東方異境より参られしお姫様
オープニング
人々の生活から『魔法』が欠かせなくなって久しいが、万人が魔法を使えるわけではなかった。専門の知識と技術を習得し、王国に認められた『魔導士』のみが、行使することができるのが魔法である。
したがって、魔法を使える魔導士は、人々にとってたいへんありがたい存在だった。もちろん、公的機関に属するような上級魔道士、宮廷魔導士などにはなかなかお目にかかれないが、民間が運営する『魔導士事務所』に所属している者ならば、街に繰り出すだけでその姿を見ることができる。遠そうでいて近い存在、それが魔導士であった。
彼らのような魔導士は『派遣魔導士』と呼ばれているが、その力量は千差万別だ。ことに民間ともなれば、当たり外れのぶれ幅は大きい。仮に宮廷魔導士になった者を一流とするのならば、派遣魔導士は二流、もしくは三流の集まりに過ぎない。厳しい評価ではあるが、それは曲げようのない事実であった。
とはいえ、大手と謳う魔導士事務所には、粒ぞろいの人材が集まっている。中には王国直属の魔導士の中枢に入ることをきらい、しっかりとした実力を持っているにも関わらず、進んで外辺に出向く者もいた。
簡単に紹介すると、『グラムセナード魔導士事務所』に所属する魔導士、マディラ・バラノウァなどもその一人である。彼女はまだ二十歳になったばかりだが、魔導士としての公正な姿勢と、人々のためには苦労を惜しまないという献身的な態度が高く評価されている。生まれ持った美貌と真摯な性格がそれに相まって、彼女は並みいる派遣魔導士の中でもトップクラスの人気を集めていた。
「いやはやたまげたね。まさか自分と同期で、しかも仲良くしてた女の子がこんなことになろうとは。今や別次元の存在だものなあ」
薄暗い室内で雑誌を広げていた青年が、ぼんやりと感想を口にする。開いたページに写っているのは、きわどい水着グラビアで抜群のプロポーションを披露するマディラだ。
「同じ派遣魔導士とは思えないな。これが大手と弱小の差ってやつか」
自嘲めいた呟きからは、どうにも熱意が感じられない。くすんだ深緑色の制服の胸を、窓から差しこんだ陽光がきらりと光らせた。名札には『ウェイン・クリード』と名が記されている。
ウェイン・クリードは二十歳。先ほど彼自身がそう言ったように、マディラ・バラノウァとは王立魔導学院の同期生である。レンガ色の髪に黒灰色の瞳、顔立ちは悪くないが、十人十色の域を脱せない程度のものだ。
「それにしても暇だ。貧乏暇無しって、あれは嘘だな」
散らかったデスクに雑誌を放り投げると、ウェインは安物の椅子に悲鳴をあげさせた。行儀が悪いことこの上ないが、他に誰もいないので、とがめだてされる心配はない。
「来る日も来る日も留守番ばっかりだし。もういいかげん、飽きちゃったよ」
恨み言とも、嘆き節ともとれる呟き。経費節約のために魔力供給を絶たれ、役目である発光を止められた魔光灯が視界に入り、前途に光明が見えない青年は溜息をつく。
ウェイン・クリードが所属している『カストナード魔導士事務所』は、業界の最底辺にへばりついている、弱小も弱小の事務所である。所長を含めた所員は四名、実働要員も四名という零細ぶりだ。うらびれた下町の一画に事務所を構えているため、依頼がない日も多々あった。
「腹減ったなあ……」
ふと腹の虫が悲鳴をあげたので、ウェインは腕時計を見た。時刻はとっくに昼を回っていて、真っ当な勤め人ならば、昼休憩の真っ最中であろう。今頃は、街でビラ配りに精を出している所長を含めた諸先輩方も、昼食にありついているに違いない。
ところで、ウェイン・クリードは独身である。それに家事はあまり得意ではない、というより興味がない。何が言いたいのかというと、弁当などという気の利いたものは用意していないということだ。
「外に食べに行くか。けど、留守番を放っておいていいもんかな」
一応は思案するフリをしてみせるが、しょせんはフリである。空腹を抱えたまま、退屈な業務に従事するのはあまりにも馬鹿馬鹿しい。次の瞬間には、椅子から立ち上がり、背もたれに掛けていたよれよれのコートに手を伸ばすウェインがいた。
「どこに行くかな。『サン・バリエロ』のランチセットもいいけど、『コラテリード』のクラブサンドも捨てがたいな」
色々と候補はあるが、肝心の財布の中身とも相談しなければならない。優雅な昼食を味わえる身分になりたいものだが、この事務所にいるかぎり、そんな機会が訪れることはあるまい。
さして広くもない事務所なので、少し歩くだけで外に通じるドアに着いてしまう。ウェインは苦笑すると、両腕を軽く広げながらおどけてみせた。
「しがない魔導士はつらいね。いっそのこと、現状を大きく変化させるような事件に出くわせればなあ。良い悪いは別にして、この停滞した空気を払拭できるだろうに」
ないものねだりをしても、むなしいだけだ。溜息をついたウェインは、ドアノブにかけた手をゆっくりと回した。しかしその感触はいつもよりも軽く、ウェインを不審がらせた。ほどなくしてドアが開かれると、疑問に対する答えが目の前に現れた。
「……えっ?」
思わず呆気にとられるウェイン。それもそのはず、入口に立っていたのは、幻想的な雰囲気をまとった少女だったのだ。
鼻をくすぐるかぐわしい花の香り。色鮮やかな彩りが咲き乱れた衣服から、白磁を思わせる白が浮かび上がり、唇に差した紅が鮮烈な印象を放っている。
黒く艶やかな髪と同じく、黒曜石の瞳に真っ直ぐ見据えられたウェインは、瞬きすら忘れて硬直してしまう。風香と共に現れたこの美少女は、ウェインの停滞化した日々に、花香るそよ風をもたらしたのだった。
第一話『可憐で苦い花乙女』
カストナード魔導士事務所に現れたひとりの少女。ウェイン・クリードは硬直したままである。ウェインの胸にまでしか届かない少女の瞳が、小さな怒りの炎をともす。少女の鮮やかな紅唇が苛烈にひらめくと、たちまちのうちに青年魔導士の非礼を糾弾した。
『いつまでそのように呆けておるのだ、この無礼者! わらわを天地陽陰の要守国・神威の姫と知っての狼藉か!』
尊大かつ、威圧に満ちた一喝だった。小柄で可憐な美少女の発言としては、かなりきつい内容である。しかし、ウェインはぽかんと少女を見返すばかり。それには大きな理由があった。
「……異国語? それにしたって、全然聞いたことがないぞ」
そう、少女の鋭い舌鋒が放ったのは、得体の知れない異国語だったのだ。魔導士になるにあたって、複数の言語を学ぶ機会に恵まれたウェインだが、聞いたことのない言葉に戸惑うばかりである。
少女はしばし怒りの形相だったが、ウェインの困惑に気づいたようだ。一瞬だけ素の表情に戻るも、すぐに毅然とした態度を取り戻し、あらためて言い直す。
「わらわは天地陽陰の要守国『神威』の姫である。そのわらわを、このような場所に立たせたままとは、無礼ではないか」
「うわっ、普通に喋った!? って、言うにことかいて、お姫様だって!?」
「そうじゃ。だからきちんと敬うのが筋じゃ。わらわは、そなたらが言うところの『東邦異郷』の姫なのだからな」
異国情緒をまんべんなく漂わせる少女が、流暢な大陸公用語を披露したことに、ウェインは驚きを禁じえなかった。それだけならまだしも、少女が自らを姫と名乗ったので、仰天するばかりである。
なんにせよ、意思の疎通がとれたことに少女は満足したらしく、見上げてくる視線は相変わらず厳しいが、怒りそのものはだいぶ薄れているように思えた。
薄手の生地を何枚も重ね着した奇妙な服装は、東邦異郷が誇る伝統の和装である。白く細い肩が見えているが、あまり色気は感じられない。美しい黒髪は、頭の上できらびやかな髪飾りでまとめられており、凛としたたたずまいは高貴な者に相応しいものだった。
「どうしたのだ? 聞いた話によると、ここは『よろずや』なのであろう? はようわらわを中に案内いたせ」
「よろずや? よろずやってのはいったい……」
「そなたは疑問でばかり返事をするのだな。ならばこれを見るがよい」
話が全く見えてこないウェインに、少女は呆れながら一枚のビラをひらつかせた。小さな藁半紙の紙面に書かれていた文言は、ウェインにとって見慣れたものであった。
「ここは『カストナード魔道士事務所』で間違いなかろう? この紙には『当事務所では、どんな依頼でも請け負います!』とある。相違ないな?」
得意げに笑いながら、少女は手にしたビラをひらひらと踊らせた。それに対しウェインは、引きつった笑みを浮かべるばかりである。
「いやまあ、確かにそうなんだけどさ……額面通りに取られちゃうのは、どうかな?」
「それでは、これは虚偽を謳っておるのだな。音に聞こえしエリオスライラ公国でこのような不逞がまかり通るとは、失望を禁じえぬな」
少女の烈気に満ちた糾弾は、情けなくも逃げ口上を口にしたウェインをたじろがせた。このままだと母国の名誉に泥を塗る羽目になってしまうので、ほうほうの体で白旗を掲げるウェインであった。
「……わかった、わかりました。どうぞ中に。お話をうかがいますので」
「うむ、わかればよいのだ。人間、素直が一番じゃと、父上と母上がよく仰っていた。そなたはなかなかの美男子なのだから、もっと素直になるがよいぞ」
笑いながら鷹揚に頷く少女に、ウェインはへたくそな営業スマイルで応じた。とりあえず事務所に通そうとドアの脇によけたところ、少女はおもむろにウェインに向き直った。
「ところで、そなたは何という名なのじゃ?」
素直な問いかけに、ウェインは動揺した。先ほどまでの高圧的な雰囲気はどこへやら、子猫のように愛くるしい少女がいた。
「僕はウェイン・クリード。エリオスライラ公国の公認魔道士で、カストナード魔道士事務所に所属してる。こんなもんでいいですか、お姫様?」
「わらわは神条御門。東邦異郷のミカド・シンジョウと名乗った方が、そなたにはよいかの」
楚々とした微笑を花開かせるミカド。板に付いた上品な仕草が、高貴な家の出であることを物語っていた。
いまいち釈然としないウェインに、ミカドが笑いかける。
「ときにウェインよ。わらわはそなたのことをウェインと呼ぶ。そなたも、わらわのことをミカドと呼んでくれて構わぬぞ。これからよしなにな」
「え~と……ミカド、様?」
仮にも一国の姫君を呼び捨てにはできない。ウェインは遠慮がちに少女の名を口にしたが、それはミカドの気に入らなかったようだ。
「様はいらぬ。最低限の礼儀さえ守ってくれればよい。必要以上にちやほやされるのは、わらわの好むところではない」
「そうは言うけど、いきなりそんなの無理ですって」
「無理でもそうするのじゃ。変更は認めぬぞ」
どうやらこのお姫様は、独自の価値観を有しているらしい。したり顔で胸を張るミカドに、ウェインは疲れたように肩を落とすのだった。
カストナード魔道士事務所は、小さくて狭苦しい物件である。入口から来客用のソファまでの距離は十歩にも満たない。とりあえずそこにミカドを座らせると、ウェインはいささかおぼつかない手つきでコーヒーを用意すると、対面のソファに腰を下ろした。
「どうぞ。安物のコーヒーで申し訳ないけど、ウチではこれが精いっぱいなんでね」
「なんと、これが『こーひー』というものか! 話には聞いていたが、真っ黒な飲み物だのう」
前に置かれたコーヒーカップを、興味津々で手に取るミカド。そのまま飲もうとするのを、ウェインは慌てて止めた。
「ちょっと待った。そのままだと苦くて飲めないから、ミルクと砂糖を……」
しかし、ウェインの気遣いは蛇足であった。ミカドは不機嫌そうに、ミルクと砂糖が入った小瓶をウェインに突き返した。
「こんな物は要らぬ。わらわは濃茶を嗜んでおるのだ。子供扱いをするでない」
「いやでも、コーヒーとお茶じゃ苦みの質が違うから……」
