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「じゃあ、練習が終わってからな」

「あいよ」

 HRが終わると、信吾が野球の練習に行くのを下駄箱まで見送ってから、教室に戻ってきた。野球部が終わるのはいつも六時頃で、それまで二時間近く時間がある。一度帰ってから戻ってこれるだけの時間はあるが、わざわざまた学校に来るのも面倒で、そのまま残ることにした。

 教室の窓を全開にして、春の心地よい風を浴びながら窓側の席で自分の腕枕に頭を任せて瞼を閉じる。腕時計の秒針が揺れる音が近くに感じ、遠くで野球部の威勢のよい声が耳に届く。

 僕は、ほんの一時今日の嫌な出来事を忘れて、夢の中に意識を埋めた。

 夢はよい夢でも悪い夢でも僕の期待を裏切らない。どんなに最悪な状況に置かれたとしても、起きればそれでも終わりなのだ。いっそのこと、起きている今が夢ならいいのに、と思いながら眠りについた。


「……き、孝幸」

 何時間眠っていたのかはっきりとは覚えていない。佑里の透き通った綺麗な声に起こされた僕は、頬に垂れた涎を手の甲で拭いながら眠気眼の顔を上げた。

「おう佑里」

「おはよう」佑里が優しく微笑み「ぐっすり眠ってたね」と笑う。

 んー、と返事とも項垂れともつかない言葉を発しながら、僕は外に視線を向ける。空はすっかり夕日で赤く染まっていた。

「今何時?」

 腕時計を見るのも億劫になり、佑里に尋ねる。

「五時四十分だよ。こんな時間まで孝幸が学校にいるなんて珍しいね。もしかして私のこと待っててくれたの」

 まさか、と鼻で笑う。

「ひっどぉい」

 佑里は機嫌を損ねて頬を膨らませる。

「せっかく起こしてあげたのにィ」

「ああ、サンキュ。また生徒会の会議か」

「そ。こう見えても忙しいんだから。あ、そうそう聞いてよ孝幸」

 ハッと佑里の顔が――電気をつけたように――明るくなった。

「ん?」

 僕は窓の外に視線を向けながら耳だけ傾けてる。グラウンドからは野球部の声が消えている。もう練習は終わったのだろうか。

「あのね、私一年のお世話係りに任命されたんだよ」

「おせわがかり?」

 あまりの聞きなれない単語に思わず視線を佑里に戻すと、彼女はフフ、と嬉しそうに笑みを浮かべた。

「お世話係りとは、一年生の子に学校の中を案内してあげたり、わからないことがあったら教えてあげるお仕事のことよ」

「それは……」

 あってもなくてもいいような係りに思えたけど、佑里が自慢げに話すところを見ると、

「よかったな」

 と思わず心にも無いことを言ってしまった。

 佑里は「うん」と嬉しそうに頷く。

「おばあちゃんに学校の中を案内してあげるんだ」

「……ああ、そう」

(そういうことか)

 納得するのと同時に、呆れた。

 佑里にとってはあんなのでも大好きなおばあちゃんらしい。

 もともと志野ばあちゃんは佑里にだけは優しかったし、彼女がおばあちゃん子になるのも当然だ。僕のように挨拶代わり頭を叩かれることもないし、説教されたことも無い。贔屓されているのとは違うのだろうが、区別はされて育ったせいだろうか。

 それでも、佑里が志野ばあちゃんが入学したことを喜んでいることに僕は少なからず驚いていた。彼女はまだこの状況を深く理解していなようだ。ばあちゃんと毎日会える特権のかわりに、それ以上の辛いことがいっぱい待っているというのに。馬鹿にされるだろうし、苛めのネタにされることだって考えられる。マスコミが知ったら、うるさく付きまとわれるかもしれないのだ。

 僕がそれをそのまま口にすると、佑里は目をきょとんとさせて僕を見つめた。

「あれ、孝幸は嬉しくないの?」

「嬉しくない」

 きっぱりと答える。

 嬉しいはずがない。ばあちゃんのことは、まあ苦手だけど嫌いではないし、正月とお盆に親父の付き添いで里帰りに付き合えばお小遣いを貰えたりするからその分に関しては好きと言ってもいいくらいだ。だけど、それと今回の件は全く別次元の問題なのだ。誰だって祖母がセーラー服のコスプレして街中を歩くと言い出せば反対するだろうし、若い子に交じって学校に行くなんていえば激怒するはずだ。

