ヒロインが多すぎる
もしかすると私はこの国で一番幸運な女の子かもしれない。
理由その一。
家族に恵まれている。
私は私生児。
でも働き者で優しい養父母に引き取られ兄姉と分け隔てなく育てられた。
本当なら孤児院に入れられてしまってもおかしくなかったんだから、これは幸運以外の何物でもないよね。
理由その二。
前世の記憶と知識、そして育った環境に恵まれている。
実は私、転生者。
三歳頃、実家の近くの海岸で兄姉と一緒に遊んではしゃぎすぎて派手に転倒して頭を打ち、そのはずみで前世を思い出した。
日本で生まれ育ち、小さい頃から水泳三昧、中学三年生でなんと全日本の大会に出られ……るはずだったのにバス事故で呆気なく儚くなったことを。
この世界には魔法があるけど、私に魔力があるかどうかは疑わしい。
転生特典のチートも無かった。
ただ前世では泳ぐだけじゃなくて一応真面目に勉強してたからそこそこの知識はあるし、独学で何かを学びたい時に必要な物や手段はわかってる。
留学を考えていたので英語も日常会話に困らない程度には身につけていたから語学の勉強の仕方もわかってる。
これが高度な教育とは無縁の平民である私にとって有利に働いた。
養父母の営むパン屋はわりと大きな貿易港を擁する都市にあり、うちのパンは美味しいと評判なので地元の人だけでなく国外からやって来た人も買いに来て下さる。
私はそういうお客さんの喋る言葉を耳から覚えまくった。
そこから派生して国内外の歴史や文化に興味が湧き、独学で勉強を始め、十歳になる頃には他国の言語と歴史や文化の知識を活かして、道案内や観光案内の通訳でお小遣い稼ぎができるまでになった。
これは前世の記憶とある程度の知識と環境に恵まれたからこそできた事だから私はやっぱり幸運だよね。
理由その三。
モンブラン王立学院に入学できた。
この学院は国内最高峰の教育機関で、生徒はほとんど貴族や裕福な家の子供ばかりだけど、一応平民にも門戸は開かれている。
養父母も応援してくれたので、受験資格を得られる十五歳になって王立学院の入学試験を受けたところ、なんとトップで合格。
入学金に学費全額免除のうえ特待生として入学が許されてしまった。
寮にも入れるし制服も一揃い無料で提供される。
これだけ素晴らしい待遇を得られるんだから勉強しまくるしかないでしょう。
学院では語学に磨きをかけ、歴史、文化や世界情勢をもっと深く学ぶつもり。
一般教養やマナーも学べるのできちんと身につけて地位の高い人相手の通訳もできるようになりたいなー、などという野望もある。
こんなチャンスに恵まれた私は幸運そのもの。
私の将来の夢は立派な通訳になって自立し養父母に恩返しをすることなので、三年間がんばります!
あ。
申し遅れました。
私はマリア。
平民だからもちろん名字は無い。
今日は待ちに待ったモンブラン王立学院の入学式。
私は真新しい制服に身を包み、意気揚々と学院の校門をくぐった。
キョロキョロと辺りに目をやりながら校舎に向かって歩いていたら、ちょっとした歓声と共に馬車と馬の蹄の音が聞こえてきた。
振り向くとちょうど校門前に一台の馬車が止まる。
紋章はモンブラン王家のもの。
馬車から降りてきたのはアーサー第一王子殿下。だと思う。
金髪金眼の整った顔立ちで、さすがに華があるお方。
見ているとその殿下に近づいて挨拶する美女がいらっしゃる。
金髪碧眼のちょっと冷たい印象の美女。
きっとあの方が殿下の婚約者であるパーカー公爵令嬢ルース様ね。
お二人とも私が近づけるような方じゃないけど、ちゃんとご尊顔を覚えておかなくちゃ。
不敬はたらいて首ちょんぱとか困るし。
と思いつつも、絵になる美男美女に見惚れていたら、お二人が歩いていく先でいきなり「きゃあっ!」と言いながら転んだ女子生徒がいた。
しかも右と左から同時に二人。
髪の色まで同じストロベリーブロンド。
遠巻きに見ていた生徒たちはびっくりして固まっている。
転んだ二人は「痛〜い」などと同時に呻く。
妙にハモっちゃったから芝居くさいことこの上なし。
しかも二人とも自分で立とうとせず殿下の方にチラチラ目をやっている。
いったい何やってんの?
殿下と婚約者様の進路を明らかに邪魔しているので、側近?のうちの二人が進み出てその女子生徒二人の排除に動いた。
銀髪碧眼とプラチナブロンドに緑の瞳の美丈夫二人が仕方なく、といった風情で女子生徒に手を貸して立たせる。
二人はよろめいたフリをしてその美丈夫の胸にすがりつこうとしたけど躱されて失敗した模様。
ほんと、何やってんの?あの人たち。
なんか乙女ゲームの世界に転生したヒロインがやりそうな行動だな、と思ったけど、二人もいるのが解せない。
お互いにこっそり睨み合ってるし。
しかも入学式会場がわからない、とか、足を怪我したみたいだから医務室に行きたい、なんて言って連れて行ってもらおうという下心見え見えのアピールをしてるけど、あの二人、字が読めないのかな?
