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まやかしつがい  作者: HAL


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前編

かなりのお久しぶりとなりました。

初めましての方も宜しくお願いします。





 番なんて…運命の番なんてまやかし(・・・・)だ。



 ミシェル・バルダンは『運命の番』という言葉が大嫌いだった。いや、大嫌いは適切ではない。憎んでいる、といった方が正しいだろう。


 この国の民は見た目こそ普通の人間と変わりないが、遠い昔、強大な魔力を持った獣人が建国したと言われる国で、祖先を彼らに持つ国民は皆体が丈夫で身体能力が高かった。もう薄まった血であるので、獣人の外見的な特徴は見られないが、併せ持つ魔力をもって伴侶の項を噛み『番契約』をし、『最愛()』として終生大切にする事や、聴覚・嗅覚が鋭く、匂い(フェロモン)で感情を測るなどの能力がある。


 だが、フェロモンを強く嗅ぎすぎると理性を失い、『発情』と呼ばれる状態に陥る危険性があり、特に相性の良い、俗に言う『運命の番』という存在のフェロモンは理性で抑えこむのが難しい程、強烈に作用した。

 その為、そういった(・・・・・)事故が起こらないよう、特に貴族で婚約者のいる者は薬の力で本能を抑え込み、醜聞を防ぐよう努めた。例え運命の番がいてもそれを感じ取る能力を封じ込め、他者と番契約をしてしまえば運命の番との絆は断ち切れ、薬を使わずとも狂おしい程の感情に左右されずに生きていける。


 運命の番との絆は、誰とも番ってない状態で片方が死ぬと、その片翼とも呼べる相手は強い絶望感、喪失感に襲われ、殆どの者は気が狂い、廃人になるか自死してしまう。だが、運命の番が別の人間と『番契約』をして絆が解消された場合は、どういった訳か、皆心はしがらみから解かれたかのような解放感で満たされ、穏やかな気持ちとなり、他者と番契約をしていなくても長生き出来た。

 その為、『死』により運命との絆が切れたと感じた者はすぐに誰かと番契約を交わすのが一般的で、緊急性がある事から、番契約を解放された者が国に申告・登録し、その中から相手を斡旋してもらうのが一般的だった。



 ミシェルは子爵家に生まれた娘で、今年16になる。上に家督を継ぐ兄と彼女の下に弟がいる事もあり、貴族としては緩く育てられた。父母は男兄弟と分け隔てなく大切に育ててくれたが、何故か当のミシェルはあまり自分を大事にしなかった。

 女子であるのにドレスや宝飾品は好まず、お洒落はメイドの力量任せの必要最低限であったし、皆が『運命の番』とのロマンスを夢見る中、自分は政略結婚でいいと、初潮が来た後はフェロモン抑制剤を使用して時期が来るまで婚約者は要らないと、送られてくる釣書を頑なに拒否。学園では勉学に励み、ついたあだ名は鉄壁令嬢。両親も兄弟も頭を抱えたが、恋愛以外は非常に優秀なミシェルだったので、いつか変わるだろうと匙を投げた。


 そんなミシェルも16歳となり、貴族の義務として城で行われるデビュタントに参加しなければならなかった。白いドレスを着て舞踏会で踊る。社交界デビューであるそれは、人によっては結婚相手を見つける大事なものだが、ミシェルにとっては苦行でしかない。20歳になったら政略結婚!と息巻く娘を宥めすかし、両親は今日の為のドレスを用意し、可愛い娘を着飾らせた。艶のある栗毛の髪に、翠玉色の瞳。あどけなさを残した美少女と呼ぶに相応しい容姿のミシェルは、家族以外に笑顔を振りまかず、スン、と無表情を貫く。

 流石に壁の花になりきる事も出来なかったので、手洗いに行くフリをして家族から離れた。 

 ほんの、つかの間の自由。

 ミシェルは両親に多少の罪悪感はあれど、自分の信念を曲げるつもりはなかった。恋愛脳を馬鹿にしている訳でもなく、彼女がそうなったのは今の彼女になる前―――過去の、所謂『前世』というやつが強く影響していたからだ。




 ミシェルは前世、『運命の番』というものに振り回され、命を落とした。

 銀の髪に金の瞳を持った彼女の容姿は、悪目立ちしただけでなく人攫いの格好の的で、幼い時分に攫われたミシェルは、成長すると自分が『奴隷』と呼ばれる貴族の所有物(もの)であると知る。もっと幼い頃は孤児院のような場所で同じ年頃の少年少女らと生活していたが、初潮を迎え、フェロモンを発するようになるとすぐに別の場所へ移された。

