3 混浴
ぼくがミランダさんを連れてハイネ&ハイネに戻ると、エリシャさんが待ちわびていた。
「遅かったな。
バリジャーノは買えたか?」
「……あっ」
ブルーゼ食料品店で買ったバリジャーノは、ミランダさんを助けて人混みをかき分けた時になくしてしまったらしい。
それどころじゃなくなって忘れていたけれど。
「おいおい、何のために外に出たんだ」
エリシャさんが呆れ顔で言う。
「……それはたぶん、わたしのせいだわ」
ぼくの陰に隠れていたミランダさんがそう言った。
「おまえは、ミランダ・エリーズ・シュルンベルク……?
おい、お遣いを忘れて、敵の親玉をナンパか?」
「ち、違いますよ。
町でたまたま会って、困っていたみたいだから……」
「おい、そいつはハイネ&ハイネを買収しようとしてる会社の親玉なんだぞ。
おまえはどれだけお人好しなんだ」
エリシャさんが手で顔を押さえてため息をついた。
「バリジャーノが必要だったのですか? それなら、あとで部下に届けるように言いましょう」
ミランダさんが言う。
「ミランダさんにお風呂を貸すから、その後になるけど、大丈夫かな」
「最後に鍋に落として一晩寝かせればいいだけだからな。
多少遅くてもかまわないが」
エリシャさんが渋い顔で答える。
「……あとで事情を説明しろよ」
そう言うとエリシャさんは頭をかきながら厨房へと戻っていった。
「こっちだよ」
ぼくは別館にミランダさんを案内する。
大浴場はお客さまが入ってくるかもしれないので、従業員用の家族風呂をミランダさんに貸すことにした。
家族風呂と言っても、大浴場よりは小ぶり、という程度で、黒曜石とシィバ檜をふんだんに使った豪華な作りだ。
お客さまが多く、大浴場が混雑する時には、お客さまに開放することもある。
もちろん、家族風呂もハイネ&ハイネのすぐそばにある自家泉源から引いてきた混じりけなしの源泉を掛け流しにしている。
温泉は生麦酒のようなもので、空気に触れればすぐに酸化して、せっかくの湯の花の薬効も失われてしまう。
温泉の恵みを本当に味わいたいのなら、混じりけなしの源泉掛け流しに限る。
豊富な自然湧出量を誇るグリンス=ウェルだからこそできる贅沢だ。
「じゃあ、ぼくは着替えとか用意するから」
そう言って立ち去ろうとしたところで、家族風呂へと続く引き戸が開いた。
中から出てきたのは、風呂上がりのアンネだった。
ハイネ&ハイネの備品の浴衣を着て、手ぬぐいを首にひっかけている。
まだ水気を含んでいるピンクの髪が額や首筋に張り付いて、妙に色っぽい。
「あ、お兄ちゃん。
遅いから先に入っちゃったよ……って、その女はシュルンベルク財閥リゾート開発部代表兼グリンス=ウェル・スパリゾート代表取締役ミランダ・エリーズ・シュルンベルク……っ!?
ちょっと、お兄ちゃん、どういうことなの!?」
動揺したのか、肩書きからフルセットで名指ししてミランダさんを指さすアンネ。
「ちょっと事情があってね。
風呂を貸すから」
「事情って何よ!?
まさか……お、おおお大人の事情だとか、言うんじゃないわよね!?」
「……祭りを見ていたら、転んで浴衣を汚してしまったのよ。
お兄様に話したら、お風呂を貸していただけるということだったから……」
「……お兄ちゃん。
この人はわたしたちの敵(!)なんだよ!?
人がいいにもほどがあるじゃない!
昨夜は貴族の兄妹を拾って、今日は隣の美少女(笑)経営者さまってわけ?
……って、アンタ、なんか臭うわね」
アンネはミランダさんの浴衣の汚れが、転んでできたようなものではないことに気がついた。
「ははぁ。不用意にお祭りを見に行って、卵か何か投げつけられたんでしょ? いい気味ね。
日頃の行いが悪いからそんな目に遭うのよ。
自業自得じゃない!」
「……っ」
「――アンネッ!!」
気がつくと、自分でも驚くほどの大声を出してしまっていた。
「な、なによ……。
わたし、間違ったことなんて言ってないよ!
