第4話 一本杉の警告
道は、もはや道ではない。
ただの崖に、申し訳程度の足場が刻まれているだけだ。
杖を岩に突き立て、這い上がるようにして斜面を登る。
ようやく頂に辿り着いたかと思えば――
視界の先には、無慈悲なまでの「下り」が口を開けていた。
「……また下りるのか」
吐き出した声が、乾いた風にさらわれていく。
膝を笑わせながら急斜面を下りきる。
だが、その先に待っていたのは、さらに凶悪な登り返しだった。
三日目の肉体は、すでに悲鳴を上げることすらやめていた。
太ももの奥で筋肉が痙攣するたび、限界が少しずつ近づいてくる。
不意に、視界が開けた。
そこに立っていたのは――
天を突くような巨大な一本杉。
「……ああ」
荒かった呼吸が、自然と整っていく。
人の喧騒も、下界の泥臭さも届かない、標高七百メートルの聖域。
この絶景と静寂は、ここまで自分の足で、魂を削りながら登ってきた者だけが受け取れる報酬だ。
一本杉の根元に腰を下ろすと、木陰の冷たい空気が肺の奥まで沁み渡った。
張り出した根が、まるで疲れ果てた旅人を誘う椅子のようだ。
まどろみに落ちそうになった、その時。
「そこ、いい場所だろう」
不意に投げかけられた声に、背筋が凍りついた。
いつの間にか、一人の巡礼者がすぐ傍に立っている。
深い皺の刻まれた顔に、旅塵で薄汚れた外套。気配が、全くなかった。
「昔、大聖女マーレがここで昼寝をしたって話だ。……ま、真偽は怪しいもんだがな」
男は私の手元に視線を落とした。
正確には、私の荷物の隙間から覗く、真っさらな帳面を。
「初めてか?」
私は短く頷いた。
「それ、聖印帳だろう。巡礼の証だ。……見せてみな」
男は遠慮なく隣に腰を下ろすと、私の返事も待たずに帳面を指で弾いた。
まだ新しい革の、若々しく青い匂いが立ち上がる。
「いいか。巡礼ってのは、ただの神参りじゃねえ。……**『蓄財』**だ」
男の目が、濁った光を宿して細められる。
印が一つ増えるたび、世界に満ちた魔力が、お前の歩いた距離に応じてそこに『沈殿』していく。
溜めれば溜めるほど、魔力はお前を強くする。だがな、気をつけろ。
「魔力ってのは、持っているだけで『悪い何か』を惹き寄せる。お前が血を吐く思いで溜めたその輝きを、指一本動かさずに掠め取ろうとするハイエナどもが、この道にはゴロゴロ転がってるんだ」
男は立ち上がり、私の肩を不自然なほど強く叩いた。
「……あんた、いい目をしてる。だが、その素直さが仇にならなきゃいいがな」
男の不穏な警告を、私は鼻で笑った。
今の私には、立ち止まっている暇などないのだ。
全財産を投げ打ち、身一つで飛び出したこの旅の、これが最初の試練なのだから。




