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サバサバしたアラサー女子が、元後輩にだけ悶える理由  作者: 寝不足魔王


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第7話:ファミレスの助言と、三文字の重み

第7話:ファミレスの助言と、三文字の重み


 株式会社朝日フーズでの仕事は、驚くほど「手応え」がある。

 それは、緑豊商事時代に感じていた、底の抜けたバケツに泥水を注ぎ続けるような虚しさとは無縁のものだ。私が構築した進捗管理シートはチーム全体に共有され、誰がどのタスクを抱えているかが一目でわかるようになっている。

「高橋さん、この修正案、完璧。おかげで会議が三十分早く終わったわ」

「お役に立てたなら良かったです。だらだらと話し合うのは、全員の退勤時間を遅らせるだけですから」

 佐々木リーダーの称賛に対し、私はいつものようにサバサバとした正論で返した。

 仕事は、パズルのピースを嵌めるように進めていくのが一番いい。余計な感情を挟まず、目の前の事実に集中する。それが今の私にとっての「平穏」を維持するための絶対条件だった。


 だが、その平穏な日常の隙間に、最近は決まって三文字のノイズが混じるようになった。

 デスクの上に置いたスマホが、マナーモード特有の短い振動を繰り返す。

『佐藤悠真:今日、新規の飛び込みで一件、話を聞いてもらえました。遥さんに言われた通り、押し売りじゃなくて「困りごとの聞き出し」に徹したら、感触が良かったです』

 画面を横目で確認し、私は小さく息を吐いた。

 再会したあの夜以来、佐藤からの連絡は事務的な質問から、こうした「報告」へと変わりつつある。

(……私、もう別の会社の人間なんだけど。これ、わざわざ私に送る内容じゃないでしょ)

 そう思いながらも、私は通知を無視できずにいた。私が去った場所で彼が潰れてしまったら、これまでの私の苦労も、あの完璧な引き継ぎも台無しになる。そう自分に言い聞かせて、私は返信を打つ。

『乙。報告は会社にしなさい。あと、一度の成功で浮かれて入力ミスしないこと。次行こう』

 最短の言葉で返信を送り、私はすぐに画面を伏せた。これでいい。深入りは禁物。私はもう別の世界の人間なのだから。


 そんな私の決意を嘲笑うかのように、金曜日の午後、再び彼から誘いが届いた。

『佐藤悠真:あの、また駅前のハンバーグ、食べませんか? 相談したいこともあるんです』

 ハンバーグ。またか。

「あんた、バリエーションないの?」

 思わず独り言が漏れたが、指はすでに承諾の返信を打っていた。

(……まあ、あいつが今の職場でパンクして、後から泣きつかれるよりは、ここで吐き出させておく方がましね。元先輩としての、最後のアフターケアよ)

 自分でも呆れるほど強引な論理で、私はその再会を「過去の整理」として定義し直し、定時ちょうどにオフィスを後にした。


 駅前のファミリーレストラン。

 冷房の効いた店内で、佐藤は以前よりも少しだけ、目に力が戻っているように見えた。

「お待たせしました、遥さん! 来ていただけて、本当に嬉しいです」

「はいはい、挨拶はいいから座りなさいよ。それで、相談って何」

 私はドリンクバーの冷たいお茶を口にし、サバサバと本題を促した。

 佐藤は少し言い淀んだ後、今日あったという失敗談を話し始めた。事務側の伝達ミスによるトラブルが起き、彼が矢面に立たされて一時間以上も謝罪し続けたのだという。


「……僕のミスじゃないって分かってはいたんですけど、やっぱり申し訳なくて。でも、遥さんならどうしただろうって考えたら……」

「佐藤、あんたね。お前が謝る必要なんて一ミリもないわよ」

「えっ、でも、会社の看板を背負っている以上……」

「看板なんて、泥舟に刺さったボロ雑巾みたいなもんでしょ。事務が回らないのは会社の責任。お前は自分の営業活動に集中しなさい。……いい? 割り切りなさいよ。自分のせいじゃないことに責任を感じるのは、美徳じゃなくて、ただの思考停止よ」


 私の迷いのない正論に、佐藤はハッとしたように顔を上げた。

「……割り切り、ですか」

「そうよ。お前が謝ったところで、壊れた仕組みが直るわけじゃない。そんな無駄なことに体力を使うくらいなら、次の客のところへ行きなさい。……ったく、あんたは相変わらずお人好しなのよ」

「……やっぱり、遥さんはすごいです。その潔さ、僕にも少しだけ分けてほしいです」

 佐藤が、少しだけ甘えるような、けれど心底感銘を受けたような瞳で私を見る。

「……分けられるもんじゃないわよ。自分で身につけなさい」

 突き放すように言ったつもりだったが、心臓の鼓動がわずかに速まるのを感じた。


「でも、遥さん。こうして遥さんに話を聞いてもらえるだけで、僕、明日も頑張れる気がするんです。……遥さん、遥さんに会えるのが、今の僕の一番の支えなんです」

 

(……だから、呼びすぎだって。……耳が熱いわ、もう)

 

 佐藤が熱を込めて「遥さん」を連呼するたびに、私の防壁に微かな亀裂が入る。

 表面上は不機嫌そうな、冷静な先輩の顔を保っているつもりだ。けれど、机の下で握りしめた指先は、自分でも驚くほど熱を持っていた。

 転職先の快適な環境で、「高橋さん」という完璧な仮面を被っているはずなのに。

 この男の前にいる時だけ、私はどうしても、ただの「遥さん」に引き戻されてしまう。


「……もう、それくらいにしなさいよ。大げさなのよ、あんたは」

 私は最後のお茶を飲み干し、立ち上がった。

「あ、もう行っちゃうんですか?」

「当たり前でしょ。明日も早いんだから。お互い、次行こう、次」


 会計を済ませ、店を出る。

 駅の改札前で、佐藤は名残惜しそうに立ち止まった。

「今日はありがとうございました。……また、遥さんに会えるのを楽しみにして、一週間乗り切ります」

「……はいはい。お疲れ」

 私は振り返らずに、足早に改札を抜けた。


 一人になった電車の車内。

 窓に映る自分の顔は、相変わらずサバサバとしていて、仕事ができそうな女に見える。

 けれど、胸の奥に残ったあの三文字の響きだけが、いつまでも温かい澱のように沈殿していた。

(……ま、あいつが潰れたら、教えたマニュアルが死蔵されるだけだもの。無駄なことはしたくない、それだけよ)

 自分に言い聞かせる言葉が、以前よりも少しだけ、空々しく聞こえた。

 割り切ったはずの過去。けれど、あの真っ直ぐな瞳を思い出すと、私の「サバサバ」という鎧が、内側からじわじわと熱で溶かされていくような、そんな妙な予感に襲われていた。


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