ふ、ふん! ああ、そうですか! お兄ちゃんはわたしよりその女の方が大事なんだ!
いいもん、勝手にすれば? 傷ついたその女を慰めて、じーんと来たところを襲っちゃえばいいんだ! もう知らない!」
アンネはそう吐き捨てるとだだだっとものすごい音を立てて駆け去って行った。
「……すまない。後できつく言っておくから」
ミランダさんは悄然としている。
「……妹さんが怒るのももっともね。
この旅館を強引に買収しようとしてるくせに、あなたの好意にずうずうしくも甘えて……」
「気にしないで。困った時はお互いさまだよ」
「だけど、今現在あなたたちをいちばん困らせてるのはわたしで……。
やっぱり、わたしにはあなたに優しくしてもらう資格なんてないわ。
このまま、帰る」
「さっき、そのままじゃ帰れないと言ってたじゃないか。
部下に侮られたくないんでしょ? それなら入っていきなよ」
「それは、わたしの問題だわ。
わたしがそれで恥をかいても、わたしの不徳の致すところよ」
「あぁ、もう!」
ミランダさんはすっかり意固地になってしまっている。
アンネも余計なことを言ってくれたものだ。
「そんなこと言われて、放っとけるわけないだろ! いいから、風呂に入ってってくれよ!」
「嫌よ、離して!」
なんで痴話げんかみたいになってるんだろう。
すっかり頭に血が上ったぼくは、とんでもないことを言い出した。
いやほんとに、普段のぼくなら絶対にこんなことは言えない。
この時は、エリシャさんには嫌味を言われるし、アンネは怒るし、ミランダさんは帰ると言って聞かないしで、ぼくも相当来ていたんだと思う。
「じゃあ、こうしよう!
ミランダさんは、ぼくの好意を受けたくないんだろ!?
それなら、取引をしよう!」
「……取引?」
ミランダさんはとりあえず動きを止めてくれた。
ふりかえった目の端に涙を浮かべている。
捨てられた子犬みたいなあどけない表情に、不覚にもくらっと来てしまった。
「そう、取引だ!
ぼくが風呂を提供する変わりに、ミランダさんにも何かを提供してもらう!」
「……お金?」
「そんなの、受け取れるわけないだろ!」
「買収の取り下げ?
それは……無理よ」
「それは、わかってるよ」
「……じゃあ……何?」
「カラダで払ってもらう!」
「………………え? それって……」
ミランダさんの顔がみるみる赤くなる。
「い、いや、そうじゃなくて……!
その……ぼ、ぼくの背中を流せ!
ほら、ぼくの服にも卵の黄身がくっついちゃってる!
臭いも移った!
そうなった責任はミランダさんにあるんだから、背中くらい流してもいいだろ!?」
ぼくの支離滅裂な発言にミランダさんはしばし呆然としていたが、
「……ふっ……ふふふっ……あははははっ!
……っひ、ひぃ……お、おかしい……!
