第五帳 プロローグ
なにもかもに絶望した時、どうするか。
わしならば温泉に浸かる。
なにも馬鹿にしておるわけではない。
これは人生の真理なのじゃ。
どうしようもない時、事態に一片の希望も見いだせない時。
そんな時は、開き直ってデンと構えておる他あるまい。
そもそも、どうにもならぬからこそ絶望しておるのじゃから、絶望しとる時にできることがないのは、まことものの道理というものじゃろう。
そんな時はせめて心持ちだけでも明るくし、体力と気力を蓄え、訪れるかもしれぬ僥倖をただじっと待ち続けるのみであろう。
じゃが、この忍耐ということがなかなか難しい。
なればこそ、わしは温泉に浸かることを勧める。
こんなことばかり云っておるから「温泉王」等という戯けた綽名をつけられるのじゃろうな。
じゃが、愉快愉快。
わしはまことに温泉王じゃ。
湯に浸かっておるあいだは気にかかって仕方がないことどもを忘れられる。
心身ともに芯からくつろぐことができる。
そうして養った英気で王としての責務をこなしてきたのじゃから、なるほど、わしは温泉王と呼ばれるにふさわしいのかもしれぬ。
うむ、脱線してしまったが、わしが言いたいことはシンプルじゃ。
焦った時、辛い時、絶望に染まった時――そんな時こそ温泉に浸かれ。
心身ともに癒し、明日への鋭気を養うのじゃ。
もっとも、これはわしの言葉ではなく、山間のある温泉宿の女将の云っておったことじゃ。
この女将というのがえらい別嬪での。
何度もわしの妻にならぬかと誘ってはみたのじゃが、てんでなびかんかった。
わたしにはこの旅館を守っていく使命がありますので。
そればかりじゃ。
わしも、国王などでなければ、女将に求婚して婿入りし、その旅館を守って生きていきたかった。
それほどにわしはあの女に惚れておったのじゃ。
あの燃えたぎるような恋情は本当のものじゃったが、人生はままならぬものじゃ。
わしは後に今の女房に出会って結ばれ、女将の方も、やがていい男を見つけて身を固めたのだそうじゃ。
わしは今の女房も、子どもも、孫も愛しておる。
女将と結ばれれば、それはそれで幸せではあったじゃろうが、今の暮らしとて、十分以上に幸せなのじゃ。
女将のことは、わしの若き日の苦い思い出として、わしの心の奥底で鈍く輝き、わしの人生に彩りを与えてくれておる。
人生とはそのようなものでな、どうしようもない現実におしひしがれて、絶望に心が染められたとしても、じっと堪えておれば事態のほうが変化してくる。
むろん、その変化がよきものとは限らぬのじゃが、あながち、悪くなるばかりだと臆断する根拠もない。
ひょっとしたらよくなっていくかもしれぬという、漠然とした希望でいいのじゃ。
そんなものを持つことじゃな。
そのためにはやはり温泉に浸かるのがいちばんじゃ、と云ってしまう辺り、わしが温泉王などと呼ばれる所以なのじゃろうな。
(ウィスコット一世著/クローゼット・シュタルファー編『温泉王談義 主に若い読者のために』より抜粋)




