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ハイネ&ハイネへようこそ!  作者: 天宮暁
第四帳 それぞれの痛み

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18/27

1 それぞれの主義

本日2話投稿、この話は2話目です。

 翌朝、ぼくはアシュフォード兄妹の部屋に朝食をお持ちした。


「おはようございます」


「あっ、おはようございます」


 ぼくが部屋の前に来たところで、ミレイユさまに出くわした。

 既に寝間着からは着替えていて、ご様子からすると朝の散歩を楽しまれていたようだった。

 ミレイユさまはアンネのお貸しした服を着ていた。

 変哲のないブラウスと、デニム地のスカート。

 背丈はアンネとさほど変わらないので、服のサイズは合っているけれど、アンネと違うのはブラウスを下から押し上げている胸のふくらみだった。

 ミレイユさまはアンネと比べると、総じておっとりした雰囲気をされていて、言葉遣いにも体つきにも女性らしさが滲んでいる。

 美しい金髪といい、エメラルドのような双眸といい、透き通ったやわらかそうな肌といい、もう何年か経ったら周りにいる男たちの視線を一身にお集めになることだろう。


「お早いですね」


「はい。朝方に目が醒めてしまったので、すこしお散歩をしてきました」


「お散歩と言っても、この宿の敷地内じゃ、見るものもないでしょう」


 本館と別館の他は温泉くらいしかない宿だ。

 一応、敷地内を歩けるように簡単な遊歩道を作ってはあるけれど、利用されるお客さまはあまりいない。


「そんなことはないです。ポピンスやクレカーネアンの花があちこちに植えられていて綺麗でした」


「ああ、アンネがせっせと世話をしてる奴ですね。

 よかったらあいつに言ってやってください。

 喜びますから」


「ふふ。じゃあ、そうしようかしら」


 そんな会話をかわして、ぼくは兄妹のお部屋に入る。


 兄君のメイフレアさまは起き抜けのようで、まだぼんやりとしたお顔だが、服だけはきちんとお貸ししたものに着替えている。

 その辺りに育ちの良さを感じなくもない。


 ぼくは、ワゴンから朝食の皿やグラスを取って、部屋の奥にある黒樫のテーブルに並べていく。

 メニューは昨日と代わり映えはしないけれど、一応同じものをお出ししないようにはしている。

 手作りのパンにはクルミとレーズンが練り込まれているし、朝のジュースはグレープフルーツジュースになっている。

 いちばん大きな違いは、


「今朝のスープは、バリジャーノをベースにしたコンソメスープです」


 昨夜、あの後にミランダの部下の黒服の女性がバリジャーノをどっさりと持ってきてくれた。


「ほう、これがバリジャーノか。

 口にするのは初めてだな」


「気候と温泉成分の関係で、帝国内では風越山でしか取れない香草です。

 ご堪能ください」


 ぼくはそのまま退出しようとしたが、


「あっ、お待ちになって。

 すこし、わたしたちの話し相手になってください」


 ミレイユさまがぼくをお引き留めになった。


「はい。結構ですよ」


 口を開いたのは、メイフレアさまの方だった。


「……ご主人は、僕たちのことをどうするつもりでいるのだ?」


「どうする、とおっしゃいますと……」


「ご主人は、僕の渡した金貨を預かると言われた。

 ということは、ご主人は僕らの宿賃をまだ手にしていないことになる。

 そんな状況で、なにやら訳ありの、貴族の子弟らしい少年少女を置いてくださるのは、どういうつもりがあってのことなのだ? 昨日夕食の時に妹君に聞いたかぎりでは、警察への通報もされていないそうだな」


