4 ザッハとトルテ
ハイネ&ハイネにはレストランがないので、食事は客室にご用意させていただくことになっている。
今日は三組八名のお客さまの食事を用意する。
といっても、すべてのお客さまに同じ食事を用意するわけではない。
今日のお客さまで言えば、帝都のお医者様四名は比較的高年齢なので低脂肪、減塩のメニューを、隣県の女性グループには食後のデザートを、エリオットさんはエルフなので野菜中心のメニューを用意する。
エリシャさんはその複雑な作業をそつなくこなしていく。
ぼくとザッハは野菜の皮むきや食器類の準備を手伝う。
どちらも数が多いと馬鹿にならない肉体労働になる。
アンネとトルテは各部屋にできあがった食事を運ぶ係だが、今日は三組なのでぼくが隣県の女性グループの部屋を担当する。
客あしらいの上手なアンネはお医者様グループ、トルテはエリオットさんの担当だ。
でも、さっきの様子だと、トルテにエリオットさんを担当させるのは荷が重いかもしれない。
エリオットさんも基本的にいい人なんだけど、若い女性を目にするとナチュラルに口説きはじめる悪癖がある。
そういうのに免疫のないトルテをエリオットさんにつけるのは不安が残る。
「ザッハ、悪いけど、トルテの手伝いをしてもらっていいかな?」
ザッハに声をかける。
ぼくとザッハは厨房で並んでニンジンの皮を剥いていた。
「うん、いいよ。
あいつはけっこう人見知りだもんな」
ザッハはすぐにぼくの意を汲んでくれたようだ。
「頼むよ。エリオットさんは常連さんだから、多少の粗相は見逃してくれると思うけど、そこに甘えちゃいけないからね」
「兄ちゃん、あの人はどういう人なんだ?」
「エリシャさんがウチに来る前から時折やってくるお客さまで、エリシャさんの遠縁の親戚らしい。
純血のエルフで、エデンでは名家の出ということだけど、本人からはその話は聞かないな。
快活でさっぱりした人だけど、女性関係はけっこうだらしない……とエリシャさんが言ってた」
ちらりとエリシャさんを見るが、料理に集中しているらしく反応がない。
「うーん、それはトルテにはきついね」
「だよね。うまく守ってあげてよ」
「そりゃもちろん」
そんな話をしているあいだにもエリシャさんは次々と料理を完成させていく。
それをぼくらで手分けして客室に運ぶ。
ぼくは中年女性グループの部屋に料理を運び、簡単な解説を加える。
お客さまが話したそうにしていれば雑談をするのだが、女性グループは仲間内でのおしゃべりに夢中のようだったので、ぼくは早々に辞去させてもらう。
アンネはまだお医者様グループのところにいるようだ。
話がうまく屈託のないアンネはお客さまとよくこうしておしゃべりを楽しむ。
しばらくすると、ザッハとトルテが戻ってきた。
「どうだった?」
トルテに聞くと、
「なんでも昨日からほとんど寝てないそうで、お疲れのご様子でした」
「そっか」
そんなに疲れてたのに、僕の話に付き合ってくれたのか。
ありがたいような、申し訳ないような気分になる。
「じゃあ、お酒もいらないのかな」
エリオットさんはお酒をたしなむ人だ。
そんなに強くはないらしいけど、各地でいろんな酒を飲むのが趣味だと言っていた。
「はい。今日はいいとおっしゃっていました」
「わかった。ありがとう」
「兄ちゃんの心配は杞憂だったみたいだな」
「そうだね。ザッハもありがとう」
「いやいや。これも仕事だからさ」
トルテがおずおずと聞いてきた。
「……心配、でしたか?」
「……あー」
ぼくが言いあぐんでいると、
「ほら、トルテってああいうタイプの人苦手じゃん。
兄ちゃんが心配して俺をつけたんだよ」
ザッハがさらりと言ってしまう。
「……そうだったんですか。
すみません」
「謝ることはないよ。
誰しも苦手なことはあるし。
ぼくなんかもお客さまと雑談したりするのは苦手で、そういうのはほとんどアンネに任せちゃってるし」
「今思ったんだけど、兄ちゃんとトルテってそういうところ似てるよな。