なおも食い下がるウェインに、ミカドは憤怒の表情を向けた。どうやら少女の自尊心をいたく傷つけてしまったらしい。
「見くびるでない! わらわはもう十四歳のおとなじゃぞ。苦みなど、とうの昔に克服しておるわ!」
一喝してウェインを黙らせたミカドが、典雅な手つきでコーヒーカップを傾ける。それを不安そうな面持ちで見やるウェインだが、少女の次の反応は、概ねウェインが予期していた通りのものだった。
「……なんじゃこれは!? こんなものただ苦いだけではないかっ! そなたらの味覚は狂っておる!」
「だから言ったでしょ。今からでも遅くないから、これを入れておきなって」
よほど苦かったのか、うえっ、と舌を出してうめくミカド。ウェインは渋面に涙目の少女に、小瓶を差し戻した。
「……言っておくが、わらわは子供ではないぞ。『こーひー』が苦すぎるのが悪いのだ」
「はいはい、わかってますって。たっぷり入れて差しあげますよ」
渋面を崩さないミカドを尻目に、ウェインは必要過多かと思われるぐらい、ミルクと砂糖を投入した。真っ黒な液体は見る間にクリーミーな色に変わる。
「はいどうぞ。これで飲めるでしょ」
ほくそ笑むウェインから無言でカップを受け取ると、ミカドは不本意そうに口をつける。口の中に広がったのは、丸みを帯びた柔らかな味。ミカドからとげとげしい表情を無くすのに、十分な効果があった。
「うむ、これならば飲めるぞ。『こーひー』とは、なんとも美味じゃのう」
くぴくぴと上機嫌に喉を鳴らすミカド。ウェインは呆れ顔をしながら、自分も不味いコーヒーをすするのだった。
「で? ミカド様は当事務所に何の用があって来たのかな?」
一息ついたところで、ウェインはようやくミカドに本題を尋ねることができた。ここは魔導士事務所である。ということは、それなりの用事があって訪れたに違いないのだ。
「そうであったな。わらわがこんなちんけな場所を訪れた理由はじゃな……」
空になったカップをテーブルに置くと、ミカドは悪びれもせずにウェインと視線を合わせた。あまりにも正直すぎる物言いに、思わず憮然とするウェインだった。
「ああ、そうですか。ちんけでどうもすみませんでしたね」
「勘違いするでないぞ。ウェインのことを悪く言ったのではないのだからな」
と、どこまでも上から目線のミカドである。出会った瞬間から翻弄されっぱなしのウェインは、さすがに苛立ちを隠せなくなっていた。そんなウェインが面白いのか、ミカドは愉快そうに笑い声をあげた。
「そんな顔をするでない。ウェインは『いけめん』なのに、性格は少々幼いようじゃ。わらわの母性本能をおおいにくすぐっておる」
「……冗談はいいから、さっさと本題に入ってくれませんかね? ミカド様」
褒められ半分けなされ半分のウェインは、これまで以上にぶっきらぼうな態度をとった。それが照れや羞恥の表れなのは火を見るより明らかで、ミカドから笑みは消えなかった。。
「そなたに頼みたいことは他でもない。わらわに王都ベセンガルを案内してもらいたいのじゃ」
ひとしきり笑ったあと、ミカドはさらりと依頼を明らかにした。その内容を吟味したウェインは、たっぷりと間を置いたのち、じっとりとした口調で問い質す。
「……王都を案内って、どういうこと?」
「案内は案内じゃ。ベセンガルは色鮮やかな文化に彩られた国際都市と聞いておる。わらわはその隅々まで見たいと申しておるのじゃ」
「いや、そうじゃなくて。それってただの観光でしょ? だったら、街の観光局でも訪ねてくださいよ」
いよいよ頭痛が激しくなってきたウェインは、頭を軽く押さえながら、辛抱強く言う。だがミカドは例のビラをちらつかせるや、白々しく言ってのけた。
「よいのか? 然るべき場所で、わらわがこの文面の虚偽を申し立てたりしたら……どうなるかわかっておろうな?」
「……脅迫する気か?」
「いいや? 前向きに話し合おうと言うておる。ウェインは賢明であると信じておるが、はたしてどうであろうかな?」
天使のような笑顔で、悪魔のような脅迫を行ってくるミカド。脅しと懐柔とを交互に織り交ぜてくる手腕は、いっそあっぱれであった。何も言えず、ぐったりと頭を垂れたウェインからは、降参の意が滲み出るのだった。
「交渉成立じゃな。さて、ウェインよ。わらわは先ほどから腹が空いて困っておる。どこか、美味い料理にありつける場所に案内してくれぬか?」
「もうなんでもいいよ。好きにしてくれ」
投げやりに答えながら、ウェインは重そうに腰を上げる。どう見ても友好的な態度ではない。にも関わらず、東邦異郷より参られた小さなお姫さまは、嬉しそうにウェインに取りつくのだった。
「わっ! い、いきなり何だ!?」
「騒ぐでない。それでは出発じゃ! 楽しみじゃのう」
ミカドの温もりと嬉々とした表情とが、ウェインの顔は軽く上気させる。頭の中では厄介事を背負いこまされたという絶望感でいっぱいだが、体の方はそうではないらしい。はたしてどちらが正直なのか、当事者であるウェインにもそれはわからなかった。
王都ベセンガルに、午後の陽差しが降り注いでいる。これまで以上に明るくて暖かい陽気が、王都を包みこむのだった。
第二話『姫君と従者のごとく』
「ぷはーっ! いやぁ、まことに美味であった。『コラテリード』のクラブサンドとやら、わらわは気に入ったぞ」
店を出るやいなや、満腹のお腹を抱えながら、満足げに感想を口にするミカド。がしかし、店から遅れて出てきたウェインの表情は険しかった。その手には、すっかり軽くなってしまった財布が握られている
「……あれだけ食べれば、そりゃ満足だろうさ。二人なのに、なんで四人分の金額がかかるんだ」
「わらわは成長期まっしぐらなのじゃ。よく食べてよく遊び、よく眠る。これこそ美の秘訣であるぞ」
口の周りをソースで少し汚したミカドは、脳天気に笑うばかり。ぐうの音も出ず、ウェインは持っていたハンカチで少女の口周りを拭いてやる。毒を食らわば皿までの心境であった。
「はいはい。けどね、一文無しっていうのはどうかな? そのあたりどうお考えですか?」
「だから、後できちんと精算すると言っておる。はぐれた従者と合流したら、耳を揃えて返すと言うに」
すべすべとしたほっぺを膨らませると、ミカドは少しきまりが悪そうにそっぽを向いた。さすがに悪いと思っているのだろう。この少女が財布を持っていないことをウェインが知ったのは、食事を終え、さて代金の支払いという段になった時であった。
「ならやっぱり、まずはその行方知れずの従者を探すのが先でしょう。『探索』の魔法を行使すれば、すぐにでも見つけられるから」
「それはならぬ。それだと、せっかくの王都見物が台無しになってしまうではないか。あ奴は真面目で堅苦しすぎるゆえ、こういう場には向かぬのじゃ」
なんというわがままな発言。ウェインははらわたが煮えくりかえる思いでミカドを見やるが、これに関しては頑なに首を縦に振ろうとしないミカドであった。
ざっと聞いた話によれば、ミカドとその従者は今朝到着した船の便で、エリオスライラ公国に入国したという。たくさんの客がごった返す中ではぐれてしまったというのが、ミカド・シンジョウ女史の証言だったが、今となってはそれも怪しく思えてきた。
「ひょっとして、わざとはぐれたとかそんなんじゃないでしょうね?」
「失敬な。わらわはそのような不埒な真似はせぬ。邪推にもほどがあるぞ」
必要以上に怒気をはらませるものだから、余計に疑いが強くなる。が、ミカドが依頼主である以上、ウェインはその意向に従わなければならない。不本意極まりないが、大人として社会人として、時には割り切らなければいけないことがあるのだ。
「さて、腹も満ち足りたぞ。ウェインはわらわをどこに案内してくれるのかの?」
半ば強引に話を切り替えたミカドは、うきうきと楽しそうだ。邪気のない純粋な表情は、子供特有のものであり。それは決して口にしないが、いささか邪気にまみれてしまったウェインには、少しまぶしかった。
ふう、と溜息をつくウェイン。苦笑いだが、小さく笑いながら、ミカドにお伺いをたてる。
「とりあえず、中央都を回ってみますか。他にも東西南北と街があるけど、まずは中心からということで」
「うむ、よかろう。順路はウェインに任せるゆえ、わらわをちゃんと楽しませるのだぞ」
「はいはい。相務めさせていただきますよ、ミカド様」
小生意気な態度で偉そうにするミカドに、ウェインは粛々と従った。鼻持ちならない点が多々見受けられる少女だが、不思議と悪い気はしなかった。それが少女の徳によるものなのか、自分が単に子供に甘いだけなのか、貧乏かつ暇な青年魔道士にその判断はつかなかった。
エリオスライラ公国の王都ベセンガルは、全世界に名を馳せる国際都市である。カストナード魔道士事務所が建つ下町は昔の街並みに過ぎず、表通りに出た瞬間、開明的な近代都市がその全容を露わにした。
「すごいのう。背の高い建物がいくつも並んでいるばかりでなく、広い道が何本も規則正しく走っておる。人の数も多すぎて、もはや何が何だかわからぬぞ」
「これがエリオスライラが誇る、王都ベセンガルの『中央都』です。あと、あまりはしゃがないように。周りに迷惑がかかりますからね」
中央都に入るなり感動しっぱなしのミカドは、田舎のお上りさんよろしく、あちこちに歓声を上げていた。そのため、少女に同行するウェインは、周囲から注がれる好奇の視線に耐えなければばならず、恥ずかしいことこのうえなかった。
「不粋なことを申すな。すごいものをすごいと言って何が悪い。おおっ! 見るのだ、ウェイン! あんなに大きな車は見たことがないぞ」
「ああもう、まったく。言ったそばからこれだ……!」
道を走る二階建てのバスを見るなり、ミカドはウェインの手をひっつかんで走りだした。車内の客が、そんな少女の愛らしさに応えるかのように手を振りだす。それに元気よく手を振り返すミカドと対照的に、ウェインは顔から火が出る思いだった。
「わらわの国では、車は牛や馬で走らせておるからのう。ウェインよ、あれも魔法で動かしておるのか?」
「そうですよ。魔法で動力を生み出すんだけど、そのきっかけに人の魔力を利用しているんです」
交差点で立ち止まり、遠ざかるバスを見送りながらのミカドの下知に、ウェインは冷めた答弁をした。それには気づかず、ミカドは熱心に何度も頷く。こうした素直な反応は年相応なのだが、次に発した言葉は非凡すぎるものだった。
「なるほどのう。そうやって利便性をうたい、他国にその製品を輸出し、揺るぎない経済基盤を築いておるのか。エリオスライラは賢いな」
「お褒めに預かり恐縮です。さ、ここから先はちゃんと僕についてきてくださいよ」
あなたも十二分に賢いですよ、という言葉を寸前で飲みこむと、ウェインは自らミカドの手を取った。これ以上、利発的な少女を自由に振る舞わせないためである。が、何をどう受け取ったのか、ミカドは頬をほんのりと赤く染めた。
「い、いきなりわらわの手を取るとは。ウェインよ……そなた、思っていた以上にやり手なのだな」
「は? いきなり何を言い出すんだよ。事務所で僕に抱きついてきたのは、どこの誰でしたっけ?」
いかに年が離れた少女といえど、目に見えて恥じらわれては反応に困るというものだ。微妙に声をうわずらせるウェインに、ミカドは悩ましげな上目遣いをした。
「あれは、わらわの親愛の情を表したものだから、別に構わぬのだ」
「あのね、僕だって好きこのんでこんなことをするんじゃないんだ。必要に迫られただけで仕方なく……」
そこまで言ったところで、ウェインは口を閉ざさざるをえなくなった。手と手を繋ぎ合わせた少女が、世にも悲しそうな顔をしたからだ。
「ウェインはわらわのことが嫌いだと、そう言うのか?」