内心でツッコミ入れてたら、銀髪の美丈夫様がすぐ側にある案内板を指差して言った。
「あの地図と文字が読めないのか?」
案内板には入学式会場と医務室の位置を示した案内図が貼り付けられている。
ご丁寧に現在地はココという表記まである。
まあ、迷子になったり転んだり体調崩したりする新入生が出ることくらい想定されるだろうから当然案内板はあるよね。
銀髪の美丈夫様はプラチナブロンドの美丈夫様と共に渋る二人を排除して道をあけさせ、殿下のお側に戻られた。
殿下と婚約者様は何事も無かったかのようにゆったりと去っていかれる。
いや何だったんだろうね。あの二人。
だけど今のシーン、前世でたくさん読んだネット小説の中にそっくりなのがあった気がする。
あれが二人じゃなくて一人なら……入学式の日、殿下の前で派手にコケてお近づきになり、無邪気な言動で殿下の心を掴んで……モンブラン王家のアーサー第一王子殿下に婚約者のパーカー公爵令嬢ルース様……ヒロインの名前は……。
あ!
あー。
思い出したわ。
万年筆のやつだ。
私、ラノベの世界に転生してたみたい。
たしか『×××の実のみのる頃』とかいうタイトルのラノベ。
何の実だったか忘れたけど。
男爵令嬢と第一王子が学院で出会い、仲良くなって第一王子の婚約者とのあれこれがあるヤツだったと思う。
けど詳しい内容は覚えていない。
それよりモンブラン王家、パーカー公爵令嬢、ヒロインは平民上がりのマリア・シェーファー男爵令嬢、と、どれも姓が万年筆の有名メーカー名だったから、そこがツボにはまって内容そっちのけで名前に気を取られていたんだった。
前世での私の兄が万年筆オタクだったのよね。
主要人物は他にウォーターマン公爵令息とアウロラ侯爵令息、留学生のモンテグラッパ王国第三王子がいたような。
たぶんあの二人のどちらかがマリア・シェーファー男爵令嬢でしょ。
二人とも碧眼でストロベリーブロンド、小柄でお目めパッチリ、唇ぷっくり、庇護欲かきたてそうな顔立ちで出るとこがしっかり出てるから男性受けしそうでいかにもヒロインっぽいし。
私も碧眼でストロベリーブロンドでマリアだけど、小柄じゃないし庇護欲とか関係ないし平民のマリアだからモブかそれ以下のはず。
面倒な愛憎劇とは無関係だよね。
それに原作は原作。現実とは別物でしょ。
気にするような事じゃないよね。
私は立派な通訳となるべく勉学第一で行くぞー!
◇ ◇ ◇
程なくして二人の名前はマリア・ペリカン男爵令嬢にマリア・エルバン男爵令嬢だとわかった。
やっぱりどちらも万年筆の有名メーカー名。
そしてシェーファー男爵令嬢はいなかった。
だからこの二人はヒロイン的な立場だと思う。
どっちも自分こそがヒロインと思っているみたいだし。
二人とも転生者かも?
それにしてもヒロインが二人なんて多すぎるでしょ。
転生にもバグってあるのかな?
しかも容姿がかなり似てるんだよね。あの二人。
よりピンク髪に見えるのがマリア・ペリカン男爵令嬢。
より濃い青の瞳なのがマリア・エルバン男爵令嬢。
もう姓の頭文字で区別してマリアPとマリアHでいいか。
そのマリアPとマリアH。
校門や校舎の入り口、食堂、庭園などで第一王子殿下が現れるたび、どこからともなく現れて身分無視して自分から勝手に話しかけアピールしてる。
でも二人とも行く先々で鉢合わせしては同じことをしようとするからアピールも微妙。
そしてほんっとになぜかわからないんだけど、それを何度も何度も何度も目撃してしまう私。
第一王子殿下を見かけたら速やかにその場を離れてしまえばいいと思っても、私の死角にいたり逃げ場が無かったりして結局二人のマリアの奮闘を目撃することになってしまう。
そのせいで二人には私の顔を覚えられてしまったらしい。
その上なぜか入学早々、留学生のモンテグラッパ王国第三王子殿下と顔を合わせることになった。
さらにウォーターマン公爵令息とも因縁ができた。
その時もなぜか二人のマリアが近くにいて私を睨んでたんだよね。
私は無関係のモブなのに。
◇ ◇ ◇
モンテグラッパ王国第三王子殿下とは正確には再会した、ということになる。
入学式から一週間後のこと。
廊下を歩いている時、背後から「マリア!」と呼びかける声が聞こえた。
私を呼んでいるとは思わなかったけど、念のため振り返ってみると、そこには懐かしい人がいた。
挨拶しようと一歩踏み出した時、マリアHがその人の前に駆け寄った。
「私をお呼びになりましたか?」
「ん?誰だ?君は」
「嫌ですわぁ。マリアとお呼びになったのに」
「ああ、人違いだ。君じゃない」
すると次にマリアPが駆け寄ってきた。
「私を呼んで下さったのでしょう?アル様ぁ」
「誰だ?君は」
