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ハイネ&ハイネへようこそ!  作者: 天宮暁
第二帳 夜にやってきた兄妹
8/27

1 ザッハとトルテ

本日2話投稿、この話は2話目です

 翌朝。

 泊まり客であるングトゥフ夫妻の朝食の準備をしていると、アルバイトのザッハとトルテがやってきた。

 二人はアンネのクラスメイトでもある。


「兄ちゃん、おはよう!」


 ザッハが元気よく挨拶する。

 ザッハは短髪のよく似合う活発な少年だ。

 ぼくより頭ひとつ分くらい背が低いが、やんちゃそうな笑顔が見る人を微笑ましい気持ちにさせる。


「おはようございます、アルトさん。

 ……ザッハ、お仕事なんだから、ちゃんとした言葉遣いをしないと」


 トルテは異国の人形のような長いつややかな黒髪の大人しそうな女の子だ。

 雪国の出身だということで(ここも冬は雪が多い土地だけれど)、肌がびっくりするくらい白く透き通っている。


 ザッハとトルテは幼なじみなんだそうだけど、どちらかというと姉弟に見える。

 やんちゃな弟を優しくたしなめる姉、といった感じだ。

 息のあったコンビだが、とりあえず付き合っているわけではないらしい。


「おはよう、二人とも。

 今日はお客さまが三組見えるからね。

 一組は常連さんだから、いらっしゃったらぼくを呼んで」


 今日は休日ということもあって、お客さまが比較的多い。

 三組というのは、夏の繁忙期に比べれば少ないけれど、この時期としては多い方だった。


「了解っす!」


「わかりました」


 二人は頷くと、それぞれの仕事を始めるために散っていく。


 ザッハとトルテはハイネ&ハイネで働きはじめて一年近くになる。

 自分のすべき仕事を二人ともよく把握していた。

 ザッハは客室の掃除と備品の確認。

 トルテは朝食の準備の手伝い。


 アンネは朝食の準備をしながらングトゥフ夫妻の話し相手を務めている。

 アンネによると、旦那様は無口な方だが、奥様は話し好きなんだそうだ。


 ぼくはロビーを軽く掃除してから事務所で書類整理。

 泊まり客はングトゥフ夫妻だけなので、フロントには誰もいなくても問題はない。

 出入りの業者などは裏口から入ってくる。


 朝食が終わると、ングトゥフ夫妻はチェックアウトの前にもう一度温泉に入りたいという。

 清掃の時間が近づいていたけれど、快く承諾して入っていただく。


 夫妻が温泉から上がると、ザッハとぼくで大浴場の清掃を始める。

 湯をいったん抜き、汗みずくになりながら、浴槽にデッキブラシをかけていく。


 ザッハは最近気になる女の子がいるのだという。


「隣のクラスの女の子なんだけど、文化祭の代表者会議で一緒になってさ。

 オイラによく話しかけてくるから、ひょっとしたら気があるのかなって意識しちゃってさあ。

 意識しだしたら、ダメだね。

 なんかその子のことしか考えられねーんだ。

 これって恋なのかなぁ」


 ザッハは聞かれてもいないのに、その子とのエピソードをあれこれと語っていく。


「……だから、絶対オイラに気があると思うんだよね。

 やっぱり、オイラから告白するべきなのかなあ」


 ぼくはザッハの話に相づちを打ちながら聞いていた。


(どうかな? 話を聞く限りでは何とも言えない気がする。

 ま、だいたい男ってこういうことで勘違いするものだけど)


 ぼくにしてもそういう経験はあった。

 思い出すのもはずかしいが、高校生の頃、クラスメイトの女子がよく話しかけてくるので、この子はひょっとしてぼくに気があるのだろうかと思ってしまった。


 その頃のぼくには女の子と付き合いたいという気持ちがなかったので、厄介なことになったと思っていたのだが、なんてことはない、その女の子はぼくの友達だったセルレスというフットボール部のエースのことが好きだったのだ。

 放課後の教室に手紙で呼びだされ、これは告白されてしまうのかと思ってあわてたぼくは、相手が口を開くよりも先に「ごめんなさい」と言ってしまった。

 その子は怪訝な顔をしてからぼくの勘違いに気づき、セルレスとの仲を取り持ってほしかったのだと言った。


 紛らわしいことをするその子もその子だけど、あの時の恥ずかしさはちょっと忘れられそうにない。


「な、兄ちゃんはどう思う? やっぱりオイラに気があるのかな?」


 答えにくいことを聞かれてしまった。


「どうかな。

 まだなんとも言えないと思うよ。

 告白するなら、もうすこし親しくなってから、徐々に好意をほのめかしてみて、反応を確かめてからの方がいいと思うよ」


 ぼくはとりあえず率直な感想を述べてみた。


「うーん、そっかあ。

 やっぱり兄ちゃんは頼りになるなあ」


 ザッハは感心した風にうなずいているが、そうまで感心されるとこそばゆい。


「ぼくはそういうのには疎いから、あくまで参考意見にしといてよ」


「そうかなー? 兄ちゃん、モテそうだけどなあ」


「そんなことないよ。

 モテたこともないし。

 女の子とちゃんと付き合ったこともないし」


「えー!? マジ!?」


「マジ」


 女の子からそういうほのめかしを受けたことは何度かあるし、直接告白されたことも一度だけだがある。

 けど――


(エリシャさんと比べると、どうしても、ね)


 相手の女の子には失礼ながらそう思ってしまった。


(なんだかんだでぼくはエリシャさんにこだわってるのかな)


 それが母代わりのエリシャさんへの淡い思慕なのか美しい女性としてのエリシャさんへの恋情なのかはよくわからない。


 結局、


(ぼくは誰かが好きだというのがどういうことかよくわからないんだな)


 そんな状態で高校生活をすごしてしまったため、旅館の館主となった今、親しく話すことのできる異性はアンネとエリシャさんくらいになってしまった。


「でも、兄ちゃんなら、告白くらいされたことあるだろ?」


「一度だけね」


「断っちゃったの?」


「うん」


「もったいない!」


 ザッハは信じられない、という顔をしていたが、やがて得心したように、


「そうか! 兄ちゃんは他に好きな人がいるんだろ!?」


 ちょっとどきりとした。


「い、いや、べつに……」


「やっぱりそうなんだな!? うーんと、誰だろう??」


 ザッハがデッキブラシを動かす手を止めて考え込む。


「あ! わかった!