「ええ、現状では、通報などは致しておりません」


「何故だ?」


「それは……この宿が、お客さまの心身を癒し、明日への活力を得ていただくことを第一に考えているからです」


「やめてくれ。

 その手の経営理念という奴は、お題目にすぎないものだろう。

 どこの会社も、社会のため、帝国民生活の向上のためと謳いながら、その実自らの利益を最大化することしか考えていない。

 とはいえ、それが悪いと言うのではない。

 それが彼らの仕事なのだ。

 彼らが利益を追求する勢いを利用し、舵取りすることで、国の産業を発展せしめようというのが、現在の帝国の産業政策だ。

 アセイラム王家は、帝国民に高潔な倫理観を求めてはいない。

 それぞれが、自分のことだけを考え、自分の利益にかなうことだけを行えばいいのだ。

 それが結果的に競争を生み、社会に効率をもたらす。

 また、事実そのようにしているのが商売人というものでもある。

 それは、ご主人とても同じだろう。

 ご主人には、ぼくらをここに泊めておくだけのメリットがある。

 そういうことではないのか?」


 一気にそうまくし立てたメイフレアさまはぼくの顔をのぞきこむ。


「……メイフレアさま。

 世の中は、メイフレアさまの思うほど、欲得尽くだけで動いているわけではありませんよ」


 ややむっとしながら答えたぼくに、メイフレアさまの眉が不快そうに歪む。

 ミレイユさまは、睨みあうぼくとメイフレアさまを心配げに見守っている。


「本気で言っているのか?

 それなら、ご主人は単なる世間知らずだ。

 経済というものをまるで理解していない」


「世間がどうとか、経済がどうとか、そんなことは関係がないのです。

 私は、祖母から受け継いだこの旅館を守っていかなければなりません。

 それは、物理的、経済的な意味だけではなく、精神的な意味でもです。

 祖母はぼくらにくりかえしくりかえし言いました。

 『身体だけではなく、心まで癒すのが、癒してしまうのが、本物の温泉宿というものなのよ』と。

 私はその教えに忠実でありたい。

 それだけです」


 ぼくはそう言い切って、睨むような目を向けてくるメイフレアさまを真っ直ぐに見つめた。


「……お兄様」


 ミレイユさまがつぶやくと、メイフレアさまは目の力を抜き、小さくため息をついた。


「ご主人の言うことは甘い。

 甘いが……本気で言っていることは確かなのだろうな。

 それはそれで、一つの信念ではあるのだろう。

 商売人としてはどうかと思うが」


 そうまで言われると、ぼくとしても自信がすこし揺らいでくる。

 自分が経営者として甘いことはミランダにも指摘されている。


「確かに、甘いのかもしれません。

 実際、そのぼくの甘さが今の危機を招いたとも――」


「危機?」


「あ、いえ……それはこちらの話でした」


 うっかり口を滑らせてしまった。

 ハイネ&ハイネが買収されようとしている問題は、お二人には関係のないことだ。

 たとえこの宿がどんな状況に置かれていようとも、お客さまには最高のおもてなしをしたい。

 それがぼくの館主としてのプライドなのだ。


 が、そのプライドを貫き通すことはさせてもらえないらしい。


「危機というと、この宿が買収されてしまうかもしれない、というお話ですか?」


 ミレイユさまがそう言った。


「お聞き及びでしたか。アンネですね。まったく、口の軽い……」


 アンネはおしゃべりをしていると自制が飛んでしまうことがある。

 ぼくみたいに口が重いのも問題だけど、アンネのおしゃべり好きもいいことばかりではない。


「アンネさんが悪いわけではありません。

 わたし、昨日スパリゾートの代表の方がいらしているのを見たんです。

 そのことをアンネさんにお聞きしたら……」


 汚れた浴衣を着たミランダをハイネ&ハイネに連れてきた時の、エリシャさんとの会話を聞いていたらしい。

 ということは、家族風呂の前で出くわしてケンカしたアンネが、苛立ち紛れに居合わせたミレイユさまに買収の話をしてしまったのだろう。


「買収? 何の話だ」


「本来お客さまにお聞かせするようなことではないのですが……」


 ぼくはためらいながら口を開く。


「隣の敷地に、グリンス=ウェル・スパリゾートという二〇階建てのホテルがあるでしょう。

 あのホテルが、ハイネ&ハイネを買収したいと言ってきたんです」


「拒めばよいのではないか?」


「ええ、ふつうならばそうします。

 ただ、今回はそうもいかない事情があるんです」


「それは、どういう事情なんだ?」


「メイファート王子がグリンス=ウェルに行幸されるのだそうです」


 ぼくがそう言うと、兄妹はぎくりと身体を強ばらせた。


「……? どうかなさいましたか?」


「……いや、なんでもない。

 それで?」


「ええ。メイファート王子の行幸の手配を任されたシュルンベルク財閥は、温泉好きの王子の歓心を買おうと、この宿を買い上げて専用の特別宿泊施設にしようとしているんです」


「……そんな話は聞いてないぞ」


「警護の都合上、行幸の情報は直前まで秘密にされているそうですから」


「いや、そういうことではないんだが……」


 メイフレアさまとミレイユさまが顔を見合わせた。

 

(……何だろう?)