「ふーん。変なの」

「変って僕が?」

「うん。変だよ」

「……まあどうでいいいけどね。どうせ、僕が今からなにを言っても志野ばあゃんが言うこときくはずないし」

「アハハ、だね」

「……」

 なんか空しくなってきた。

「さあ、帰ろうよ」

 佑里が椅子から立ち上がった。

「ああ悪い。今から信吾と約束があるんだ」

「え、そ、そうなの」

 信吾の名前が出た瞬間、佑里の顔が一瞬怯んだのを僕は見逃さなかった。

 きりっとした妹の顔からいわゆる乙女の顔へと変わる。

 理由はわかりきっている。好意を抱く男の名前が出たことで顔が緩んだのだ。

 佑里は小学生の頃からあいつに片思いをしている。直接本人から聞いたわけではないけど、十年以上も一緒にいれば知りたくなくてもわかってしまうこともある。

「佑里も一緒に来るだろ」

「え、いいの?」

 小学生の頃は、好意を抱いていも普通に信吾と遊んでいたのに、最近は妙に意識しているらしく、なぜか僕にさえ遠慮するようになっていた。

「もちろん」

 彼女も当事者だからいてもらってもかまわない。

「むしろいてくれた方が助かる」

 多分一人で今回のことを説明するとなると、複雑な感情も入り混じってうまく喋れない。佑里の助け舟は必要不可欠だった。


 とりあえずいつもの待ち合わせ場所である校門へと向かう。

 先に着いたのは僕らの方だった。

 四月も過ぎたというのにまだ外は少し肌寒く感じる。

 寒さを紛らわせるため手に息を吹きかけて待っていると、部活を終えた連中が僕らの前を通り過ぎていく度に、こちらをちらちら見ているのに気づいた。

 一瞬背筋が凍った。

(もしてかしてもう志野ばあちゃんと僕らの関係に気づかれたのか、いやいや早すぎるだろ。まだ半日も経っていないのに……)

 いずれはバレることと諦めに近い覚悟をしたのが数分前だ。さすがにバレたあとの準備まではできていない。

 しかし、数組ほど観察して思い過ごしだと納得した。なんとなくだけど、志野ばあちゃんのこととは無関係だとわかる。まあ、ようは僕と佑里の組み合わせの方に興味があるらしかった。学校でもそこそこ美少女だと評判の佑里と、平々凡々な顔立ちの僕が一緒に下校している、ということへの視線らしい。

 安堵のため息とともに、こんな生活がこれからも続くのかと苦笑する。

「まるで犯罪者だな」

「え」

 誰にも聞こえないように呟いたつもりだったが、隣にいる佑里には聞こえてしまったらしい。僕の方を向いて「なにか言った?」と聞き返す。

「いや……」

 わざわざ今の台詞を繰り返すのも馬鹿らしい。変わりに僕は、

「志野ばあちゃんのこと、信吾に話そうと思ってるんだけど」

「おばあちゃんのこと?」

 意図がわからないらしく、きょとんとしている。

「だから、あれが僕のおばあちゃんだってこと」

「え、信吾君知らないの」

 なんで? と言わんばかりの顔に、僕は少しイラッとした。

「知ってるわけないだろ。教えてもないのに」

「教えてあげればいいのに。友達でしょ」

「だから、今から言おうと思ってるんだよ。でも僕一人で決めていいことじゃないだろ。あいつに隠し事はしたくないけど、佑里も嫌がるかもしれないから」

「なんで私が嫌がるの」

「なんでって……」

 お互いに困惑した。

 兄妹で、しかも双子でこんなに考えが違うものだろうか。佑里の考えていることは大体わかる。自分が大好きなおばあちゃんをみんなに自慢したい、だから自分との関係を隠すなんて意味がわからない、と言ったところだろう。でも、僕は違う。たとえば志野ばあちゃんが僕にとって大好きで自慢のおばあちゃんだったとしても、高校に入学してきた時点で、周りにはあの人が親族であることを黙っている。それは決して嫌いになったからではないと思う。その後の学園生活のことや、周りの反応なんかをいろいろ想定すると、隠しているほうが得策だと判断してのことだ。

