生まれ変わりの少女
サスティナ王国への道中、馬車の進路に一人の少女が現れた。
遠目で見る少女の顔には、僕がメガロス帝国で倒した悪魔の面影があった。
僕一人ならまだしも、隣にはハネストが居る。
僕はすぐに馬車を止め、地面に飛び降り、戦闘態勢を取った。
ハネストは僕の行動に驚いて、キョトンとしていた。
メガロス帝国での戦闘は上空でやっていたから、ハネストは悪魔の顔を知らないのだろう。
「ハネスト!気をつけて!あの子の顔を見たことがある!」
「メガロス帝国に襲撃しに来た悪魔だ!」
「頭に生えていた角は無くなっているけど、確かにあの時の悪魔と同じ顔だ!」
「本当に!?」
「え、ど、ど、どうしよう」
「大丈夫だから、後ろに下がっておいて」
「分かった、気をつけてね」
「うん」
ゆっくりと前へ進む。
声の届く距離まで進み、話しかけてみる。
「君は、メガロス帝国を襲撃したあの時の悪魔の子だよね?」
「分からない、です」
「分からない?」
「はい、です」
「目を覚ますと草原の上に倒れてたの、です」
「それまでの記憶もなくて困ってるの、です」
どういうことだ、これは罠か?
でも、あの時僕が使ったファイアバーストからあの悪魔が逃げられたとは思えない。
とすれば、この子は悪魔ではないのかもしれない。
師匠の家を襲った悪魔も、メガロス帝国を襲った悪魔も、頭から角が生えていた。それが悪魔の特徴だから、おかしいことでは無い。
つまり、角の生えていないこの子は悪魔ではないと言える。
ただ、気を抜くことは出来ない。
僕はもう、勝手に死ねる立場じゃない。
それに、死にたくもない。
「君は安全だと言える?」
「分からない、けど、助けて欲しい、です」
どうするべきなのか。
普通なら、この子を殺すべきだ。
でも、もし、もし、この子が悪魔じゃなくて、人に危害を加えたりしないのなら、この子を助けてあげたい。
僕は人殺しにはなりたくない。
「ヘルン〜!大丈夫?」
後ろから、ハネストの声が聞こえて、正気に戻った。
この少女は、殺さなければならない。
それが、守護神ヘルフェンの、ヘルンの、使命だ。
「デスサイズ」
死神の大鎌。今でも僕の性格を少し変える。
いつもは困っているが、今ばかりは感謝している。
足が震えている。まだ僕は怖がっているのか。
人間じゃなくなることを。
もう、人間に戻れなくなることを。
目に涙が溢れる。
懐かしい涙。
甘くない涙。
塩辛い、悲しい涙。
「ごめんね、僕には君を助けられない」
ゆっくりと大鎌を構える。
腕に力が上手く入らない。
でも、やらなくちゃ。
地面を踏み込んで前へ走り出す。
せめて、一瞬で、怖がる間もなく。
「デスボル」
デスボルトを唱えようとした時、急に身体が止まった。
自ら足を止めた訳では無い。
背中に、少しの温かみを感じる。
「ヘルン、ダメだよ」
「優しいヘルンは、そんなことしちゃダメ」
「僕がやらなきゃ、誰かがやられる」
「僕はもう、何も失いたくないんだ」
「離してよ、ハネスト」
「嫌だ、絶対に嫌」
何故だと言いかけた時、僕の頬に涙が落ちてきた。
僕のものでは無いようだ。
振り向くと、ハネストは幼児のように鼻水を垂らしながら泣いていた。
なんだか、その顔を見た瞬間、体中の筋肉が緩んだ。
ここまで必死になることじゃない気がした。
悪魔と顔が同じとはいえ、角も無ければ、戦意も無さそうだ。
なら、いいじゃないか。
それを淘汰することは、守護神にも許されないだろう。
「分かったよ、ハネスト」
「あの子は殺さない、傷つけない、だから、離してくれないかな」
「わかった...」
「ありがとう、僕を止めてくれて」
「ううん、いいの」
「そこの君、僕らについてくるかい?」
