4 《王の杖》
その昼のことだった。
昼食は、お客さま各自で自由にとっていただくことになっているので、宿の方では準備はしない。
朝の仕事が一段落して、多少、息をつけるような時間帯だ。
ぼくとアンネがフロントで休憩を取っていると、正門の方から玄関に向かってくる人影があった。
人影は二つ。
一つは見知った顔――ミランダ。
もう一つは――わからない。
エリオットさんほどではないものの長身で、ぴったりとしたグレーのスーツに身を包んでいる。
オールバックにした灰白色の髪は、初夏の陽射しを受けて金属的な光沢を帯びている。
年の頃は三〇ほどだろうか。
目つきは厳しいが、鼻が高く、美形ではある。
そして――顔の造作に、どこかミランダと似かよった雰囲気があった。
(おいでなすったか)
間違いない。
こちらに向かって歩いてくるあの男こそが、ミランダの義兄にして《王の杖》出張裁判官、グレフェン・ガリウス・シュルンベルクなのだろう。
グレフェンとミランダは、ほどなく玄関に到着し、ガラス製の引き戸を開けてロビーに入ってきた。
グレフェンはフロントにいるぼくとアンネをじっくりと観察してから問いかけた。
「私は《王の杖》出張裁判官グレフェン・ガリウス・シュルンベルクだ。
この旅館の買収にかかる係争の調査に来た。
ハイネ&ハイネケン旅館館主アルト・アルテ・ハイネ殿はいるか」
高圧的。
それがぼくの第一印象だった。
グレフェンの隣でミランダが申し訳なさそうな顔をしてなかったら、なにか嫌味の一つでも言ってやるところだった。
ぼくは怒り心頭といった様子のアンネを事務室に下がらせてから、グレフェンに向き直った。
「ぼくがハイネ&ハイネケンを預かるアルト・アルテ・ハイネですが」
「ほう。聞いていた以上に若いな。いやむしろ幼い」
失礼な男だ。
「それで、ご用件は?」
「わかっているだろう?」
「……は?」
「フン。寂れた温泉旅館で働いているような人間はやはりおつむが弱いな」
……この男は相手を見下しながらでないと話すことができないのだろうか。
「今すぐに、この古ぼけた旅館をスパリゾートに売りたまえ。十分な対価は用意すると伝えさせたはずだ」
「それはできないと、お答えしたはずですが」
「私が聞きたいのはそんな答えではない」
「ぼくには、あなたの聞きたい答えを用意する義務はありませんよ」
「どうせ最後には売ることになるんだ。私の手を煩わせないでくれ」
「知ったことか。
それ以前に、グレフェン殿はどういう身分でここにいるんだ。
《王の杖》の裁判官と先ほどは名乗ったが、裁判官が一方の当事者の身内だなんて考えられない」
グレフェンのこれまでの言動は、公平中立をモットーとする《王の杖》の裁判官のものではまちがってもない。
明らかにシュルンベルク財閥の立場に立ったものだ。
「グレフェン殿はシュルンベルク財閥の代理人ではなく、《王の杖》の出張裁判官であるはずだ。
それ相応の態度を要求したい」
「それ相応の態度? ハン。
そんなものは知ったことか。
どちらにせよこの裁判、おまえに勝ち目は一分もないぞ。
シュルンベルクと王家がバックにいるんだからな。
結果の見えている裁判で、公平中立もないものだ。
それと、《王の杖》の裁判官である私には国王陛下から爵位が与えられている。
シュルンベルク卿、ないしはグレフェン卿と呼びたまえ」
「……グレフェン『卿』が何と言おうと、こちらの意思は変わらない」
「そうか。まったく、田舎者だけに無知蒙昧だ。どちらが賢い選択かなど、目に見えてるというのに」
グレフェン卿は、隣に佇むミランダに目をやった。
「そら。スパリゾートの代表者であるおまえが宣言するんだ。起訴人、被起訴人、係争の簡略な内容、特別調停を乞う旨、それから特別調停を取り仕切る出張裁判官の氏名。忘れんなよ」
唇を噛みしめながら下を向いていたミランダが顔を上げる。
「わたし、グリンス=ウェル・スパリゾート代表取締役ミランダ・エリーズ・シュルンベルクは、ハイネ&ハイネケン旅館……館主、アルト・アルテ・ハイネ氏に……対して……、当該旅館買収にかかる……係争の……、と、特別調停を……」
そこでミランダが再びうつむく。
「おい、どうした?