「孝幸」

 言いよどんでいる僕の気持ちを察したのか、佑里は少し寂しそうな声を出した。

 彼女の瞳がフルフル震えている。

 この目を僕は覚えている。

 親父とお袋が離婚すると知った時の泣く前の瞳と同じだった。確かにあの時も僕ら二人には軽い食い違いがあった。離婚前の親父たちは喧嘩が絶えず、少なからずこうなることを予想していた僕とは違い、佑里はいつかは昔の仲の良かった両親に戻ってくれると期待しているようだった。

 今にも涙が零れ落ちそうな瞳をじっと見つめ、沈黙が流れた。

(早く信吾きてくれよ)

 心の中でそう呟きながらも、視線を逸らすことができない。子供の頃から兄妹特有の喧嘩なんか数え切れないほどしてきたが、最後はいつも僕が泣かされいた。もちろん殴り合いの喧嘩となれば別だが、基本的には僕が折れるか、周りがいつも佑里に味方して多対一になって負けるのが常だった。まあそれは佑里の方が正しかったから仕方のないことなのだが、そのせいで妹の泣き顔というのにあまり免疫がない。

 何分そうやって見つめ合っていたかわからない。さっきから帰宅していく生徒の群れが遠慮会釈なくじろじろ僕たちの方を見ては痴話喧嘩かと勘違いしているようだった。

 我慢しきれずに沈黙を破ろうと喋ろうとした瞬間、

「ねえ」

 佑里の方が先に口を開いた。

「孝幸にとって、おばあちゃんって汚点なの」

「え」

 言われた瞬間、僕は固まってしまった。

「おばあちゃんずっと楽しみにしてたんだと思う。一生懸命勉強して。今日のあの嬉しそうな顔見たらわかるよ。ねえ、孝幸覚えてる? 私たちが高校に合格した時のこと。孝幸すごい喜んでたよね」

「あ、ああ」

 忘れるはずがない。佑里や信吾にとって受かって当たり前の学校に、僕だけがぎりぎりのラインだったのだ。それでも二人と同じ高校に通いたい一身で、二人に家庭教師を頼み必死で勉強した。合格発表で自分の番号を見つけた時の嬉しさは忘れたくても忘れられない。

「おばあちゃんも一緒だよ。すごく嬉しくて合格したこと誰かに言いたくて……。でも一昨年おじいちゃんが亡くなってからずっと一人だったから話しかける相手もいなくて。友達作りたいって思うことや、勉強したいって思うことはおばあちゃんの頑張りに比べればちょっとした我侭じゃん。それでも孝幸はおばあちゃんのこと邪魔者扱いするの。志野おばあちゃんが自分のおばあちゃんだってことが恥ずかしい?」

「……」

「私にとっては自慢のおばあちゃんだよ」

 僕はなにも言えなかった。彼女の言うことの方が百%正しい。そして、堂々と「自慢のおばあちゃん」と言い切った佑里のことを格好いいとさえ思った。

「……ごめん」

 謝ったのは僕ではなく、佑里の方だった。

「言い過ぎた」

 それ以降、彼女が黙ってしまったのでなにも言い返せなかった。いや、単純に反論する言葉が見つからなかっただけだ。志野ばあちゃんの入学にしたって、僕への嫌がらせが目的じゃないことくらいわかっていた。なにか相当な理由と覚悟があるはずなのに、僕は、僕が恥ずかしいという理由だけど被害者ぶろうとしていたのだ。

「おいおい喧嘩でもしてるんのか」

 いつに間にか目の前には信吾が立っていた。泣き顔の佑里の顔をまじまじと見つめ、怪訝な表情を浮かべいてる。

「べ、別にそんなんじゃないよ」

「ふーん。まあいいや。腹減ってんだ。なにか食いにいこうぜ」

 さっさと信吾が歩き出すので、僕らを慌ててついていく。

 佑里の顔をちらっと見ると、好きな奴に泣き顔を見られたのが恥ずかしかったのか、頬を赤くしてばつの悪い顔をしていた。

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