「君が誰も傷つけないなら、僕たちが君を守る」
「ついて行きたい、です」
「分かった、怖い思いをさせてごめんね」
「これから、よろしく」
「よろしくなの、です」
その少女を乗せた馬車の座席は、少し狭くなった。
念の為、ハネストとは反対隣に少女を座らせた。
「君の名前は?」
「分からない」
「君はどこから来たの?」
「分からない」
「君は何が好き?」
「分からない」
僕とハネストは、困ったなと言わんばかりに顔を見合わせた。
「じゃあ、君に名前を付けてもいいかな?」
「うん」
「じゃあ君は、ヘレナだ」
「ヘレナ...」
「気に入った?」
「うん、私、ヘレナ」
「ならよかった」
ふと左を見ると、ハネストが微笑んでこちらを見ていた。
「なに」
「いや?」
「なんだよ...」
予想外の出来事もあったが、僕らは比較的順調に進んでいた。
そう、さっきまでは。
今僕らは、無数の魔物に囲まれている。
それはイレーネ王国に来た襲撃の時と似ていた。
「どうしたものか...」
普通に倒せば良いと言えばいいんだけど、ヘレナの前で殺戮行為を行って、ヘレナが悪魔に戻る可能性も捨てがたい。
そう考えて対応を躊躇していた時、その場の全ての魔物達が急に進行をやめて、森へ帰って行った。
「なにこれ...」
ハネストも驚いている。
当然僕も。
「ヘルンがやったの?」
「違う」
「私が、やった、です」
「ヘレナちゃんが!?」
「私、魔物の子達と、仲良くできる、です」
なるほど、あの強さの悪魔が軍隊長になれたのは、この能力のおかげか。
「ヘレナ、その能力は、僕達以外には見せちゃダメだよ」
「わかったの、です」
「でも、ありがとうね」
「僕も対応に困ってたから」
すると、ヘレナはそれまで固まっていた表情を少し緩ませて、僅かに笑った。
「どういたしまして、です」
隣のハネストは、その様子を見て、可愛いと叫ばんばかりのキラキラした目をしていた。
まあ、確かに、可愛い。
それから数刻、日が沈み出したので、野宿することにした。
まあ、創造魔法で家を出すことも出来なくはないけど、人に見られたら面倒なので、辞めておく。
テントを立て、火を焚き、料理を始めた。
熱湯に具材を入れ、調味料を少々。
すぐに普通のスープが出来た。
たまにはこういうのも悪くないな。
「はい、どうぞ」
ヘレナにスープを渡すと、彼女はそれをまじまじと見つめている。
もしかして、スープを飲んた事がないのかな。
そう思ったのも束の間、彼女はゆっくりと器に口をつけ、少し飲んだ後、それを一気に飲み干した。
「ゆっくり飲まないと、火傷するよ」
「おいしい、です」
「まだあるよ、要る?」
「はい、です」
暖かい食事を終え、ハネストとヘレナをテントの中で眠らせた。
「ヘルン、ほんとに寝なくていいの?」
「僕は神族だよ?寝なくても大丈夫に決まってる」
「今日の魔物がまた来るかもしれない」
「僕が見張ってるから、明日のためにもゆっくり寝て」
「わかった、ありがとう」
「おやすみ」
「おやすみ、ハネスト、ヘレナ」
「おやすみなの、です」
昼間の出来事を思い出す。
僕はヘレナを手にかけようとした。
その事実は変わらない。
けれど、今はそんな気は全くない。
これから、少しでもヘレナのためになることをしよう。
一人で感じる静かな夜は、疲れた僕の心を癒してくれた。
華やかな星空は、前世では見られなかった、美しい外の世界を体現しているようだった。
この美しい世界を、守り抜こう。
その願いは、守護神としてではなく、ヘルンとしてのものだった。
次話は、8月28日18時に投稿します!
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