 ぼくがいぶかしげな視線を向けると、メイフレアさまは咳払いをして、


「相手の合意なしに買い上げようとは、酷い話だな」


「ええ、全くです。

 こちらが買収に応じない場合、《王の杖》の裁定を仰ぐと言って脅されました」


「……公平中立をモットーとする《王の杖》も落ちたものだな」


 メイフレアさまは吐き捨てるように言った。


「昨夜いらしていた女性が、スパリゾートの代表者なんですよね?」


「ええ」


「……それにしては、仲が良さそうにお見受けしましたけれど」


「ぼく自身は、彼女に対して含むところはないですよ。

 彼女にも思うところがあるようですし」


 ミレイユさまがくすりと笑う。


「そんなことを言うから、アンネさんが怒るんですよ」


 ぼくは頭をかいた。


「その女性というのは?」


「ミランダ・エリーズ・シュルンベルク。

 シュルンベルク財閥宗家のご令嬢ですね」


 その名前に、お二人が小さく身じろぎした。


「……どういたしました?」


「……いや、なんでもない。

 ……逃げても逃げ切れぬ縁というものの不思議さを思っただけだ」


 メイフレアさまが自嘲するように笑う。


(……?)


 ぼくにはその意味がよくわからない。


「……それで、最初の質問の答えがまだだったな」


「……お二人をどうするつもりなのか、というお話でしたね」


 ぼくは小さくうなずき、


「率直に言えば、とくにこれと言って、どうこうするつもりはございません。

 お気の済むまでご宿泊ください」


「……いいのか、それで」


「ええ。この宿にいらっしゃった以上、心身共に回復し、明日への活力を取り戻してからお帰りいただきたいのです。

 ぼくが望むのはそれだけです」


 ぼくはぼくの率直な気持ちを言ったつもりだったが、


「……っ!」


 メイフレアさまはぼくの言葉に激昂する気配を見せる。

 ついさっきも、ぼくの言葉を建前だと言って、かなり激しく噛みついていらっしゃった。

 ぼくの変哲のない言葉の何が、そんなにもメイフレアさまを苛立たせたのだろうか。

 メイフレアさまは怒りをため息に変えて吐き出した。


「ご主人は……甘いよ。甘すぎる。

 明日への活力だと? 何の希望もない明日へ向かう活力などあるものか……」


「……お兄様」


 ミレイユさまはメイフレアさまの手を取った。

 指を絡め合うその動作には慣れがある。

 数限りなくくりかえされた恋人同士のしぐさだ。


(このお二人が兄妹だというのは、やはり嘘なのだろうか?)