あはは……ははっ!」
お腹を抱えて笑い転げた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ぼくは緊張でがちがちだった。
洗い場のイスに腰かけたぼくの後ろにはミランダさんがいて、ぼくの背中を洗ってくれている。
時折ぼくの身体にやわらかい手が触れる。
ぼくはそのたびに背筋がぞくぞくとして、気持ちがいいような、逃げ出したいようなよくわからない気持ちになった。
「……力加減はこれでいいかしら。
わたし、こういうの初めてで……」
「う、うん。気持ちいいよ」
「そ、そう。それならよかった」
しばし無言。
自分から言い出したことではあるけれど、これは想像以上に……なんというか、スゴい。
ぼくのすぐ後ろにはバスタオルしか身につけてないミランダさんがいる。
ぼくの位置からはもちろんその姿は見えないのだけれど、背中を洗ってもらっているから、ミランダさんの動かすタオルの感触や、時々触れる指や、たまにちくちくと肌にぶつかる金髪ドリルの先端が、ミランダさんがたしかにそこにいることをありありと訴えかけてくる。
そうなると、当然ぼくとしてはミランダさんがいまどんな格好をしているかを想像してしまうわけで、これは……そう、「蛇の生殺し」というやつに近い。
「……ねえ、あなたのことは、なんと呼べばいいのかしら」
そういえばミランダさんはぼくのことを「あなた」としか呼んでいない。
以前買収の話を持ちかけてきた時は、「ミスター・ハイネ」と呼んでいたが、この場でその呼び方は、なんというか、台無しだろう。
「アルトでいいよ。
ぼくもいつのまにかミランダさんって呼んでしまってるし」
そういえば、最初に出会った時、「ミランダさん」と呼びかけて、馴れ馴れしいと怒られたのだった。
「そ、そう。じゃあ……アルト」
「うん」
「……わ、わたしのことも、ミランダで……いいわ」
「わ、わかった。えっと……ミ、ミランダ……?」
「……アルト」
うわ、耳元で名前を呼ばれるとぞくぞくする。
気恥ずかしさで、何も言葉が出てこない。
ミランダさん――ミランダは、黙々とぼくの背中を洗って、シャワーで泡を流した。
ぼくはイスから立ち上がって、湯船に入る。
ミランダは、ぼくの座っていたイスに座って、シャワーで念入りに頭を洗う。
それからバスタオルを取ろうとしてぼくの視線に気づき、
「み、見ないで……」
消え入りそうな声で言った。
「ご、ごめん」
ぼくはミランダに背を向ける。
背後でミランダが身体を洗う音がする。
グリンス=ウェルの温泉は強酸性だから、わざわざ身体を洗わなくても、汚れなど湯に浸かれば分解されてしまう。
なにせ、鉄釘を漬けておくと一週間で完全に溶けてなくなってしまうほどなのだ。
金属製のアクセサリーも簡単に錆びてしまうので、女性のお客さまには注意が欠かせない。
とはいえ、今日はさすがに卵の臭いが気になるから、洗わないわけにもいかなかった。
シャワーの水音。
ミランダが身体を洗い終えたらしい。
ぺたぺたという遠慮がちな足音が近づいてきて、止まる。
「は、入るわね」
「う、うん」
ミランダがぼくの隣に身を沈める。
ミランダの白い綺麗な足が視界に入る。
ぼくはあわてて目を逸らす。
しばしの気まずい沈黙の後、先に口を開いたのはミランダだった。
「……あのね。
わたしは、これまでにたくさんのリゾートを手がけてきたの。
北はシュルトハイムの幻想郷から、南はタコナフのビーチまで。
その多くは成功したけど、いくつかは失敗もした。
ねえ、アルト。
リゾートの成功と失敗の分岐点はなんだと思う?」
「……わからないよ」
ぼくは生まれてこの方グリンス=ウェルに住んでいる。
この土地を離れたのは、両親に連れられて帝都へ遊びに行った時と、学校の修学旅行の時だけだ。
「それはね、『そこにしかない魅力』があるかどうかなのよ。
地元の人は、観光客を呼ぶために、帝都のような清潔で快適な設備を整えようとしてしまいがちだけど、それは大きな間違い。
お客さまはそんなことは望んでいない。
むしろ、都会にはないものを求めて、山奥や遠い砂浜に足を運ぶのよ。
お客さまが求めているのは、他の場所では味わうことのできない、その土地ならではのなにかなの」
それは、わかる話だった。