「ええっ!? いや、それは言葉のあやであって、別に嫌いとかそういうのじゃ……」
自分がひどく悪いことをしたような気分になり、ウェインはしどろもどろに言葉を並び立てた。それが十四歳の少女が仕掛けた、巧妙な罠であるということに気づかず。
「であれば、わらわのことを好きだというのだな? それで間違いないな!」
言質を得た途端にこれである。全身に生気をみなぎらせるや、ミカドは食い気味にウェインにつかみかかった。二転三転するミカドの前に、ウェインは目を白黒とさせるばかりだった。
「どうしてそんな極端な話になるんだ!? 好きとか嫌いとか以前に、ミカド様は僕の顧客であって……」
「みなまで言うな! 頼りにしておるからな、ウェイン」
話を勝手に自己完結させてしまうと、ミカドは陽気にウェインの背中をばしばしと叩いた。その衝撃に息を詰まらせながら、ウェインは、どうにも敵わないという思いを強くしていた。満面の笑みで見上げてくるミカドを、半ば放心状態で見返すウェインだった。
※※※
王都ベセンガルは中央都を中心に北・東・南・西のそれぞれの方角に、異なる特色の街を展開している。北は芸術や文化を中心とした学術都市、東は騎士団に代表されるような軍事都市、南は終わりなき魔法の追求に余念がない魔術都市、西ははるかな大海原を望みつつ商工業の発展に勤しむ港湾都市といった具合である。
それら各方角の都市に続く大通りの中心に、エリオスライラ公国の王城『グランパレス』がその威容をまざまざと周囲に見せつけていた。
「あれが噂に名高いグランパレスか。壮麗過多な感は否めぬが、さすがに警備は厳重だのう」
「あまりじろじろと見ないでくださいよ。警備兵に睨まれたりしたら、あとで困るのは僕なんだから」
中央都で最も目立つものといったら、グランパレスをおいて他にない。デパートと呼ばれる複合商業施設もあるが、王城の知名度に比べたらたかが知れたものだ。また交通の要所に鎮座ましましているとあって、ここを訪れるのは当然であり、また必然であった。
「わらわの国の城とは、根本的に仕様が違うのだな。堀もなければ城塞も築かれておらぬのは、攻城戦を想定しておらなんだからか?」
「それもありますけど、エリオスライラは魔導国家だからね。物々しい城壁よりも堅固な魔導結界が、有事の際には展開されるんだってさ」
「ウェインは見たことがないのか?」
「ここ数十年来、この国は平和と繁栄に恵まれていたからね」
「ふうん、そうか。目に見えぬものに安心を保証されるというのも、不思議な話じゃな」
王都のどこからでもその姿を確認できる王城の外郭を、ミカドは黒曜石の瞳でしっかりと見上げた。
「そうか。やはり平和が一番だな。神威は要守国の中でも治安が行き届いた国じゃが、いさかいがないわけではない。エリオスライラのこうした姿勢は、見習わなければならぬのう」
達観した物言いをするミカドの横顔は、ウェインの目にやたらと大人びて見えた。まだ十代だというのに、世の条理をしっかりと考えている少女。自分がミカドぐらいの時はどうだっただろう。ただ漠然と、魔導士になりたいとしか思っていなかったのではないだろうか。
その思いが、ウェインの口から言葉を自然に滑り出させた。
「ミカド様って、やっぱり本当にお姫様なんだなあ」
「だから何度もそう言っておろうが。自分でこう言うのもなんじゃが、わらわほど良識、学識、見識に明るい姫は、そうおらぬと思うぞ」
「ははは。そうやってすぐに調子に乗るのもお姫様っぽい……」
「何か言ったか?」
じろりと睨まれたウェインは、滅相もないとばかりに、顔の前で両手を振った。ミカドはなおも不審そうに睨み寄るも、それさえ愛らしく見えるのだから、罪な少女である。
しばらくそうやって城を見上げていた二人だが、頃合いを見計らって、ウェインがミカドに提案する。
「このままここにいても仕方ない。グランパレスに入れるわけないから、別の所に行こう。せっかくだから、エリオスライラのファッションなんてのを見てみては?」
「『ふぁっしょん』とな? それはいかなるものか?」
「簡単に言うと、綺麗に着飾ったりすることですよ。今のミカド様のお召し物も素敵だけど、この国にはそれに負けず劣らずの服がたくさんありますよ」
服と聞いた瞬間、ミカドの黒目が爛々と輝いた。こまっしゃくれたお姫様だが、そこはやはり年頃の少女、お洒落には敏感なようだ。
「それはよい! わらわも服飾には興味があったのじゃ。できることなら一着、何かあつらえたいものだのう」
「……予算の枠内に収まる程度だったら、考えなくもないよ」
「本当か? ウェインよ、そなたは本当に話がわかる男じゃ。あ奴とは大違いだのう」
ミカドの喜びかたは半端ではなかった。よほど、普段からその従者に締めつけを食らっているのだろう。ふと興味を覚えたウェインは、隣り合って歩きながら、ミカドに疑問をぶつけてみた。
「ところで、従者の人は何て名前なの?」
「和葉刀徹、トウテツ・カズハじゃ。年齢は二十歳で、剣豪・和葉の名を継ぐ侍衛護士じゃ。顔は悪くないのだが、いかんせん性格が堅すぎるゆえ、わらわは好かぬ」
「へーえ、そうなんだ……」
「何か言いたそうな顔じゃな。黙ってないで、はっきり言ったらどうじゃ?」
たぶん相手の方も同じように嫌ってるだろうよ、などと言えるはずがない。少なくとも、ウェインはミカドよりも大人だ。言っていいことと悪いことの分別くらいはつけられるのだ。
何となく無言になってしまったウェインを睨むミカドだが、、エリオスライラのファッションに触れられる喜びの方が勝ったようだ。軽やかな足取りで歩き始めた少女に、ウェインは人知れず頬を緩めるのだった。
さて、二人は知らないことだったが、この時王城グランパレスを挟んだ向こう側に、ひとりの青年が立ち尽くしていたのだ。彼の佇まいは東邦異郷のそれで、純白の着物の腰には見事な造りの刀が二振り差されていた。
「立派な城だ。……しかし今はそんなことより、姫をお探し申し上げなければ」
強い決意と焦燥感をみなぎらせた彼がとった道はしかし、ミカドらが歩み去っていった方と、全く逆であった。
第三話『夕暮れの王都に影二つ』
白とピンクの内装に、種類豊富な衣類が所狭しと陳列されていた。スタイル抜群のマネキンがポーズをとって、格好良く季節の新作を着こなしている。長い時間を店内で過ごせるようにに、穏やかな曲調の音楽が耳に心地よい。
が、そんな落ち着いた店の様子とは裏腹に、客の顔つきは真剣そのものだ。ファッションとはつまり戦いなのだということを、店で唯一の男性客は思い知らされている最中だった。
「ウェインよ、これはどうじゃ?」
「いいんじゃないかな、似合ってるよ」
「ならこちらはどうじゃ?」
「うん、さっきのより大人っぽいかも」
「ではこれは? 少し子供っぽいであろうか」
「いや、可愛らしくていいと思うよ」
「これはどうじゃ? 今のところ一番気に入っておるのだがな」
ここは、中央都の一等地に店舗を構えるレディース・ファッション『ラ・グラセーヌ』の試着室前である。カーテンが開くたび、エリオスライラの最先端ファッションに身を包んだミカドがポーズを取る。最初のうち、ウェインは善良な観客を装っていたが、さすがに十回、二十回と続けられると、熱意も冷めるというものだった。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ち申し上げております」
担当した女性店員の深々としたお辞儀で送り出された時、世界は早くも夕暮れに包まれていた。店に入ってから出てくるまで、かれこれ二時間以上の時間を費やしたことになる。
「早いものだのう。もう日が沈む時間か。しかし充実した時間であった」
包みを大事そうに胸に抱きながら、ミカドはまぶしそうに夕陽を眺めた。ちなみに包みの中身は、ウェインが買ってやった衣服一式である。
「早かった、ねえ。僕には無間地獄のような永さだったけどね……」
うんざりとした様子で嘆くウェインは、その見た目通り、心身ともに疲れ果てていた。ミカド・シンジョウをモデルとしたファッション・ショーのせいなのは言うまでもない。ただ待つだけの時間があれほどの苦しみを生み出すとは。ウェインは金輪際、女性の服を見立てるような真似はすまいと、固く心に誓っていた。
「ウェイン、ありがとうな。これは一生の宝にするぞ。わらわが国に戻ったら、重要な式典にはこれを着て臨むことにする」
「それは止めた方が。だって僕が買ったのは、ミカド様が試着したような高価な服じゃなくて、じっぱひとからげの物だよ?」
自分が買ってやった安物のブラウスとスカートを着こんだミカドが、厳粛な式典に参列している光景を想像して、さすがに恐縮するウェインだった。がしかし、ミカドの決心は揺るがなかった。
「値段や価値などどうでもよい。初めて訪れた異国で、わらわの願いを聞き届けてくれた者に対する感謝の気持ちじゃ」
「なんだか調子が狂うな。どうして急に、そんな殊勝になったんだ?」
「わらわはずっと慎み深かったではないか。ウェインも人が悪いのう」
ミカドの手を握る力が、ぎゅっと強くなった。その分、少女の温もりというか、熱い思いが伝わってくるようである。ウェインは夕陽を見上げることで、照れ隠しを図らなければならなかった。
夕刻を迎えたといっても、中央都の賑わいに変化はなかった。これから街は、昼の顔から夜の顔に移り変わっていく。できることならそちらも案内してやりたいところだが、ウェインは残念な知らせをミカドに伝えなければならなかった。
「さて、と。そろそろ従者を探さないと。このままだと夜の宿にも困るだろ? できたら、彼の持ち物なんかがあれば貸してもらいたいんだけど」
ウェインの申し出はもっともなことだった。手持ちが無い状態では、宿を取ることさえままならない。あくまで親切心からそう言ったのだが、ミカドは首を強く横に振るのである。
「いやじゃ。わらわはまだベセンガルの全てを回っておらぬ。その申し出には応じられぬぞ」
「わがまま言わんでくださいよ。お金がないんじゃミカド様も困るでしょ? 下手をしたら野宿だよ野宿。そんなのは嫌でしょう」
「嫌と言ったら嫌じゃ。わらわはウェインと一緒にいるぞ」
いくらなだめすかしても、ミカドは頑として動こうとしなかった。そうこうしている間にも、空の色は紅が深くなっていく。通り過ぎていく人々の顔に好奇の色が浮かんでいるのは、ウェイン達が痴話喧嘩をしているとでも見たからだろうか。
らちが明かないと判断したウェインは、話の切り口を変えることにした。
「わかった、わかりました。それじゃ、あともう一カ所。そこを回ったら今日はもうお開きということで。それでいいですね?」
それは、ウェインのせめてもの折衷案であった。これを呑んでくれなかったら、契約不履行と非難されても、ミカドを見捨てるしかない。ウェインの本気を見てとったか、ミカドは渋々ながら、その提案を受け容れる姿勢をみせる。ほっと息をついたウェインに、ようやく安堵の色が広がった。
「よかった。それじゃそういうことで。どこに行くかは僕が決めていいですか?」
「案内するのはウェインの役目であろう。好きにすればよいではないか」
少ししょぼくれ気味にミカドが頷く。どうやら、かなりご機嫌を損ねてしまったようだ。これでは少々のことで立ち直ってもらえないだろうし、寝覚めも悪くなるというもの。ウェインは考え抜いた挙げ句、ある場所を思いついた。そこならばミカドの機嫌を回復できるという自信も手伝って、ウェインはにんまりと微笑む。
「ミカド様は高いところは平気ですか?」
唐突なウェインの問いに、ミカドは目をぱちくりとさせる。
「高いところは好きじゃ。よく天守閣に登っては、景色を眺めておったでな。だがなぜそのようなことを聞く?」
