エピローグ
本日2話投稿、この話は2話目です。
夏も盛りの時期になったが、標高の高いグリンス=ウェルは、陽射しこそ強いものの、気温は平地に比べればいくらか低い。
とはいえ、外で身体を動かしていればびっしりと汗をかく。
ぼくはそろそろ目立つようになってきた敷地内の雑草を抜きながら、手の甲で汗を拭う。
グリンス=ウェル・スパリゾートは特別調停の訴えを取り下げた。
王子の政治的影響力自体はまだ大したものではないらしいけれど、王子とことを構えれば、国家の象徴たる王家を軽んじていると見られかねない。
そうなれば、当主であるヒルベルトが苦労して築き上げてきたシュルンベルク財閥のブランドイメージが台無しになる。
婚約に対し、当事者である王子がはっきりと拒絶の意志を示したこともあり、メイファート王子の行幸自体がうやむやになった。
グレフェンに奪われていたスパリゾート代表取締役の地位も、ミランダのもとに返ってきた。
「ふん。悪運の強いやつらだ。
だが、まあいいさ。こんな田舎旅館なんぞ買収したところで、王子の接待くらいにしか使えやしない。
――それはそうと、ミランダ、今回のことは親父に報告させてもらうからな。覚悟しておけよ」
グレフェンは最後まで憎まれ口を叩いて、グリンス=ウェルを去って行った。
メイファート王子とミレイユさまは、まだハイネ&ハイネにご宿泊中だ。
やはり、お二人の関係を周囲に認めさせるのは並大抵のことではない。
それでも、
「可能性がゼロでなければ、粘ってみるさ。
それに、粘っているあいだはミレイユと一緒にいられる。
それだけでも死んでしまうよりは随分とマシだ」
そう言って、王子は毎日のようにやってくる王家の使いの人と埒のあかない押し問答をくりかえしていた。
ミレイユさまは、ただ同然でお世話になるのは申し訳ないと言って、旅館の仕事を手伝ってくれている。
お姫様にそんなことをさせるのは恐縮きわまりないのだが、ミレイユさまはがんとして譲らなかった。
以前のミレイユさまは、メイフレアさま――メイファート王子の陰に隠れ、すべてを王子に委ねている印象だったけれど、この頃は以前よりもはっきりとものを言われるようになった。
今回の事件で、ミレイユさまにも何か思うところがあったのかもしれない。
ミレイユさまは王宮でもよく料理をして王子にご馳走していたのだそうで、こと料理に関しては妥協しないエリシャさんが「料理人として十分やっていける」と認めるくらいの卓越した腕前だった。
お花にも関心があるらしく、最近はアンネと一緒に花壇をいじっている姿をよく見かける。
本館東側の雑草取りを終えると、日が少し傾きはじめていた。
まだ夕暮れには早いが、夕食の準備をする前に汗を流しておきたい。
雑草はまだ本館と別館を囲むようにして生い茂っているけれど、今日のところはここまでにしておくしかないだろう。
ぼくは別館にある家族風呂に向かった。
混雑時にはお客さまに提供することもあるので、家族風呂といっても、大浴場と遜色のない豪華な作りだ。
今の時期のグリンス=ウェルは、一年でもっとも観光客の多い時期で、ハイネ&ハイネにも現在六組ものお客さまが宿泊している。
アンネもエリシャさんもザッハもトルテもフル稼働で仕事をしている。
ぼくは身体をざっと洗い、湯船に入った。
湯を手で掬い、顔をざぶざぶと洗う。
「……ふぅ。生き返るな」
「……アルト兄、また独り言?」
「うわっ」
あわててふりかえると、そこにはバスタオル姿のアンネがいた。
「なんだアンネか。びっくりした」
「……ミランダさんのほうがよかった?」
「なんでそこでミランダの名前が出てくるの?」
「……はぁ」
アンネが首を振りながらため息をつく。
「って、アンネ、こんな時間にお風呂入ってて大丈夫なの?」
そろそろ夕食の準備が始まる時間だ。
「大丈夫よ。ミレイユがいるし」
アンネとミレイユさまはいつの間にか意気投合して名前で呼び合う仲になっている。
アンネはバスタオルをとって、湯船に入ってくる。
「ち、ちょっと。入る気?」
「何か問題ある?」
「ぼくが入ってるのに」
「兄妹じゃない。今更なに言ってるのよ」
「そりゃそうだけど……」
「何? わたしの裸が気になる?」
「そ、そんなことないよ!」
「わたしは、アルト兄になら見られてもいいよ」
「……え!?」
ぼくのその時の表情はさぞかし間抜けだったのだろう。
アンネは腹を抱えて大爆笑した。
「あははははっ。冗談だよ。
べつに、横に並んでれば見えないでしょ」
「……心臓に悪い冗談はやめてよ……」
王子とミレイユさまはぼくらに関係がバレてからはわりと遠慮なくいちゃついている。
この禁断のカップルはぼくら兄妹にはまったく目の毒だった。
「ま、ミレイユじゃあるまいし、そんなことはないわよ。
……昔は、ちょっと、そういう気持ちもあったけど」
アンネのセリフの後半は湯が流れ込む音に紛れて聞こえなかった。