 そこは暗く、閉ざされた屋敷の中で、同性の少女しかおらず、汗やら涙やらを採取され、どういう訳かハンカチに刺繍をさせられる日々。お嬢様とやらの伴侶になるべく相手に渡す為だからと、丁寧に美しく作るよう厳しく作業させられた。

 痛めつけられる事はないが、不気味なほど静かな日々を送っていたある日、それは突然に終わりを告げる。突然現れた『お嬢様』と呼ばれる存在によって。

 


「うふふふ、やっと…!やっと、見つかったわ!!お前がそう(・・)なのね!」



 そしてそれはミシェルの絶望の始まりだった。


 お嬢様はミシェルのフェロモンを使い、その『運命の番』とやらを上手く騙せたのだろう。如何に自分が愛されているのか、ミシェルの前で自慢げに語る。ミシェルには『自分の番なのに』という意識もなければ、お嬢様に対して何の感情も沸かなかった。そういうものだと思っていたし、自分には彼女のような熱は浮かばなかったから。

 だが、もうすぐ結婚式というところで偽りが発覚し、そのドタバタでミシェルは死んだ。一瞬の隙をついて、捕らえに来た兵士の間をすり抜け―――ミシェルの『運命の番』に突進する。

 自死が出来ない魔法契約に縛られていたミシェルは、果物用のナイフを持ち、胸に刃先を向け、防御しようとした相手の手に柄を握らせた。ナイフだけでは致命傷には至らなかったが、同時に青年を守ろうとした兵士によってミシェルは死んだ。

 血の匂いでミシェルが『運命の番』だと気付いたのか、目の前の男が金切り声を上げていたようだが、ミシェルの意識は失われつつあったのでよく覚えていない。ただ、死の間際、ようやく解放された安堵からなのか、多幸感に包まれて安らかに死ねた気がする。相手にはトラウマレベルで申し訳なかったが。

 まぁ、今世で貴族名鑑を確認したところ、その後結婚し、血は途絶えていないようだったので別の相手と幸せになったのだろう。



 結局、その程度なのだ。運命なんて。



 そんな風に壮絶な人生を送ったミシェルの2度目の人生は、平和そのもので。

 現在、奴隷制度は廃止され、買う方も売る方も発覚すれば平民に落とされるだけでなく、終生労働が課せられ、更に親戚が家を継ぐことも許されず、御家断絶という厳しい措置がとられている。実行犯や奴隷商などは労働刑よりも重い死罪であった為、人買いは激減し、貧しい親も子を売る事が出来なくなったが、没収された貴族達の財産で孤児院の運営状況が改善され、貧民街を保護区として就労施設を併設した事で国は他国と比較し著しく発展した。



 もう、前世のミシェル達のような可哀想な子供はいない。



 それだけで過去の自分は救われる。

 でも、だからといって恋愛する気にはなれなかったミシェルは、今世では政略結婚をして人生を平和に終えると決めた。問題はそうしてくれる相手がいないことだったが。

 

 ロマンチストが多いこの国で、ミシェルのように極端な思想を持つ人間は少ない。浮気グセのある男は複数の相手と番契約をしないまま体の関係を持ち、揚げ句最後には予定の無かった『運命の番』と出会い、今までの相手をあっさり捨てて愛に走る。

 ミシェルは絶対に初夜まで体を許すつもりはないし、番契約を果たすまでフェロモン抑制剤を使用し続けると固く誓っていた。



「あら…?」



 そんな事をつらつらと考えていたら、いつの間にか庭に出てしまったようだ。所々に衛兵がいるので危険は少ないとはいえ、口を塞がれ、何処かへ連れ込まれる可能性もゼロではない。

 その時、ホールへ戻ろうとしたミシェルの耳が、物音と女性の悲鳴のような、微かな声を捉えた。

 同意ではないそういった行為はただの暴力。

 出歯亀の趣味は無いが、万が一を想定して、ミシェルは音を立てないよう静かに物音がした方へと向かう。茂みを利用して身を隠した先に見えたのは、押し倒された女性と伸し掛かる男の姿。男の顔は見えないが、はぁはぁと荒い息を上げ興奮状態で、女の方は上気した顔で、目を潤ませ男を見上げている。

 これは余計なお世話だったか、と、ミシェルがその場を離れようとした、その時。



「お辛いでしょう?早く、私を抱いてその昂りを抑えて下さいませ!!」



(同意なんかじゃない!これ…!)



