第1話『覚醒』 ②
「遅れちゃってごめんなさーい」
演劇部の部室についた葛原は、扉を開けながら、悪びれた様子もなくそう言った。
部室では3人の生徒が、円になるように椅子を置き、それぞれそこに座っていた。演劇部ならば持っているべきだろう、劇の台本や小道具を持っている者は誰一人としておらず。3人の手には台本でもなければ小道具でもなく、お菓子の袋が握られていた。お菓子を頬張りながら、3人の生徒は葛原の方を振り向く。
いつもと変わらないその光景に、葛原は安心感を覚えると同時に、部活動の意味を思い返して苦笑する。
本来部活動に励むために用意された部室で、たむろしてお菓子を食べているというのは、どうなのだろうか。
そんなことを考えながら部室に入り、葛原も円にまざるように椅子を用意して、それに座る。
「くずこま、おっそーい! ユズキたちずっと待ってたんだよ!」
口の端にチョコレートをつけた少女は、お菓子で葛原を指しながら言った。少女、蜂屋ユズキは釣り目気味の目で葛原を睨む。
「ま、まあまあ……。くずこまくんも、きっと忙しかったんだよ、ユズキちゃん。ほ、ほら、お菓子どうぞ?」
ユズキの隣に座っている眼鏡をかけた少女、深滝さわ子は、小さな声であやすようにそう言い、おずおずと、手に持っていたお菓子の袋をユズキに差し出す。
「わーい! さわ子さんありがとー!」
途端にご機嫌になりながら、ユズキは差し出されたお菓子を受け取り、勢いよく袋を開けて食べ始めた。
一口食べるごとに、いちいち美味しい美味しいと呟いているユズキを見て、目つきの悪い長身の男子生徒、星宮渉は鼻で笑う。
「お菓子で釣られるとか、ほんと蜂屋はガキだな」
「いいの。ユズキちゃんはガキっぽくても、こーんなに可愛いから! やだ、ユズキちゃんかわいいー! って、そういう星宮こそ、お菓子いっぱい食べてるじゃん! ガキは星宮じゃん!」
星宮の持っているお菓子の袋を指さしながら言う。相変わらず、口元にはチョコレートがついたままだ。
「俺のは大人のお菓子だからいいんですぅ」
「ビター味ってだけじゃん! そんなの理由になってないですぅー!」
「え~? 理由になってますけど~? 見ろよこれ、パッケージに『大人の苦味』って書いてんじゃん。あっれ~? もしかして蜂屋は漢字も読めないの? 『蜂屋』ってちゃんと書ける~?」
「はあ~? 星宮ってそんなにアホなくせに、ほんとにユズキより先輩なわけ~? 子どもでも食べますけど~! 大人の苦味とか書いてたって、普通に小学生とか食べますけど~! 下手したら赤ちゃんだって食べますけど~!」
星宮は声高々に、馬鹿にしたようにユズキに話す。それに対してユズキも星宮の口調を真似ながら答える。話しているうちに喧嘩腰になるのはいつものことで、演劇部のお約束ともいえるものとなっていた。お互い、どうしても相手を馬鹿にしないと気が済まないようで、一日に何度もこうして喧嘩腰に話をしている。
いつもお互いを馬鹿にしあっている間柄だが、なぜか二人は特に仲がよく、部活以外でもよく話している姿を見かける。喧嘩するほど仲がいいとは、きっとこういう関係をいうのだろう。
「ふ、二人とも、くずこまくんも来たし、そろそろやめなよぉ……。あ、あと、赤ちゃんってビター味は食べないんじゃないかな。み、ミルクとか、離乳食とかじゃないと……」
二人の話しを止めようと、さわ子は間に入ろうとする。しかし、さわ子の小さな声は、二人には届いていないようだ。星宮とユズキは会話をやめようとはせず、どうでもいい口論を続けている。
演劇部の部室で部活をせずにお菓子を食べ、二人は喧嘩をし、それをさわ子が止めようとする。いつもの演劇部の日常的な光景だ。
「あはは。みんないつも通りだね。ぼくもお菓子食べようかなー」
「くずこまくんの分も、ちゃんと用意してるよ。ほら、そこの机の上」
さわ子は、手を伸ばせば届く距離にある机を指さしてそう言った。その上には数個、お菓子が置いてある。遅れてきた葛原の分を、机の上に寄せておいてくれたのだろう。
「わーい、やったあ! ありがとー」
喜びながら、机に置いてある分のお菓子に手を伸ばす。手を伸ばしながらよくよく見てみると、3人が食べている量と比べて明らかに少ないことに気づく。
もしかして、自分たちが食べたいからって、ぼくの分減らしたんじゃないだろうなあ……。
疑惑の念を抱きつつ、葛原は手に取ったお菓子の袋を開ける。