「貴方様がお呼びになったマリアですわっ」
「いや、君も呼んでいない」
アル様はすがりつこうとする二人を引き離し満面の笑みを浮かべて私に近寄ってきた。
『お久しぶりです。アル様。その節はご贔屓いただきましてありがとうございました』
私はモンテグラッパ王国の公用語であるイーリア語でアル様に挨拶した。
去年、実家のパン屋を贔屓にして何度もお越し下さったアル様はモンテグラッパ王国からいらっしゃった方。
マリアPとマリアHに会話の内容を聞かれたくなかったのでイーリア語でご挨拶。
するとアル様はニコッと笑って言った。
『マリア、久しぶりだね。まさかこんな所で再会するとは思ってもみなかったよ』
『私も驚きました。こちらへ留学なさったのですか?』
『そうだよ。すっかりこの国が気に入ってしまってね。ご主人と女将さんは元気だろうね?』
『はい。元気に毎日パン作りに励んでいます。今年に入って新しい惣菜パンも売り出しましたから、またお越しの際には是非お立ち寄り下さい』
『それは楽しみだ』
「アルフォンソ殿」
急に背後から声がかかる。
振り向くとアーサー第一王子殿下とルース様が立っていて、私は慌てて廊下の端に寄って頭を下げた。
「お困りのように見受けられるが?」
「いや、懐かしい顔を見かけたので少し話をしていたのですよ」
「その者と?」
「ええ。マリアは去年私がお忍びで何度も通った美味いパン屋の娘御ですよ。イーリア語が堪能なので久しぶりに母国語での会話を楽しんでいたところです」
「ほう」
殿下が私に目を向けたので、私はまた頭を下げた。
てか、アル様ってアルフォンソという名前だったの?
しかも殿下と親しげ。
お忍びで通ったってことは、まさかまさかモンテグラッパ王国第三王子のアルフォンソ様?!
やばい!
王族に惣菜パンの宣伝をしてしまったわっ!
これって不敬になっちゃう?
「楽しまれたのであれば重畳。だがそろそろ……」
「ああ、そうでしたね。それではマリア。また今度ゆっくり話そう」
「もったいないお言葉でございます」
いやぁ、冷や汗かいた。
もう二度とアル様なんて呼んじゃダメだわ。
身分は高そうだと思ってはいたけど、まさか王族だったとはねぇ。
不敬はセーフだったと思いたい。
ちょっと第一王子殿下の言葉が不穏な感じだったから私もあの二人のマリアの同類と思われたのかなぁ。
って、マリアPとマリアHの目が怖すぎるんですけど?!
私からは何もしてないのになぜ?
まさかこれってラノベのワンシーンだったりする?
誰か違うと言って?!
◇ ◇ ◇
ウォーターマン公爵令息チェイス様とは図書館で何度も鉢合わせした。
私が語学系の本が並ぶ書棚から一冊の本を手に取ると、後ろからとっても小さな声で誰かに「チッ」と吐き捨てられたので振り向くと、入学式の日に見た銀髪碧眼の美丈夫様が立っていたのが最初の遭遇。
美丈夫様は人形?というかロボット?はたまたアンドロイド?てくらいに無表情。
その目は私が手にしている本に向けられていたけど、その時は知らん顔してそれを借り出して帰った。
殿下の側近らしいから身分の高い人だとわかるけど、チッとか言われるとねぇ。
でもその後、続け様に同じ事が二度起きてイラッとした私は、次にまた同じ事が起きた時、手に取った本を銀髪の美丈夫様の鼻先に差し出して言った。
「お先にどうぞ」
「……いいのか?」
「その代わり今後もし私が先を越しても背後から圧力をかけるのを止めて頂けますか?」
「……すまなかった。今回は好意に甘えさせてもらおう」
すまないという表情にはまったく見えなかったけど今後チッとか言われずに済むならどうぞどうぞ、ですわ。
そして別の本を借りて図書館を出ようとしたところでマリアHに捕まる。
「あんた、平民のマリアよね?」
「はい」
「平民のくせにウォーターマン公爵令息チェイス様に取り入ろうとしてるみたいだけど無駄よ。諦めなさい」
そう言われて初めてあの銀髪の美丈夫様がウォーターマン公爵令息だと知った。
だけどさっきのあれが取り入ろうとしているように見えるわけ?
「ご忠告ありがとうございます。私は本の貸し出し順を公爵令息様にお譲りしただけですのでご懸念には及びません」
「ふん!どうだか。どのみち彼の心を掴むのは私よ。覚えておきなさいっ」
あれ?
第一王子殿下狙いじゃなかったの?
もしかして逆ハー狙い?
などと思いながらマリアHの背中を見送ると、近くの柱の陰からマリアPが出てきてこれまた私を睨み、去っていった。
うーむ。
なんかまずい状況になっている気がするんだけど。
二人のマリアが同じ場所にいるってことは、これもラノベのワンシーンなのでは?
一切関わりたくないのにどうしてこうなる?