実際、ハイネ&ハイネに宿泊されたお客さまは、「本物の温泉につかることができた」「由緒のある本物の旅館に泊まることができた」と言って感動されることが多い。
ぼくも時として、帝都にあるような清潔で快適な各種設備を整えた方がいいのではないかと思うことはあるけれど、お客さまの声を聞くと、むしろ「その不便さがいい」という面もあるようで、結局導入には至っていない。
滑り止めのない古い階段などは、スタッフやお客さまの安全を考えるとどうにかしたいところなのだけど、すり減って角が丸くなったシィバ檜の踏み板に風情を感じるとおっしゃるお客さまもいる。
ぼくとしてはそろそろ手すりをつけるなり改修するなりしたいけれど、そのことをそのお客さまに言うと、とんでもないと叱られた。
毎日階段を忙しく上り下りするスタッフの安全を考えると悩みどころではあるのだが、そもそもハイネ&ハイネ本館は町の文化財にも指定されているから、特別な許可を得なければ改修もできない。
苦肉の策として、スタッフに滑り止めのラバーのついた上履きを履いてもらうことで対処している。
そんな話を、緊張で口ごもりながらミランダにすると、
「伝統ある旅館ならではの苦労ね」
と言われた。
ぼくの話に対するお返し……になるのだろうか、ミランダも、スパリゾートでの苦労を話してくれる。
「あのホテルを設計するにあたって苦労したのは、動線の設計ね。
お客さまの動き、スタッフの流れ、そのすべてを予測し、効率よく人やものが流れるように、通路や昇降機を配置していくの。
でも、実際に営業をはじめてみると、事前には想像もつかなかった問題も出てくるのよね。
スパリゾートではレストランで食べるかお部屋で食べるかを選べるんだけど、当初は大半のお客さまがレストランに来るだろうと予測していたの。
でも、蓋を開けたら大違い。
お部屋で召し上がるお客さまが多くて、夕食時の動線の予測が大きく外れたわ。
夕食時はお客さまがレストランへと移動する流れが主流になると思っていたのに、実際はお部屋にお食事をお持ちするスタッフの流れが主になってしまった。
そのせいで、業務用の昇降機の前にお食事を持った客室係の長蛇の列よ。
効率も悪いし、お食事も冷めてしまうわ。
それが今いちばんの悩みの種かしらね」
それは、帝都とこの地方の食事文化の違いにも原因がある。
グマーヌ県を中心とする帝国北西部では、食事は個人個人で取ることが多い。
家族が一堂に会して食べることは特別な行事のある時だけだし、他人と会食をしながら交流を深める習慣もない。
伝統的なグマーヌの村落においては、家族の構成員がそれぞれ別の仕事を持っているために、同じ時間に食事を取ること自体が難しいのだ。
もっとも、若い世代は、帝都と同じように、家族で食事をしたり、友人と会食したりすることも多いのだけれど。
「調査チームのレポートにそのことは確かに書いてはあったのよね。
動線を考える時にどうしてそのことを誰も思い出さなかったのかしら」
ぼくとミランダは、意外なほど話が弾んだ。
お互い、同じ業界に身を置いている。
それでいて、経営する組織の規模がまるで違うし、生まれ育ちも違うから、お互いの話がお互いにとって新鮮なのだ。
ぼくらはのぼせるまで湯に浸かっていた。
「そろそろ、出ようか」
ぼくが言って、二人して湯船を出た。
その瞬間、バスタオルを撒いていないミランダの裸体をもろに見てしまって、ぼくは危うく鼻血を出すところだった。
「……ふふ」
そんなぼくを見て、ミランダが楽しげに笑っている。
温泉は身体だけではなく心も癒してくれる場所であるべきだ、というのが、祖母から受け継いだぼくの経営哲学だ。
ミランダが元気になってくれればぼくも嬉しい。
ぼくが脱衣所に戻り、脱衣かごを覗くと、そこには一枚のメモ帳があった。
『さっきはごめんなさい アンネ』
見ると、脱衣所にある小さな卓の上に、氷を入れた発酵麦茶のボトルが置いてある。
ぼくとミランダは浴衣に着替えると(ミランダにはハイネ&ハイネの備品ではない無地の浴衣を用意した)、アンネの用意してくれた発酵麦茶を飲みながら火照った身体が冷めるのを待った。
ぼくはミランダを見送ろうとして、あることに思い至った。
「そうだ、ミランダに見てほしいものがあるんだけど」
ぼくが思いついたのは、アシュフォード兄妹からもらった記念金貨のことだ。
ウィスコット一世在位六〇周年記念金貨。
