そこで生まれた彼の場合
注)子供の亡くなる描写あります。
一話完結で書いていますが、
シリーズとして時間をかけてかいていきます。
ゆっくりめなので次の更新、わかりません。
某SNS内、小説サークルにて投稿
テーマ『トンネル』
産まれてきたことに、意味なんか無い。
そんな言葉すら、ここには存在しない。
村は突然に燃えた。
燃え盛る花畑の畔を逃げ惑う中で、少年は大人たちの断末魔を聞いた。
耳の端に、花から取れる《汁》を誰かが別の組織に横流しした為の報復らしい、そんな話を挟んだが、そんな恨み言には耳も貸さず、ひたすらに獣道を駆けた。
昔、村と他村を繋いでいたという峠道に在ったトンネルの入り口に辿り着いて、彼が見下ろした村は、揺れる花に彩られていたかつての姿を失い、ただの消し炭と化そうとしている。
おそらくは、そこに住んでいた住民たちを混ぜこぜにして。
燃え続ける村をまんじりと眺めている彼の、剥き出された肩にぽつりぽつりと滴が落ちて当たる。
あぁ、雨だな……彼はぼんやりと思った。
この雨は救いの雨になるのだろうか。
村を焼いた炎が周囲の密林に広がらないように手配はされているだろうが、その手を助ける雨だろう。
もっとも、そんな事すら彼には縁のない思惑なのだが。
ただ、背中に迫りくる炎からがむしゃらに逃げただけなのだ。その結果随分な火傷はおったものの、助かってしまったのは決して彼の本意ではないのだが。
これからどうすればいいのかすら解らない。
彼は降り始めた雨を避けるために、半壊してぎりぎり人が入れる程度にぽっかりと口を開けていたトンネルの入り口に身を滑らせた。
今までにも何度となく身を潜めるために訪れたトンネルだ。地面に散らばる瓦礫の場所はすっかり把握している。けれど用心にこしたことはない。
手掘りのごつごつとした壁に、火傷の生々しい手を這わせながら注意深く暗闇の中を進む。
トンネルの真中あたりまで来て、ぽつんとできた窪みに小さな体を沈める。彼が何度も訪れて、せめて体が痛くないように座るために、柔らかな土を敷き詰めた空間だ。
膝を抱え、光の届かない闇を睨むように瞳を開いてじっとしていると、頭の中に、慌ただしかったこの数時間が駆け巡ってくる。
朝はいつもと何ら変わりなく始まった。
村人を働かせるために組織が落としてゆく、少量の阿片を心の拠り所にいそいそと畑へ出てゆく大人たち。
いずれ自分たちもそうなるのだと、それ以外の可能性など何も持たずに黙々と働かされる子供たち。
村を取り囲む密林の空に赤く染まった陽が落ちたのを合図に、火は放たれた。
あばら家に逃げ込み、家と共に燃え落ちる人々。
村の外に逃げようと散り散りに密林へ入り、鳥を撃つように放たれた弾丸に倒れる人々。
少年が命からがらに逃げおおせたのは、幸運でも何でもなかった。
村の子供たちは一様に《逃げ場》を持っているからだ。
もっとも、殆どの子供たちは村の近場にしか逃げ場を持たないので、生きて逃げおおせたのは彼一人だった。
他に娯楽を持たない大人たちに、組織がおこぼれ程度に与える阿片。その為だけに身を削る彼らの焦燥は、手近な子供に振るわれる。
少年が他の誰も知らないその道を初めて見つけたのは、確かに偶然だった。
まだ組織が村に芥子を持ち込むより以前。
この場所に人が定住し始めた頃、他村とを繋いでいた唯一の道。
組織が車を使って入り込むために広い道路を敷いてからは、寂れ忘れ去られた村の歴史の一部だった。
ともあれ、彼は暗闇の中でようやく一息をついた。
すると急に、焼けた皮膚の激痛が彼を襲い始める。