 それにしては、顔立ちによく似たところがある。

 ミレイユさまのつぶやきが、ぎりぎりでぼくの耳に届いた。


「アルトさんに罪はないよ。罪深いのはわたしたちの方……」


「……ああ、そうだな。罪深いのは僕たちだ」


 メイフレアさまは噛みしめるようにつぶやいた。

 そこに込められているのは、深い悲しみと苦悩と諦めと。

 平穏に暮らしてきたぼくには想像もつかないような複雑な襞のついた感情だった。

 お二人でしばし見つめあう。

 そこには余人には入り込めない密な感情のやりとりがあるようだった。


「……ご主人、僕が言いすぎたようだ。すまなかった」


「いえ、お気になさらないでください」


 ぼくは小さく会釈をした。


「申し訳ないが、しばらく二人きりにしてもらえないか?」


「かしこまりました。御用の際はお呼びください」


 ぼくがフロントで宿帳の整理をしていると、ミレイユさまが現れた。


「おや、お食事はお済みですか」


「はい。美味しくいただきました。

 とくにあのコンソメスープが美味しかったです。

 バリジャーノ……でしたか、香草がよく効いていて」


「ありがとうございます。料理長も喜ぶでしょう」


 料理人は一人しかいないので、料理「長」もなにもないけれど、対外的なハッタリとしてエリシャさんは料理長ということになっている。

 実際、厨房に関することはエリシャさんに任せっきりなので、料理長という役職もあながち間違いではない。


「……あの。先ほどは兄が失礼いたしました」


「いえ、お気になさらず。

 私などにも信念があるのですから、メイフレアさまにもご信念がおありなのでしょう」


「そう言っていただけると助かります」


 それで話がいったん途切れたが、ミレイユさまはフロントの前から離れず、もじもじしている。

 何か言いにくいことがあるのだろう。

 ぼくの方から水を向ける。


「何か、ご用でしたか?」


「はい。えっと、例の金貨のことなのですが……」


 メイフレアさまから預かっている、ウィスコット一世の在位六〇周年記念金貨――通称・温泉金貨。

 メイフレアさまは苦しそうなお顔でぼくにその金貨を渡した。

 あれは、単に貴重な温泉金貨だから、というだけではない。

 もっと個人的な思い入れがあるのだろう。

 そのメイフレアさまの表情をうかがうミレイユさまも苦しそうにされていた。


「大切に保管させていただいています。貴重なものですので」


「……アルトさんは、あの金貨のことをご存じなのですか?」


「はい。私は存じませんでしたが、ご滞在いただいている古なじみのエルフのお客さまがご存じでした。有名な『温泉金貨』なのだそうですね?」


「……はい。その通りです。

 でも、それだけではありません。

 あれは、兄にとって命と同じくらい大切なものなんです。

 それを、わたしなんかのために……」


 ミレイユさまはうつむいてなにかを堪えるような表情をした。

 ぼくはしばし迷ってから、率直に聞いてみることにした。


「お聞きしてよろしいのかわかりませんが……あの金貨は、メイフレアさまにとってどのようなものなのですか?」


「……そうですね。

 アルトさんには知っておいてもらいたいです。

 わたしが話したことは、兄には秘密にしてください」


 ぼくはこくりとうなずき、ミレイユさまをロビーのソファに案内する。


「……金貨の話からします。

 あの温泉金貨は、兄が一〇歳の時に祖父から贈られたものです。

 兄はお祖父ちゃん子でした。

 温泉好きの祖父に連れられて、よく各地の温泉に出かけていました。

 わたしは……からだが弱かったので、ついていくことはできなかったのですが」


「しかし、温泉金貨でしょう。

 相当なご名家の生まれなのですね」


「……え、ええ。そうですね。温泉王とゆかりのある家柄……です」


 ミレイユさまは歯切れ悪くそう言った。


「あの金貨は兄にとっては大切なものです。

 単に貴重なものだというだけではありません。

 今は亡き大好きな祖父を偲ばせる思い出の品なのです」


「かの温泉王は、この金貨を、個人的な親愛の証としてごく限られた身近な人のみに渡したそうですね。

 だとすれば、温泉王の親愛を得られた祖父君がメイフレアさまに金貨を託されたのもまた、親愛の証なのでしょうね」


「ええ。わたしもそう思います。

 だから、アルトさんがこれを預かるとおっしゃったとき、わたしはホッとしたんです。

 兄はああいう性格ですから、一度言ったことは曲げられませんけど、やはり心のどこかで安堵したんじゃないかと思います。

 アルトさんにはご迷惑なお話かも知れませんけれど……」


「それは、どうかお気になさらず。

 ……と言いたいところですが、そうも言っていられません。

 ミレイユさまもおわかりでしょうけれど、ずっとここにいることはできません。

 宿賃が後払いになるのは、まあ、しばらくは大丈夫です。

 心配なのは、ご家族のことです。

 今頃お二人のことをお探しになっているでしょう。

 どうなさるおつもりですか?」


 ぼくはあえて正面から聞いてみた。


「それは……」


 ミレイユさまは口を濁らせた。


「……申し訳ありませんが、もう少し、待ってください。

 ご迷惑をおかけすることはありませんから……」

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