かなりの貴重品だから、アシュフォード兄妹の身元を知る手がかりになるかもしれない。
「わたしに?」
ミランダは小首を傾げた。
勢いを取り戻した金髪ドリルのツインテールが揺れる。
「これなんだけど……」
ぼくはフロントの金庫から金貨を取り出す。
ミランダは金貨を何度も裏返しながら観察した。
「貴重な金貨だとは思うけど、これを誰が持っているかまでは、ちょっとわからないわね」
「そっか……」
大財閥の令嬢であるミランダになら何かがわかるかもしれないと思ったのだけど。
「よう、何してるんだ?」
不意に声をかけられる。
「……エリオットさん」
エリオットさんも風呂上がりらしく、備え付けの浴衣姿だ。
湿り気を帯びた緩くウェーブした金髪がエリオットさんの男ぶりを上げている。
「おっ、その子はいつぞやのお嬢様じゃないか。
……なんだ、アルトもずいぶんとやるようになったじゃないか」
さっきから宿の人に会うたびに同じようなことを言われている気がする。
「違いますから。ミランダが迷惑するでしょ」
ぼくがミランダを見ると、ミランダはぷいとあさっての方を向いてしまう。
「で、こんなところでどうしたよ?」
「はい、実は……」
ぼくは金貨にまつわる事情を話した。
ミランダも興味をそそられたのか、ぼくに視線を戻している。
「ふーん。例の深夜に来た兄妹が、ね。
……ちょっと見せてみろ」
ぼくは例の金貨をエリオットさんに見せる。
「おっと、こりゃあ……」
エリオットさんの目つきに真剣さが宿った。
「……なにか知ってるんですか?」
「なにかもなにも、こいつは有名な『温泉金貨』だぜ?」
「えっ!? これがあの!?」
ぼくは思わず叫んでしまった。
ぼくの隣ではミランダも驚いた顔をしている。
温泉金貨――温泉王ウィスコット一世が、絶対の信用がおけると思った者のみに下賜したという、幻の金貨だった。
現在ありかのわかっている温泉金貨は十枚に満たないと言われている。
「間違いないんですか?」
「ああ。俺は一度、別の温泉金貨を見たことがある。
ウィスコット一世はエルフへの法的な差別を撤廃したことでも有名でな。
今のエデンの酋長は温泉王陛下から直々に温泉金貨をもらってるんだ。
それを見せてもらったことがある。
間違いなく、これと同じものだった」
エルフは長生きだから、温泉王時代の酋長がいまだに酋長をやっていてもおかしくはない。
「だとすると、あの兄妹はいったい……?」
「さてな。そこまではわからない。
温泉金貨はあくまでも温泉王個人が信頼の念をこめて贈ったものだから、誰に贈られたのかは記録に残っていないはずだ。
まあ、身内や側近、親しく付き合っていた友人、あるいはどこか他の国の君主……そんなところだろうな」
それまで黙っていたミランダが口を開く。
「もしよければ、わたしがその二人に会ってみましょうか? それほど有力な貴族の子弟なら、どこかで見かけたことがあるはずよ」
ミランダの申し出を考えてみる。
「……どうしようもなくなったら、頼むかもしれない。
でも、今はまだ刺激したくないな。
あっちもミランダのことを知ってるかもしれないし、正体がバレたと思ったら、なにか大きな行動に出てしまうかもしれない」
「それもそうね。その時は、言って」
「うん。
……だけど、どうしてそこまで言ってくれるの?」
今日のことで少し近づけた気がするけれど、ミランダは依然としてハイネ&ハイネの敵対的な買収者なのだ。
「それは……今回のことの、礼よ」
ミランダが顔を背けて玄関に向かう。
「送るよ」
「すぐそこだから大丈夫よ。
それに、あなたと一緒にいたなんて言えないし」
それでもぼくは正門のところまでミランダについていく。
「……今日は、ありがとう。助かったわ」
「どういたしまして。
ぼくも、ミランダのことがいろいろ知れてよかったよ」
「……っ。
アルトはたまに無自覚に恥ずかしいことを言うわね」
「そうかな。素直な感想だよ」
「……もういいわ。
後でバリジャーノは持ってこさせるから」
「うん。ありがとう」
「……その、アシュフォード兄妹だったかしら。
手に負えないと思ったら、わたしに相談しなさいよ」
「そうだね。ミランダの方が適切に対処できるかもしれない」
「……それじゃあ」
「うん。おやすみ」
「……おやすみなさい」
そう言ってミランダは小さく微笑んだ。
その笑顔は、しばらくのあいだ僕の瞼に焼き付いていた。




