第四帳 プロローグ
グリンス=ウェル郷土史編纂会『グリンス=ウェル温泉史』
グリンス=ウェルの開湯は、アセイラム帝国の開祖アルザス王の時代にまで遡る。
アルザス王の治績を記した『神代記』によれば、戦で負傷した若き霊王アルザスがグヴェルト(現グマーヌ県の古称)の山中を彷徨っていると、前方の木の枝に一匹の白猿が腰かけているのに気がついた。
爛々と赤く光る瞳を持つその白猿は、とても動物のものとは思えぬ知性を感じさせたという。
白猿は、アルザス王を誘うかのように、木の枝から枝へと飛び移っていく。
アルザス王は手にした霊剣で下生えの草を払いながら白猿の後を追う。
白猿はときおり振り返り、王がきちんとついてきていることを確認しながら、深山の奥へと分け入っていく。
やがて、白猿はひとつの巨岩の前で立ち止まった。
アルザス王が白猿へ近づこうとすると、白猿は王を制止するように手を広げた。
王が足を止めると、白猿の姿が霞みはじめ、にやりと笑う口元だけを残して白い煙と化した。
王はその口元に山の神ヴァットゥーラの面影を看取したという。
辺りに立ちこめた霞が消えると、そこにはこんこんと湧き出す温泉があった。
王は血糊で汚れた鎧を脱ぎ去ると、その温泉にゆっくりと身を沈めた。
温泉は緑がかった強烈な酸性の泉質で、王がそれまでに見知ったいかなる温泉とも異なっていた。
はじめ王は戦で負った傷に湯が沁みるのを感じたが、半日も経たぬうちにその痛みは快いむずがゆさへと変わり、一日が経つ頃には全身にあれだけあった矢傷・刀傷がことごとく癒えていたという。
(グリンス=ウェル郷土史編纂会『グリンス=ウェル温泉史』より抜粋)




