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そこに佇む少女の場合

注)子供の亡くなる描写あります。


一話完結で書いていますが、

シリーズとして時間をかけてかいていきます。

ゆっくりめなので次の更新、わかりません。


某SNS内、小説サークルにて投稿

テーマ『傘』

 雨の交差点は、少しだけ切なくて。




 そぼ降る雨に濡れながら、少女はそこに立ち竦んでいた。

 まだ、幼い。

 白いワンピースの裾が華奢な足に絡み付いて、色素の薄い皮膚を透かして見せる。

 その裾をちっちっと引っ張るモノが居た。

 少女はくるりと背後を振り返ったが、誰も居ない。けれど裾はちっちっと引っ張られる。つられるように視線を落とすと、青い瞳の猫がそこに立っていた。

 可愛くも何ともない、痩せこけて荒れた灰色の毛並みを毛羽立たせ、細長い尻尾は所々が剥げている。

 猫は裾を片方の前足の爪にひっかけて、器用に引っ張りながら、後ろの足二本で立っていた。

 少女は猫の青い瞳に一瞬だけ目を合わせたが、口端ひとつ揺らさないですっと横断歩道に視線を戻した。

「オマエ、なに見てるんだ?」

 猫が訊ねる。けれど少女は応えない。

 しばらく返事を待っていたが、

「ま、しょうがねぇか」ひとりごちた。

 裾を爪で引っ張っても揺らしてもまったく反応を示さない少女に、ふぅっと溜息をつきながらまた話しかける。

「なぁ、オマエそのままじゃ濡れちまうぞ。いや、もう濡れちまってるけどよ。

 でも子供がそんな風に濡れるのはいいもんじゃねぇぞ」

 猫は痩せた尻尾を宙に浮かせ、くるくると弧を描きながら、もう片方の手に持っていた傘を差しだした。

 白いだけの何の飾りもない傘だ。

「これを使え」

 冷たい雨の中で、暖かな木造りの柄が少女の手の甲に触れた。

 けれど少女はその温もりにさえ、指ひとつ動かさない。

「しょうがねぇな」

 猫が爪で傘の受骨を押し上げ、カチリと開き、少女の足元に差しかけると、ふっとそこに違和感が産まれた。

 少女は足元に視線を落とし、斜め掛けに差しかけられた傘の内側を見つめている。

 雨はそぼろ降っている。

 けれど目の端に映った傘の外側で、雨は落ちることなく滴のまま宙に留まっていた。

「オマエにはちっと難しいかもしんねぇけどな、この傘は差した内側を残して、外の時間を止めちまうんだ」

 フンと鼻を鳴らしながら猫は聞かれてもいない事を教える。

「ま、そんな事オマエには関係ないだろうけどな、雨をしのぐくらいはできるからな」

 さぁ、と再び差し出され、少女はおずおずと受け取り、柄を小さな両掌で握りしめた。

 