◇ ◇ ◇
そんなこんなで、私が目障りになったらしいマリアPとマリアHは戦法を変えてきた。
その日、授業が終わって教室を出た私は、食堂へ行くため階段を下りようと足を踏み出したとたん、後ろから誰かにいきなり背中をドンッと押された。
え?何?!
体が宙に浮く。
でも今の私も運動神経には恵まれている。
元水泳選手の根性を舐めるなああああああああっ!!!
と内心で叫びつつ掴まれそうな所を目で探して必死に手を伸ばす。
物凄く焦ったけど、なんとか手すりに掴まって下まで転げ落ちるのを回避。
弁慶の泣き所を打ってめちゃくちゃ痛かったけど、死は免れたぁ!
って、ほんと、冗談じゃないんだけど?!
怒りに燃えて階段の上を見上げると、そこにいるのは驚いて固まっているルース様と取り巻きのご令嬢方。
その後ろに、驚愕の表情で口元を押さえているマリアP。
「ルース様っ!なんてことをっ!」
驚いたルース様が振り向くとマリアPが言い募る。
「まさか、私と間違えてあの人を押したんですかっ?……なんて酷い……」
「わたくしは何もしていませんわ」
とんでもないことを言うマリアPにルース様だけでなく私もびっくり。
これってきっとテンプレの階段落ちだよね。
私を押したのはマリアP、アンタでしょ?
階段から落ちた人の心配より先にそういう台詞言っちゃうところからして怪しさ満点。
ルース様の背後にタイミング良くいるのも怪しすぎる。
こっちは下手すりゃ死ぬとこだったんですけどっ?!
「何の騒ぎだ?」
階段下にアーサー第一王子殿下と銀髪の美丈夫様にプラチナブロンドの美丈夫様がいてこちらを見上げていた。
私はまだ手すりに掴まってぶら下がっているような姿勢。
めちゃくちゃ恥ずかしい格好をしていることに気づいて、慌てて手すりから手を離しスカートの裾を直した。
膝までむき出しのままだったから。
殿下が先に声をおかけ下さったということだから、私が説明申し上げてもいいということよね?
と思って口を開きかけると、マリアPが口を挟む。
「ルース様がその人を押して階段から突き落としたんですっ」
ちょっと!
そんなデタラメが通るわけないでしょ?
「本当なのか?そこの……君はマリアだったな。いや、そのままで良い。答えよ」
立ち上がりかけた私を制して、殿下が私の顔を見て仰るのでお答えした。
「私が階段から転げ落ちそうになったのは本当です。お見苦しい姿をお見せしまして誠に申し訳ございません。どうかお許し下さい」
「押されて転げ落ちそうになったのか?」
「何も見ておりませんのでわかりかねます。お騒がせして申し訳ございません。私の不注意によるものですので」
「嘘よっ!あなたは私と間違われて階段から突き落とされたのよっ!」
途中でマリアPが口を挟んできた。
せっかく無かったことにしようとしたのに。
そんな言い分が通るわけないでしょうに。
それにアンタの共犯者になるつもりは毛頭ありませんけど?
殿下はまた私を見て仰った。
「怪我は無いのだな?」
「はい」
「では私はもう行くとしよう」
「そんなっ!殿下!」
「ルース嬢。こちらへ」
マリアPの言葉を無視して殿下は階段の上にいるルース様をお呼びになる。
ルース様は青褪めた顔で階段を下り、殿下と共に去って行かれた。
銀髪の美丈夫様も後に続く。
プラチナブロンドの美丈夫様は?と見ると、なぜか目が合う。
しかも驚いたような表情で私の顔を見つめている。
なんで?
私の顔に何かついてる?
もしかして顔も擦りむいた?
そう思って顔を手のひらで拭ってみたけど血はついていないし痛みも無いので大丈夫そう。
私は立ち上がってその場で足踏みし、向こう脛以外痛いところが無いことを確認して階段を下りた。
お腹が空いてるけど、先に医務室に行ってこよう。
顔に怪我なんてしてなきゃいいけど。
「君!ちょっと待って!」
背後から声がかかったから立ち止まる。
振り向くとプラチナブロンドの美丈夫様が私の目の前まで来て立ち止まった。
そしてまた私の顔をまじまじと見つめる。
何なんでしょうねぇ。
いくらお貴族様といっても失礼では?
一応、待て、と声をかけられているから口を開いてもいいよね?
「あの、私に何かご用がおありでしょうか?」
そのプラチナブロンドの美丈夫様は正気に戻ったらしく、やっと口を開いた。
「いや、突然失礼した。僕はアウロラ侯爵家次男ルーカスだ。ある理由があり、君の名前を教えて欲しいと思って呼び止めてしまった。驚かせただろうね。申し訳ない」
軽く頭を下げられてこっちはびっくり。
まあ、名前くらいならいいか。
「マリアと申します」
「マリア?どちらのマリア嬢かな?」
少し眉を顰めた顔で聞かれる。
「私は平民ですから名字はありません。ただのマリアです」
「重ね重ね失礼した」
「お気になさらないで下さい」
「平民のマリアさんと言えば、入学試験トップだった特待生のマリアさん?」
「はい。そのマリアが私です。あと、さん付けはご容赦下さいますようお願い申し上げます」
「それではマリア。もう少し聞きたいことがあるのだが……」
「何でしょう」
「君のご両親は健在だろうか?」
「はい。お陰さまで元気に働いております」
「その……こんな言い方はどうかと思うが……君はそのご両親の本当の子だろうか?」
「は?」
思わずイラッとしたのが声に出ちゃって焦る。
平民の家庭事情なんかにお貴族様が首を突っ込むな、ての。
「いや、侮辱するつもりではなく、その、もしかして養い親だったりしないか、と思ってね……」
おや?