ミカドの反問に、ウェインは得意げに人差し指を空に向けた。
「そういうことなら、ベセンガルで最も高い場所にご案内しますよ。ミカド様」
きょとんとしたミカドは、ウェインが指差す先に目をやった。少女の目に留まったのは、天空に浮かぶ島であった。
※※※
王都ベセンガルの上空に漂う『空中庭園』。主に魔法の研究施設が置かれており、四季折々の自然環境が維持されていた。それは、魔法が自然を司る精霊の力に密接な関わりがあるためであり、魔法の研究に必要不可欠な要因であるからだ。
「しかしウェインよ。そのような場所は秘匿性が高いのではないか? いかにわらわが神威の姫を名乗ったところで、そうおいそれと通してもらえるとは思えぬが」
「真正直に頼んだら、あっさり門前払いを食うだろうね。でも大丈夫、蛇の道は蛇っていうだろ? 正規ルートがあれば、非正規ルートってのもある」
この場合、ウェインの表情はいたずら小僧のそれに等しかった。これまで無邪気だったミカドが不安そうな顔をしているのだから、立場がそっくりそのまま入れ替わった格好である。
そんな二人がいるのは、大通りから外れた路地である。ウェインはしきりに周囲を気にしながら、せわしなく場所を移動していた。ミカドはウェインの赴くままついていくしかなく、先ほどから無言を貫いている。
「この辺りでいいか。ちょうど死角になってるし、監視の目もくぐり抜けられるだろう」
ようやく足を止めたかと思うと、ものすごく不穏当なことを言い出したウェインに、ミカドは冷たい視線を突き刺した。
「そなた、もしやわらわを犯罪者にしたてあげるつもりではなかろうな?」
「バレたらそうなるかな。でも大丈夫。そうなった時は、僕がすべての責任を負うから」
「そんなのはもっと駄目じゃ! 何をしようとしているのかわからぬが、危険な橋を渡るのは……」
「時間がないから、ちょっと失礼……っと」
声を荒げかけたミカドを、ウェインはごく自然な動作で抱き上げた。そのままお姫様だっこをすると、天高く浮かぶ空中庭園を見上げる。その時になって、突然のことに声も出なかったミカドが、顔を真っ赤にしてわめきたてた。
「な、な、ななな何をいきなり!? わらわにこのような狼藉を働くなどと……!」
「ああ、いいからいいから。それよりちゃんとつかまっててよ。振り落とされても知らないからね」
ミカドの抗議はいっさい受け付けず、ウェインは精神を集中した。自身の内に眠る魔力を呼び起こし、風の精霊に働きかける。両者の思いが通じ合うことで、魔法は完成する。この意思の疎通は、魔導士でない者にはできない芸当である。
「こ、これは?」
「『飛翔』の魔法さ。それじゃ行くよ!」
十分に魔力が高まったとみるや、ウェインは地を蹴って高く飛び上がる。すると、発動した風の魔法が、ミカドをかかえたウェインを空へと舞わせたのである。
「おおー! 空を飛ぶとはものすごい体験じゃ。ウェインよ、恩に着るぞ。わらわに不埒な真似を働いた罪は、これで棒引きじゃ!」
とは、お姫様のありがたい仰せだが、それに答える余裕はウェインにはなかった。二人分の飛行力を得るのに、思いのほか魔力を必要とされるのと同時に、体勢を崩さないように細心の注意を払わなければならない。さらに、空中庭園の監視の目をかいくぐらなければならず、二重三重の苦労がウェインにのしかかる。
空中庭園が空に冠しているのは、もちろん魔法技術によるものである。姿勢制御を司る脚が四本、下方に伸びている。それに触れることは厳禁だが、人が作った物である以上は整備が必要である。ウェインが目指したのは、そういった作業用の区画だった。
「よしっ、着いた! あ~、しんどかったぁ」
せり出した作業台に着地するなり、ウェインはその場にへたりこんでしまった。全身汗だくで、呼吸は荒い。無骨な鉄板が敷きつめられた上で大の字になったまま、動くことができなかった。
「本当にご苦労であったな、ウェイン。さて、ここに何があるというのだ?」
ミカドはウェインの胸に抱かれたままだったから、ほとんど添い寝に近い状態である。興奮冷めやらぬ様子の少女は、熱っぽく潤んだ瞳でウェインを見つめた。それには、多分に別の感情が込められているようである。
「ああ、そうだったね。わざわざ危険を冒してまでここに来た理由は……」
間近に迫るミカドに微笑みかけると、ウェインは作業台の先端にまで歩を進めた。下方に広がる光景は、気の弱い者が見たら確実に卒倒するレベルである。なのでウェインは、ミカドの視線を水平方向にだけ向けさせる配慮をした。
「これだよ。どうぞご覧あれ、ミカド様」
空中庭園下部の縁に立つ二人を、地上以上に雄大に輝く夕陽が照らす。沈みゆく夕陽が朱に染めた街の向こうには、早くも闇色の帳が下りかかっている。真紅と濃紺のコントラストが彩る得も言われぬ美しさに、二人は圧倒されていた。
「……きれい」
ミカドが呟いたのは、たったの一言だけだ。それ以外に言葉は必要ない。ミカドの反応はウェインが期待した以上のもので、ここに連れてきた甲斐があったというものだった。
「地上から見る景色も悪くないけど、空から見渡す景色はもっと最高だろう? 僕のお気に入りの場所さ」
「ウェインの言う通りじゃ。これに勝る名勝を、わらわは知らぬ」
うっとりと溜息をついたミカドと、ウェインの満足げな視線が重なった。
「ここを知っているのは、僕とミカド様だけ。二人だけの秘密だよ」
「そうか、それは嬉しいな……ちと恥ずかしいがのう」
そう言って胸に顔を埋めてくるミカドを、ウェインは優しくなでてやった。今日まで見知らぬ他人だった青年と少女の間に、ある種の絆が芽生えた瞬間である。それはとても甘酸っぱく、ほんのり幸せな感覚だった。
そんな二人を、夕陽だけが暖かく見守っていた。
※※※
その時、彼は地上から天に昇る存在に気がついていた。おそらく彼だけであろう。研ぎ澄まされた集中力が、王都に起きたわずかな異変を察知したのだ。だが残念なことに、彼は魔法というものを、あまりにも知らなさすぎた。
「流星か? いや、流星ならば天から地に降るのが必定。詮無いことを言ってしまったな」
恥ずかしいことを口にしたと、長い黒髪を後ろで一本に縛った青年は、気難しい顔にさらなる険しさを加味した。探し人は未だ見つからず、街は夜を迎えようとしている。ひとたび戦となれば恐れを知らぬ彼だったが、主がいない状況には焦慮に駆られざるを得ない。
「姫は何処におられるのだ? このまま夜になってしまったら、いよいよもって探し出すのが困難となる。急がねば……!」
気持ちを新たに奮い立たせるや、青年は街灯が灯り始めた街に、並々ならぬ決意でもって身を投じるのだった。
第四話『わがまま姫と一夜を共に』
夜の帳が大地を覆いつくしたとしても、王都ベセンガルに眠りの時は訪れない。魔光灯が焚かれているおかげで、街は暗闇に閉ざされずにいる。王都の夜は始まったばかりであった。
そんな中、浮かない顔で下町に向かって歩く青年がいた。彼と並んで歩くのは東邦異郷出身と思しき少女である。青年の方、ウェイン・クリードが重い溜息をつく。
「とりあえず事務所に戻って、どうするかを考えなくちゃな。ミカド様、大丈夫? 疲れてない?」
「わらわは平気じゃ。と、言いたいところだが、さすがに疲れたのう。どこかで休ませてもらえるとありがたい」
一日中歩きづめでは、疲労も極に達するというものだ。ミカドを気遣いながら、ウェインはカストナード魔道士事務所に急いでいた。事務所には中年だが、生物学上、間違いなく女性の魔導士がいる。日が落ちてしまった今、彼女にミカドを任せるのが最善である。従者探しは、残念ながら明日以降に持ち越すしかなかった。
「明かりがついてない? まさか……」
事務所の前まで来たところで、ウェインから血の気が引いた。それでもいちるの望みを託して、建物の中に駆けこむ。暗く閉ざされたドアを開けようとするが、施錠されたドアは押しても引いてもびくともしなかった。
「やられた……! 何で僕より遅く出勤して、僕より早く帰るんだよ……」
やるせない怒りを拳に込めると、思いきりドアに打ちこむ。安普請のドアが悲痛な叫びをあげるも、ウェインの腕力自体はそれほどでもないため、壊れずにすんだ。
「どうしたのだ? 誰もおらぬのか?」
ウェインの行動の一部始終を見守っていたミカドが、不安そうに様子をうかがってくる。
「うん、そうみたいだ。どうしたものか、困ったな」
ウェインは腹が立ってしかたがなかったが、ミカドに余計な心配をかけまいと、無理に笑顔を繕った。が、突きつけられた現実は変えられない。途方に暮れるウェインだった。
「本当にどうする? せめて事務所が開いていればなあ。僕がここに残って、ミカド様には家に泊まってもらうっていう手も使えたんだけど……」
ウェインの思考は、知らず知らずのうちに口からもれ出ていたらしい。すると、それまで黙っていたミカドが大声をあげた。びっくりしたウェインが振り返ると、そこには嬉々としたミカドがいた。
「それじゃ! ウェインよ、その手があるではないか!」
今日一日でウェインは学習していた。ミカドが得意満面に笑う時は、自分にとって都合の悪いことを思いついた時だということを。そのため、ウェインは自然に身構えてしまうのだが、それを知ってか知らずか、ミカドの笑顔は本日一番であった。
「嫌な予感しかしないんだけど、何がどうしたって?」
おそるおそる聞いたウェインに、ミカドはにっと八重歯をのぞかせた。
「わらわがウェインの家に泊まればよいではないか。そうと決まれば、いつまでもこんな辛気くさい場所に居る必要はない。さあ、早く案内いたすがよいぞ」
やはりである。ウェインが想定した中で、一番最悪な選択肢に、ミカドは行き着いてしまった。ここまでの付き合いで、ミカドが言い出したら聞かない性格だということは周知の事実である。それでもしかし、ウェインは言わずにはいられなかった。
「それは勘弁してもらえないかな? 僕は男で、ミカド様は花も恥じらう女の子だ。特に親しくもない僕らが、同じ屋根の下で夜を過ごすっていうのは、ちょっと……」
「それではウェインは、その花も恥じらう女の子であるわらわを、夜の街に放逐するというのか? その方がよほど不義ではないか?」
「うっ……」
言葉に詰まったのが災いした。ミカドの苛烈な攻勢が、ウェインが築いたささやかな堤防を、いとも簡単に突き崩しにかかる。
「わらわがよいと申しておるのだから、何も問題はなかろう。それとも何か? ウェインはわらわに暴虐の限りを尽くすかもしれぬと不安なのか?」
「そ、そんなことは……」
「ないというのなら、心配など無用ではないか。楽しみじゃのう。ウェインがどういう風に暮らしているのか、わらわはものすごく興味があるぞ」
止まらない。もう絶対に止められない。薄汚れた壁に重々しく背中を預けたウェインは、脱力しきった顔で天井を見上げた。世の中には、運命に身を委ねるという言葉があって、今のウェインがまさしくそれであった。
そんなこんなで二人はウェイン邸にやってきたわけだが、そこはお世辞にも高級とは言えない街区にひっそりと建つアパートだった。下町住まいでないことが、若き魔導士ウェイン・クリードのささやかな誇りだった。
「むう。夜の闇に溶け消えんばかりじゃな。これがウェインが暮らす家なのか?」
「そうですよ。幻滅したでしょう? 今からでも遅くないから、別の方法を模索して……」
「いや、一向に構わぬ。ウェインと一緒ならば、わらわは幽霊屋敷でも構わぬのだ」
どうあっても説得は無理なようで、ウェインは打ちひしがれながらの帰宅となった。アパートの中は外見以上にくたびれていて、階段など一段上るたびに軋む有様である。
足を忍ばせるウェインに対し、ミカドは元気良く足音を立てながら歩いている。それを聞きとがめたウェインは、後生とばかりミカドに懇願した。