「…っっ、う……があぁあぁぁあぁっ!!」



 直ぐに隠しポケットから瓶を取り出しハンカチに振りかける。茂みから飛び出した時には、男はナイフを持った腕を振り上げ、女に向けて振り下ろそうとしていた。



「お前のような、クズ、は…生きてる価値など、無い……っ!死ね…っ!!」

「―――だめっっ!!!」



 緊急時に使用するフェロモン遮断薬を染み込ませたハンカチで男性の口を防ぐ。飲むだけならティースプーン1杯程で効果があるそれは、緊急時に確かな効果を持つ。多少強力すぎて数日不能(・・)になるという副作用はあるが致し方ない。


 正面から行くとこちらが刺されかねないので後から特攻した。抱きしめるような体勢になって申し訳なかったが、興奮状態の男性を正面突破するのは厳しい。



「大丈夫、貴方は、大丈夫です……!」



 男性の怒りと興奮が冷めていく。


 流石、緊急用の薬は即効性がある、と、何となしに男性の頭を撫でていると、彼は突然うっとつまり、ボロボロと涙を流して号泣し始めた。子供のように声を上げて泣く男性に慌て、パニックになったミシェルは弟にするように優しく抱きしめて、ポンポンと頭を撫でて繰り返し言った。



「だいじょぶ、だいじょーぶだからね…」



 男の力が徐々に抜けていき、膝が崩れ落ちてその場に沈む。ナイフがカラリと音を立てて地面に落ち、彼を支えていたミシェルも引っ張られて腰を落とした。



「誰かーーーっ!!急病人です!早く!」



 貴族子女にあるまじき大声で人を呼ぶ。

 流石にミシェル一人でこの男性を運ぶ事は出来ない。



「どうかしましたか!?」



 直ぐに現れたのは背が高く、がっしりとした騎士のような体格の男性。父や兄に比べるとその差は歴然で身が厚い。これなら成人男性も余裕で運んでくれそうだ。

 洋服からしてデビュタントでは無さそうだし、誰かのエスコートとして参加したのだろう。まぁデビュタントは決まった相手のいない人が参加しても良い事にはなっているが。



「!お前、カイトか?!どうした!」

「あ、あのぅ…」

「そこの女に薬を使われた様で、迫られて苦しんでいたので緊急用のフェロモン遮断薬を使用しました」

 


 倒れている女が何か言う前に、ミシェルは一息で言った。この期に及んで言い訳なんてさせるものか。

 女は自分に使った薬のせいで思うように身動きが取れず、逃げる事が出来なかったようだ。


 城の警備の騎士達もやって来て、知人と思われる男性は彼らに何やら説明し、女は後ろ手に縄をかけられ連れて行かれるようだ。現行犯逮捕とはいえ、貴族の女性があんな目に遭うとは。

 ミシェルは引っ張られていく女をぼーっと見送った。見送るしか出来なかったのは、未だに泣き続けている男がミシェルにひっついたまま離れないからだ。



「…ごめん……ごめ、ん……ごめ……」



 そう繰り返してすすり泣く縋り付き男を放っておけず、ミシェルは困り果てた。知人らしき男性に助けを求めて視線をやると、男性は化け物でも見るかのような顔でミシェルに張り付く男を凝視している。


 知り合いじゃなかったの?と不審な目で見れば、ミシェルの視線に気付いた男性は咳払いをし、貴族らしい笑みを浮かべて取り繕った。



「えー、と。お嬢さんはデビュタントの子だよね?このままじゃ戻れないだろうから、馬車で送ろう」

「……有難うございます。ですが、両親を呼んで頂ければ大丈―――」

「その引っ付き虫がいたんじゃ難しいんじゃない?噂になっちゃうよ?」



 それはとても宜しくない。

 折角の公式デビューで変な噂が立ってはマズいし、両親がこれを見て男に激怒するかはたまた娘に春が来たかと歓喜するか……後者はより一層避けたかった。



「じゃ、取り敢えず」



 男性は誰かに準備させたのか、立ち上がらせた二人に大きな黒い布を頭からすっぽり被せた。見えないように気を使ってくれたのだろうと思うが、それは本来先程の痴女に使うべきものだったのではないだろうか。


