5 深夜のお客様
夜。
夕食の片付けも終わり、後はお客さまが寝静まるのを待つばかりとなった。
ぼくは懐中電灯を手に、敷地内の見回りをしている。
本館の背後にくろぐろと広がる風越山からフクロウの鳴き声が聞こえてくる。
ぼくは、本館の裏へと回り込み、大浴場、別館の裏側を見て回る。
別館の裏で足を止める。
ぼくは隣の敷地にそびえたつグリンス=ウェル・スパリゾートのセントラルタワーを見上げた。
地上二〇階。
帝国の建築技術の粋を集めた最先端のホテル。
あちこちの窓から室内の照明が漏れ出すさまは、さながら内側で火が爆ぜている木炭のようだ。
その巨大な木炭が、火の粉を撒き散らしながらハイネ&ハイネにのしかかってくる――そんな想像をしてしまって、ぼくはぶるぶると首を振った。
ぼくは敷地の周囲に巡らせた柵が壊れていないか確認しながら(柵が壊れていると野生動物が入り込んでくるのだ)別館の裏を抜け、本館の側面に出る。
そこから正門に出、戸締まりを確認しようとしたところで、ぼくは手を止めた。
かすかに人の話し声が聞こえたのだ。
「……やはり閉まっているか」
「お兄様……」
「大丈夫だよ。
……とはいえ、どうしたものかな。
呼び鈴は……?」
若い――おそらくはぼくとそう違わないくらいの少年の声と、少女の声。
ぼくは正門脇の木戸を開いた(正門は開閉が面倒なので夜間はこの木戸を使って出入りするのだ)。
「……何か、御用ですか?」
「きゃっ!」
そこにいたのは、ぼくより少し年下とおぼしい少年と、さらにいくつか下らしい少女。
二人とも金髪碧眼で美形。
顔立ちに似かよったところがある。
兄妹だろうか。
二人とも地味な外套を纏っている。
初夏とはいえ夜は冷えるから、外套を身につけていること自体はべつにおかしくはないのだが、その外套は暖を取るというよりはむしろ着ているものを隠すためにまとっているように見えた。
というのも、外套の下から覗く少年の服は、贅沢に刺繍を施したシャツと光沢のあるビロードのズボンで、少女に至っては襞のたくさんついたドレスだった。
少年の拍車のついたブーツも、少女のヒールの高いパンプスも、旅をするには不向きな履き物だ。
少年の方が口を開いた。
「……夜分遅く失礼する。
突然で申し訳ないが、今宵の宿を提供してもらえまいか」
ぼくは沈黙した。
部屋は空いているから、泊めることはできる。
食事は、食材の買い置きをしていないから少し厄介だが、朝一で出入りの業者に頼めば、どうにかならなくはない。
だけど、いかにも訳ありのこの兄妹(だと思う)を泊めるのには躊躇いもある。
「……あなたがたにご迷惑をおかけすることはない。
宿代も払える」
ぼくの躊躇いを見た少年が言葉を重ねる。
少女は少年の陰に隠れて不安そうにぼくを見ている。
二人とも、いかにも貴族の子弟といった雰囲気で、いくらグリンス=ウェルの治安がいいとはいえ、夜の町に放り出すのは気が引ける。
こんな小さな温泉町にも悪いやつはいるのだ。
「……わかりました。
とりあえず、お上がりください」
二人は顔を見合わせてほっと息をついた。
ぼくは玄関の鍵を開けて、二人を電灯の落ちたロビーに案内した。
「少々、お待ちください」
二人にソファを勧めて、電灯のスイッチを入れ、別館のぼくの部屋とアンネの部屋につながっている呼び鈴を鳴らした。
アンネがほどなく現れた。
「どうしたの? お兄ちゃん」
「お客さまだ」
「へ? こんな時間に?」
ぼくはソファに座った二人の方を目で示した。
「なにか訳ありらしい。
お金は持っているようだし、こんな夜中に放り出すのも可哀想だ。
部屋を用意してくれないか?」
アンネはぼくの肩越しに二人をちらりとうかがうと、
「……うん。わかった」
そう言って客室の方へと消えていく。
ぼくはフロントの机から宿帳と万年筆を取り出し、二人の元へと戻る。
「今、部屋をご用意しています。
とりあえず、お名前の記入をお願いできますか?」
「わかった」
少年はそう言うと、手慣れた様子で名前を書きかけたが、途中でハッとして手を止めた。
紙には「メイ」の文字。
少年は少し考えると、その後に「フレア」と書き加える。
メイフレア――それが少年の名前らしい。
少女の名前は「ミレイユ」。
二人の姓は「アシュフォード」で同じ。
メイフレア・アシュフォードさまとミレイユ・アシュフォードさま。
やはり兄妹なのだろう。
しかし、その割には、兄の腕にすがりつく妹の様子が、なんというか、妙に色っぽく見える。