「ミカド様、お願いだから静かにね? 女の子を部屋に連れこんだなんて噂を立てられたら、僕はここにいられなくなっちゃうから」
「なぜじゃ? 事実なのだから言わせておけばよかろうに」
「事実でも洒落にならないんだって! 世間体ってものがあるの! ……とにかく。誰にも見つからないように、いいね?」
「わかった。ウェインがそこまで言うのなら、そのようにする」
思わず大声を出してしまったウェインは、慌てて口を抑えると、蚊の鳴くような声でミカドに釘を刺す。思いがけずミカドが素直に頷いてくれたのでほっとするも、いつ誰に見られるかわからない状況に変わりはない。気が気でないウェインは、自分の部屋がある三階へと、静かに急ぐのだった。
「しかしずいぶんと静かじゃな。本当に人が住んでおるのか?」
「三階は僕以外に住んでる人はいないんだ。両隣の部屋は空き部屋だよ」
「ふうん、そうなのか……」
三階に到達したことで、人に見られる心配がなくなったウェインは、少しだけ落ち着きを取り戻していた。人気のない廊下に三つのドアが並んでいる。真ん中のドアの前に立つと、ウェインは鍵を外してドアを開けた。
「どうぞ。言っておくけど、快適な空間は期待しないでよ。ひとり暮らしの男の部屋なんて、魔窟以外の何ものでもないんだから」
「わかっておる。わらわの国でも似たようなものじゃ。男という生き物は、女がいないと生活することさえままならないからのう」
真面目くさった顔で世の真実を述べるミカドに、ウェインはいっさいの反論できなかった。
ウェイン・クリード氏宅は、キッチンとダイニング・ルーム、居間と寝室という間取りだった。バス・ルームもトイレも付いていて、内装の古めかしさと汚れなどを除けば、まずまず立派な部屋であるように思われた。
「綺麗に片づいておるではないか。先ほどは謙遜を申したのだな」
「たまたまだよ。普段はもっと汚いんだから」
足を踏み入れた部屋の中を、感動の眼差しで見て回るミカドに、ウェインは落ち着かない様子で答える。いつもひとりの部屋に女の子がいるという状況がそうさせているのだが、他にも理由があるような気がしてならない。
「ところでウェインよ。わらわは一日歩きづめで、汗を掻いてしまった。湯浴みなどをしたいのだが」
「湯浴み……って、お風呂のこと?」
招かれざる賓客は、家主をとことん追いつめたいらしい。ぎょっとするウェインに、ミカドはこれみよがしに着物の裾をぱたぱたとあおいでみせた。
「そうじゃ。わらわは姫である以前に、かよわき女子なのだ。それをいつまでも汗の匂いにまみれさせるなど、男のすることではあるまい」
ミカドの言い分は身勝手がすぎるが、今さら逆らったところで得することは何もない。ウェインはミカドと接する際の処世術のようなものを、しっかりと会得していた。すなわち、あきらめてその意に従うということだ。
「わかりましたよ。バス・ルームはこっち、シャワーの使い方はわかる?」
「『しゃわー』とはなんじゃ?」
「……もういいよ。一から説明するんで、ちゃんと聞いててくださいね」
「別に説明などいらぬ。ウェインが一緒に入ってくれれば、それですむことではないか」
「入るわけないでしょうが!? いいかげんにしろよ!」
すったもんだの末、バス・ルームの中から聞こえてくるのは、軽やかなシャワーの音と少女の声だけになった。危うく犯罪者になりかけたウェインは、脱衣所にミカドの着替えになるようなものを放りこむと、これからは先手を打っていくことを決めた。
「もうこれ以上、ミカド様の言いなりになるのはごめんだ。心身の安定を保つためにも、これは絶対だ」
ある意味、壮絶な覚悟のもと、ウェインは行動を開始した。キッチンに飛びこむと、簡単な夕食を準備する。ただの肉野菜炒めとコンソメ・スープだが、思いのほか味は良かった。調子に乗ってグリーン・サラダも用意してやると、貧相な食卓にもまずまずの光景が広がる。
「おお、いい匂いじゃのう。もしやウェインが作ったのか?」
料理をダイニング・ルームに並べる頃になって、バス・ルームからミカドがやってきた。ウェインが着ざらしたシャツを着ているため、全くのぶかぶかだ。凄まじい勢いでウェインがミカドから視線をそらしたのは、湯上がりで妙な色香を漂わせる少女が、下着を着けていないことに気づいたからである。
「下着くらい着てこいよ! バカじゃないのか!?」
「仕方なかろう。着替えも何もかも、従者に持たせておったのだから。それより早く食事といこうではないか! わらわは腹と背中がくっつきそうなのじゃ!」
色気より食い気が先に立つミカドは、ウェインの困惑など意にも介さなかった。大きな動きでシャツの裾が翻り、あやうく桃尻の半分が見えようとも。気にしている方が馬鹿みたいな感覚に陥り、ウェインは覚悟を決めた。自暴自棄になったといってもよかった。
「今夜はもう飲んでやる。明日がどうなろうと知ったことか!」
秘蔵の美酒『マク・ロニール』をテーブルに叩きつけるように置くと、それを浴びるように飲み始めるウェインなのだった。
※※※
「本当に、わらわがウェインの寝台を使ってよいのか?」
ベッドに腰掛けたミカドが、寝室の入口から顔を出すウェインに声をかける。ほどいた黒髪がしっとりと濡れて月明かりに光るさまは、金銀珠玉に勝るとも劣らぬ美しさである。
「構わないって言ってるだろ? 僕は居間のソファで寝るから、何の問題もないよ」
ウェインは小脇に抱えた毛布を掲げながら、眠そうにあくびをした。実際眠いのだが、あまりに酒を痛飲したのがいけなかったのかもしれない。前後不覚とまではいかないものの、思考能力は普段よりだいぶ低下していた。
「そのベッド、ちょっと硬めだけど、寝心地はいいんだ。きっといい夢が見られるよ」
喋るのも面倒になって、ウェインが適当に話を切り上げようとした時である。
「それは駄目じゃ!」
凛としたミカドの声が、ウェインの動きを止める。ドアを閉じかけていたウェインは、頭を掻きながら寝室に戻った。怒った顔をするミカドもかわいいと、頭のどこかで思いながら、少女にたずねる。
「駄目って、何が?」
「わらわはこれまで、さんざんウェインの世話になってきた。そのうえさらに寝床まで独占したのでは、厚顔無恥もいいところだ」
「じゃ、ミカド様がソファで寝るかい? 毛布一は枚しかないから、ちょっと寒いと思うけど……」
「そういうことを言っているのではないっ!」
少女の金切り声と一緒に枕が飛ぶ。凄まじい勢いで飛来したそれは、酔いどれのウェインの顔面を見事にとらえた。目が覚めるような痛みを覚え、ウェインはその場にうずくまる。あわれな青年が、謂われのない暴力に抗議の声を上げようとするが、ミカドはそれすらも許さなかった。
「わらわひとりで寝ることはできぬ。そなたもここで寝るのじゃ」
神妙な顔でそう言うと、ミカドは固めのマットを手の平で叩いた。ウェインは開いた口が塞がらないどころか、完全に呆れていた。そのつもりはないのに、つい笑ってしまう。
「あのね。冗談でも言っていいことと悪いことがある。僕をからかって遊ぶのは、もう止めにしてくれないか?」
「ウェインが嫌だと言うなら、わらわも床の上で寝る。わらわのことを思うてくれているなら、一緒に寝てもらいたい」
ウェインを見つめるミカドの眼差しは、真剣そのものだった。静かな威厳を帯びたその姿からは、からかいや冗談の気配は微塵も感じられない。そうだった。ミカドはずけずけとものを言うが、決して嘘などつかない少女だった。
「……わかった。それがミカド様の意思だっていうなら、それに従うよ」
諦念したウェインは溜息をつきながら、慣れ親しんだベッドに潜りこんだ。月明かりに浮かぶミカドの顔が、しっとりとした微笑の形に揺れ動いた。
「わかればいいのじゃ。それにほれ、こうして寝る方が暖かであろう?」
「そうだな……って、くっつきすぎだ。胸とか太ももとか当たりまくってますが?」
「これはの、『大さーびす』というやつじゃ。わざとやっていることでな、気にするな」
偏った知識を披露しながら体をすり寄せるミカド。少女の火照った柔らかさは、ウェインの男を刺激するのに十分すぎた。が、すでに酒毒で十分に冒されていた青年は、性欲よりまず強烈な睡魔に襲われるのだった。
「もう寝るのか? つれないのう」
「うん。もう限界……おやすみ、ミカド様」
薄ぼけた意識の中で、ウェインは自分の声を聞いた。そこから先はあまり判然としないが、ミカドの声が耳元で聞こえたような気がする。
「おやすみ。今日は本当にありがとうな、ウェイン……」
次いで、頬に当てられた柔らかくて熱い感触。それが何なのかわからぬまま、ウェインの意識は深い井戸の底に落ちていった。
※※※
『今度のお休み、一緒に過ごさない?』
『いいけど、僕なんかといるより、やりたいことをやった方が有意義なんじゃないか?』
『私がしたいことは、あなたと一緒にいることよ』
『エリオスライラが誇るマディラ・バラノウァに言われるとは、男冥利に尽きるね』
『からかわないでよ。約束だからね。待ち合わせはいつもの場所で。もし来なかったら、家まで押しかけてやるんだから』
『それは困るな。その日は可愛い子猫ちゃんを家に招く予定なんだ』
『もうっ、バカ。それじゃ、楽しみにしてるからね』
『わかったよ。マディラ、仕事で忙しいと思うけど、あまり無理するなよ』
『ふふっ、ありがとう。あなたもね、ウェイン』
『嫌味にしか聞こえないぞ』
『ガールフレンドの気遣いぐらい、素直に受け取りなさいよ』
※※※
『魔導伝話機』で交わした、ある日の会話。ウェインは夢の中で、おぼろげにそんなことを思い出していた。約束した日とは、いつのことだっただろう。
明日は待ちに待った休日である。ミカドという、小生意気だがとても可愛らしい子猫みたいな少女が転がりこんできたから、ゆっくり過ごすことはできまい。
従者を探す前に、もう少しだけ王都の案内をしてやりたい。そんなことを考えながら、ウェインは深いまどろみの中に身をまかせるのだった。
第五話『高潔なる侍衛護士』
悲劇は唐突に訪れるから悲劇なのだ。前もって事態を想定し、それなりの心構えをした上で向かい合えたならば、そうはならない。しかし、ウェインが悲劇に巡りあってしまったのは、朝というには遅く、昼というには早い時間だった。
「……っ!?」
開け放たれた寝室のドア。聞こえてきたのは、ひゅうっと息をのむ音。申し合わせたようにはっきりと目を覚ましたウェインは、そこに立ち尽くしている人物を見るなり、酔いも眠気もいっぺんに吹き飛んでしまっていた。
「な、なんでお前がここに……?」
濃い蜂蜜色の髪を背中の中ほどまで伸ばした、眉目秀麗の若い女。よそ行きであろう小洒落た、しかし大人の落ち着きと色香を漂わせる衣服から、美しく健康的な美脚がすらりと伸びている。
ビジョンや雑誌などで姿を見ない日はない、グラムセナード魔導士事務所に所属する稀代のホープにしてアイドルのような立ち位置にいる彼女は、マディラ・バラノウァその人であった。
ほんのり化粧をした顔がわなないているのは、目の前にあった光景に衝撃を受けたからに他ならない。半開きになった紅唇からは、声すら出てこない有様だった。
「う……む。なんじゃ、うるさいのう。もう朝なのか?」
間の悪いことに、ウェインのシャツだけを着たミカドが起きてしまった。不用意に毛布を払いのけたため、あられもない姿が白日のもとにさらされる。少女が着崩したシャツから、そのささやかな裸身が蠱惑的に顔をのぞかせていた。
「まずは落ち着こう、マディラ。話せば長くなるけど、話さないことには何もわからないし伝わらない。きっと誤解は解けるはず……!」