 罪人になった気分で連れ歩かれるミシェルに、手を引いて馬車のステップを安全に登らせてくれた男性は、引っ付き虫と化した友人も乗せると、自分は馬車から降りる。



「お二人さん、後のことは任せて!」



 そう言われて扉が閉まり、馬車はゆっくりと走り出した。二人に布を被せたまま。



(コレは……揺れも少なくて、ウチより高級な馬車ね………ん……、いけない、これは…)



 完全に油断していたが、視界を塞がれるというのは真っ暗で、夜の闇より尚黒い。静寂な空間、他人の温もり、そして暗闇―――三拍子そろった睡魔(誘惑)にミシェルが勝てなかったのは自然の摂理である。


 気付けば馬車はどこかに到着し、フットマンなのか分からないキチッとした人に、どうぞ、と降ろされたミシェルはどでかい邸宅を前にして眠気の残った頭も一瞬で覚めた。わなわなと体が震える。



(どっ、何処のお邸―――!?!!)



 ミシェルの生家も子爵家とはいえ領地の運営状況も良く、それなりに裕福な家ではあったが、目の前にあるこれはそんな比ではなかった。

 間違いなく公爵・侯爵家レベルの城のような家に、まわれ右をして馬車の中に戻りたい。いや、しようとしたら先回りして馬車を出された後だった。人の良さそうな笑顔で対応する初老の執事らしき人物はやり手なのだろう。


 門を越える前に気付いていれば、と悔やんでいたところ「まぁ、カイト…!」と上品な女性の声がした。

 断言できる。おそらく絶対カイトと呼ばれるこの青年の母親だろう。逃げ出したい気持ちをどうにか踏みとどめてミシェルは淑女の笑みを浮かべた。格上の夫人に粗相は出来ない。ミシェルは恋愛事以外はしっかりした娘なのだ。自称ではあるが。


 目の前の女性は深い緑のシンプルな装いであったが、見るからに上等な生地と作りであるのが分かる。結われた銀の髪と金色の瞳が前世のミシェルに似ているせいか、懐かしささえ感じてしまう。前世の母を覚えていたのなら、きっとこのような感じだったのだろう。



「貴女が息子を?」



 夫人から向けられる視線は嫌なものではなく、純粋に息子を心配する母親のものだった。一応、格上の者からの許しがなければ話しかけてはならない、のペナルティには当たらないだろうと、ミシェルは事情を説明するべく口を開く。



「このような状態で申し訳ありません、バルダン子爵家のミシェルと申します。この度は―――」

「あらあら!良いのよ、そんな畏まった挨拶は!楽にしてちょうだい。ね?大体の事情は先程連絡を受けたわ。息子を守ってくれてありがとう……感謝してもしきれないわ」



 どうやら魔道具か何かで既に把握していたのだろう。怪しまれる事も無く、しかもその雰囲気からか、親戚の叔母のような気安ささえ感じる。

 だが、楽にしろと言われて上位貴族に対して態度を変える事は出来ないし、そんな真似など恐ろしくて出来ない。何故って相手の爵位が分からないから。

 それなのに、引き剥がそうとしたはずの青年にいつの間にか手を繋がれている。ギョッとして慌ててブンブン手を振るが離れてくれない。



「あ、あの…っ、ちょっ、て、手を!」



 息子さんの手を外させて下さい、と涙目で訴えるミシェルに、 夫人は「あらあらウフフ」と微笑ましいモノでも見ているかのような態度で、状況を改善してくれる様子は露ほども感じられない。子供と猫のじゃれ合いなら可愛いが、成人男性(?)がデビュタントの少女に縋り付く様など笑えないのだが。



「奥様、準備が整いました」

「そう。それじゃ案内して」



 困惑するミシェルの前に現れたのは、メイド服を着た年配の女性で、夫人に報告すると「こちらへどうぞ」と、邸へと先導された。とても「帰りたいです」と言える雰囲気ではない。全てが不敬にあたる気がして気を失う事も出来ないくらい、ミシェルは緊張しながらブリキ人形のように歩く。通された一階の応接室と呼ぶには広すぎる室内には既に男性がおり、その装いや雰囲気からこの屋敷の主だろうと判断したミシェルは、姿勢を正し礼をとる。下げたままの頭に視線が刺さりそうだった。

