななな、なんでわたしがお兄ちゃんと……!」
まっ赤になって怒るアンネの頭を叩き、エリオットさんはエリシャさんに顔を向ける。
「おまえも元気そうだな」
「ああ。壮健にしている」
「相変わらず堅苦しいやつだな。
もっとフランクになろうぜ?」
「わたしが固いことは否定しないが、おまえはフランクすぎる」
「ははっ。そりゃごもっとも」
エリオットさんは辺りを見まわし、ソファに座る人影に気づいた。
「お? なんか可愛い子がいるじゃん。
誰?」
「ち、ちょっと。
お客さま……ではないけど、仕事相手なんだから」
エリオットさんはぼくの言うことなんて聞いてなかった。
ソファに座るミランダさんの前で帽子を取り、腰を折って見せた。
「こんにちは、お嬢さん。
ご機嫌麗しく」
ミランダさんは露骨に嫌そうな顔をした。
「……なんですの、あなたは」
「俺? 俺は漂泊の旅人にして辻の歌歌い、エリオット・ランスフォルト・ハインデルハット」
「……その料理人の縁者というわけね」
ミランダさんはそうつぶやくと、ぼくに向かって、
「お客さまを待っているのではなかったの?」
刺々しい口調で言ってくる。
「お客さまですよ」
「このなれなれしいエルフが?」
「ええ、我が宿の常連のお客さまです」
「身内の馴れ合いじゃないの!」
ミランダさんは勢いよく立ち上がった。
「この宿は、常連さんが多いですからね。
何度も通ってこられる方とは、なかば家族のような友人のような関係になることもありますよ。
まあ、エリオットさんは実際に身内とも言えるわけですけど」
「そんなのは言い訳だわ! もてなす側ともてなされる側の区別すらつけられないの!? お客さまに最高のサービスを楽しんでいただくためには、おのずと適切な距離というものがあるでしょう! 馴れ合ってしまえばお客さまにも遠慮が生じる。
お客さまに気を遣わせてしまう場面も出てくる。
そうなればそれはもはやサービスではないわ! 友達ごっこを『おもてなし』だなんて呼ばないでちょうだい!!」
ミランダさんが激昂した。
正直、ぼくは驚いていた。
ミランダさんはホテル経営をあくまで金儲けの手段としてとらえていて、そこには理念のようなものはないのだと思っていた。
すこしだけ、ミランダさんのことを見直した。
だけど、ミランダさんの言っていることには賛成できない。
「ただ従順なしもべとしてお客さまにお仕えするだけでは、お客さまに本当に満足していただくことはできませんよ。
温泉にいらっしゃるお客さまは、心身ともに癒されたいと思っておいでです。
ぼくたちがお客さまと親しく言葉を交わすことも、お客さまに対するサービスの一環なのです」
「そんなのは詭弁よ。
従順なしもべ。
それでけっこうじゃない。
お客さまに最高の贅沢を堪能していただくことこそがわたしたちの目指すところのはずよ。
お客さまは従業員と馴れ合いたくて温泉に来るわけではないわ!」
「それはあなたの理屈です。
ぼくらにはぼくらのやり方がある」
「それが間違っていると言っているのよ!」
ぼくとミランダさんは互いの唾がかかってしまいそうな距離で睨みあう。
「おいおい、アルト、お嬢さん。
『お客さま』の前なんだぜ?」
エリオットさんが笑いながらそう言ってくる。
ぼくとミランダさんは毒気を抜かれ、どちらからともなく目をそらした。
「……で、この子は? 紹介してよ」
その言い方はどうかと思うけど、
「……ミランダ・エリーズ・シュルンベルクさんです。
グリンス=ウェル・スパリゾート代表取締役の」
「何で勝手に紹介してるのよ!」
「ほう。
君があの有名な……。
実物はテレビで見るよりずっと可愛いね」
エリオットさんはミランダさんに顔を寄せてそう言った。
ミランダさんの背後で黒服の男女が殺気立つのがわかった。
ミランダさんはエリオットさんから身を離し、
「軽薄な男ね。
……はあ、もういいわ。今日は帰る」
ミランダさんは嫌悪もあらわにエリオットさんを睨みながらそう言った。
「そうですか。それはなによりです」
ぼくは思わず口を滑らせ、ミランダさんに睨まれた。
「そんなことを言っていられるのも今のうちよ。
今日のことでこの旅館のことがよくわかったわ。
伝統に胡座をかき、お客さまと馴れ合い、もてなすものとしての自覚を失ったこんな旅館が長く持つはずがないわ。
企業努力を怠る経営者に率いられた会社は必ず潰れる。
絶対にわたしが買収して、スパリゾートの特別室としてよりよいサービスを提供してみせる。
覚悟することね」
ミランダさんはそう言って、ふりむくことなく玄関から出て行った。