二日酔いなどよりずっとひどい吐き気と胃痛に襲われながら、ウェインは懸命に言葉を繋いだ。すべては事態を丸く収めるため。しかしそんなウェインの苦心を台無しにするのが、彼に抱きついたまま無邪気に笑うミカドだった。
「よく眠れたのう、ウェイン。そなたの肌はとても暖かくて気持ちがよかったぞ。わらわを何度も満足させるとは、まことに感服するばかりじゃ」
「そんなたわ言を言うのはこの口かーッ!?」
などと、人に聞かれたら誤解されるようなことを、つやつやとした顔で恥ずかしそうに言うものだから、始末に負えない。顔面蒼白のウェインがミカドの口を塞ぐが、抱き合う半裸の男と半裸の少女がそんなことをしては、いちゃいちゃしてるようにしか見えない。
「……い」
その場で硬直していたマディラの口から、ようやく声らしきものが聞こえてきた。ウェインは反射的に、だがそれに突破口を見出そうと、必死に食いつく。この機を逃してはならないとばかりに。
「どうした? 頼むから冷静になってくれよ。僕にはやましいことなんて何一つ……」
「のう、ウェインよ。この女は何者じゃ? わらわとウェインが同衾している寝所に勝手に入ってくるとは、無礼きわまる。早急に追い出すがよかろう」
「ミカド様は余計なことを言わないで! ……あの、マディラさん? さっきからずっと震えてらっしゃいますけど、いかがなさいました?」
尋常ならざるマディラの様子に、ウェインは卑屈な笑みを浮かべながら、おそるおそる様子をうかがった。その脇では、ミカドが不満そうに頬を膨らませている。圧倒的な絶望感が漂う修羅場に、ウェインは生きた心地がしなかった。
しかし、破局は突然訪れる。激情の波に呑みこまれてしまったマディラが、ついにその感情のたけを爆発させてしまったのだ。
「いやああああぁぁぁぁッ!?」
「ま、待った! 早まるな! 落ちつい……てぇッ?」
「わらわを置いてどこに行こうというのじゃ、ウェイン!」
耳をつんざく悲鳴を残して、寝室どころかウェイン宅から飛び出すマディラ。それを追おうとして立ち上がりかけたウェインを後ろから引っ張り、ベッド下に転げさせるミカド。すべてがひっちゃかめっちゃかだった。
「離してくれ! 僕は彼女を追いかけないといけないんだ!」
「そんな勝手が許されると思うておるのか? わらわはウェインの正当な依頼主であるぞ。あのような女の出る幕などない!」
権威を盾に引き止めようとするミカドだが、必死の形相で振り返ったウェインに気圧され、反射的にその手を離してしまうのだった。
「文句はあとで聞くから、ここは行かせてくれ! 彼女は……マディラは、僕にとって大切な人なんだ!」
「大切な……人?」
途端に弱々しくなったミカドの声を、ウェインは申し訳ない思いで聞いた。が、すぐに表情を引き締めると、手近にあった服を引っかけて、飛ぶような勢いでマディラを追いかけた。
あとに残されたのは、ミカドだけである。さっきまでの騒々しさはどこへやら、寂しささえ感じさせる静けさが、寝室に暗い影を落とす。しばしの間、呆けたようにベッドに座りこんでいたミカドは、寝室の入口に何かが落ちているのに気がついて、それが何なのかを確かめた。
「これは、食材……か?」
マディラの物と思わしきバッグの他に、野菜や肉などが詰まった袋が転がっていた。それが意味しているものは何か。まだ年端もいかない少女にすぎないミカドだが、男女の仲の何たるかはわかっているつもりである。
「やれやれ。始まったと思ったらもう終わりか。人生とは過酷だのう……」
ミカドの顔は、一見はれやかだが、内面では葛藤が渦巻いていた。薄れつつあるウェインの温もりを寂しく思いながら、窓外の景色に目をやる。その横顔には、深い陰影が浮かんでいるのだった。
※※※
一般に魔導士というと、文弱の徒と誤解されがちだが、魔法を使うのに重要な精神力、集中力を培うのは、一も二もなく体力である。従って魔導士の脚力は、基本的に高水準なものになる。
マディラは王立魔導学院で上位の成績だったから、その体力も申し分ない。彼女より成績が落ちるとはいえ、ウェインも魔導士で男だから、体力はそれ以上だ。その差の分、両者を隔てた距離は、みるみるうちに縮まっていった。
「待て! 待って! 待ってくれ、マディラ! 話を聞いてくれ!」
ここが人目につく街中であるにも関わらず、声を限りに叫ぶウェイン。寝起きの身には相当こたえるが、マディラが負った心の傷は、きっとこんなものではないだろう。それを思えば、自分の苦しみなどとるに足らなかった。
「マディラ!」
「っ!?」
ラストスパートをかけたウェインは、ようやくマディラに追いつくことができた。急に止まったものだから、勢いがつきすぎて、後ろからもつれ合うように密着してしまう。マディラの甘い香りと、温かみのある柔らかさに癒されかけるウェインだが、すぐにその浮かれ気分を改めた。マディラの綺麗な瞳に、大粒の涙が浮かんでいたからである。
「頼む、頼むよ。お願いだから僕の話を聞いてくれ」
「イヤよ! あんな事をしておいて、今さら何を言おうっていうの!?」
「だから誤解なんだ! あの子とは何もない。ああなったのだって、ちゃんと理由が……」
「理由? 理由ですって!? 男が女と一緒に寝る理由、そんなの聞かなくたってわかりきってる。冗談だと思ってたのに、ひどすぎるわ!」
ヒステリックに叫びながら、激しく身悶えするマディラ。ウェインは彼女を抑えつけるために、全力を出さなければならなかった。それだけ、マディラの怒りと混乱は大きかった。
まずは落ち着かせる必要がある。ウェインはただそれだけを考え、必死に、真剣にマディラに訴えかける。
「違う、違うんだ! マディラ、僕を見てくれ。ゆっくり話そう」
「聞きたくないっ! 聞きたくないよ……! なんで、どうしてなの……!?」
ついに泣き崩れてしまったマディラを、ウェインは情けない顔で抱き支えた。瞬間的な怒りから解放されたマディラは、次の瞬間には悲哀の虜となった。綺麗で大人びた顔の彼女が泣きじゃくる姿は、ウェインの良心をずたずたに引き裂いていた。
それでも何もしないわけにはいかない。辛そうに顔を歪めながら、ウェインはマディラに囁いた。
「マディラ、場所を変えよう。こんな道の真ん中じゃ、話をするのもままならない」
静かな街並みとはいえ、日中の、それも往来のど真ん中である。幸い、通りかかる人はいないものの、いつ好奇の視線にさらされるかわかったものではない。ウェインは強引に動こうとするが、マディラは驚異的なの力でそれを振り払ってきた。
「やめて。あの子に触った手で、私に触れないで!」
「なんだよそれ。馬鹿なこと言うな」
「そういう風にさせたのはウェインでしょう!? 私が悪いっていうの!?」
「わかった、悪かった。僕が間違ってた。だからそんなに怒鳴らないでくれ。このままだと本当に……」
情緒不安定なマディラを、ウェインは何とかなだめようとするが、いつも穏やかな彼女の豹変ぶりに、つい及び腰になってしまう。その結果、あまり強引に出ることができず、膠着状態に陥ってしまった。気ばかり焦って、得るものは何もないという最悪な状況だった。
そのため、ウェインは気づくことができなかった。あるひとりの男が音もなく、自分達に近づいていたことを。
「そこまでだ。貴様ごとき下郎が、それ以上彼女に触れることは許されん」
「……って!? な、なんだ!」
急に背後から突き飛ばされて、ウェインはおもいきりたたらを踏まされた。突かれた肩に走る、鈍い痛み。当惑と怒り、それと屈辱とがウェインをかっ、とさせた。振り返り、いきなり狼藉を働いた男を睨みつける。
「その格好……異邦人か?」
「だからどうした? 男が女を泣かせるなど最低な行為だ。それを見過ごせるほど、俺は甘い人間ではない」
純白に黒縁の道着を身に纏った男は、自然体であるにも関わらず、実際の体格よりずっと大きく見えた。黒髪黒瞳で、いかめしい表情を崩そうとしない青年は、まだ年若いだろう。腰に差した剣を見てとって、ウェインは全身に緊張をみなぎらせた。
「事情も知らずに口を差し挟むのが君の流儀か? そっちの方が、よっぽど外道だと思うけどな」
「貴様の主観などどうでもいい。俺が許せないのは、その女性を泣かせた貴様だけだ」
いわゆる和装と呼ばれる衣装に身を固め、流暢な大陸公用語を口にする若者。一見しただけで、真面目で堅苦しい人物だというのがわかる。つい最近、この特徴に合致する男の存在を知った覚えがある。既視感と言ってもいい。
「もしかして、ミカド様が言ってた従者っていうのは……」
ウェインの呟きは、ごく小さなものだったが、若者はそれを聞き逃さなかった。鉄面皮の片眉をはねさせると、舌鋒鋭くウェインを詰問した。
「なぜ貴様が姫様の名前を知っている? 隠し立てすると為にならんぞ。だが返答次第によっては……」
若者の手が、ゆっくりと剣の柄にかかる。するとその瞬間、凄まじいまでの殺気がほとばしった。若者の無言の脅迫に、ウェインは恐れをなす一方で、自分の推測が正しかったことを知った。この広い王都で、思いがけない偶然の出会いだった。
「やっぱり彼がそうか。……なら、ここで彼に全てを話して、ミカド様を引き取ってもらえば、マディラと上手く仲直りができるかもしれない。この機会を逃す手はない」
暗かった前途に、光明が差したように思われた。ウェインは若者の迫力に圧倒されながらも、起死回生の策に打って出る決意を固めた。これで全てがまるく収まる。そう安堵しかけた瞬間、
思わぬところから綻びが発したのである。
「姫様……そう、あなたと一緒に寝ていたあの子は、ミカドっていう名前なのね」
それは、マディラのささやかな復讐だった。あえて『あなたと一緒に寝ていたあの子』を強調して言った点からも明らかである。ぎょっとした顔をしたウェインの目に、悪意を漂わせながらほくそ笑むマディラが映る。殺気が膨れあがった。
「……どうやら貴様を生きて帰すわけにはいかなくなったようだな」
「ちょ、ちょっと待った! 事実誤認をしたままなのはよくない。僕に弁明の時間をくれ!」
静かな声に熱いものを込めた若者が、一歩足を踏み出す。その分、ウェインは一歩後ろに退いた。こうしているだけでも、若者の威圧感が否応なく伝わってくる。
「我が名は和葉刀徹。天地陰陽の要守国・神威が姫、神条御門に使えし侍衛護士なり。冥土の土産にこの名を刻みこめ……!」
「いやだから! 話せばわかるって!?」
「問答無用!」
ウェインの絶叫に重ねるように、トウテツ・カズハの裂帛の気合いが抜き放たれた。エリオスライラ公国で用いられている剣とは構造から違う、東邦異郷の刀による斬撃が、ウェインに浴びせられた。
「……避けた、だと?」
「あ、危なかった……」
「嘘……。本当に斬りかかるなんて」
張りつめた空気の中に響いたのは、三者三様の声。驚きと安堵と呆然と、絡まり合った声が時間を止める。が、トウテツは真の武人だった。冷静に立ち返るなり、次なる攻撃に意識を集中させた。。
「一の太刀が届かなかったのであれば、二の太刀、三の太刀と繋げれば良いだけの話。いくぞ、下賤の輩めが」
「ち、ちくしょう! なんだって僕がこんな目に遭わないといけないんだ!? 理不尽すぎるだろう!」
ウェインはトウテツが動き出すより早く、脱兎のごとくその場から逃げ出した。トウテツも迷いなく、その後を追いかける。抜き身の刀を手に走り去る姿は、平和な王都の街並みには、異様以外の何ものでもなかった。
二人の後ろ姿を呆然と見送ることになったマディラは、その時になって、自分が大変なことをしてしまったことに気づき、激しく動揺していた。
「ど、どうしよう。あのままだと、ウェインがあの人に……」