ミランダ、おまえこんな簡単なことすらまともにこなせないのか、あ?
さすが妾腹の子は違うな?
それとも何か?
この頭の鈍いぼんくら野郎のことでも――」
「いい加減にしろ! それでもあんたは兄か!」
我慢しきれず、ぼくは叫んだ。
「ああ? 外野はすっこんでろ。
兄だよ。
遺憾ながらな。
――ほれ、このできそこないが。
早く特別調停の要請を宣言しないか!」
ミランダは黙したまま。
「――おい、てめえ、まさか逆らう気じゃないだろうな?
今回の王子さま行幸は財閥上げての大仕事だ。
親父も相当に入れ込んでる。
この件での不始末は致命的だぞ?」
「……ない」
「あ?」
「関係ない! そんなこと、関係ない!」
「関係ないっておまえ……」
「今回のこれはやりすぎよ!
いくら王子行幸のためとはいえ、平和に営業してる温泉旅館を強引に買収しようだなんて!」
「おいおい、勘弁してくれ!
マジでこの小僧に惚れでもしたのか?
やっぱ妾の子は――」
「母のことを悪く言わないで!
母もアルトも関係ないわ。
わたしはグリンス=ウェル・スパリゾートの代表として意見を述べているの!
ただでさえ地元との摩擦が問題となっているこの状況で買収を強行するのは、火に油を注ぐようなものよ。
スパリゾートの長期的な利益を毀損することにもなるわ。
株主資本を預かる身として、今回の買収には賛同しかねます!」
ミランダはグレフェンを睨んだまま、一歩も引く気配がない。
ミランダは、自分の身にふりかかるだろう不利益を覚悟の上で、義兄に真っ向から楯突いてくれた。
ぼくにはそのことがすごく嬉しかったけれど、ミランダがそのために財閥内での立場を悪くしてしまうのではないかと気が気ではない。
「ほほう。どうやら本気らしいな。
だがな、おまえ如きが身を挺してかばったところで、動き始めた流れはもう変えられねえんだよ。
親父はこういう事態も想定してたようでな、私にこんなものを持たせてくださった」
グレフェンは懐から一枚の封筒を取りだした。
封のされていないその封筒から一枚の紙を取り出し、ミランダの眼前に突きつけた。
「これは……」
「おつむの弱いおまえのために説明してやると、だな。
こいつはスパリゾートの取締役を私の一存ですげかえることができてしまうという、まあ、ただの紙だな。
ただの紙にすぎないものだが――人間というのはこういった紙切れにむかってへえこらと頭を下げる不思議な生き物なんだな。
というわけで、ただいまをもって私はグリンス=ウェル・スパリゾート代表取締役ミランダ・エリーズ・シュルンベルクを解任する。
後任は私だ。
ま、一時的なものだがな。
私もこんな田舎でリゾートごっこなんてやってられん。
この件が片付いたら、こんな腐れた閑職なんぞ返してやるよ」
「……っ!」
ミランダが激しい怒りを込めた視線をグレフェンに向けるが、グレフェンはまったく取りあわない。
「さぁてと。
宣言からやり直しだ。
行くぜ?
私、グリンス=ウェル・スパリゾート代表取締役グレフェン・ガリウス・シュルンベルクは、ハイネ&ハイネケン旅館館主アルト・アルテ・ハイネ氏とのあいだに生じた係争に対する特別調停を乞うものである。
係争内容は当該旅館がスパリゾートによる良心的買収提案を拒絶したことについての是非を問うものである。
この係争の調停人として、私は《王の杖》出張裁判官であるグレフェン・ガリウス・シュルンベルクを要望する。
とまあ、こんなもんだ。
とんだ茶番だな」
グレフェンは口の端をつりあげて笑った。
「ええっと、次は……?