「ってかくずこま。何で遅れてんだよ」
怒っているような、苛立った様子で星宮は言った。ユズキとの口論はいつの間にか終わっていたようで、星宮に続いて、ユズキも「そうだそうだ!」と茶々を入れる。
「クラスの人と話してたら遅くなっちゃってさあ……」
星宮の苛立ちを気にすることなく、葛原はお菓子を口に入れながらそう答える。
「何のお話?」
「ヤミビトのお話~」
お菓子を食べながら、喋りにくそうに葛原は答え、再びお菓子の袋に手を伸ばす。
「あー! あの呪いにかかって超能力使えるようになるやつ! ユズキ見たよ、今日のニュース! 連続暴行犯の犯人はヤミビトの可能性が高いってやつ! 犯人の超能力とか、どんなのかな~……うう、ユズキ、想像するだけで怖いよう……」
「ああ……この辺だよな、その事件。やべーおっそろしいよな。ってか蜂屋、ぶりっ子したって意味ねーぞブス」
「うっせ星宮。ユズキぶりっ子じゃないもーん。元から可愛いだけだもーん。さわ子さんもそう思うでしょ?」
「うん。やっぱりちょっと、怖いよね。身近にそういう事件があると……」
「あ、怖いってところじゃなくって、ユズキが可愛いってところに共感してほしかったんだけど……」
ユズキはさわ子の袖をちょいちょいと引っ張って、小声でそう呟く。
「え、あ、ご、ごめん……! もちろん、ユズキちゃんも可愛いよ!」
「うん、知ってた!」
さわ子の言葉に、ユズキは満足そうに頷きながらそう言った。
誇らしげな顔をしているユズキを見て、星宮は苛立った様子でその顔にデコピンをする。こつん、といい音を響かせると同時に、ユズキは苦悶の表情を浮かべて「いたっ!」と声をあげた。
「蜂屋はどうでもいいけどよ。よく考えてみると、この事件マジで怖すぎだろ。まだヤミビトの可能性があるってだけで、確か犯人の特定は全然出来てないんだろ?」
「ヤミビトって事件ばっかり起こすよねー。しかも凶悪犯ばーっかり。今回の事件、長期化しちゃったらどうしよお……」
デコピンを受けた額をさすりながら、少し声のトーンを低くしてユズキは言う。
「……わ、私……やっぱり、ちょっとじゃなくて、すごく……怖いかも……」
怖い。そう言いながら三人は少しばかり表情が暗くなる。
教室に残っていたクラスメイトと同じような反応に、葛原は少々むっとする。
「確かに事件は怖いけどさ。ヤミビトみんなが悪いわけじゃないよ。きっとヤミビトの中にもさ、いい人はいるよ。……たぶん、だけどね。それなのに、ヤミビトのことが怖いって言うのはさー……。なんか、うまく言えないけど、それって、ちょっと違うと思うんだよね」
皆一様に似通った反応ばかりで、葛原はどうにも居心地が悪そうに自分の意見を述べる。ヤミビトへの関心は人一倍少ないと自覚してはいるが、それにしても皆怖がり過ぎではないかと、葛原はテレビでその話題が出る度に思っていた。
何かの拍子にヤミビトになってしまったとはいっても、元は普通に暮らしていた人間。超能力を得たくらいで、存在自体に恐怖するほどのものに変わってしまうのだろうか。
「それは、まあ、そうなんだけど……。でも、なんか……ねえ、星宮?」
「う、うん。まあ……超能力とか、使えるし……。なあ、蜂屋?」
星宮とユズキはお互いの顔を見合う。葛原の意見に同意しつつも、まだ恐怖は拭いきれない、といった表情だ。
「やっぱ、そう言われても、ヤミビトは怖い……って感じ?」
葛原は二人の気持ちを想像してそう聞くと、二人は同じタイミングでこくこく、と頷く。
二人の仕草を見て、葛原は苦笑する。自分の意見は少数派なのだと、認めざるを得ない。それにしても、タイミングまでばっちり一緒だなんて、仲良しとはいえなかなか出来ることではないよなあと、葛原は全く関係のないことを考えてしまった。
「くずこまくんの言いたいことも、二人の言いたいこともわかるなあ……」
小さくとも聞き取りやすい、澄んだ声でさわ子は呟いた。視線を落としたまま、表情はいまだ晴れてはいない。自分の考えをその場でまとめているかのように、ぽつり、ぽつりと言葉を切りながら話す。
「犯罪者じゃないヤミビトもたくさんいると思うし、悪い人ばかりじゃないから、怖がる必要はないんだけど。でも、やっぱり、私たち人間とは違うもん。違うものを怖がるのは、仕方ないとも思う。……なんか、難しいね?」
眉を八の字にしながらも、口元は笑みを浮かべて、さわ子は葛原を見た。困ったようなその表情に、葛原もつられて似たような表情になる。