単なる下衆な好奇心じゃなかった?
ま、どうせ調べたらわかっちゃう話だからいっか。
「はい。私の両親は養い親です」
な、何?
急に目を見開いたりして。
「君の名前の名付け親はどなただろうか?」
「産みの母です。私を今の両親に預けてすぐ亡くなりましたが名前だけは言い残したそうです。ただ……」
おっと。
こんなことまで言う必要ないんじゃ?
「ただ?」
食いつきそうな顔で尋ねられると怖いんですが。
「本当に実の母親かどうかはわからないと聞かされました。理由は教えてもらっていません」
「そうか」
ルーカス様は少し考え込むような様子を見せる。
困るなぁ。
早く医務室に行きたいんだけど。
さっきから向こう脛がジンジンと痛くなってきてるんだよね。
お腹も空いてるし。
「あの、他にご用がなければそろそろ失礼してもよろしいでしょうか?」
「あ?……ああ。引き止めてすまなかったね。話を聞かせてくれてありがとう。あ、そうだ、本当に怪我は無いんだね?」
「はい。大丈夫です。お気遣い下さりありがとうございます」
プラチナブロンドの美丈夫様は足早に去っていった。
いったい何だったんだろう。
いきなり養父母の事を聞いたりして。
ま、考えてもわからないことは置いとこう。
それより重要なのは私の向こう脛。
痛みが増してきたから早いとこ手当てしてもらわなくちゃ。
てかアウロラ侯爵令息もいたんだ。
結局主要な登場人物全員と遭遇してしまったわ。
マリア・シェーファー男爵令嬢は別として。
それにしてもマリアP。
自分は安全な所にいて私を危険に晒した挙げ句、ルース様を陥れようとするとはね。
しかもマリアPと間違えて私を突き落とした、ということにしようとするなんて。
危険な事は私に押し付けて身代わりにし、ルース様に冤罪ふっかけて自分はいいとこ取りとはずいぶん卑劣じゃないの。
だけど私を直接巻き込んでくるとは思いもしなかったよ。
これからはもっと気をつけなきゃやばいかも。
こんな事が何度も続くのは勘弁してほしい。
果たして私は無事でいられるの?
◇ ◇ ◇
で、当然というかなんというか、似たような事をマリアHにもやられた。
学院の庭園には噴水がある。
ちゃんと手入れされていて綺麗な水が噴き上がっているので前世で水泳選手だった私のお気に入りの場所になった。
水を見ているとなんか落ち着くのよね。
今日も私は、あー、プールで泳ぎたいなぁ、などと思いながら噴水の縁に腰かけて食堂の購買部で買ったサンドイッチをもぐもぐしつつ本を読むというお行儀の悪いことをして昼休みを過ごしている。
それにしてもこの世界にプールは無いし泳ぐという概念も無いのが残念。
「ねえ。あんた」
急に声をかけられて本から顔を上げると、マリアHがいた。
「あんた、いつもイベントの時、私の周りをうろちょろしてるわよね」
「は?」
確かに二人のマリアが鉢合わせて睨み合ってるところにはなぜかよく行き合わせるけど、うろちょろしている訳ではないのですが?
「イベントとは何でしょうか?」
「ごまかしても無駄よ。この世界のヒロインは男爵令嬢のマリアなんだから、平民のマリアなんてお呼びじゃないの。弁えなさいっ」
やっぱりマリアHって転生者っぽい。
とりあえずあなたの仰ることがぜーんぜんわかりませぇん、という表情を作って口もぽかんと開けてマリアHの顔を見る。
でも逆効果だったみたい。
マリアHは私を睨みつけると急に動いて私の体を押した。
噴水の中へと。
咄嗟に手に持っていた本を反対側に放り投げたけど、私の体は水の中へ派手な水音と共に沈んだ。
するとなぜかマリアHが悲鳴をあげる。
「きゃあーーー!」
なぜアンタが?
「ふん!ざまあみなさいっ」
しかもマリアHは捨て台詞を吐いてさっさと逃げていった。
私は落ち着いて水中から体を起こした。
でも水に慣れていない令嬢だと最悪の事態も予想される深さだよ?
マジでタヒねとか思ってない?
とりあえずその場で立ち上がる。
水着で水に入るのはいいけど、着衣で水に入るのは気持ち悪い。
布が重いし体に張り付いちゃってどうにもならない。
とりあえずスカートを絞ってみる。
うーん。
焼け石に水?
