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ハイネ&ハイネへようこそ!  作者: 天宮暁
第五帳 決着

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25/27

3 なにもかもに絶望した時は

 風越山火口。


 グリンス=ウェルの背後にそびえる標高二五〇〇メテル級の連山を、ノワライト連峰と呼ぶ。

 その中でも最高の標高を誇るのが風越山だ。


 風越山は活火山だが、ここ数百年は噴火の記録はなく、比較的穏やかに火山活動を続けている。

 温泉以外の観光資源の乏しいグリンス=ウェルでは、この活火山の火口をも観光資源として利用している。

 帝都の最新技術を利用した電気式のロープウェイを設置し、グリンス=ウェルの外れから火口までものの数十分で登ることができるようになっている。


 メイフレアさま――いや、メイファート王子の残した置き手紙には、友人、知人へのメッセージと、ハイネ&ハイネの買収に反対する旨の他は、何も書かれてはいなかった。

 メイファート王子とその妹君であり、また最愛の恋人でもあるミレイユさまは、一体どこへ消えてしまったのか。


 勢い込んでスパリゾートのパーティ会場を飛び出したぼくだが、心当たりは何もなかった。

 やむなくハイネ&ハイネに戻り、兄妹の使っていた部屋を漁り、何か手がかりでも見つからないかと望みの薄い努力をしていた。

 そこへエリシャさんがやってきた。


「あの兄妹の行方を捜してるんだな?」


「ええ……。

 あ、まさか、エリシャさん、何かを……」


「いや、二人からは何も聞いていない」


「そうですか……」


 ぼくは肩を落として探索に戻ろうとする。


「……が、見当くらいはつけられる」


「本当ですか!?」


「ああ。例のあやふやな、第六感という奴だ。

 あのふたりは、ここからみて北西に向かったようだ」


 エルフの血を引くエリシャさんは、不完全ながらも超自然的な予知能力を持っている。

 その能力によれば、メイファート王子とミレイユさまはここから北西に向かったらしい。


「北西?」


 グリンス=ウェルは背後にノワライト連峰を抱えている。

 街道は南東と西にしか伸びていない。

 北西にあるのは、ノワライト連峰、あるいはその最高峰である風越山だけだ。

 ……いや、そうか、風越山――。


「まさか、火口ですか?」


 風越山には大きな火口がある。

 直径一〇〇メテルを超える巨大な火口で、底で煮えたぎる溶岩までの深さも数十メテルはあるはずだ。


「だろうな。この世の最後の見納めなのか、それとも火口に飛び込むつもりなのかはわからないが、北西にあるものといったら風越山くらいだからな」


「……行ってきます!」


「ああ。行ってこい。

 わたしは町内会のグレッサに声をかけて、風越山の山狩りの準備をしてもらう。

 可能性は低いが、火口ではなく麓の樹林に分け入った可能性もあるからな」


「わかりました。そっちはお願いします」


「うむ」


 ハイネ&ハイネを飛び出したぼくは、グリンス=ウェルの北西にある風越山ロープウェイに飛び乗り、今こうしてロープウェイの降り場から火口へと向かう道を急いでいる。


 火口の周辺は硫黄臭が強く、山頂に近づくほど灌木や雑草の数が減り、火口の近くにはただ岩と砂だけに覆われた荒涼とした風景が広がっている。


 一応、観光客のために簡単な登山道と手すりが設けられている。

 傾斜の急なところには階段もあり、夏季限定で営業している小さな売店も存在する。

 そのため、登山というよりはハイキングに近い感覚で気軽に火口まで登ることができる。

 夏は風越山火口をハイキング、冬は東隣の()(かげ)山でスキー。

 運動の後はグリンス=ウェル自慢の温泉でゆっくりと汗を流す。

