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ハイネ&ハイネへようこそ!  作者: 天宮暁
第三帳 夏祭りの夜に

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15/27

2 祭り

 帝都のお医者さまのグループは午前の内にチェックアウトし、現在ハイネ&ハイネに滞在しているお客さまは、隣県の中年女性グループとエリオットさん、アシュフォード兄妹の三組になった。


 今夜は、グリンス=ウェルの夏祭りだ。

 町中を御輿が練り歩き、最後に温泉の神を祀った社に供え物を奉納する、というだけのこじんまりとした祭りではあるけれど、出店なども出るし、湯上がりにぶらぶらするにはちょうどいいイベントだ。


 お客さまにお祭りのご案内をすると、中年女性グループはそれなら夕食後に出かけてみるとのことだったので、催し物の案内をお渡しした。

 アシュフォード兄妹にもお知らせはしたが、昨日の今日でお疲れらしく、部屋でゆっくり過ごしたいとのこと。


 ザッハとトルテにも、今日はぼくとアンネだけで大丈夫だと言ってある。

 娯楽の少ない山間の温泉地だ。

 小さなお祭りでも、地元民にとっては貴重な娯楽源なのだ。

 ハイネ&ハイネの厨房で夕食の後片付けをしているぼくとアンネとエリシャさんの耳にも遠くの祭り囃子が聞こえてくる。


「ん? バリジャーノがないな」


 エリシャさんがつぶやく。


「どうしました?」


「バリジャーノを切らしているらしい。

 しまったな。昼のうちに買っておけばよかった……」


 バリジャーノは風越山で獲れる独特の風味のハーブだ。

 温泉の湧出しているところにしか生息しないらしい。

 グリンス=ウェルの隠れた名物として、知る人ぞ知る珍味だった。


「明日の朝ではダメなんですか?」


「朝のスープの仕込みに必要なんだ。今いるな」


「それなら、買ってきますよ」


「いいのか? わたしの発注ミスだぞ」


「バリジャーノはブルーゼさんのところでしょう。

 今日は祭りですごい人混みですよ」


「だからこそ人に行かせるのは気が引けるんだが」


「エリシャさんみたいな華奢な人があの人混みにもまれたら大変ですよ。

 ぼくならまあ、なんとでもなるので」


「……そうか。それならすまないが頼むことにしよう」


「ええ。ついでに祭りの空気を吸ってきますよ」


「……お兄ちゃん、それが目当てなんじゃないの?」


「あはは。まあ、いいじゃない。お遣いの駄賃ってことで」


 ぼくは旅館の前掛けを外して、グリンス=ウェルの町内に出た。

 ハイネ&ハイネはグリンス=ウェルの中心である湯畑からはすこし離れた傾斜上にある。

 ぼくはアップダウンの激しいグリンス=ウェルの入り組んだ道をたどってブルーゼ食料品店を目指した。


 幸い、御輿が湯畑を挟んだ反対側の街区に行っているらしく、ブルーゼ食料品店まではすんなりとたどり着くことができた。

 祭りだから店を開けていないかもしれないと心配していたのだが、ブルーゼさんがちょうど店を閉めかけているところに到着し、事情を話してバリジャーノを売ってもらうことができた。


 そこまでは順調だったのだが、ぼくがブルーゼさんと世間話をしているあいだに、御輿がこちら側にやってきたらしい。

 御輿の前後からはそれぞれ何本かの太い綱が伸びていて、それを参加者が引っ張りながら町中を練り歩く。

 御輿の上では町の子どもたちが小太鼓や篠笛などで祭り囃子を奏でている。

 そのにぎやかな集団が地元の人や観光客を引き連れてやってくるのだから大変だ。


 ブルーゼ食料品店の周囲はたちまち人で埋め尽くされた。

 ぼくはその人混みを、身体を斜めにしながらすりぬけ、いったん湯畑の方へ抜けようと試みる。

 グリンス=ウェルの町は湯畑を中心として放射状に道が延びているので、そのほうが迂回路が探しやすいのだ。


 ぼくが人いきれで汗みずくになりながら湯畑に向かっていると、奥の方に御輿の周囲とは別の人混みができているのに気がついた。

 御輿の人混みは先を行く御輿に向かって流れていくのに対し、その人混みは何かを取り囲むようにできているらしく、動かない。

 人混みというよりは人だかりといったほうが正確かもしれない。


(何かの催し物? それにしては雰囲気が険悪なような……)