さて、どうしよう。
途方に暮れつつ、噴水から出るとまた声がかかった。
「いったい何をしているんだ?」
声の主を見ると、銀髪の美丈夫様だった。
あれ以来、この美丈夫様と私は図書館で語学や歴史や文化等の本の争奪戦をしょっちゅう繰り広げる仲になっている。
勝率は私が六割くらい。ふふん。
「こんにちは。ウォーターマン公爵令息様」
問いかけを無視して挨拶しお辞儀する。
「何をしているのか、と聞いているんだ」
ほっといて欲しいなぁ。
あなた様とちょっとでも喋るとマリアPとマリアHだけじゃなくて高位貴族のご令嬢方にも睨まれるんですが。
「ご覧の通りです」
「噴水に飛び込んだのか?」
「いいえ。落ちました」
「わざとか?」
「いいえ。体勢を崩してしまいました」
「叫び声が聞こえたが?」
「私は叫んでおりません」
「遠目に誰かが走っていく姿を目にしたが、そいつに?」
「わかりません」
私の受け答えが気に入らないのか、銀髪の美丈夫様の表情がほんのりイラついたものに変わる。
「困っていることがあるなら……」
「あります。制服も靴もびしょ濡れで替えが無いので困っています。午後の授業もあるので私服に着替えるしかありませんが、学院内で私服を着てうろうろするのは禁止されているかどうか教えていただけませんでしょうか」
「それは……大丈夫だと思うが念のため先生に確認してみてはどうだ?」
「そうします。ありがとうございました。もう失礼してもよろしいでしょうか?」
「あ?……ああ」
「それでは失礼いたします」
お辞儀をしてから足元に置いてあった鞄を開き、中からハンカチを取り出して手を拭き、放り投げた本を拾い上げて状態を確認する。
濡れていないし折れ曲がってもおらず、ハンカチでそっと汚れを払うと綺麗になった。
借りた本だから、これだけでも無事で良かった、とほっとする。
それにしても水没した靴がぐちゃぐちゃしてて気持ち悪い。
これ、どうやって乾かせばいいんだろ?
本を鞄に入れてから顔を上げると、遠巻きに何人かがこちらを見ているのに気づいた。
マリアPがこっちを睨むように見てる。
離れた所にはルース様と取り巻きのご令嬢方。
もしかして、これもラノベのワンシーンだった?
噴水落ちもテンプレだよね。
マリアPが被害者役狙いでまたルース様に冤罪ふっかけようとしたとか?
銀髪の美丈夫様が目撃者役ってことかも?
やばいじゃん!
これ私が被害者役横取りしたと勘違いされるよ。てかされてる。
マリアHが悲鳴をあげたのってそのためなんじゃ?
私をスケープゴートにしてマリアPの邪魔ができちゃうし。
まったくずる賢いなぁ。
はあ、とため息をついて水没を免れたサンドイッチと鞄を持ってその場を離れた。
寮に戻り、布で髪の水気を拭い私服のワンピースに着替えて靴を履き校舎へ戻る。
職員室へ行き、先生を捕まえて事情を話し、午後の授業は私服で良しという許しを得た。
やれやれ、と職員室を出ると、ルース様の取り巻きのご令嬢方が私の目の前に立ち塞がった。
「なんですの?その格好。学院内では制服を着るのが規則なのよ」
「チェイス様の気を引こうと噴水に落ちたんでしょう?」
「平民風情がチェイス様に懸想するなど許されることではないわ。身の程を知りなさい」
やっぱりこうなるんだ。
マリアHと銀髪の美丈夫様許すまじ。
「申し訳ございません。噴水にうっかり落ちたため制服と靴がびしょ濡れになりましたが平民ゆえ替えを持っておりませんので致し方なく私服に着替えました。先生にはたった今許可をいただいて参りました。ウォーターマン公爵令息様には何をしているのかと咎められお叱りを受けましたが、それは私の不徳の致すところと深く反省しております」
大きめの声で早口にそう言って頭を下げておく。
「でも……」
ご令嬢方がまだ何か言おうとした時、別の声が被さってきた。
「貴方方。もうすぐ授業が始まりますわよ」
ルース様がアーサー第一王子殿下と並んで立っているのを見て、私は廊下の端に寄って頭を下げた。
「は、はい」
ご令嬢方は歩き出したお二人の後ろに従って去っていった。
やれやれ。
とひと息ついた時。
「俺はお前を叱っていない」
通りすがりに呟いていった人に目を向けると、それは銀髪の美丈夫様だった。
どさくさに紛れて付け足したひと言をしっかり聞かれてしまったかぁ。
こういうのを踏んだり蹴ったりと言うのでは?
◇ ◇ ◇
それからしばらく平穏な日々が続いた。
マリアPとマリアHの姿を目にすることもなかった。
クラスが違うしイベント?が無ければこうなるよね。
どうかこのまま平穏な日々が卒業まで続きますように。
と願っていたんだけど。
その日、久しぶりにお会いしたモンテグラッパ王国第三王子アルフォンソ殿下に私は強引にお茶会へ連れて行かれた。
『そのお茶会に参加なさるのはどのような方々なのですか?』
『アウロラ侯爵令息ルーカス君と姉君のアリス嬢。ウォーターマン公爵令息チェイス君。それからルース嬢に私だよ』
『無理です!皆様の不興を買うだけです!ご勘弁下さい!!』
『大丈夫。私に任せておけばいい』
大丈夫じゃない!