 傘の下で、少女の周りにだけ湿った風が吹き、スカートの裾を弄ぶ。

 宙に浮いたままの雨滴。不自然に足を止めた人々。車が跳ねあげた水溜りが風に揺らぐカーテンのように広がる景色。

 瞳だけを動かしてぐるりと周囲を見回すと、少女は静かに傘を閉じた。

「なんだ? 差さないのか?」

 ネコがスカートの裾をまた引っ張ると、少女は無言で傘をネコの額に押し付けた。

「要らねぇのか? でも一度オマエにやったんだ。返されても困るんだ」

 喉の奥でもごもごと言いながら、押し付けられた傘を少女の手に押し返す。諦めたのか、少女はやっとで傘を小さな手に握った。

 差すわけでもなく、手の中で柄を握ったり緩めたりしながら持っている。ただ木の感触を楽しんでいるだけのようにも見えた。


 雨はそぼろ降り、時に止んで、また降りそぼる。

 少女は濡れたまま立ち続ける。

 朝も昼も夜も、ひがな一日、一歩も動かないまま。

 猫は小さくため息を吐く。

「子供が、そんな風に濡れちまうのは良くないんだけどなぁ」

 少女の隣で見守るように猫も立ち続ける。

 もう何日、そんな雨の日が過ぎて行っただろうか。

 そしてやっと、少女が動いた。

 雨が止んで暖かな日差しが雲間から覗く朝だった。

 少女が立つ横断歩道の横、ガードレールの下に、咲きたての白いユリがそっと添えられた。

 置いたのは少女より幾分年上に見える、セーラー服の娘だった。

 彼女が花を置き、手を合わせ、立ち上がって赤信号を待っているその時、少女は突然に傘を開いた。

「おいおい、もう雨は降ってないぞ」

 猫の言葉は相変わらず耳に入っていない。

 少女は傘を開いて時を止め、彼女の足元にしゃがみこんで、そっと傘を差しかけた。そして彼女の靴に指をかけて、静かに傘を閉じた。

「おい、そんな事したら……」

 彼女が転んでしまうだろう、言いかけて猫は言葉を呑みこんだ。

 再び動き始めた時間。

 靴の具合がおかしいと、彼女が足元を覗いた瞬間、少女は指を話す。彼女はバランスを崩して、ぐらりと前のめりに転がった。

 そして車が走ってくる。


「そうだよな。ソレがオマエの願いだったんだからな」

 人の耳には届かない願いを聞いて、猫は傘を携えやってきたのだ。

 だから少女のする事を、ただじっと見守るしかない。

 転んでいる彼女に車が迫る。

 少女は少しだけ唇の端を噛んで、再び傘を開いた。

 彼女に傘を差しかけて、手を掴んで歩道に引っ張る。

 次に傘が閉じられた時、動き始めた周囲は不思議な光景にざわめいた。轢かれたと思ったはずの彼女が、歩道に無傷で倒れていたのだから。

 後ろから学生服の少年が慌てて駆けつけて来た。

「大丈夫か? 美也ちゃん」

「うん。でも私、どうしちゃったんだろう」

「危なかったんだよ。急に道に倒れて……」

 彼が彼女の手を取り、寄り添いながら青に変わった信号を渡る。

 渡り切った横断歩道の向こう岸で、彼女は不意に思い出したように振り返った。

「茜ちゃん? 茜ちゃんが助けてくれたの?」

 彼女の眼には見ないはずの少女の姿。けれど彼女は今、その存在を感じていた。

「美也ちゃんが幼稚園の時の友達だね。仲が良かったんだろう?

 ……ずっと見守ってくれていて、助けてくれたのかな」

 彼は彼女の手を握り、「良かったね」と呟いた。


 「ありがとう」と涙をこぼして立ち去る彼女と彼の背中を見送りながら、猫はまたひとりごちる。

「勝手なこと言ってらぁ。

 時間が大人にしてくれるヤツらが、こんなチビに《見守って》なんて言ってんじゃねぇよ。なぁ? オマエ?」

 見上げる猫に、少女は口端を緩めて笑った。


「独りぼっちは嫌だ。それがオマエの願いだったな。だからオレは来たんだ。

 でも引っ張るのは良くないんだぞ」

 猫は痩せた尻尾で傘を軽く撫でた。

「オマエ、偉かったな。良くない事をしなかったんだ。

 だからこの傘のもう一つの使い方を教えてやるよ。頭にすっぽり被るように差してみな」

 少女は猫に言われるまま、傘を差した。

「頭から被って、ゆっくりそのまま閉じてみな」

 少女はゆっくりと傘を閉じる。

 傘はするすると少女を呑みこみながら閉じられてゆく。

「独りぼっちじゃない所に行くんだ。

 オマエは大人にゃならねぇけど、そうやってずっと笑ってりゃいい場所があるんだ。

 そうさ。子供は晴れた日の雲みたいに、ふわふわ笑ってるのが一番いいんだからな」

 傘は少女を足元まですっかり呑みこむと、少女もろともに霧となって消えた。


 

 最後まで消えたのを見届けると猫は、車が往来する交差点を、するすると渡りはじめる。

 けれど誰にも猫の姿は見えないので、事故の起こりようもない。

 そして、痩せた尻尾を謳うようにくるくると回した。


「さて、と」

 誰かの願いが、聞こえる方へ。





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