 グリンス=ウェル観光協会が推奨するグリンス=ウェル温泉の楽しみ方だ。


 だけど、今は荒涼とした風景や心肺に適度な負担をかける心地よい軽運動を楽しむ余裕なんて、もちろんない。


 ロープウェイの降り場で係員に確認したところ、メイフレアさま――メイファート王子とミレイユさまらしき少年少女が火口に向かうのを見たという。


 ぼくは半ば走るようにして火口を目指す。

 ハイキングコースのようになっているとはいえ山道だ。

 すぐに息が切れる。


 日射を遮るもののない火口への道は、初夏の太陽がじりじりと照りつけている。

 標高が高いから気温はさほどでもないが、肌を焼く太陽光はむしろ街中よりも強いように感じる。

 登山道はからからに乾いていて、時折吹く風が白く乾燥した砂を空へと運んでいく。


 ぼくの顎からしたたり落ちた汗があっという間に砂に吸い込まれる。

 ぼくは腕で額の汗を拭いながら(その腕も汗だくで、汗を拭う役には立っていないけれど)岩石の合間を縫って伸びる白く乾燥した砂の山道を急ぐ。


 ロープウェイの降り場から火口までは、そんなに距離があるわけじゃない。

 ふつうに歩いて数十分でつく距離だ。

 温泉に保養に来る比較的高齢のお客さまでも歩けるように、ということらしい。


 息を切らせながら山道を進むと、やがて火口を見物するための展望台が見えてきた。


 危険なので火口には直接近づけないようになっている。

 すこし離れたところに、火山活動を監視するための観測所と兼用の展望台が作られている。


 といってもそんなに立派なものではない。

 木造のログハウス風の建物がいくつか固まって建てられているだけだ。


 風越山は活火山ではあるものの、最近は目立った異変もないため、観測所といっても現在は無人だ。

 たしか、月に一度くらいの頻度で帝都科学院から委託を受けたグマーヌ県の職員が観測にやってくるということだった。

 一応、いざという時の詰め所とするために職員用の簡易宿泊施設はあるが、他には火山関係の資料を集めた展示室と、観光客のための休憩所、そして建物からデッキのように張り出した展望台が作られているだけだ。


 ぼくは展示室の脇にある休憩所に入る。

 こじんまりとした休憩スペースの奥に、展望台に出るための引き戸がある。

 その引き戸をがらがらと開ける。


 外に広がるのは、一面に晴れ渡った空と、巨大な火口の淵。

 直径一〇〇メテル、深さ数十メテルの火口の底はここからではのぞけない。


 展望台は木製のデッキで、火口に向かって張り出している。

 広さは、ハイネ&ハイネのロビーよりすこし広いくらいだろうか。

 デッキの周囲には鉄製の柵が張り巡らされ、観光客があやまって火口に転落することのないように配慮されている。


 その鉄柵にもたれるようにして、金色の髪を風になびかせる男女の二人連れが立っていた。

 二人は、夜遅くハイネ&ハイネの正門前に佇んでいた時に纏っていた外套を身につけている。

 外套の下は、出会った時と同じ貴族の衣装だった。

 そういえば、お二人にお貸しした服は部屋のベッドの上に綺麗に畳んで置いてあった。

 休憩室に通じる扉から現れたぼくに先に気がついたのはミレイユさまだった。


「……アルトさん」


 その声に、メイフレアさま――メイファート王子がふりかえる。


「ご主人か……」


 メイファート王子は固く強ばった表情のまま眉をひそめた。


「どうしてここがわかった?」


「うちには勘のいい料理長がおりますので」


「ああ……あのエルフの血を引く料理人か……」


 メイファート王子はミレイユさまを背後にかばうような格好でぼくに正対した。

 ミレイユさまは王子の腕にしがみつきながら、ぼくの様子を不安げにうかがっている。


「……それで? 僕たちのことを止めに来たのか?