 アンネちゃんだろ!

 かわいいもんな、アンネちゃん」


「……アンネは妹だよ」


「あれ? ハズレかあ。

 じゃあ……」


 またザッハが何かを考え出す。

 ぼくは話題を逸らそうとして言った。


「……そういうザッハこそ、トルテとはどうなんだよ?」


 前から聞きたいと思っていたことだった。


「えっ、トルテぇ!?

 ありえないでしょ、トルテは」


「そう? 可愛いと思うけど」


「に、兄ちゃん、まさかトルテのことが……」


「違うって。

 でも、トルテ、モテるだろ?」


「ま、まあ確かに学校じゃ……」


「ザッハはトルテのことが好きなんじゃないかと思ってたんだけど」


「は、はあ!? それだけはありえないって。

 トルテはなんていうか、もう家族みたいなもんだからな。

 小さい頃から一緒にいすぎて、もう異性って感覚じゃないよ」


「そういうものかな」


「そ、そういうもんなんだよ!」


 ザッハは止まっていたブラシがけの手を動かし始める。

 が、少ししてまたブラシがけの勢いがゆるむ。


「……それにトルテが好きなのはたぶん……」


「……えっ?」


「な、なんでもない!」


 その話はなんとなくそこで途切れて、ぼくとザッハは少し気まずいままブラシがけを続けた。


 ングトゥフ夫妻は昼前にチェックアウトを済ませた。

 ぼくとアンネで夫妻の見送りに出る。


「これ、お孫さんへのお土産になさってください」


 アンネがングトゥフ夫人にハイネ&ハイネの焼き印が入った温泉まんじゅうを渡す。

 夫人には発酵麦茶をいただいていたので、アンネがエリシャさんに頼んで作ってもらったのだ。

 木箱に手作りの温泉まんじゅうが一六個詰められている。


「あらまあ! 悪いわね、ありがとう。

 タラブも喜ぶわ」


 ングトゥフ夫人は旦那さんよりも少しだけ背が高くて細身だ。

 といってもドワーフなので、背の低いアンネよりも頭の位置は下にある。

 おしゃべり好きの夫人は、感極まってすこし涙すら浮かべながらアンネとの別れを惜しんでいる。


(今回はまた、随分気に入られたもんだな)


 ちっちゃくて勝ち気なアンネだけど、年かさのお客さまにはそこがかわいく見えるらしく、こうしてかわいがられることが多かった。


 女性陣のテンポの速いやりとりに口を挟めず、ぼくが手持ちぶさたにしていると、旦那さんが話しかけてきた。


「温泉も旅館も堪能させてもらったよ」


「ありがとうございます。

 ご満足いただけたのならなによりです」


 ぼくは小さく頭を下げた。


「君も若いのに大変だね」


「そうですね。

 苦労もありますが、好きでやらせていただいていることなので」


「うむ、立派なものだ。

 甘えん坊のタラブも、君くらいしっかりしてくれたら助かるのだが」


「お孫さんですか」


「ああ。

 アレが甘やかしすぎるんだ。

 過保護にしすぎると男はダメになってしまう」


 そう言いながらも、孫のことを語る旦那さんの頬はゆるんでいる。


「お孫さんですからね。

 奥様もかわいくてしかたがないのでしょう。

 私も祖母にはよくしてもらいました」


「……お祖母さまは、もう?」


「ええ。

 この旅館の先代の館主が祖母でした。

 私とアンネは祖母から旅館の仕事を仕込まれたんです」


「なるほど。

 よいお祖母さんだったんだろうね」


「ありがとうございます」


 ぼくが小さく会釈すると、


「おい、そのくらいにしておけ」


 旦那さんが夫人に声をかける。


「あらあら。

 すこしおしゃべりがすぎましたかしら」


「まったく、おまえはすぐにぺらぺらと……」


 旦那さんの言葉には、言葉とは裏腹の慈しむような気配があった。


「世話になったな、ご主人」


「あなた、アンネちゃんにもお礼を言わないと」


「そうだな。

 妹さんにもよくお世話していただいた」


「いえ、そんな。

 こちらこそ発酵麦茶をいただきまして」


「ほんと、よくできたご兄妹ねぇ。

 もっとゆっくりしていきたいけれど、そろそろタラブも待ちわびてるでしょうし……」


「あいつももういい年なんだ、あまり構いすぎるのもよくないぞ。

 ……っと、バスの時間が近いな」


「そうですわね。

 ああ、もうお別れだなんて!」


 夫人は名残惜しげに話をやめ、ぼくとアンネに頭を下げて、玄関から外に出る。

 ぼくとアンネは玄関の前に立って、頭を下げてングトゥフ夫妻をお見送りする。

 ングトゥフ夫妻は三日間を過ごしたハイネ&ハイネをまぶしそうに見上げながら正門から出ていった。


「……いいお客さまだったね」


「うん」


 アンネは夫人の感激が伝染したらしく、目元を少し赤くしている。

 ぼくはアンネを促して館内に戻り、今日やってくる三組のお客さまをお迎えする準備を始めた。

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