《王の杖》出張裁判官グレフェン・ガリウス・シュルンベルクは、グリンス=ウェル・スパリゾート代表取締役グレフェン・ガリウス・シュルンベルクの訴えを受領する。
調停人に関しては、起訴人の要望を受け、公平中立なる《王の杖》にて審議を行い、適切な裁判官を――ふっ、『適切な裁判官』ね――派遣することとする。
裁判の日時等は追って通達する。
はい、おしまい」
ぼくはグレフェンの一人芝居をながめているしかない。
「さて、事前に行われていた《王の杖》による厳正な審議の結果、調停人は起訴人から要望のあった《王の杖》出張裁判官グレフェン・ガリウス・シュルンベルクに決定した。
裁判の日時は明後日午後一時、場所はグリンス=ウェル・スパリゾート内パーティ会場とする。
ま、そんなわけだ。
明後日の裁判、楽しみにしてるぜ」
グレフェンはそれだけ言い切ると、ひゃっひゃっひゃと耳障りな笑い声を残して去って行く。
ミランダはグレフェンにはついていかず、ハイネ&ハイネのロビーに残った。
激しく落ち込んでいるらしいミランダが、息を吸ってぼくに何か話しかけようとしたタイミングで、フロント後方のドアが勢いよく開いた。
アンネだ。
「な、ななな、なんなのよあれはぁっ!?
横暴にも程があるわ!
権力があれば何をやってもいいとでも思ってるんじゃないの!?」
「……実際、グレフェンはそう思ってるわね。
ごめんなさい、アルト……わたし、結局何もできなかった……」
ミランダはその場にうずくまってしまった。
その表情は金色の髪に隠れて見えないが、すすり泣くような声が聞こえてくる。
これにはアンネも毒気を抜かれたらしく、それまで怒っていたことなど忘れたかのような様子で、ミランダのそばにしゃがみこむと、ミランダの背中をやさしく撫ではじめた。
「……その。
あんたは……がんばったわよ。
わたし、あんたのことはずっと気にいらなかったんだけど……でも、あれだけがんばってくれたんだから、やっぱりそれは評価すべき? っていうか……えぇと……もう!」
これまでミランダのことを目の敵のようにしていたアンネは、うまく気持ちの整理ができないらしい。
「あいつ。ミランダのことをぼくらの前で散々こき下ろして……許せない」
さっきから顎が痛くてしょうがない。
いつのまにか力一杯歯を噛みしめていたらしい。
「……お兄ちゃんはそこに怒るんだ」
アンネが冷ややかな視線を向けてくる。
「そりゃ、怒るよ。あんなの、許せるわけないじゃないか」
妾腹だなんだと難癖をつけたのももちろん許せないが、なにより許せないのは、ミランダがこれまで必死で経営してきたスパリゾートを馬鹿にし、一時的とはいえ代表取締役の座まで奪ってしまったことだ。
「ミランダ。すまない。ぼくらのために……」
「……ちがうわよ」
「え?」
「ア、アルトのためとか、そんなんじゃないから……わたしは、そうするのが合理的だと判断したから反対しただけ。
アルトに謝られるいわれはないわよ」
「強情ねえ……。
ってあんた、お兄ちゃんのこと……ア、アルトだなんて呼んでるの!?」
ずれたところで急に怒り出すアンネ。
「いや、それはぼくから頼んだんだよ。
名前で呼んでくれって」
「えぇ~!?
ちょっと、お兄ちゃん何してくれちゃってるわけ!?
わ、わたしだってアルトだなんて呼んだことないのにぃ!」
「……べつに、呼びたければ呼べばいいだろ?」
「えっ、いいの?」
「いいよ、減るもんじゃないし」
「そ、そういう一言が余計なのよ、アルト兄は!」
「アルト兄……か。
新鮮な呼び方だね。
……それにしてはなんか呼び慣れた感じだけど……」
「よ、呼び慣れてなんてないわよ! ひ、ひとりの時にこっそりアルト兄って呼んでたりするわけじゃないんだからね!」
ぼくとアンネのしょうもないやりとり。
こんな時に何をやってるんだろう。
と、笑い声が聞こえた。
「……っぷ。
ふふふっ。
あははははっ!」
ミランダがお腹を抱えて笑っている。
「あっははは! おかしい、こんな時なのに、アルト兄とか、ひとりの時とか、あははははっ!」
ミランダが赤絨毯の上をごろごろ転がりながら笑い続けるさまを、ぼくとアンネはきょとんとした顔で見つめていた。