 そんな義理もないのに、ご苦労なことだ」


「ええ。単刀直入に言えば、その通りです。ハイネ&ハイネに帰りましょう」


「僕らの事情を知りもせずに、よくそんなことが言えたものだな」


「たしかに、王子たちの事情は存じません。

 でも、しがない田舎旅館の館主でしかないぼくにだって、それなりに言わせていただきたいことはありますよ」


「それを聞いてやる義理はないのだがな。

 僕らとて安直に死を選んだわけではない」


「それはそうでしょうね。

 王子のご気性は、短い間でしたが、わかっているつもりです。

 現実的な打開策がなくて、それでも妥協したりあきらめたりすることなんてできなくて。

 それで、いわば最後の手段としてこの選択をされたのだと思います」


「……それがわかっているのなら、なぜここに現れた?」


「まずは、お礼を申し上げなくてはなりません。

 王子の手紙のおかげで、グレフェン卿は大混乱です。

 ハイネ&ハイネもなんとか潰されずに済むでしょう。

 ご厚意に感謝いたします」


「短い間とはいえ、世話になったからな。

 ご主人はお人好しだから、温泉金貨を換金することもできないのだろう? このくらいのことはしておかなくては、沽券にかかわるのでな」


 王子はそう言って視線をそらした。

 照れているのかもしれない。

 王子はぼくのことをお人好しだと言うけれど、王子だって大概だ。

 こんな時だというのに、目の前で行われている不正を放ってはおけず、正体がバレてしまうことを承知の上であんな手紙を残したのだから。


「おかげさまで、大いに助かりました。

 ですが、それと同時に王子にも関係のある情報も出てきましたよ」


「僕に関係のある情報?」


「ええ。ミランダは、王子との縁談を断るつもりでした」


「なんだ、そんなことか……。

 たしかに、それは僕らがこのようなことを企てた理由の一つだが、もっとも重要な理由ではない」


「ミレイユさまにもご縁談があるのですね?」


「そういうことだ。

 それもこっちはアセイラム帝国内ですらない。

 はるか東のヴァナギスタンだ。

 ヴァナギスタンは内紛の激化するクロッチェンの向こう――往き来は難しい。

 ミレイユが嫁入りしたら最後、僕らはもう一生会うこともできないだろう。

 僕らの関係が許されないものであることはわかっている。

 絶対に結ばれることがないこともわかっている。

 辛いが、どうしようもないことなのだと何とか呑み込もうとしてきた。

 だが、それでも……生き別れになるくらいなら、死んだ方がマシだ。

 目の届く範囲で、幸せに暮らしているのなら、あえてミレイユが他の男の腕に抱かれることにも耐えてみよう。

 だが、もう愛しいミレイユの顔を二度と見ることができない――そんなことにはとうてい耐えられない!」


「兄様……」


 ミレイユさまが後ろから王子に抱きついた。

 王子は半身をミレイユさまに向けてその頭をやさしく撫でる。


「……ご主人。

 むしろ、僕から聞きたい。

 僕らのこの窮状をどのようにして救えるとお思いか。

 それとも僕らを追いかけてきたのはご主人の単なる感傷にすぎないのか」


 いかにしてこの窮状を打開するのか。


 そんなことは、ぼくにはわからない。


 わかるわけがない。

 所詮ぼくは当事者じゃない。

 ついさっきまでメイフレアさまがメイファート王子だということすら知らなかったのだ。


 お二人が悩みに悩んで出した結論は、お二人にとって現在考えられる限りで最良の選択肢なのだろう。


 よく、第三者に話を聞いてもらうことで解決の糸口がつかめるというけれど、ぼくはそれは嘘だと思う。

 事態をもっともよく理解しているのはやはり当事者だ。

 当事者と部外者では、当然のことながら持っている情報量が違う。

 客観的な事実に関する情報はもちろん、当事者の意向や感情、関係者の事態に対する姿勢など、主観的な観測に基づく情報も意思決定には欠かすことのできないものだ。

 だから、当事者たちの感情が事態の重要な鍵となるような場合には、部外者にできることは限られてくる。


 そして、それ以上に――結局、部外者は部外者なのだ。