兄妹と言うよりは恋人に見えるけれど、二人の整った顔立ちはよく似かよってもいる。
宿帳に記された年齢を見ると、メイフレアさまは一七歳、ミレイユさまは一五歳となっている。
ぼくが最初に受けた印象よりそれぞれ二、三歳くらい上だった。
再び、メイフレアさまの手が止まる。
住所の欄だ。
メイフレアさまはしばし考えてから、帝都郊外の地名をそこに記した。
(どう考えても、偽名で、嘘の住所だ。
年齢も怪しい)
そうは思うが、判断に困る。
警察に届け出る手もあるが、事情も聞かずに警察任せにするのも可哀想な気がする。
身元がわかれば、親なりに連絡して引き取りに来てもらうことができるが、本人たちに悟られずに身元を聞き出すことなどできないだろう。
下手に刺激して逃げられてしまうのもまずい。
メイフレアさまは必要事項を記した宿帳をぼくに差し出した。
その手が少し震えている。
ぼくはそれには気づかないふりをして宿帳を受けとった。
「お客さま。お部屋の準備が整いました」
いつの間にかアンネがぼくの背後にやってきていた。
「ご案内いたします」
アンネが二人を促す。
二人はどこか緊張した様子でアンネの後に続く。
心配だったので、ぼくも三人についていく。
アンネの用意した部屋は、二階の二〇四号室だった。
現在ハイネ&ハイネに宿泊しているお客さまは三組。
帝都のお医者様一行が二〇一号室、隣県の中年女性グループが二〇三号室、エリオットさんが二〇五号室。
アシュフォード兄妹は訳ありのようなので、人の出入りの比較的少ない(それより奥にはエリオットさんしかいない)二〇四号室を用意したのだろう。
ぼくはエリオットさんの様子が気になって二〇五号室の方をうかがったが、部屋からは人の動く気配がしなかった。
疲れて眠っているのだろうか。
「このお部屋です」
と言って、アンネが二人を部屋に入れた。
二人は物珍しそうに室内を見回している。
客室には、シングルベッドが二つ、鏡台兼用の机が一つ。
ベッドの奥に、お食事をとっていただくための黒樫のテーブルとチェア。
その向こうの窓際には一人がけの小さな籐椅子が二つあり、そのあいだに背の低いガラステーブルが置かれている。
どれも吟味に吟味を重ねた調度で、古いもののなかには創建当時から伝わっているものもある。
入口のすぐそばにはユニットバスがある。
これだけは近年設置したものだ。
温泉があるから、シャワーは要らないといえば要らないのだけど、出立の前に汗を流したいという女性客からの要望を受け、一昨年各部屋にトイレを増設した際にシャワーも用意した。
「朝食は各お部屋でとっていただくことになっています。
朝は何時頃に……って、あ!」
「……エリシャさんに確認を取らないといけないね。
でも、たぶん大丈夫だよ」
ぼくはアンネに小声で言ったのだけど、夜も遅く館内は静まりかえっている。
メイフレアさまにもその声が届いてしまったらしい。
「ああ、気にしないでくれ。
こんな時間にやってきた僕たちが悪い。
朝食は抜きでかまわないよ」
そう言ってくれるのは有難いけれど、
「いえ、何とかなりますよ。
何かご事情があるようですが、ウチの料理人はなかなかの腕前ですから、ぜひ食べていってください」
「そうか。それなら、有難くいただこう。
時間はそちらの都合を優先してくれてかまわない」
「かしこまりました」
最初から思っていたけれど、メイフレアさまの喋り方は、自分が上で、相手が下であることを自明の前提とした喋り方のように思える。
貴族の中でも、かなり高位の家柄の出なのかもしれない。
とはいえ、メイフレアさまからは嫌味な感じを受けない。
相手の立場を慮って話しているからだ。
世の中には傲岸不遜な貴族も多いけれど、メイフレアさまには驕りの陰は一切ない。
凛とした気品だけが伝わってくる。
それは、相対する相手を思わずかしずきたい気持ちにさせる支配者の気品だった。
(これは、いよいよ大物かもしれないな。
王家や七貴族に連なる家系だったとしても不思議じゃない。
ハイネ&ハイネにも貴族のお客さまはいらっしゃるけど、こんな雰囲気を持った人は初めてだ。
自己申告が正しければ、これで一七歳だと言うんだから、大したものだ)
ぼくが考えにふけっているあいだに、アンネが注意事項を伝えている。
「これがこの部屋の鍵です。
ここに置きますね」
アンネは木札のついた鍵を机の上に置いた。
「お二方とも、夕飯はお済みでしたか?
