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雨降らしの魔女  作者: 奈弦
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第1話『覚醒』 ③



 土曜日の午前中。太陽はさんさんと照り、やけに暑く、空気までもがぬるく感じるような気温だった。

 葛原は近所のスーパーで行われる土日限定特価セールでの買い物を終え、帰宅した後に買い忘れに気づいた。近所とはいったものの、スーパーは歩くと十五分ほどかかる場所にあり、この暑い気温の中、十五分も歩いてもう一度スーパーへ行くという気にはなれなかった。仕方なく、近所のコンビニで買い物をすまそうと、二度目の外出をしていたのだった。

「何でこんなにあっついかなあ……」

 葛原は首元に巻いた、冬用のマフラーで顔を扇ぎながら呟く。

 どんなに暑い日であろうと、葛原は今までマフラーを外したことはない。外せば少しは涼しくなると思ってはいるものの、とある理由があってそれを取ろうとはしないのだった。

 茹だるような暑さに、買い忘れたものを買うついでに、買う予定のなかったアイスも手に取り、レジを済ます。

「アイス買ってー!」

 小さい子どもの声に、葛原は後ろを振り向く。そこには父親と子どもがおり、二人で仲良くアイスを選んでいる最中だった。

 そんな彼らの様子を見ていると、葛原の中にだんだんと妬む気持ちが生まれてきた。

 いいな。

 ぼくも、あんな風になりたかったのに。

 そう考えたところではっと我に返り、葛原は親子から目を背けて自動ドアをくぐった。

 冷房の効いたコンビニから出た葛原は、外気の異様な暑さに顔をしかめながら、コンビニの目の前にある公園へと入っていく。

ふと、今買ったばかりのアイスを食べようと思い立って、ベンチに腰かける。家に帰って冷やしている時間が惜しいと思うほど、今すぐにでもアイスが食べたくなったのだ。七月になったばかりだというのに、日差しは強く、黙っていても汗がでる気温。急にアイスを食べたくなった衝動は、きっとこの暑さのせいなのだろう。葛原はアイスの袋を、少しばかりの間額に当てて涼みながら、そう考える。アイスの袋を開けると、ひんやりとした冷たい空気が漏れだした。それが顔に触れる感覚が気持ちいいと感じるのは、この季節ならではなのだろう。季節はすっかり夏だ。

葛原はしゃり、と音を立ててアイスを食べ始める。冷たいアイスのおかげで、少し頭が冷えたような気がした。

仲のよい親子を見て、それに嫉妬してしまうなんて。自分が思っているよりも、自分は愛されることに飢えているのかもしれない。十六歳にもなるというのに、一人でいることを恐れるなんて、まるで幼児期の子どものようだ。

「黙ってても年はとるし、身長も、まあ……まだまだ小さいけど。でも、少しは伸びたのに。それなのに……心はいつまでもあの時のままだよなあ。……いい加減、ぼくもちゃんと、大人にならないと……」

誰に言うわけでもなく。周りの人に聞こえないように、小さな声で自分に言い聞かせた。

葛原には親がいない。正確にはいるのだが、はっきりとした所在はわからない。

六歳になる前、父親が病死した。母親は父親が亡くなったその日に、葛原を置いて一人で家を出ていった。父方の家族とは疎遠であり、一人になった葛原が頼れる人は母方の家族だけだった。彼らは、母親の逃亡により、葛原に対して負い目を感じていたのだろう。葛原に会うといつも、俯きながら声を震わせて「申し訳ない」と言うのが、母方の家族の癖のようになっていた。頼れるとはいっても、いろいろと手伝ってくれたのは最初だけで、段々と会う回数は減っていった。なぜそうなったのかはわからないが、会わせる顔がないと感じていたのかもしれない。申し訳なさそうに項垂れている姿が、なんだか悲しそうに葛原の目には写っていた。かわいそうで、つらそうで、見ていて苦しくなる姿。居たたまれなくなり、離れていく親族に対して、葛原は何も言えなかった。今でも資金面の援助はしてくれているが、他のことは何一つしてはくれなくなった。