 嫌な予感がしたぼくは、その人だかりに近づいていく。


「――成金財閥の先兵め!」


「伝統ある温泉街をなんだと思ってるんだ!」


「苦労知らずのお嬢様がホテル経営だなんて生意気なんだよ!」


「帝都に帰れ!」


 人だかりの中心には、紺地に星を散らした柄の浴衣を着たミランダさんが、腕で顔をかばうようにしてしゃがみこんでいた。

 地面にしゃがみこんだミランダさんを、何人もの男たちが囲んで、罵言を浴びせかけている。

 ミランダさんの浴衣や髪には、生卵とおぼしき液体があちこちに飛び散っていた。


 ぼくはカッとなって飛び出した。


「やめろ!」


 ぼくは男たちの囲みの中に入り、ミランダさんの前に立ちふさがって両手を広げた。


「ハイネ&ハイネケンの若旦那じゃないか。

 なんでおまえがその女をかばうんだ!

 おまえんとこの旅館が乗っ取られかけてるって話じゃねえか!」


 そう言ったのは、はっぴにはちまきの男。

 酒に酔っているらしく、はげ上がった頭が頭頂部までまっ赤に染まっている。


「だからといって、こんなことをしていいわけがないでしょう」


「その女のやってることはもっとえげつねえじゃねえか!」


「そうだそうだ」とギャラリーの囃したてる声。

 ぼくは頭がくらくらしてきた。


「あなた……」


 ミランダさんがぼくを見上げている。

 金髪ドリルのツインテールにも割れた生卵がこびりついている。


 ぼくは手をさしのべた。

 ミランダさんはぼくの手と顔をたっぷり数秒はかけて交互に見比べたが、やがておずおずとぼくの手を取った。


「どいて!」


 ぼくは叫んで、男たちの囲みの薄いところに強引に身を割り込ませた。

 ミランダさんを抱き寄せ、その先の人混みも強引に切り抜ける。

 ミランダさんは大人しくぼくに引かれるがままになっていた。


 ぼくはミランダさんを連れて、湯畑からすこし離れたところにある休憩所にやってきた。

 そばにある樋に湯が流れていて、足湯を楽しむことができる場所だ。

 その隣にある水道で、ミランダさんは髪についた生卵を洗い落としている。

 ぼくは近くの出店でスカッシュを二つ買った。


「……大丈夫?」


 ぼくはスカッシュを渡しながら聞く。


「……大丈夫じゃないわよ」


 ミランダさんは悄然としていた。

 目の端に涙が光ったような気がして、ぼくは顔を逸らした。


「なんで助けたの?」


「なんでって……。

 そりゃ、助けるよ」


「あなただって、わたしが酷い目に遭えばいいと思ってるでしょ?」


「……まあ、まったく恨んでないとは言えないけどね」


 ぼくはスカッシュに口をつける。


「でも、あれはないよ。

 酔った勢いで女の子に絡んで、こんな目に遭わせるなんて」


「……人がいいのね」


「それはよく言われる」


 ミランダさんが小さく笑ったように見えた。


 ミランダさんは、あの状況に至るまでのことをぽつぽつと話し出した。

 グリンス=ウェルの文化を知るためにお忍びで夏祭りを見に来たが、黒服の男女とは人混みではぐれてしまったのだという。

 さらに悪いことに、酒に酔った男と肩がぶつかった拍子に、かけていたサングラスが取れて、正体がバレてしまった。

 その後は――ぼくの見たとおりだ。


 普段のグリンス=ウェルならこんなことは起こらないのだけれど、今日は祭りでみんなが興奮している。

 グリンス=ウェルは、旅行客には新鮮でも、住人にとっては娯楽の乏しい退屈な町だという面もないではない。

 その鬱屈した感情を爆発させ、燃焼させるのが今日のような祭りの役割だ。


 本来なら、その爆発した感情は御輿に集中することで暴発が防がれている。