「え? なんて言ったの?」
「な、なんでもない!」
アンネは横を向いてしまう。
「……あの二人、どうなるんだろうね」
アンネがぽつりとつぶやく。
「わからない。
でも……本人たちがどうしても離れたくないと言ってたら、もうどうしようもないんじゃないかな」
ミランダから聞いた話では、病気を理由に二人から王位継承権を取り上げ、グリンス=ウェル郊外にある温泉王の別荘を二人の寓居としてあてがう案が出ているのだという。
「ふぅん……王族ならそこそこ裕福な暮らしが保証されるんだろうし、あの二人にとってはそれがいちばんなのかもしれないね」
「王宮の強硬派の中には、二人を勘当しろって意見もあるらしいけど……」
二人のことを王家の面汚しと呼ぶ一部の宮吏が勘当を強硬に主張しているらしい。
ただ、期せずしてシュルンベルク財閥と王家の癒着が取りざたされることになって、今回の家出騒動自体、王子による抗議行動だったのだ、という説がにわかに有力になっている。
ハイネ&ハイネに滞在中の帝都新聞の特派員さんが王子に惚れ込んで、そのような記事を掲載したのがきっかけなのだが、この説のおかげで、メイフレア様、もといメイファート王子は王家の不正を身をもって告発した勇気と義侠心を兼ね備えた王子として全国的に知られるようになってしまった。
そのせいで、王家といえども王子を簡単には廃嫡できない空気が生まれつつある。
今王子を廃嫡しては、王家と財閥との間にやましいことがあるのではないかと疑われかねないのだ。
事情を知るぼくたちからすると勘違いもいいところなのだが、王子を取り巻く環境は、思っていたよりずっとよくなっていた。
もちろん、この「誤解」の種が割れてしまえば、廃嫡、勘当といった話がぶり返してくる可能性はまだあるんだけど。
「ね、あの二人が勘当されたら、うちで引き取ろうよ」
「それもいいかもね。
すくなくともミレイユさまは料理人としてやっていける腕前だし」
ぼくは王家で育った子どもが俗世間で暮らしていくのは厳しいだろうと勝手に決めつけていたけれど、最近の二人を見るにつけ、案外なんとかなってしまうような気もしてきていた。
王子もミレイユさまも自分たちの関係が認められないことに絶望を感じていたわけだけれど、いざこうなってみると、案外、活路は残されているようだ。
「ミランダがハイネ&ハイネにやってきた時も、どうなることかと思ったけど」
巨大資本による敵対的な買収。
その上、バックには王家まで控えていた。
絶望的だと思ったけれど、なんだかんだでなんとかなってしまった。
「ミランダさんなんか、最初の頃のとげとげしさが嘘みたいにアルト兄にべったりだもんね」
ミランダは今もよくハイネ&ハイネに訪ねてくる。
ミランダもまた、解決されていない問題を抱えている。
今回の件でグレフェンに真っ向から楯突いたことで、親族との関係が急激に悪化しているらしい。
「ミランダも、辛いんだよ。
ぼくくらいしか安心して話せる相手がいないから来てるだけだって」
ぼく自身、今回の件ではいろんな人に助けられた。
というより、ぼく自身はほとんど何もしていないようなものだ。
ぼくのまわりで動いてくれたのは、ミランダやエリオットさんやエリシャさんだし、最後の決め手となったのはメイファート王子の手紙だった。
「……それは、どうだか。
これじゃあミランダさんも報われないね」
アンネが呆れたようにそうつぶやいた。
ぼくらは湯船で肩を並べて、おしゃべりに花を咲かせた。
そうしていると、いつの間にか時間が経っていたらしい。
浴室の扉が開いて、
「おい、二人とも!
兄妹愛を育むのもけっこうだが、そろそろ夕食の準備を手伝ってくれ」
エリシャさんがシェフ姿で顔を覗かせた。
「すみません、エリシャさん。すぐに行きます」
ぼくとアンネは湯船を出て脱衣所に向かう。
バスタオルを小さな身体に巻きながらアンネが言った。
「……でもわたしは、今回いちばんがんばったのはアルト兄だったと思うよ。
お疲れさま」
アンネはそのまま脱衣所に歩いていってしまう。
「……ありがとう」
ぼくはつぶやいて、脱衣所に入る。
そこには、さっきのセリフなんてなかったような顔をしたアンネがいて、ぼくらは先ほどの話の続きをしながら服を着替え、旅館のロゴの入った前掛けをかけて、厨房へと向かった。
(おわり)
温泉ファンタジー『ハイネ&ハイネへようこそ!』これにて完結となります。
お読みいただきありがとうございました。
著者別作品として、『NO FATIGUE 24時間戦える男の転生譚』が連載中です。
また、読み切り長編としては現在『アルカドの眷属』が公開中となっております。
もし興味を持っていただけましたら、併せてお読みいただければ幸いに存じます。
それでは、また別の作品で。
ありがとうございました。
15/4/9
天宮暁