 事態の推移にもっとも関心を持っているのは当事者だ。

 当事者の持つ切迫感を部外者が共有することは所詮無理なことなのだと思う。

 行動の結果が自分に跳ね返ってくるという圧迫感を、当事者以外の者が実感するのは難しい。


 だから、当事者が考えに考え抜いて下した結論は、容易には動かしがたい。

 ましてや、ぼくはただしばしの宿を提供しただけの旅館のオーナーにすぎない。

 それでも、ぼくにはメイファート王子――あるいは、ハイネ&ハイネ二〇四号室にご宿泊中のメイフレアさま――に言いたいことがあった。


「ぼくには、王子の陥っている状況はわかりません。

 ただ――」


「ただ?」


「王子は、いささか思い切りが良すぎる」


 そうなのだ。

 王子は、思い切りが良すぎる。

 まだミランダが返事もしていないのに、王子との縁談はまとまるものと思っていた節がある。

 ミレイユさまにしても、聞く限りでは縁談がまとまりきったわけではないようだ。


 心中するという究極の手段をとるのだから、もっとぎりぎりまで粘ってもいいはずだ。

 なんらかの突発的なアクシデントが発生して、縁談がなくなったり、延期になったりする可能性だって、まったくないわけではないのだから。

 それでもし、やはり何も起きないのであれば、自分たちでそういった「アクシデント」をでっち上げてしまうことだってできる。

 実際、今こうやって二人が駆け落ちに踏み切ったことこそ、王宮の人々にとってはアクシデントで、このことによって縁談や二人の今後の処遇も変わるだろう。

 ……良かれ悪しかれ、ではあるけれど。


 たしかに格好のつくことではないが、何かに必死で抗う時に格好なんてつけてはいられない。


「王子は……かっこつけすぎですよ。

 どうにもならないからって、すぐさま究極の選択をすることはないんです。

 もっと、あがけなかったんですか?」


「……っ」


 王子は言葉をつまらせた。

 だけど、それは図星をつかれて動揺したわけではなく、ぼくの説教じみた言葉に激発しそうになったからだと思う。


「今回、ハイネ&ハイネが買収されかかりましたが、ぼくはおたおたするばかりで現実的な対策が打ち出せなかった。

 実際、ぼくにできることなんて何もなかったんでしょう。

 シュルンベルク財閥に王家ですからね。

 小さな温泉旅館の館主ごときにはどうにもならない問題でした。

 ぼくにとっては、あの旅館はある意味で命よりも大切なものです。

 それを失うかもしれないと思って、焦りや怒りや不安や悲しみや……いろんな感情がごっちゃになって頭を占拠して……辛かったですよ。

 でも、なにより辛いのは、突然降って湧いた暴威に対抗するための力が自分にはないということですね。

 ぼくにできることはただ、絶望して破滅を待つことだけでした」


 王子は雲一つない青空を睨みつけている。

 ぼくの話を聞いているのか、いないのか。

 いや、聞いているだろう。

 この人はプライドが高いから、人からなにかを諭されるのが嫌いなんだ。

 だから、聞いてないような風を装っている。

 だけど、この人は同時に義理堅い人でもあるから、恩を感じているぼくの言葉を無下にすることもできない。


「……でも、王子に助けられました。

 敵だと思っていたミランダもぼくに協力してくれるようになった。

 常連のエリオットさんや、町内会のグレッサさんも裁判の証言に立ってくれることになった。

 ぼくは結局なにもできなかったけど、ぼくがなにもできないでいるあいだにいろんな人が動いてくれた。

 ……もちろん、ミレイユさまの縁談がうまい具合に破談になる可能性は高くはないのでしょう。

 それでも、ぎりぎりまで粘っていれば、案外、そういうことも起こるかもしれません。

 なんなら、ぎりぎりまでハイネ&ハイネにいてくれてもいいですし」


「……そんな往生際の悪い真似ができるか」


「たしかに、かっこよくはないですね。

 事態に敢然と立ち向かい、正面から問題を打破する。

 その方がかっこいいことはたしかですが……。

 所詮、ぼくらは人間です。

 対処のしようのない災厄が襲いかかってくることもあります。