 しかし、そこにこの町で今もっとも憎まれているミランダさんが現れたことで、感情の焦点が御輿からミランダさんへと移ってしまった。

 かなり危険な状況だったと思う。


「……礼がまだだったわね。

 ありがとう。助かったわ」


「それは何より。

 そのついでに買収もあきらめてくれると嬉しいんだけど」


「ふふっ。それとこれとは別の話よ」


 ミランダさんは少しためらう様子を見せてから話しはじめた。


「……シュルンベルクにとって、今回のメイファート王子の行幸は重要なの。

 圧倒的な経済力があるとはいえ、シュルンベルクは所詮新興財閥なのよ。

 父は王家との結びつきを強めることで、シュルンベルクに伝統という名の権威を与えようと考えているわ。

 その第一歩がメイファート王子の行幸。

 父は私に言ったわ。

 どれだけ金をかけても構わないから、かならず成功させろと。

 シュルンベルクは本気なの」


 ミランダさんの言葉の意味を考える。


 シュルンベルクは、さらなる発展のための足がかりとして王家との結びつきを強めようとしている。

 そのために重要なのが今度のメイファート王子の行幸だ。

 シュルンベルクはそのためにならなんでもやるつもりでいる。


 それはつまり、短期的な合理性には目をつぶってでも、この行幸を成功させたいということだ。

 ハイネ&ハイネケン旅館を適切な評価額で買い上げ、効果的な経営をして利益を上げよう、ということですらない。

 とにかくも行幸を成功させるためにハイネ&ハイネが必要であり、そのためには回収の不可能な投資でもする。

 行幸さえ成功してしまえば、もうハイネ&ハイネなどどうでもいい。

 シュルンベルクはそのような姿勢で今回の件に臨んでいることになる。


(ますます、売るわけにはいかない)


 人手に渡ったとしても、ハイネ&ハイネケン旅館がそのことで賑わっていくのなら、それもまた一つの運命として受け入れることはできたかもしれない。

 しかし、シュルンベルクの野心のために「使い捨て」にされるとなれば話は別だ。


「ぼくらもいろいろ考えた。

 ひとつには、ハイネ&ハイネを王子行幸のあいだレンタルするという方法があると思う」


「それは、ダメね。

 わたしたちの経営会議でもその方法は検討されたわ。

 だけれど、結局は父の一言で却下された。

 『他の旅館を借りるということは、シュルンベルクに王子殿下をおもてなしするだけの力がないと認めることになる』」


「……そんなくだらない見栄のために、他人の気持ちを踏みにじるの?」


「……わたしだって、本当はわかってるわ。

 でも、シュルンベルクでは父の発言は絶対なの」


 シュルンベルク財閥のグランドマスター、ヒルベルト・ファイガルス・シュルンベルクは、一代にして帝国屈指の巨大財閥を作り上げた立志伝中の人物だ。

 マスメディアによってその人となりも知られている。

 傲慢で独善的。

 使えないと判断した人間や自分に逆らう人間は容赦なく切り捨てる。

 典型的なワンマン経営者だった。


(ふつうならそんな人間に部下はついてこないだろう。

 だけど、ヒルベルト・ファイガルスにはそれだけの実績がある。

 多少の人格的問題を看過されるだけの結果を残している)


 それだけに厄介なのだ。

 誰もヒルベルトを諫めることができない。

 ヒルベルトが権力を持っているからというだけではなく、ヒルベルトがこれまでに上げてきた実績が、諫言者の口を鈍らせる。


「ミランダさん自身はどう思ってるの?」


「ビジネスは、共存共栄が基本よ。

 競争原理の中で利益を求めるからこそ、戦わなくていい相手とは戦うべきではないわ。

 敵は少ないに越したことはないもの」

 