簡単なものなら作れますけど」
アンネが言う。
確かに、二人の様子を見ると食事を済ませていない可能性があった。
「ああ……、実は食べていないんだ。
お願いしてもいいだろうか」
「かしこまりました。
では、少々お待ちくださいませ」
ぼくとアンネは礼をして客室を出た。
「お兄ちゃん、あの二人、どういう人だと思う?」
厨房で簡単な食事をこしらえながら、アンネが聞いてくる。
「そうだなぁ。
家出した大貴族の子息、といったところかな」
「うん。だけど、兄妹にしてはちょっと変な雰囲気じゃない?」
アンネもそう感じていたらしい。
ぼくはロビーで見た光景を思い出す。
妹のミレイユさまが兄であるメイフレアさまにしなだりかかる――そう、「しなだりかかる」だ。
あれは妹が兄に甘えるという雰囲気じゃない。
「そうかもしれない。
でも、それを詮索はできないよ。
お顔を見ると、やはり兄妹のように思われるけど」
そこに何か特別な関係があったとしても、ぼくらが踏み込むべき事柄ではない。
(……いや、そうでもないのかな?)
未成年のように見える貴族の兄妹が、従者も連れずにこんな山奥の温泉地にいる。
そこから連想されるのは「家出」という言葉だが、二人の間柄が兄妹ではなく、ぼくとアンネの感じたようなものだとしたら、「家出」というよりはむしろ――
「駆け落ち、かもしれないね」
アンネがぼそりと言った。
そう。
その可能性がある。
もしそうだとしたら、ぼくたちは彼ら兄妹をなんとかしてお止めしなければならない。
二人の事情は彼らだけのものだと言って日和見を決め込むわけにはいかない。
この宿を預かるものとして、道を誤ろうとしているかもしれない兄妹を止めなければならない。
いや、まだそうと決まったわけじゃない。
ぼくらの勝手な妄想かもしれないのだ。
たとえば実家が息苦しくなって兄妹で家出を決意し、このグリンス=ウェルにやってきただけなのかもしれない。
「……どうしたものかな」
ぼくが思案しているあいだにも、アンネはてきぱきと食事を作っていく。
鮮度の高い食材を使いたいという宿としての意向で、厨房には最低限の食材しか残さないことになっている。
食材は毎朝、なじみの業者が新鮮なものを運んできてくれる。
逆に言えば、夜のこの時間にはまともな食材は残っていないのだ。
それでもアンネはありあわせの食材でサンドイッチとボイルドソーセージを用意した。
「じゃあ、持ってくね」
「ああ。ぼくはエリシャさんのところに行って、明日の朝食を二名分増やしてもらうように言ってくるよ」
「わかった」
アンネは階段を上って二階へ、ぼくは別館のエリシャさんの居室に向かう。
戸を叩く。
「……ん? なんだ?」
エリシャさんの声がして、扉が開いた。
「どうした、こんな時間に」
ぼくはかいつまんで事情を説明した。
「そうか……わかった。
ブラッドルならなんとかしてくれるだろう。
朝食は心配しなくていい」
「すみません。
お願いします」
「謝ることはないさ。
アルトの判断は適切だったと思う」
その時、エリシャさんの背後から声がした。
「……なんだ、どうしたんだ?」
エリオットさんだった。
ぼくは思わず、エリシャさんとエリオットさんの顔を見比べる。
「ち、違うぞ。
酒を酌み交わしていただけだ」
エリシャさんがあわてた様子で言った。
「この女はおっかないからな。
いくら俺でもちょっと手出しはできないぜ」
エリオットさんがおどけた返事をする。
「失礼な。
いや、おまえに女として見てもらいたくなどないから、結構なことだがな」
「つれないこと言うなよ。
小さい頃は、エリオットおじさま~って俺の後について回ってたじゃないか」
「そ、それは昔のことだ!」
いつも冷静沈着なエリシャさんも、エリオットさんにかかるとペースを持っていかれてしまうようだ。
「……それにしても、この夜中に未成年とおぼしき貴族の兄妹……ね」
ぼくが事情を説明すると、エリオットさんは神妙につぶやいた。
「……エリシャ、おまえは予知の才能があるんだろ?
吉兆を占えないか?」
「わたしにはそこまでの能力はない。
ただ、今のところ悪い感じはしないな」
「なら、その兄妹はハイネ&ハイネに災いをもたらす存在ではないということか?」
「おそらくは、な」
大貴族の子息で家出中となれば、対応を誤ると大問題に発展しかねない。
エリオットさんが心配したのはそのことだろう。
だが、エリシャさんに悪い予感がないのなら、いくらかは安心していいのかもしれない。
「……それなら、しばらくは様子を見るしかないんじゃないか?
下手に刺激しておかしなことになっても困るだろ」
エリオットさんの意見は、ぼくの考えと同じだった。
「そうですね。
安心してもらってから、少しずつ話を聞きましょう」