 そんな時は……もう、ひたすらあがくしかない。

 希望を捨てずにぎりぎりまで粘るしかない。

 その先に破滅しか待っていないようにしか思えなくても、とりあえず本当に最後の最後になるまではあきらめない。

 そういうのも……まあ、いいんじゃないかな、と、ぼくは思ってるんです」


「ぎりぎりまで粘って、それでもダメだったらどうする?」


「その時はその時です。

 その時こそ、究極の選択をすればいい。

 ひと思いに死ぬか、死ぬほど苦しい思いをしながら生きていくか。

 酷い選択ですね。

 でも、その時がくるまえに選んでしまうことはないですよ」


「話にならん」


「なぜです?」


「そんなことをしてどうなる? 今より不名誉な死が待っているだけではないか!」


「……怖いのですか?」


「なんだと?」


「名誉を失うことが、そんなに怖いのですか?」


「怖いとか怖くないとか、そういう問題じゃないだろう!」


「いいえ、ちがいますね。

 やれやれ、王子はとんだ臆病者だ」


「なんだと!」


 嘲るように言ったぼくの言葉に、メイファート王子が激昂した。


「その言葉を取り消せ! 不敬にあたるぞ!」


「不敬ですって? これから死のうという人にそんなことを言われても、ちっとも怖くないですね。

 それとも、ぼくと一緒に山を下りて、ぼくのことをグレフェンにでも訴えてみますか?」


「くっ……。そんな挑発に乗ってたまるか」


「その程度の分別はあるのに、なぜなんでしょうね。

 口ではミレイユ様を愛していると言いながら、王子は結局、ミレイユ様と一緒に生きることよりも、不名誉を避けることの方を重視しているように見えますよ」


「……っ!」


「名誉を失い、嘲笑され、地を這うような暮らしをすることになっても、ミレイユ様とともに生きていこう――そんな気概は、王子にはないのでしょうね。

 なんだかんだ理屈をつけてはいますが、王子はあくまでも王子として誇り高く死にたいのでしょう? ミレイユ様の恋人として地べたを這って生きていくのではなく。

 やれやれ、まだ若いのに筋の通ったお方だと思っていたのですが、とんだ勘違いでした。

 所詮、世の中を知らない温室育ちの王子には、そんなことはしたくともできませんものね?」


「き、きさま……っ!」


 王子の端整な顔が憤怒の色に染まる。

 思わずといった様子で、王子は拳を握りしめ、ぼくへと一歩を踏み出した。


「悔しかったら、反論してみたらどうです? 不敬罪だ、なんてのはなしですよ。

 あなたが王子かどうかなんて、この場ではどうでもいいことなんです。

 ぼくが聞いてるのは、メイファート王子の――いや、メイフレア様のご覚悟のほどなんですよ!

 あなたはいったい、本気でミレイユ様を愛しておられるのか!

 愛しておられるミレイユ様のために、本当にすべてを捨てられるおつもりなのか!

 父王や母后へのあてつけなのか、それともヤスナール流のロマンチシズムなのかは知りませんが、死んでみせるなんて誰にでもできることなんですよ!

 名誉だ何だと言うのなら、生きて、ミレイユ様を愛し抜くことで、あなたの矜恃を示していくべきなんじゃないですか!?

 たとえ誰からも認められなかったとして、それがなんだというのです!?

 ミレイユ様がいればそれでいいんじゃなかったんですか!?」


「ぁっ……、ぐ……っ」


 王子は――いや、ハイネ&ハイネにやってきた許されざる恋人の片割れであるメイフレア様は、顔を赤に、青にせわしく染めて、喘ぐように口を開閉させる。

 ぼくはさらにたたみかける。


「それにですね――あなたはずるいんですよ!

 まったくフェアじゃない!

 ぼくをなんだと思ってるんですか!

 ぼくと、伝統あるハイネ&ハイネケン旅館をなんだと思ってるんですか!

 まだろくなおもてなしもできてないのに、いつのまにか部屋を引き払って、あげくのはてには心中ですか!

 ふざけないでくださいよ!

 ぼくが祖母から受け継いだハイネ&ハイネは、冥土に旅立つ前のきれいな思い出作りの宿なんかじゃない!

 お客さまには心身ともに回復していただいて、明日への活力を取り戻してから帰っていただく、そんな温泉旅館なんですよ!!