そして、葛原は幼い頃から、二階建ての大きな一軒家に一人暮らしをすることになった。家事などの生活面では、誰にも頼れない分、それなりに出来るようにはなった。しかしそれに比べ、精神面は、ただただやつれていく一方だった。

幼い葛原にとってこの状況は、精神的につらく、苦しく、落ち込む日々。

周りに人が誰もいない環境。いてほしい時期に両親がいなくなり、血の繋がりのある者とは疎遠となり。葛原のことを、無償の愛で支えてくれる人は、誰もいなかった。

家族の愛を、周囲の人からの愛を、葛原は知らない。それゆえに、彼は誰よりも、愛されたいと強く願っていた。葛原は自分でも、そのことをよく知っている。そのため、周囲の人に愛されるようにと、いつも笑顔でいるようにし、敵を作らないようにしているのだ。

しかし愛に飢えているからといって、他人に嫉妬することはお門違いだということもわかっている。わかっているからこそ、自分が嫉妬してしまったことが、情けなく思えて仕方なかった。

「……帰って寝よー」

気分が落ち込んだときは、睡眠をとってすっきりするのが一番だ。寝ることは、葛原にとって一番のストレス解消法なのだった。

食べ終えて手元に残っているのは「はずれ」と書かれたアイスの棒。

見た目はしっかりしていて、何でも支えられそうなのに、力をいれてしまえば簡単に折れる棒。

他人に対して明るく振る舞っていて、弱さを見せないようにしていても、本当は脆くて不安定な心をもつ自分。

握っているこの棒と自分は、どことなく、似ているような気がした。

そんな自分の思考がおかしくて、葛原は少し笑んで顔をあげる。そして、はあ、と軽いため息をついた。

「……って、さすがに卑屈になりすぎ。アイスの棒ひとつで何考えてるんだろう、ぼく」

近くのゴミ箱にそれを投げ入れ、葛原は帰宅しようと立ち上がる。

視線をあげると、仲良く手を繋いでいる親子の姿が目にはいった。父親と、母親と、子ども。家族三人、楽しそうに笑っている。子どもは愛されているのだと、見ただけでもわかる。それくらい幸せそうな、あたたかな家族だった。

その姿を見ていると、急に胸がずきりと痛んだ。考えてはいけないと思えば思うほどに、葛原の思考は子どもへの嫉妬ばかりになってしまう。

ずるい。

駄目だ、こんなこと考えちゃ。

羨ましい。

いやいや、もう考えるのはやめなきゃ。あんな子どもに嫉妬するなんて。

でも、なんでぼくは、愛されなかったんだろう?

ぼくだって。ぼくだって愛されたかったのに。何で。

ずるい。

羨ましい。

あの幸せが欲しい。

いつのまにか、葛原の頭は嫉妬の感情でいっぱいになる。その場から動くことも忘れるほど、葛原は家族を見ることに夢中になっていた。握った手に汗がにじむ。

ただ、何も言わず、幸せそうな家族を見つめる。親子は満面の笑みを浮かべて手を繋ぎ、こちらには全く気づかずに歩いている。子どもが一生懸命に話すことを、両親は時おり大きく頷きながら聞いていた。そんな何気ないことですら、葛原にとっては、ひたすらに羨ましかった。