逃げたい!
と思ったけど、平民が王族に逆らえる訳もなく、私は連行された。
お茶会の場所は学院内にある王族や高位貴族のみが使えるサロン。
私など中に入っただけで不敬になるのでは?
まだ命は惜しいんだけど。
養父母に恩返しするまで生きていたいよぅ。
内心で泣き言を言いながらアルフォンソ殿下の後ろから小さくなって中に入る。
「連れてきたよ」
中にいたプラチナブロンドの美丈夫ルーカス様が殿下にお礼を言った。
「ありがとうございます、殿下。お手を煩わせることになり申し訳ありません」
「気にすることはないよ。私が勝手に首を突っ込んだのだからね」
部屋の中にいたのは他にルース様と初めて見る美人のご令嬢。
この方がアリス様かな?
確かにルーカス様と面立ちが似ている。
プラチナブロンドと緑の瞳もそっくり。
そのアリス様は私の顔を見るなり、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。
驚きの表情を顔に浮かべ私の顔を凝視している。
初対面の方にそんな反応をされて私はどうすればいいんだろう?
なぜここに連行されたのかもわからないし。
扉が開き、銀髪の美丈夫様が入ってきた。
「人払いは完了したぞ」
なんだか大仰な感じ?
でもこの顔ぶれだから当然なのかな?
部屋の中には他にもアリス様とルース様の侍女と思しき方々にアルフォンソ殿下のお付きの方がいらっしゃる。
どう見ても私より身分が上っぽい人々。
ルーカス様に促されてアリス様が椅子に座り直し、銀髪の美丈夫様が座った後、私もアルフォンソ殿下に促されて椅子に座った。
おぅ!ふかふか!
こんな素敵な椅子に座ったのは初めてだよ!
内心ではしゃぎながら現実逃避している間に、ルース様の侍女が皆様にお茶をお出しした。
なぜか私の前にも置かれる。
いいんですか?
てか私のマナーってここにいる皆様から見たら目を覆いたくなるほど酷いと思うんですけど?
皆様がお茶をひと口飲むと、ルース様が仰った。
「マリアさん。あなたもどうぞ召し上がって」
「は、はい!いただきます」
カップを持つ手が震えそう。
さすがにルース様やアリス様のような高位貴族のご令嬢の飲み方は無理なので普通にカップを持ち上げて口に運ぶ。
内心ガクブルでどうにかひと口飲んだけど味がわからない。
そのカップを気をつけて音を立てずに置いたとたんどっと疲れが出る。
これってどんな拷問?
それとも公開処刑?
「マリアさん。まずはわたくしからあなたにお礼を言いますわ」
ルース様にいきなり言われて私は目が点になる。
私、お礼を言われるようなことした?
してないよね?
戸惑っているとルース様は柔らかく微笑まれた。
「先頃、階段であなたが転げ落ちそうになった時のことですわ。あなたは自分は何も見ていないし自分の不注意だ、とアーサー第一王子殿下に申し上げて下さったわね」
「はい」
「お陰でわたくしの言い分もきちんとアーサー殿下にお聞き届けいただけたのですわ。あの場面だけ切り取って見れば、マリア・ペリカン男爵令嬢が言ったように思われても仕方のない状況でしたもの」
「それでは誤解などされずに済ん……」
思わずそう言いかけて私は慌てて口を押さえた。
いくらなんでも出過ぎた真似よね?
殿下に対しても不敬な物言いと捉えられるんじゃ?
でもルース様は笑顔で頷かれて仰る。
「ええ。アーサー殿下はわかって下さいました。もともとあのペリカン男爵令嬢の振る舞いには思うところがおありだったこともありますけど、あなたがはっきりと殿下に申し上げて下さったお陰ですわ。ありがとう、マリアさん」
「あの、その、もったいないお言葉でございます」
私はあたふたするしかない。
ただルース様に冤罪をふっかける共犯者になりたくなかっただけなんです。
なんて言えないし。
でも良かった。
「ですけど本当にあの時、お怪我は無かったの?」
「はい。向う脛を打ったくらいで済みました」
「まあ。それはさぞかし痛かったでしょうね」
「すぐ医務室に行って治癒していただきましたし、もともと私は丈夫ですから。お気遣い下さりありがとうございます」
「マリアが丈夫なのは良いが、本当に不注意だけだったのかい?」
アルフォンソ殿下に聞かれる。
ここで言っていいことなのかな?