その先は想像したくなかった。後を追おうとするも、足が震えて動かない。そんな自分が情けなくて、涙がこぼれ落ちそうになった時、凛とした声がマディラの心を打った。
「……そなた、ウェインとはどのような間柄なのじゃ?」
「あなたは……!?」
マディラが振り返った先。そこには、東邦異郷の和装に身を包んだミカド・シンジョウが、思い詰めた顔で立ち尽くしていた。
第六話『東邦異郷より参られしお姫様』
争いとは無縁の、平和な日々が続いているエリオスライラ公国の一画で、その評判を覆すような出来事が現在進行形で繰り広げられていた。追う者、追われる者。両者の気迫は本物で、まさに生死を賭けた攻防である。
「奇怪な術を使う。俺の駿足をもってしても追いつかぬとは」
東邦異郷の侍衛護士トウテツ・カズハは、下手人の遠い背中に、軽く舌打ちをした。とはいえ、この精悍な偉丈夫は、抜き身の刀と大量の荷物を背負っての追跡である。追われる側のウェイン・クリードに余裕など微塵もなかった。
「『加速走行』を使ってるのに、何で引き離せないんだ!?」
魔導士であるウェインは、魔法を行使したうえでの逃走劇だった。にも関わらず、未だに追跡をまけないでいたから、ウェインの焦りは相当なものだった。
無駄と知りつつ、ウェインはトウテツに向かって声を張りあげた。
「君は絶対に考え違いをしている! 僕とミカド様はやましい関係にない! ただの仕事上の付き合いで、他には何も……」
「貴様ごとき下郎が、みだりに姫の名を口にするな!」
「僕は何も悪いことはしてない! さっきからそう言ってるじゃないか!」
「今さっき、あの女性を泣かせただろう。女を泣かせるなど男として恥ずべきこと。それに、いかなる理由があろうと、姫と一夜の床を共にするなど論外だ」
「だから! 一緒に寝てくれって頼んできたのは、彼女の方からなんだって!」
「それ以上の無用の口舌は聞かん。その賢しげに回る口を、我が刃で斬り裂いてくれる」
ウェインがいくら真実を聞かせようとも、トウテツの頑固すぎる意志は微動だにしなかった。トウテツには、先ほど目撃した事実と、マディラが口にした事実が全てだった。逃げながら、ミカドが彼のことをあまり快く思っていなかったことに、今さらながらに納得するウェインだった。
王都ベセンガルの住宅街で起きた大捕物劇は、突然終わりを告げた。思いあまったウェインは、近隣住民の憩いの場である公園に逃げこんでしまい、袋のネズミとなってしまった。知的な印象を誇る魔導士にしたら、それは恥ずべき愚行であった。
「し、しまった!? ここじゃ空間が限られて、思うように動けない……!」
「飛んで火にいる夏の虫だな。貴様の命運もここに極まった」
仕方なく魔法を解除したウェインは、強い疲労感に襲われた。長時間の魔法の行使は、心身ともに消耗してしまう。対して、ついに下手人を追いつめたトウテツは、表情はおろか息ひとつ乱れていない。涼しい様子で間合いをはかる姿からは、驕りも油断も見受けられなかった。
「姫をかどわかした罪と、あの女性に涙を流させた罪の両方を断じてくれる」
陽光をはね返し、ぎらついた輝きを放つ刀を構えるトウテツ。処刑台にて断罪の刃を握る処刑人のような迫力である。彼の実力は本物だ。しかし、ウェインは恐れることなく彼の前に立った。土壇場にきて開き直ったらしく、激しく唾を飛ばした。
「どいつもこいつもわからず屋ばかりで……! いくら温厚な僕でも、いいかげん腹が立ってきたぞ」
「ほう。罪人風情が小癪な口を聞く。よもや、丸腰で俺とやり合うつもりか?」
笑止千万とばかりに、ウェインを嘲るトウテツ。だがウェインも言われるだけで終わらない。魔導士を侮るなと言わんばかりに言い返す。
「せいぜい見くびっているがいいさ。手痛い目に遭うのはそっちの方だけどな」
「言ってくれる。……では、その自信のほどを見せてもらおうか?」
不敵に言い放ったウェインを、同じように不敵に見返すトウテツ。両者の間に緊迫した空気が流れる。ウェインは魔力を高めつつ、いつでも魔法を行使できるように体勢を整えた。トウテツは剣気を集中し、そのひと振りに必殺の極意を秘める。
遠くの方から子供達の遊び声が聞こえてくる中、男達は一触即発の世界を形成した。やるかやられるかの瀬戸際。穏やかな公園の風景にそぐわぬ殺伐とした光景は、逆に滑稽であった。
『いくぞ……!』
動いたのは同時である。真っ向から打ち合う二人。ウェインの『魔光剣』とトウテツの『臥竜』がしのぎを削りあう。その威力は互角であった。
「俺の刃を防いだ……?」
「物理で魔法をここまで抑え込むのか……!?」
間近に迫った両者の顔に、それぞれ驚愕が浮かんでいた。特にウェインの驚きは群を抜いていた。彼の常識において、魔法に対して生身で挑んでくるなど、あり得ないことだった。それなのに、トウテツは互角以上に渡り合ってくるのである。
「ぐぐ……この!」
「この一太刀で終わりと思うな。次で貴様を朱に沈めてやる」
これ以上の接近戦は不利と悟ったウェインは、いったん間合いをとろうとするが、トウテツの凄まじいまでの気迫がそれを許さない。後ろに引いたら最後、そのまま刀を振り抜かれる危険性が、ウェインをとらえて離さない。
ならば、考えられる次の手はひとつ。凝縮した魔力を爆発させるというものだ。上手くいけば時間を稼げるうえ、そのままトウテツを倒すことも可能だ。だがそれには大きな危険を伴う。爆発より先にトウテツに動かれたら、刀の錆となるのはウェインである。
「イチかバチか、それに賭けるしかない……!」
「その目、死に瀕して活を見出したということか。……面白い!」
ウェインとトウテツが笑い合う。お互いに雄敵と認め合ったのだ。男という種に宿っている、愚かな本能の目覚めである。今の二人に、ミカドやマディラが入りこむ余地はない。目の前の好敵手と全力でぶつかりたいという思いが、彼らを突き動かしていた。
ウェインは全魔力を解放すると、それを一点に集中した。トウテツは腰に差してあったもうひと振りの刀『真打・翔竜』に手を伸ばした。二人を中心に風が吹き荒れ、晴天だった空には不穏な気配を漂わせる暗雲が立ちこめていった。
鍔迫り合いをしていた二人の額から、一滴の汗が伝っていく。重力に引かれ、地面に落ちていくふたつの滴。それが弾けた瞬間、男達は同時に動いた。
勝負が決まる瞬間。それを制する者が公園に現れた。
「両人とも控えよ! 聞かぬとあらば、実力をもって止めるまでじゃ!」
ウェインとトウテツの技が繰り出される寸前、少女の鋭い声が響き渡る。そのせいで、男達が極限まで高めた集中力がおおいに乱れた。何事かとそちらを振り向いた二人の頭上には、巨大な雷雲が迫っていた。
「『雷神豪斧』の裁きを受けよ!」
ミカドの力強い言葉に応えるかのように、黒々とした雷雲から極大の電光がほとばしる。それはあっと言う間もなく男達を打ちすえると、地上でまぶしくスパークした。その中心で、ウェインとトウテツは断末魔の悲鳴をあげながら、加害者に「なぜ……?」と問いかけるのだった。
※※※
すべてが終わった公園に立っているのは、二人の美女だった。和装の美少女はつまらなそうに同じ和装の男の尻を蹴ると、ふてぶてしく吐き捨てた。
「こ奴はいつもこうじゃ。わらわのこととなると、すぐに盲目的に行動しおる。もっとも今回は、それ以外の理由もあったようじゃがのう……」
ミカドの意味ありげな発言に、アイドルもモデルも裸足で逃げ出す美貌を誇るマディラは、困惑気味に視線を泳がせた。
「あの、ミカドさん? いくら何でも、これはやりすぎなんじゃ……」
「やりすぎなどではない。わらわが掣肘せねば、この者達は冗談抜きで死合うておったぞ。それがゆえ、わらわが行使できる法術の中でも最大のものをもって制したのじゃ」
天地陰陽の要守国・神威の神条御門姫は法術と呼ばれる、エリオスライラ公国で言うところの魔法に似た力の権威だった。その実力の一端を見せつけられた格好となったマディラは、ただただ驚くばかりである。ただの少女と思いきや、とんでもないお姫さまだった。
「それにこれは、わらわの怒りでもある。トウテツは言わずもがなだが、ウェインもそなたの存在を秘しておったからのう。にも関わらず、わらわにあそこまで優しくするとは、とんだすけこましじゃ」
ミカドの横顔は怒っているようにも、拗ねているようにも見えた。非常に少女らしい表情に、それまで混乱の渦中にあったマディラは、苦笑に違いないが初めて笑うことができた。
「ミカドさんは、ウェインのことがよほど気に入ったのね」
「うむ。できることなら、このままウェインを引き連れて、大陸横断の旅といきたかった。行く末は祝言を挙げて我が国の重鎮となり、子を幾人も宿したかったのう」
言っているうちに恥ずかしくなったのか、ミカドの顔はトマトのように真っ赤である。そんな少女の大それた野望は、当のウェインの耳には届かなかったのだが、はたしてそれは幸運だったのだろうか。
そんなウェインを愛おしそうに見下ろしていたかと思うと、ミカドは沈んだ溜息をついた。悔しさとも寂しさともとれる響きに、マディラが小首を傾げる。
「しかしそれももう終わりじゃ。ウェインの心はそなたに向いておる。そしてそれは、そなたもそうなのであろう?」
「え? いや、私はウェインに対してそんな……」
「ならばなぜ、あれほどの悲哀を見せた? 狂おしいほどの激情を見せたのじゃ? ウェインのことを思うあまりであろう。隠すようなことではあるまい。ウェインとてそれは同じじゃ」
ミカドは全てを見通しているかのように、淡々と語った。ウェインもマディラも自覚できていないことを、異国からやって来た十四歳の少女は、ぴたりと言い当てたのだ。
「マディラといったな。そなたの口から直接聞きたい。ウェインのことを好いておるのか?」
真正面から対峙するなり、ミカドはマディラに直球の質問をぶつけた。有無を言わせぬ迫力に、マディラは返答するのをためらった。真剣な眼差しのミカドに、その場しのぎの冗談やごまかしは通用しないだろう。
そう感じたマディラは、高ぶる気持ちを抑えるかのように手を胸に当てると、初めて自分の思いを口にした。
「……ええ、好きよ。ウェインのことは好き。でもそれが、男女の仲に当たるものかどうかはわからなかった。今までずっと友達として付き合ってきて、それで私は満足だったから」
マディラの憂いを秘めた瞳が、みっともなく地面に転がるウェインを見つめる。情けない寝姿だが、放っておけない感がいかんなく漂っている。小さな苦笑がマディラからこぼれた。
「けど、やっぱり違ったのね。ミカドさんと一緒に寝てるところを見たら、頭の中が真っ白になって、気がついたら涙も止まらなくなって。ウェインが必死に追いかけてきてくれたのに、何もわからなくなっちゃった」
王立魔導学院で共に過ごした時間。厳しい研修期間を経て、正魔導士の称号を受けた時は、二人で抱き合って喜んだ。街の魔導士としてのキャリアを開始した時も、互いにその健闘を称えあった。
気心の知れた友人だから。魔導士としての務めを果たす同僚だから。これまでは、ずっとそう思っていた。実はそれは上辺だけの話で、芯になっていた想いはそうではなかったのだ。
「私はウェインのことが好き。彼もそうであることを祈ってる。まだ確かめるのは怖いけど、いつかわかりあえたらいいと思ってる……!」
それがマディラが導き出した答えだった。すべてを包み隠さず吐露することができて、マディラはこれまで以上に美しい輝きに満ちあふれていた。
「なるほどのう。やはりわらわが睨んだ通りであったな。最初から、わらわが入りこむ余地はなかったというわけじゃ」
マディラの告白を聞き届けたミカドは、なぜだかにこやかな笑みを浮かべていた。達観した様子に、マディラは疑問を抱いた。
「ミカドさん?」