人見知りというか繊細というか」
「そ、そんなことないよ。
アルトさんはわたしなんかよりずっとしっかりしてるし……」
「いやいや、ぼくはしっかりなんてしてないよ。
いつもアンネに言われるんだ。
もっと堂々としててって。
たしかに、ミランダさんみたいに堂々としてたほうが館主としての威厳があるのかもしれないけど」
トルテがぼくの出した名前に反応した。
「……聞きました。
スパリゾートがこの旅館を買収しようとしてるって」
「まったく、酷い話だよな! いくらお金があっても、やっていいことと悪いことがあるぜ」
「……うん、そうだね」
ぼくは今日の昼間にミランダさんに言われたことを思いだした。
『伝統に胡座をかき、お客さまと馴れ合い、もてなすものとしての自覚を失ったこんな旅館が長く持つはずがないわ。
企業努力を怠る経営者に率いられた会社は必ず潰れる。
絶対にわたしが買収して、スパリゾートの特別室としてよりよいサービスを提供してみせる。
覚悟することね』
ぼくにも経営にあたっての想いはあるし、努力だってしているけれど、それは大財閥のリゾート開発を一手に率いるミランダさんからすると甘いものなのかもしれない。
創業はヴェルレーン二世の一九年、今年で創業一三〇年――温泉王ウィスコット一世も愛した名旅館。
そんな歴代の館主の築いてきた伝統や評判にぼくは甘えているのではないか?
その怠惰がスパリゾートに付け入る隙を与えてしまったのではないか?
今のハイネ&ハイネが名実ともにすばらしい旅館であったなら、スパリゾートも強引な手を使って手に入れようとは思わなかったのではないか?
不合理な考えだとは知りつつも、ぼくは自分を責めることをやめられない。
暗い顔になったぼくを、トルテが心配そうに見つめてきた。
「……大丈夫ですか?」
「ん。
ああ、大丈夫。
心配しないで、ハイネ&ハイネは必ず守ってみせるから」
ぼくにも確信などないけれど、全力を尽くして守るつもりだ。
「……あの。
わたしにできることとか、たかがしれてますけど、それでも何かあったら遠慮なく言ってください。
わたしもこの旅館の一員ですから」
「そうだぜ、兄ちゃん。
責任感が強いのはいいけど、あまり抱え込まないでくれよな!」
「ちょっとザッハ。そんな言い方……」
トルテがザッハを睨む。
人見知り気味の黒髪の美少女も、幼なじみ相手には強気らしい。
「いや、ありがとう。
つい抱え込んでしまうのは、ぼくの悪い癖だね」
「そうそう。もっと俺みたいに開けっぴろげにすればいいのに」
「ザッハのは、開けっぴろげなんじゃなくて、なにも考えてないだけじゃない」
「なんだとー!」
幼なじみ二人の他愛のないかけあいを聞いていると、昨日から暗くなりがちだったぼくの心も少しだけ明るくなる。
(ぼくは恵まれてるな。
アンネも、エリシャさんも、ザッハとトルテも、こうしてぼくのことを気にかけてくれている。
エリオットさんもそうか。
何か考えてみると言っていたけど)
ぼく一人では、到底、一三〇年の伝統を背負ってここまでやってこられなかっただろう。
辛い時、苦しい時、不安に押し潰されそうな時に、ぼくの様子に気づいて、気遣ってくれる仲間がいる。
そのことは本当に有難いことなのだと思う。
(だからこそ、この旅館を人手に渡すようなことはしたくない。
なんとかミランダさんの方針を撤回させないと……)
しかし、これといった方法が見あたらない。
ミランダさんは一度言い出したことを簡単に撤回するような人じゃない。
《王の杖》の法廷で争う――というのは論外だ。
ミランダさんは、法廷でも勝ち目があると思ったからこそこうして強気に買収をしかけてきたのだろう。
だとすれば、相手の挑発に乗ってこの件を法廷で争うのは無謀かもしれない。
(でも……じゃあ、どうすればいいんだ?)
そのことを考えはじめると、せっかくみんなに励まされて湧いてきた勇気も風前の灯火のように感じられてしまう。