 


「やだ!ミシェルちゃん!顔を上げて?いいのよ、貴女はこっち!私の隣に座りましょ!貴方もそんな怖い顔で睨まないで頂戴?ミシェルちゃんが怯えてるじゃないの」



 後ろから来た夫人にあれよあれよと引っ張られ、フカフカのソファーに着席させられる。勿論隣の引っ付き虫と共に。夫人は『カイトちょっと邪魔よ、貴方は向こうでしょう?』と不満気にしていたが。



「……顔は元からだ。あと、彼女を睨んでいるのではない―――そこの愚息を、だ。改めまして、お嬢さん。息子を―――カイトを助けてくれて感謝する。私はファイアット家の当主、ウェルナーだ」



(―――ファイアット(侯爵家)!!)



 しかも、隣のにこにこ笑いかけてくる可愛らしい夫人は、確か降嫁した元王女。ミシェルは一瞬ふらっと気を失いかけたが、生前の雑草魂で何とか耐え、座ったまま頭を深く下げた。



「知らぬ事とは言え、ファイアット家の方に大変失礼を致しました…!私はバルダン家の二子でミシェルと申します」

「バルダン、ふむ。子爵家の……そういえばかの家の娘は優秀だが『鉄壁令嬢』という二つ名を持つと聞いていたが……成る程。その冷静かつ行動力、確かに優秀であるな」



 なにやら値踏みをされているような気もするが、きっと気の所為だと、気の所為であって欲しいと祈るミシェルの横で、元王女様の夫人は呑気にお菓子とお茶を勧めていた。



「―――〝早耳〟で簡単に状況は知れたが…そこにいるお嬢さんにべったりくっついている男は本当にうちの息子かな?薬の効きすぎで記憶でも無くしたのかい?」



 侯爵の顔が先程見たカイトの知り合いらしき男性の表情と同じ様に歪む。例えるなら、足の沢山生えた虫を見つけた人みたいな顔だ。



「年頃の女性には『氷壁の侯爵令息』と呼ばれ、声をかけられれば害虫を見るような視線で罵倒するというのが我が息子のはずなんだが。そっくりさんか双子の弟かい?」



 『いや、双子じゃない事はあんたが良く分かってるだろうが!!』と侯爵にツッコミたい気持ちを震えながら抑える。

 とにかく早く帰りたいミシェルは、自分は無害な虫だと分かってもらえるよう、早急に説明して早急にこの場、いや、この侯爵家(いえ)から去ろうと強く思った。



「―――まず、緊急時とはいえ承諾なく自己判断でご子息に薬を使用した事をお詫び致します。緊急用のフェロモン遮断薬なので、1日ほど効果が持続すると思われますが、大きな副作用は無いと思いますのでご安心下さい。(数日不能の話は黙っておこう)念の為、今日明日にでも医師の診察を受ける事をお勧めします」

「ああ、医師は手配済みだ。もうすぐ到着するだろう」



 侯爵の返答に安堵の表情を浮かべたミシェルは『それでは』と、本題に入る。



「あの、ですので、こちらの息子さんに離れて頂くよう、説得して、頂け……ま、せんでしょうか……?」



 語尾が自信なさげに小さくなるのは、ミシェル自身もこの状況に戸惑っているからだ。皆の視線が彼女の背後の青年―――カイトへと向かう。

 最初は隣に座っていたはずのカイトだが、どうやったのか、今はミシェルの背後―――正確には〝椅子の背もたれ〟のように張り付き、羽交い締めするかのように腹部に腕を回してガッチリ固定していた。まるで拷問椅子である。艶っぽさはまるで無い。



「………カイト、お前」

「嫌です」



 父親(侯爵)の咎めるような声に、首を横に振って即答する。



「彼女からは何の匂いもしなくて心が落ち着く。このままずっといたい」



 そう言ってミシェルの項に顔を埋め、スーッと息を吸い込んだ。勿論、鼻からである。「変態…」と、喉から声が漏れそうになるのを我慢する。いや、既に夫人の口から零れ落ちていた。

 ミシェルは羞恥とぞわりと背筋を走る感覚に失神したかったが、根が逞しい前世の記憶持ちなので、残念ながらただ恥ずかしい思いをしただけ損となった。



「……ファイアット子息様。それは貴方がフェロモン遮断薬を使っていて、更に私が〝抑制剤〟を使用しているせいかと思います。お辛いようなら何か薬を使ってみては如何ですか?」

「……」



 あんな目に遭ったのだ、気持ちが落ち着くまで薬で精神の安定を測るのも良いだろう。

 だがカイトはそれに答えもしなければ、ミシェルに抱き着くのも止めない。完全無視である。



(くっ…!ひっ叩いてやりたい……!)