「それがわかれば十分。もう思い残すことはない。安心してこの地を発てるというものじゃ」
ミカドはマディラに背を向けると、倒れたままのトウテツを起こしにかかった。その小さな後ろ姿は、マディラの目にすごく印象的だった。
「どのみち、わらわ達はここに長くは居られぬのじゃ。たった一日でも良い。自分が初めて好きになった者と、気兼ねなく過ごせたのは、何よりの財産となった」
それは静かな口調であったが、ふつふつと沸き上がってくる思いを、懸命に抑えこんでいるように聞こえた。マディラは何も言うことができず、ただ黙ってミカドの述懐に耳を傾けた。
「わらわは天地陰陽の要守国・神威の姫たる神条御門じゃ。わらわには課せられた使命がある。その前では、個人の感情など大風の前の小石に同じ。気に留める必要はないぞ」
肩口から、少女の表情が垣間見えた。日差しが午後のものに変わりゆく中、頬を伝うひとすじの涙が、陽光にきらめいていた。
エピローグ
人々の往来が激しい駅前通り。せわしなく行き交う人々や車を眺めながら、ひとりの見目麗しき美女が誰かを待ち望んでいる。大人の色香漂うシックなファッションで身を固めた彼女は、マディラ・バラノウァである。
ちらりと時計を気にすると、小さく溜息をつく。約束の時間まであと五分。前回の約束の時は、ここから一時間近くも待たされた。その挙げ句、衝撃的な展開を迎えることにもなった。
だが、そのおかげで得たものもある。今日の約束もそのひとつであった。
「わ、悪い。遅くなった」
「本当に遅いわよ。待ち合わせ時間ぎりぎりに来るなんて、反省が足りないんじゃないの?」
息を切らせてこの場に現れたのは、精いっぱいのお洒落を決めこんだウェイン・クリードだった。それなりに髪も整えてきたのだろうが、よほど急いで来たのだろう。風と汗で乱れて台無しになっていた。
「反省してるって。だからこうやってマディラの休みに合わせて、僕も休みを取ったんだろ」
「あら、それじゃまるで、私が悪いみたいな言い方ね」
「勘弁してくれよ。所長や先輩から、ねちねち嫌味を言われてきたんだぞ? そのうえ昨日はほとんど徹夜だ。体がもたないって」
深い疲労感に打ちのめされて、がっくりと肩を落とすウェイン。今日の休みを得るために、前日に今日の分の仕事を押しつけられた結果がこれである。年中閑古鳥が鳴いているカストナード魔道士事務所といえど、ひとりで事務処理や雑務をこなすとなると、かなりの労力が必要とされるのだ。
「それで、今日はどうするんだよ? そんなわけで、僕は何も考えてきてないぞ」
「別にいいわよ。私のしたいようにするから、ウェインはついてきてくれればいいの」
甲斐性なしの発言をしたウェインを冷たく見やると、マディラはさっと身を翻した。
「そのかわり、覚悟しておいてね。この前の分も含めて、思いきり楽しませてもらうんだから」
振り向きざまにウェインに告げたマディラの顔には、危険な笑みが広がっていた。その種の笑顔に覚えがあったウェインは、思わず天を仰いだ。太陽がまぶしく輝いていて、恨めしそうに顔を歪める。
「マディラもミカド様も似たようなものじゃないか。単純に僕の女運が悪いだけなのか、それとも……」
「何をぶつぶつ言ってるの? さっさと行くわよ。ぐずぐずしない!」
マディラのご下命とあれば、従わないわけにはいかない。世の不条理を嘆きつつ、ウェインはそそくさと彼女の後を追った。今日も快晴の王都は、平和で賑やかな様相を呈していた。
※※※
楽しい時間が過ぎるのは早い。気がついたらもう日暮れの時刻である。マディラは満面に笑みを浮かべながら、食材を調達した買い物袋を手にしていた。ウェインはというと、それ以上に大きくて大量の荷物を、体いっぱいに抱えていた。
「お、お~い。本当に家に来る気なのか? それなら先に、この荷物をどうにかしてもらえないかな?」
「ダーメ。私の家に先に上がるなんて、ちょっとデリカシーがないんじゃない? やっぱり最初は、男の子の家に行かないと」
「何を言ってるのかさっぱりだけど、家は狭くて汚いぞ。悪いことは言わないから、やめた方が……」
「十四歳の女の子はほいほい家に入れておきながら、私だと渋るんだ? ふ~ん、そうなんだぁ」
意地の悪いマディラの返事に、ウェインはこの日何度ついたかわからない溜息を、盛大に吐き出した。
あの後、マディラに引き連れられたウェインは、彼女の私的な買い物に延々と付き合わされた。話し相手兼見立て役兼財布兼荷物持ちという、とてもとてもありがたい役を仰せつかったウェインは、絶望的な嬉しさのあまり、涙がこぼれそうだった。
「その話はもういいだろ。ミカド様も無事に旅立っていったわけだし、誤解だって解けた。そのうえさらに、何を望むっていうんだ?」
自宅アパートにたどり着いたウェインは、非難がましい呟きをもらす。大荷物を抱えたままだと、視界はおろか、歩くことさえ困難である。そのため、アパート前に停まっていた車や、何かの作業を行っている人の姿にも気づけなかった。
「そんなことを言っているようじゃ、私の不満や不審は解けないと思うなぁ」
「本気で言ってるのかよ、それ。全然笑えないぞ」
「笑いたかったら、早く理解してください。……って、三階が少し騒がしいみたいだけど、何かあったのかしら?」
「三階? 僕の部屋がある階じゃないか。ついに取り壊しか?」
マディラの言う通り、上の階から人の話し声や大きな物音が聞こえてきていた。三階といったら、ウェインが住んでいる部屋しかない。気になったウェインは、はやる気持ちを抑えつつ、階段を上る速度を早めた。
「あら、大きな荷物。これも入居の……って、あら。クリードさんじゃないの」
「大家さん? 三階で何があったんです? というより、入居って?」
階段を上りきったところで、このアパートの大家である老婆にウェインは呼び止められた。立ち止まった二人の後ろをすり抜けて、マディラが一足早く様子をうかがいにいった。
いつも仏頂面の大家だが、今日に限って上機嫌である。それがウェインには不気味だった。
「それがね、今日から入居者が入るの。それも一度に二部屋もよ。嬉しい悲鳴とはまさにこのことだわ」
「三階の二部屋ってことは、僕の部屋の両隣ってことですか?」
入居者が増えるイコール家賃収入が増えるということで、しわしわの顔をほくそ笑ませながら老婆が頷く。
「そうなのよ。異人さんみたいなんだけど、部屋は別々にって言うから。どちらにしても、うちは大助かりだわよ」
大家はその後、老後の暮らしが大変だとか、息子の嫁の愚痴だとか、孫の可愛さなどを必要以上に熱く語っていたが、ウェインは当然のごとくそれらを無視した。異人、二部屋、三階の自分の部屋というキーワードが、不穏な答えを青年に想起させていた。
「マディラ? そんなところで立ち止まって何を……」
ウェインの危惧は当たっていた。廊下の真ん中に立ち尽くしていたマディラの腰には、小さな手が回っていた。ウェインは重くて邪魔な荷物を廊下に落とすと、ついにその姿を認めた。少女の方もウェインに気づくと、ぱっとマディラの影から飛び出してきた。
「おおー、ウェインよ! 久しかったのう、元気であったか?」
「み、みみ、ミカド様!? 何でここに? というより、王都を出立したんじゃ!?」
飛びついてきたミカドを抱きとめつつ、ウェインは頭上にいくつも疑問符を浮かべていた。しかし一度見たら忘れられそうにない和装と、純然たる黒髪黒瞳、子猫のように愛くるしい容姿は、見まごうことなきミカド・シンジョウであった。
「うむ。一度はそうしかけたのだがな、やはりあのままでは後味が悪くてのう。トウテツと話をしたのじゃ。そうしたら、しばらくベセンガルに滞在しようということになっての。せっかくだからウェインの家の隣に、という具合に相成ったというわけじゃ」
興奮気味に言いながら、ミカドは懐かしむように、ウェインの胸に顔をぐりぐりと押しつけた。支えてやることしかできないウェインは心中複雑で、やはり同じように呆けているマディラと、無言で顔を見合わせる。と、マディラの後ろから、これまた見覚えのある若者が姿を現した。
「ウェイン・クリード。貴様、いつまでそうやって姫様に無礼を働いているつもりだ。斬られたいのか?」
「と、トウテツさん? もしかして、あなたもここに?」
「俺は姫の侍衛護士なので、付き従うのは当然です。マディラ殿、あなたも俺をお頼りください。ウェインが狼藉を働いた暁には、それに相応しい報いをくれてやります」
マディラに頭を下げたトウテツは、心なしかまなじりが下がっているように思えた。マディラは困惑するばかりで、曖昧に笑ってお茶を濁すにとどめた。が、ミカドの方はそれで収まらなかったようだ。
「ふふん。トウテツはのう、マディラに『ほの字』なのじゃ。であるから、わらわの申し出を一も二もなく受けたのじゃ。ほんに男は、色恋に弱い生き物だのう」
「ひ、姫!? 侍士の名誉を損なう発言は、たとえ主人であっても甘受できませんぞ」
ミカドのしてやったりという発言に、トウテツは自身の代名詞でもある鉄面皮をもろくも崩してしまった。ミカドはイタズラっぽく笑うと、さらに爆弾を投じた。
「だったら、マディラから早う離れることじゃな。ほれ、ウェインが怖い顔をしておるぞ」
「ウェイン、貴様……。俺を嘲笑っているのか?」
「どうしてそこで僕を巻きこむんだ!? 別に怒ってなんか……」
「ウェインは、私が他の男の人と仲良くしていても、何とも思わないんだ……?」
「え? なに、この流れ? いつの間にか三対一の図式になってるんだけど」
マディラに拗ねられ、トウテツに睨まれ、ミカドに抱きつかれたウェインは、胃のあたりが急激に痛くなっていた。このままでいたらどうなるかわからないので、自ら突破口を開こうと試みた。
「あの。つまりこれはどういうことなんでしょう、ミカド様?」
この問いかけに対するミカドの返答は、実に単純明快だった。
「わらわはウェインのお隣さんになるのじゃ! これからよろしくな、あっ、もちろんマディラもじゃぞ? わらわはそなたらのことが気に入っておるでな」
ミカドは元気よくウェインから飛びおりると、マディラの耳元にそっと囁いた。
「これはわらわの、マディラに対する宣戦布告じゃ。いっさい容赦するつもりはないから、覚悟しておくようにの」
「ミカドさん!?」
マディラの悲鳴に似た声には構わず、ミカドはウェインの左隣の部屋の前に立った。そして、折り目正しいお辞儀をしてみせた。
「それでは、よろしくお願い申し上げるのじゃ。わらわとトウテツの両名をよしなにな」
夕陽が美しく、ミカドの笑顔を赤く染め上げた。トウテツは渋い顔ながら、マディラにちらりと視線を送っている。マディラは困惑しきりで、三人をそれぞれを見やっている。ウェインはというと、すべてをあきらめたような表情で、頭を掻くばかりだった。
「……やれやれ、騒がしいことだ。でもまあ、これで退屈せずにすむのかな?」
おそらく今後は、今まで暇だと思っていた日々を懐かしく思うようになるのだろう。そう考えると頭が痛いが、不思議と嫌な気はしなかった。はちゃめちゃだが、楽しい時間が流れていくに違いないから。それは楽しみであっても、残念なことではない。
王都ベセンガルを訪れた、東邦異郷のお姫様。無邪気な笑顔と無垢なる可愛さを振りまく少女は、ウェインとマディラにたくさんの衝撃と記憶を残すことになるのである。
「今夜は祝賀の宴を開くぞ! 皆の者、準備はよいな? れっつぱーてぃーなのじゃ!」
ミカドの無邪気な提案に、三人はそれぞれの表情で頷くのだった。
この作品は、某イベントに参加した時に書いたものです。一顧だにされない不憫な作品でしたが、そのまま眠らせてしまうのはもったいないと思い、こういう形で発表しようと思いました。よろしくお願いします。