第3話 英雄たちが歩いた道
坂道を越える頃には、空はすっかり夕暮れに染まっていた。
街道の脇に、小さな村が見えてくる。
巡礼の道は、こうした村々を繋ぐように続いているらしい。
村の入り口には、木の看板が立っていた。
そこにはこう書かれている。
「巡礼宿」
私は思わず足を止めた。
どうやら今日はここまでらしい。
扉を押して中に入ると、木の匂いと煮込み料理の香りが鼻をくすぐった。
奥では数人の巡礼者が食事をしている。
皆、私と同じような巡礼装束を身につけていた。
その光景を見て、私は少しだけ安心した。
どうやらこの旅は、本当に私一人のものではないらしい。
「いらっしゃい」
カウンターの向こうから、宿の主人らしき男が声をかけてくる。
「巡礼ですか?」
私はうなずいた。
「ええ、今日が初日です」
男は少し笑った。
「それは大変だ。無理をしないでくださいね」
私は思わず苦笑した。
すでに足の裏が痛い。
「部屋はありますか?」
「ありますよ。巡礼者なら銀貨一枚で泊まれます」
私は荷物を下ろし、ほっと息をついた。
そのとき、ふと壁に目が止まった。
壁一面に、写真や似顔絵が並んでいる。
剣士。
冒険者。
そして王国でも名の知れた大魔導士までいる。
私は思わず呟いた。
「……この人たちも、この巡礼を?」
宿の主人は肩をすくめた。
「昔から人気なんですよ、この巡礼」
「英雄も、王族も、普通の旅人も歩く」
そう言って、男は笑った。
「まあ、途中で帰る人の方が多いですけどね」
私はその言葉を聞いて、思わず壁の写真を見直した。
ここに並んでいるのは、
最後まで歩いた人たちなのだろうか。
私は静かに息を吐いた。
1200km。
その距離が、少しだけ現実味を帯びてきた気がした。
私は荷物を部屋に置き、食堂へ戻った。
長い木のテーブルには、すでに何人かの巡礼者が座っている。
年配の男。
若い女性。
私と同じくらいの年齢の冒険者らしき男。
巡礼装束は同じでも、どこか雰囲気が違う。
主人が鍋を運んできた。
「今日は野菜の煮込みですよ。巡礼者にはこれが一番だ」
湯気の立つ椀を受け取り、私は席に座った。
向かいに座っていた年配の男が、こちらを見て軽く笑う。
「初めてかい?」
私はうなずいた。
「ええ。今日が初日です」
男は少しだけ驚いた顔をした。
「それは大したもんだ。最初の一歩が一番難しい」
そう言って、椀を口に運ぶ。
そのとき、隣の席の女性が言った。
「巡礼の理由は人それぞれですからね」
年配の男がうなずく。
「病気の家族のために歩く人もいれば、罪滅ぼしの人もいる」
「ただの旅って人もいる」
「誰一人として同じ理由じゃないんだ」
食堂に小さな笑い声が広がる。
そのとき、奥の席に座っていた男が口を開いた。
日焼けした顔の、がっしりした巡礼者だ。
「まあ、理由はどうでもいい」
「大事なのは歩き切ることだ」
男は箸を置き、私を見た。
「どこまで行くつもりだ?」
「最後までです」
私が答えると、男はにやりと笑った。
「それなら覚えておくといい」
「三日目の山道はきつい」
「雨が降ると最悪だ」
私は思わず身を乗り出した。
「本当ですか?」
男は肩をすくめた
私は椀を握りしめながら、ふと壁の写真を思い出した。
英雄。
王族。
大魔導士。
あの人たちは、あの山を越えたのだろうか。
私は知らないうちに呟いていた。
「……三日目の山道」
その言葉が、妙に重く胸に残った。