ヤミビトという存在に恐怖を抱かないのは、もはや自分だけなのだろうか。
他人と意見が違ってしまうことは、葛原にはよくあることだった。他人よりも幾分かスローペースであり、何に対しても寛大であるためか、葛原は他の人よりも考え方に違いがあるようだった。そんな性格からか、クラスメイトからはよく「菩薩か、お前は」と言われていた。そのことを、特に気にしたことはない。むしろ、この考え方でいたほうが、敵を作らず、人から愛されるのだということを薄々感じていたため、今更自分の考え方を変えるつもりはなかった。
しかし、この意見では、いずれ敵を作ってしまうのかもしれない。敵を作らずに、平和で穏やかに生活することが目標の葛原にとって、それだけはどうしても避けたい。
人から愛されなくなってしまうようなことは、何よりも、避けたい……。
葛原は少しうつむきながら、何も入っていないお菓子の袋をくしゃりと潰した。
「くずこまくん。も、もしかして、お菓子……美味しくなかった、かなあ……?」
葛原を見て、さわ子は恐る恐る、顔色を窺うかのようにそう言った。先ほどよりも困った顔でこちらを見ている。
「あ、ごめんなさい、さわ子先輩! お菓子、とっても美味しいよ! ちょっと考え事しちゃっただけで……」
「そ、そっか。よかった。……あ、あのね、くずこまくんがそんな顔するなんて、珍しいなあって思ったから……。あ、お菓子、まだまだあるからね。よかったら食べてね」
安心させるためにいつものようににこりと笑って答えると、さわ子は心底ほっとしたような顔になる。そしてさわ子は自分が持っているお菓子を葛原に渡しながらそう言った。
そんなにわかりやすく顔に出ていただろうか。
そんなことを考えながら、さわ子が差し出してきたお菓子を手に取った。
「くずこま具合でも悪いの? ユズキがよしよししてあげよっか?」
「そんなんで治ったら医者はいらねーよアホ蜂屋」
「もう、星宮うるさーいっ! アホ星宮あっ! 釣り目!」
「おめーも釣り目だろタコ」
「あはは……二人とも、喧嘩しないでよ~。ぼくはほんとに大丈夫! ちょっと考え事しただけで、具合が悪いとか、そういうのじゃないんだー」
星宮とユズキの、どうでもいい口喧嘩がまた始まりそうな気がして、葛原はすかさず止めに入る。ユズキの問いに、葛原は何ともない、とでも言うかのように、両手を振って笑いながらそう答えた。
「そっか! 元気だったら、明日も部活来れるね!」
「あ、明日は何時集合にしよっか? えっと、土曜日だから……ちょっと遅めでも、大丈夫かな?」
「俺、朝起きれん。十時頃に部室で集合ってことしてくれないか? 頑張って十分前には起きれるようにする」
「ほ、星宮くん。十分じゃ……間に合わないんじゃないかなあ……?」
「そうか? 余裕だろ」
明日は土曜日。
この月ヶ峰高等学校では、土曜授業は行っておらず、生徒にとってはゆっくり羽を伸ばせる休日。部活動がない生徒以外は、学校に登校する者はまずいないだろう。
演劇部は、いつもこうして部室に集まってぐだぐだと話をしているだけという、名前だけの部活である。部に関係のない者からも「弱小演劇部」と呼ばれるほどの駄目っぷり。そんな部活であるのにもかかわらず、なぜか日曜日を除いて毎日部活があるのだった。集合時間もその時々によって自分たちで勝手に決め、解散時間もその場で勝手に決めている。本来いるはずの顧問も、部活に顔を出すことはないため、演劇部の部員は自由に過ごしているのだった。
自由に過ごしていいからと言って、お菓子ばかり食べているのも気が引けるが。
「……って、明日土曜日!?」
葛原ははっと思い出したように急に声をあげた。その声に三人は驚き、びくりと体を震わせる。
「なにいきなりでけー声出してんだよくずこまぁ……」
三人を代表するかのように、星宮は葛原に言う。その顔はあからさまに不機嫌そうだ。
「明日は土曜日だよ! 近くのスーパーで、土日限定のセールがある日だよ!」
そう言って、鞄からチラシを取り出して三人に見せ、葛原は意気込み十分、とでもいうかのように勢いよく話し出す。
「ぼく、セール行かなきゃいけないんだ! だから明日の部活は顔出せないや! 今回のセール見て、これ。すっごく野菜が安いんだよ! 最近野菜あんまり食べてないから、この際にいっぱい買わないと! 日用品もそろそろ買いだめしておきたいなあ。ティッシュとか、ああ、あとサランラップもちょうど切れそうなんだった! 今回のセール、タイミングばっちりなんだよー! ね、だから今回は! 今回のセールは絶対行かないといけないんだよー! 生活かかってるから!」