 その態度に温厚なミシェルも拳骨を喰らわせたくなった。



「……ブフッ………くっ、はは…ははははは…!」



 二人の様子に堪らず吹き出し、大笑いする侯爵に『貴方様の息子さんなんですが!』とジト目でねめつけるミシェル。そんな彼女に侯爵夫人は不思議そうに尋ねた。



「ねぇ、ミシェルちゃん。どうしてずっと抑制剤を使ってるの?何か事情があるのかしら?」

「そうだな、婚約者のいない若いお嬢さんにしては珍しいが」



 そう疑問に思うのも最もで、政治的に失敗出来ないような尊き血の者や、俗世と縁を結ばない神に仕える者などは常時抑制剤を使っているが、それ以外の人間は皆、運命の相手を探し求めているからだ。

 婚約者も恋人もいない(恐らくこの短時間で把握されているだろう)ミシェルが、何故運命を受け入れないのか。


 魂の片割れともいうべき片翼。

 ゆえに、その匂いを感じ取れるよう、番を持たぬ者は発情期以外で抑制剤を使う事はほぼ無い。しかしミシェルはもう二度と運命に振り回す事も振り回される事もしたくなかった。



「私は〝運命〟に出会いたくないのです。衝動ではなく、理性で愛し合いたい。互いに尊重できる相手と愛を育んで家族になりたいのです」

「ほう…」



 侯爵が目を見張る。

 彼らの婚姻は立場的に政略結婚のように見えて、実のところは恋愛結婚。運命でなくとも愛は芽生え、育つ。この発言で奇しくもミシェルへの好感度が爆上がりした。



「それならうちの息子と合うわね!」



 妙案を思いついたような顔で、ポン、と手を叩き夫人が声を上げた。良い笑顔に嫌な予感しかしない。



「うちの子、運命を探すんだとか言って張り切ってパーティに参加したは良いけど、行く先々でフェロモンアタックを受けてね。そりゃあこの立場と見た目だもの狙われ放題でしょう?ちょっとオツムがお花畑だったんだけど、流石に女性不信になってしまって……最近じゃ『獣の本能でなんて愛し合いたくない!』って否定して抑制剤を使いだしちゃって。貴女ならご実家も問題ないし、それに……今夜この家で過ごしたとなると、息子との関係を疑われて噂が一人歩きしちゃうでしょ?」



 無理矢理連れて来ておいて醜聞で脅してくるとは流石上位貴族……とミシェルは何故か感心していた。ファイアット侯爵家の嫡男が未だ婚約者も決めていないと噂で聞いた事はあったが、きっと彼も運命を探しているのだろうと思っていたのに、まさか、自分と同じく〝運命に抗いたい〟同志だったとは。そんな人物に興奮剤を使ったのだ、そりゃあ箍が外れて激昂し、ナイフも振りかざすだろう、とミシェルは納得する。

 相変わらずカイトの腕は腹部にガッチリと回されていたし、スンスン匂いも嗅がれていたし、項にも唇が当たっているような気さえしたが、ミシェルは無を貫いた。これが破廉恥なのかセーフなのか、判断は目の前にいる彼の両親に丸投げしたい。



「―――カイト。おいた(・・・)はそこまで。まだ噛んじゃ駄目よ?」

「―――」



 やはり気を失おう。

 ミシェルは全てを投げ出すように意識を手放した。



「あら。ミシェルちゃん、疲れちゃったのね。寝顔も可愛いわぁ………カイト、意識の無い女性に手を出しちゃ駄目よ?」

「交代で不寝番を頼む。男女1人ずつ部屋に付けろ」

「……僕を何だと思ってるんですか」

「「獣」」

「………」



 と、そんな親子のやり取りが遠くで聞こえるような気がしたが、ミシェルの意識はそのまま闇の中へと落ちていく。

 深い、深く落ちたその先の夢。




 それは彼女が今世で生まれる前の、遠い過去の記憶―――



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獣の前で意識失ったら食べられる一択でしょ…
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