 それなのに――」


 ぼくは呆然と立ちすくむメイフレア様にずかずかと歩み寄る。


「――温泉は、堪能されましたか?」


「……は?」


「うちの料理長――エリシャさんのコース料理はまだでしたね?」


「なっ……、何を言って……」


「アンネのやつとおしゃべりはしましたか? ザッハも、なかなか気のいいやつなので、話してみるとおもしろいかもしれませんよ?」


「だから……っ!」


「グリンス=ウェルも、静かな街ではありますが、温泉街としての相応の歴史がありますからね。

 いろいろ見て回るだけでも、二、三日は退屈しないで済むはずです。

 風越山は――こうしてやってきてしまいましたが、今の時期は火影山のハイキングもできますよ。

 軽いハイキングのあとの温泉浴は温泉の薬効を高めると、『ウェイツ温泉百科』にも書かれています。

 なにより、汗をかいた後の温泉は気持ちのいいものですからね、薬効云々以前に張りつめた気持ちをほぐしてくれるかもしれません。

 張りつめた気持ちをほぐすといえば、かの温泉王ウィスコット一世は、晩年に編まれた座談本のなかで、こんなことを言ってます。

 『何もかもに絶望したとき、どうするか。

 わしならば――」


「……温泉に浸かる、だ。

 おい、ご主人、いい加減に――」


「ご存じではないですか。

 そういえば、温泉王陛下はメイフレア様の祖父君にあたるわけですか。

 いや、それどころか一七枚しか鋳造されなかった温泉金貨を託されたお一人なのですね」


「……それがどうした。

 今、そのことに、一体何の意味がある? 温泉? 料理? おしゃべり? 観光? そんなこと、おちおちとやっていられる場合じゃないんだ!」


「でも、それじゃああまりに不公平だと思いませんか? メイフレア様はぼくにチャンスをくださらない。

 ご自身の名誉には熱心なくせに、ぼくの名誉のことははなから無視されておられる。

 ハイネ&ハイネの提供するサービスをまだ十分に味わってもいないうちに結論を出して、逃げてしまおうとされてるんだ!」


「それは……!」


「そればかりじゃない、あなたは祖父君である温泉王陛下のご愛情すら顧みられておられない!

 『何もかもに絶望したとき、どうするか』――ぼくにはメイフレア様のご苦境を打開する具体策なんて何もありません!

 田舎の温泉旅館の館主ごときに思いつくことなんて、当然メイフレア様はとっくにお試しになったはずだ!

 でも、ぼくにだって言えることはあります!

 あなたはあきらめがよすぎるんだ!

 先の見通しなんて、なくてもいいじゃないですか!

 いったいどれだけの人が、自分の人生の結末を見通せると言うんです!?

 温泉王陛下だって絶望した! でも、陛下が偉大だったのは、そこであきらめなかったことだ!

 なんとかのひとつ覚えみたいに、自分の愛してやまない温泉に浸かって鋭気を養い、再び困難へと立ち向かっていかれたんだ!

 ぼくはグリンス=ウェルの温泉とハイネ&ハイネの力を信じてます!

 そして、メイフレア様の勇気と誇り高さを信じてます! あなたならきっとご自分の力で道を切り開いていかれると信じてます!

 たしかに光の当たる道を進むことはできないのかもしれないけど――それでもあなたなら!

 メイフレア様とミレイユ様なら、昏くて細い道であっても、心の中に光を灯して進んでいけると――ぼくはそう信じてるんです!」


 展望台に、沈黙が降りた。

 言うべきことをすべて言ってしまった僕は、もう王子の反応を待つことしかできない。


 王子は大きなため息をついた。

 最近、ぼく自身も、ぼくのまわりの人も、ため息が多い。

 現実に押しひしがれて身動きが取れないときには、ため息でもつくしかないのかもしれない。


「……ミレイユはどう思う?」


 王子が妹姫にたずねる。


「わたしは、お兄様の決められたことに従います。

 それがたとえ死ぬことであれ、生きることであれ」


「……その答えはずるいぞ」


 王子が小さく苦笑した。


「――わかった。

 ご主人。とりあえずはあなたの言うことに従ってみよう。

 僕もできることならばすこしでもながくミレイユの傍にいたいのだ」


 どこか吹っ切れたような様子で王子はそう言った。

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