「…………ずるい」

立ち上がったまま身動きひとつせず、目だけはずっと家族の姿を追っていた葛原は、ぽつりとそう呟いた。

言おうと思っていた訳ではないのに、自然と言葉が漏れてしまい、はっとして葛原は口を押さえる。周りに人がいなくて助かったと、心底思った。

冷静になると、嫉妬の感情は消えていた。身動きも忘れてしまうほどに嫉妬してしまうなんて、はじめての体験だった。

ぼく、こんなこと考えるつもりじゃなかったのに……。

思い返してみて、自分の感情がコントロールできなかったことに、少しばかり恐怖を覚える。

今日は早く帰って休んだ方がいいのかもしれない。そう思い、葛原は公園を出ようと出口へ体を向ける。

「あ、ああ……! ああぁ……ぎゃああぁぁああ‼」

急に、子どもの叫び声が聞こえた。

その声のあまりの悲痛さに、葛原はぎょっとして声の方を見る。それは、先程まで葛原が眺めていた家族の子どもが発したものだった。

さっきまで、あんなに楽しそうだったのに。どうしたのだろうか。

あまりに突然の変わりように、葛原は目を凝らして様子をうかがう。両親も、子どもの変わりように驚いているように見えた。子どもは両親を交互に見つつ、いまだに叫び続けている。目には涙がたまっていた。その顔は恐怖を感じているかのようであり、その恐怖の対象は、子どもの目線から察するに、両親のようだ。

「どうしたの⁉ どこか痛いの⁉ いったい何を怖がってるの⁉」

子どもの反応が理解できない両親は、落ち着かせるように子どもの肩に触れてそう言っていた。しかし触れられた瞬間、落ち着くどころか、子どもの叫び声はますます強くなる。

「やめて! 触らないで! 虫はあっちに行ってええ……っ!」

子どもはとうとう泣き出して、両親に向かって懇願するように叫ぶ。腰を抜かしたのか、その場に座り込んで震えている。

「お母さんたちは虫じゃないのよ?」

「いやあ……っ!」

「よく見て? 虫はどこにもいないよ?」

「虫がいっぱいなの……! さっきまでお父さんとお母さんだったのに、今は虫なの……! どこにも、どこにもいないよお……っ! お父さんとお母さん、どこにもいないよお! 虫、いっぱい……気持ち悪いよお! こんなのやだよおお‼」

そう叫びながら、子どもは両親から離れようと後退りしていた。子どもの言うことの意味がわからず、両親は困っているように見える。

その言葉の意味がわからないのは、葛原も同じだった。親が、いきなり虫になった、とでも言いたいのだろうか。しかし、当たり前だが、両親は虫になどなってはいない。だが、子どもは叫びながらそう訴えるのみで、その必死さから、嘘をついているとは思えなかった。

一体、何が……。

子どもには、親が虫の塊にでも見えているのだろうか。

まさか、と葛原は思い直そうとしたが、それ以外にこの状況の説明が思い付かない。

「嫌だ、来ないでよお! 虫はあっちに行ってよおお‼」

泣いて、顔をぐしゃぐしゃにした子どもは、いまだ悲痛な叫びをあげている。叫びすぎたのか、声は枯れていた。

この光景は、見ているのも聞いているのも、辛すぎる。これ以上この場にいるのは、葛原には限界だった。悲痛そうなその子どもは、あまりにもかわいそうで、見ていられなかったのだ。

逃げるように、駆け足で公園を出る。そのまま家に帰ろうと、帰路へと進んだ。昔から体力はからきしで、少し走っただけでも息があがる。息は荒くなり、喉の奥は鉛のような味がする。しかし、葛原はそんなことは気にもせず、ひたすら走る。

走って体温が上昇したことに加え、この夏の暑さ。葛原の額からはいつの間にか汗が流れ、頬をつたった。

ジイジイと鳴くセミの声が、公園を離れるごとに遠ざかっていく。

「何だったんだろう、今の……」

公園から数百メートルほど離れたところで、葛原は走ることをやめ、立ち止まる。来た道を振り返って、先程までいた公園を眺める。まるで夢でも見ていたかのような、説明がつけにくい光景を目の当たりにし、葛原は少しばかり混乱していた。

汗をぬぐい、荒くなった息をととのえる。アイスで涼んでいたことが、まるで大昔であったかのように感じるほど、葛原の体は熱くなっていた。

「……あの親子、何ともないといいけど」

少しばかりの願いを込めて、葛原はそう言った。

親子の間に入って収めることも、子どもを落ち着かせることもできないが。せめてまた笑いあえる親子に戻れるように、という願いを込めて。



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