気を失いそうな痛みと、眠る事を許さない苦痛が繰り返し訪れて、どれだけの時間をそうして過ごしただろう。
やっと痛みも感じない虚無に辿り着いて、静かに彼は目を開けた。
その先に、違う生き物の瞳を見つけた。
彼から少しだけ離れて正面に、じっと開かれた二つの青い光。
密林の獣。
彼は獣が、指先ひとつさえ動かなくなった肉体を終わらせてくれるために来たのだと思い、口端で笑みをこぼした。
けれど青い瞳は少年の期待を裏切り、そこから近づくことはなかった。
時折瞬きをしながら、彼を見つめるだけだ。
静かな暗闇の中で、双方の息遣いだけが荒く響く。
そうか。
彼は何とはなしに気付いた。獣も、自分同様にあの炎の犠牲者なのだ、と。
獣にとって、武器を持った人間は時に彼らを弱者に貶める。
闇の中で獣の姿は見えないけれど、自分と同じ哀れな敗者たる相貌なのだろうと思いつつ、彼は青い瞳を見つめ返す。
時間も止まったような闇の中で、確実に彼と獣は命を削り落としていった。
いつまで。
いつまでこうしていればいいのだろうな……
乾いてひび割れた動かない唇から、声にならない思いを少年が洩らせば、
もうすぐ。
もうすぐだ。
もう瞬きのためにすら開かなくなった青い瞳がうっすらと揺れて応えた。
そしてやっと、痛みも空腹も、苦しみも消えた。
彼らにとって今、死ぬことは快楽だ。
遠ざかってゆく意識はふわふわと舞うようで、肉体に刻まれた苦痛の全ては、遠いどこかに飛んで消えた。
最後に彼は、開かなくなったはずの瞼をゆるりと開き、目の前で消えた息遣いの主を想った。
あぁ、こいつを膝に抱いてやることができたら、きっとこいつも僕も、今まで経験したことのない……それを言葉で何と言えばいいのか解らないけど、そんな気持ちに包まれたんだろうな……
けれどそれはもう叶わない。
完全な静寂の後、意識を取り戻した彼はゆっくりと立ち上がる。
振り返って目を開いたが、光射さないトンネルの奥では、《それら》を確認することはできなかった。
けれど、そこに自分と獣の躯がうずくまっているのは解る。
二つの躯に向かい、軽く瞳を閉じて踵を返した。
彼は村と反対側のトンネルの出口に向かって歩き始めた。
この先はすっかり土砂に埋まり、潰れている事は知っていたが、導かれるように彼は小さな足で瓦礫を乗り越え歩き続けた。
小さな手が、塞がれた出口を見つけた。
少年だった頃にはなかったはずの尻尾が、二度三度くるくると回って、カラン、と軽い音を立てて瓦礫を転がり落とすと、青臭い茂った緑の光が線を引いて伸びてきた。
さぁ行こう。
存在しない未来へ。
小さな出口から器用に体をしならせ出て、改めて自分の小さな手を見て彼はふんわりと笑った。
そうか。これがあの獣の姿だったんだ。
痩せこけてパサパサの毛並みは、灰色に濁っていて美しくもなんともない。
所々毛の抜けた長い尻尾をくるりと回して、どんな悪戯が働いてこんな姿になってしまったのかを考えたけれど、まるで解らない。
けれどたったひとつ、解ったことがあった。
産まれてきたことに意味はない。
けれど僕たちが死んだことには、意味があったんだ。
堕ちかけた小さな命たちを無理やりに繋ぎ合わせて、誰かが自分たちに何かを願っている。
彼はその願いに向かって歩き出した。
そこはもう密林ではなかった。
白くぼやけた、ふんわりと明るい道筋をゆく。
彼はもう、自分が育ったはずの密林の村さえ忘れて。
やがては、自分を産んだ両親が存在していた事すら忘れて。
存在しない未来のために、痛みと空腹に怯える声の聞こえる方向へ。
自分の中の、もう一つの青い瞳の半身に囁きながら歩く。
そこには、僕たちに出来る何かがあるんだよ、きっと。