「……その割には、最初の時はケンカ腰だったけど」


「……ごめんなさい。これまで経営をやってきて、まだ若い小娘と侮られることが多かったから……。

 伝統ある旅館の館主と聞いて、もっと保守的で頑固な相手が出てくるものだと思ったのよ」

 

 たしかに、「保守的で頑固な」館主だったら、年若いミランダさんを下に見るような可能性もないではない。

 

 ただ、ミランダさんの高飛車さが虚勢にすぎなかったとしても、ヒルベルト氏は違う。

 権力を振りかざして敵対者を叩き潰すことなど、なんとも思っていないに違いない。


「ヒルベルト氏からすれば、ぼくたちを敵に回したところで何ができる、ということなんだろうな」


「実際はそんなに簡単なことじゃないのはわかってるわ。

 仮にハイネ&ハイネケン旅館を首尾良く買収できたとしても、グリンス=ウェルの町内会が黙ってはいないでしょう。

 スパリゾートはグリンス=ウェルで今以上に孤立するでしょうね。

 まあ、父に言わせれば、『そんな田舎の町内会などになにができる』ということになるのでしょうけれど」


 ミランダさんはため息をついた。


「そういえば、今日はどうして外を出歩いてたの?」


「もちろん、夏祭りを見るためよ」


「……ミランダさんは、そういうのに興味がないと思ってたんだけど」


「わたしは正直なところそんなに興味がないわ。

 でも、この町の有力な観光資源ではあるでしょう。

 今のままでは客を呼び込むには不十分だけれど、シュルンベルクが出資すればそれなりのイベントに変えられるんじゃないかと思って」


 そう言ってミランダさんは淡く微笑んだ。

 金髪ドリルのツインテールは、投げつけられた卵を落とす時に水で濡らしたため、遠くの祭りの篝火を反射してキラキラと輝いている。

 改めて見ると、端整な顔立ちだ。

 透き通った肌、優美なラインを描く鼻梁。

 それらが遠い炎の揺らめきを受け、暗がりの中でぼんやりと浮かび上がっている様子は綺麗で、いつまでも見ていたい気分になる。

 いつもは性格の強さが先に立って目立たないけれど、ミランダさんはやはり相当な美少女だ。

 涙に濡れた瞳は儚げで、すぐにでも手を伸ばして抱きしめてあげたくなる。


(何を考えてるんだ、ぼくは。

 酷い目に遭って弱ってる女の子に欲情するなんて)

 ぼくはぶるぶると頭を振った。


「……ダメかしら。このアイデアは」


 ミランダさんはぼくのその動作を自分の発言に対する否定だと受けとったらしい。


「あ、ごめん。

 そういうつもりじゃないよ。

 シュルンベルクが夏祭りに出資するというのは、悪くないアイデアだ。

 町内会はいつも資金不足に喘いでいるし、シュルンベルクだけではこういう地元色の強いイベントの演出は難しいだろうし」


「……問題は、スパリゾートがグリンス=ウェルの町内会に目の敵にされてるということね」


 ミランダさんは自虐的な笑みを浮かべた。


 ぼくはミランダさんの腐った卵で汚れてしまった高級そうな浴衣を見た。

 紺地に散らされた星。

 朱色の帯がミランダさんの細腰を締め付けて、小柄でスレンダーなミランダさんの隠された女性らしさを強調している。

 こんなことさえなければ、通りかかる人が思わず振り返ってしまうような魅力的な装いだ。


「……ミランダさん、つい話し込んでしまったけど、その浴衣は早く着替えた方がいいね」


「……そうね」


 ミランダさんはため息をついた。


「……わたしからできる筋のお願いではないかもしれないのだけど」


「何?」


「ハイネ&ハイネのシャワーを貸してくれないかしら。

 こんな格好で部下のいるスパリゾートには戻りたくないわ」


 ミランダさんの敵は、外にいるばかりではないのかもしれない。


「いいよ」


 ぼくは小さく頷くと、ミランダさんとともにハイネ&ハイネへと戻ることにした。

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