三人が途中で口を出せないほど、葛原はぺらぺらと流れるように話す。そんな葛原を、三人はそれぞれ口を開け、ぽかんとした表情で聞いていた。
「そ、そっか。セールか~……。まあ、くずこまなら、仕方ないよねえ……」
「ああ、くずこま、一人暮らしだもんな。セールの方が優先、か」
「うん!」
納得したかのようにユズキと星宮は、頷きながらそう言った。話し終えて少し上機嫌な顔をしている葛原も、こくりと頷く。
葛原こまちは、高校一年でありながら、二階建ての一軒家で一人暮らしをしている。
クラスメイトも、もちろん同じ部の部員三人も、このことを知っている。そのため、セールのチラシを所持していても、セールに行くから部活に顔を出せないと言っても、馬鹿にしたり非難したりする者はいない。むしろ一人暮らしは大変だろうと、皆気を利かせて、葛原に値段の安いスーパーを教えたり、こうして部活の休みを認めてくれたりするのだった。
「くずこま来ないんなら、明日は部活休みにしよう」
名案だろ、と言って立ち上がり、星宮は胸を張る。
「……星宮くん。もしかして、自分が朝起きれないから、明日休みにしようって言ってるわけじゃ……ない、よね?」
「ま、まさか。そんな。はは、俺はそんなさ。ほら、自己中な男じゃねーよ。な? うん、そうだ。まったく、さわ子は冗談がうまくなったなあアハハこいつめえ」
さわ子の言葉に、星宮はあからさまに動揺したように、急にしどろもどろになる。意味もなく大きな声で笑いながら、さわ子の頭をなで始めた。さわ子は困ったような顔で笑っている。きっと迷惑しているのだろう。
「明日休みなら、ユズキ、新しい服買いに行きたいなー!」
「ショッピング? なんだかいいね、そういうの。ユズキちゃん、お洒落だもんね」
さわ子は星宮の手を頭からどけて、ユズキの方を向いた。手の置き場を失った星宮は、なぜか葛原の頭に手をのせる。まだ動揺しているようだ。
「まーね! ユズキってば、けっこう流行には敏感な方だからねっ! 流行りのエキスパートだからねっ! あ、さわ子さんも一緒買い物行く?」
「うーん……。明日は、ちょっと用事が……ごめんね」
さわ子は困り顔で、ユズキにそう言う。
なぜか、その顔は少し悲しげに見えた。
「そっか! 今度、くずこまも暇なときはさ、みんなでどっかでかけよーね!」
「うん! あ、でもあんまりお金のかからないところでね!」
「わかってるよ~」
いつも遊ぶ時はこの四人で集まろうと、みんなで声を掛け合っている。お互い、気を遣うことがあまりなく、自然体でいられるからだろう。さわ子と星宮は二年、ユズキと葛原は一年と、学年もクラスも別々だが、仲がよく、それでいて息苦しくならないメンバー。
そんな人たちと出会えたなんて、恵まれている。葛原はふとした瞬間に、そう感じるのだった。
「じゃ、今日はここらで解散にすっか」
星宮はそう言って、自分のスクールバックを掴む。星宮のこの一言が、解散の合図となっていた。葛原も、椅子を片付けようと立ち上がる。
「あ、そういえば、さっき雨が降ってたよ」
「えー! 天気予報では降らないって言ってたのに!」
「傘持って来てねーよ……」
葛原が思い出したように呟くと、ユズキは文句ありげにそう叫び、それに続くように星宮も文句を垂れる。
すると、立ち上がってまっすぐ前を見たまま、さわ子がぽつりと呟いた。
「雨、止んだよ」
葛原がこの部室に来てから、一度も外を見ていなかったのに、さわ子のそれは確信しているかのような口ぶりだった。
「さわ子先輩、なんでわかるの?」
「んー……なんとなく、かな。でも、ほら。雨の音がしないでしょ?」
「ほんとだ! 止んでよかったね!」
そう言われて、耳をすますと、たしかに。雨の音は、部屋に響いてはいなかった。
しかし、葛原はさわ子のその答えに納得がいかず、首をかしげる。
葛原が見たときの雨は、ただ、音もなく静かに落ちていたような気がしていた。最初から音がなかったのに、雨の音がしないから止んだ、と説明づけることに少し疑問を抱いたのだった。とはいえ、それはさほど問題ではない。雨が止んでいて、濡れずに帰れるのならばそれでいい。葛原は疑問を飲み込んだ。
そうしてその日は解散したのだった。