あとでマリアPにバレるのが怖いんだけど。
躊躇していると殿下に促された。
「ここだけの話にしておくから実際にどういうことが起きたのか教えて欲しい。これはここにいる皆の総意と思ってもらって構わないんだよ」
「はい。本当は階段に一歩踏み出しかけたところで誰かに背中を押されました。後ろを見る余裕など無かったので誰かはわかりませんでした。押されたのは腰に近い位置でしたから小柄な人に?とは思いました。ペリカン男爵令嬢マリア様がタイミング良くルース様の後ろにいるのを見たのでもしかして……などと考えてしまいました。ですが他に目撃者はいそうにないので真相は不明です」
「なるほどね。なんとなく察したよ」
「あの階段付近には死角もあるし隠れるのにちょうど良い扉もあるな……」
アルフォンソ殿下に続いてルーカス様が呟くように言う。
「目撃者がいなければどうしようもないな。我々の認識が一致していればそれでいいんじゃないか?」
銀髪の美丈夫様が言う。
「そうだな」
「そうですわね」
「で?噴水に落ちた時は本当は何があったんだ?」
今度は銀髪の美丈夫様が私に聞いてきた。
「ここにいる者は皆口が堅いし、今日ここで出た話は絶対に外には漏らさない。だから正直に言えよ」
私は渋々答えた。
「はい。あれは噴水の縁に腰かけて本を読んでいた時エルバン男爵令嬢マリア様に声をかけられ、急に噴水の中へ押されました。その時叫び声をあげたのは私ではなくエルバン男爵令嬢マリア様です。私は水に慣れているので平気でしたが全身びしょ濡れになり困っていた時にウォーターマン公爵令息様が声をおかけ下さった、という訳です」
「なるほど。その程度の話ならなぜあんな受け答えをしたんだ?隠すようなことではないだろう」
「あの時も目撃者はいませんでしたし、信じていただくには証拠がありません。ウォーターマン公爵令息様が声をおかけ下さった時は、水没しないように放り投げた本の無事を確認したいのと早く着替えをしに戻りたかったのであのような受け答えをしてしまいました。申し訳ございませんでした」
よーし、これでごまかせた!
それらしい理由になったよね?
我が理由に隙無し!
と思ったけど顔に出ちゃってたらしい。
アルフォンソ殿下がニヤッと笑って仰る。
「それだけかい?」
殿下ぁ。
そこは見て見ぬふりをしていただきたかったですぅ。
「他に理由があるのか?あるなら隠さず言え」
「言っても怒りませんか?」
「どういうことかよくわからないが、怒らないと約束しよう」
「では申し上げます。ウォーターマン公爵令息様は身分が高くていらっしゃいます。しかもご令嬢方に大変人気がおありです。さてそのウォーターマン公爵令息様と話している相手が平民の女である場合どうなるか、と申しますと、会話の内容に関わらず平民の女はご令嬢方から大変厳しい忠告を、数多、受けることになるのです。それを回避したいと考え、あのような受け答えをしてしまいました。結局その後ご令嬢方から厳しい忠告を受けましたので意味の無い行動となり、きちんとお話しすれば良かったと反省しております。誠に申し訳ございませんでした」
アルフォンソ殿下が吹き出した。
あれ?
かなりオブラートに包んだつもりだったけどダメだった?
ルース様とアリス様も扇で顔を覆い肩を震わせていらっしゃる。
ルーカス様も笑っている。
銀髪の美丈夫様は……無表情。
やっぱり怒った?
ん?
ほんのちょっぴりしょんぼり、な感じ?
いやいや見間違いだよね。
「つまり俺が話しかけるのは迷惑だ、ということか?」
「滅相もございません。私に厳しい忠告を受ける覚悟が無いだけですので、誤解なされませぬようお願い申し上げます」
アルフォンソ殿下がさらに笑って私を嗜めた。
「マリア。それくらいにしてあげなさい。なるほど君は逞しいな。階段や噴水騒ぎ程度で傷つくような柔な人間ではないということだね。であれば本題に入っても大丈夫だろう。ルーカス君」
ん?
本題?
ルーカス様が表情をあらためて言った。
「はい。そうさせていただきます。マリア。遅れたが君に僕の姉を紹介する。こちらがアウロラ侯爵家次女のアリスだ」
「お初にお目にかかります。マリアと申します」
訳がわからないながらも立ち上がってアリス様にお辞儀をする。
「アリスはこの学院の卒業生だ。今日はアーサー第一王子殿下と学院長から許可を得てここにいる」
ますます訳がわからない。
ルーカス様が促すとアリス様が頷かれ、侍女に何やら大きな包みを三つ持って来させた。
ルーカス様がそれを広げ、一枚の姿絵を取り出して私の目の前に置かれる。
「これは?」
「ある乳児の姿絵だ」
「とても可愛らしいですね」
天使のような可愛らしい乳児が無邪気に笑っている姿絵。
思わず見入ってしまう。
きっとかなり腕の良い絵師の手になるものだろう。
今にも動き出しそうに見える。
笑い声まで聞こえてきそう。
「こちらも見てもらいたい」
ルーカス様がもう一枚の姿絵を差し出された。
それもやっぱり天使のような可愛らしい乳児がにっこり笑った姿絵。
同じ女の子?と思うくらい似ている。
碧眼もストロベリーブロンドの髪色もそっくり。
でも二枚目の女の子の方が少し濃い髪色に見える。
「もしかしてこの二人は姉妹ですか?」
「そうだ。一枚目は三女で二枚目は長女だ。よく似ているだろう?」
「はい」
「そしてもう一枚。こちらも見てもらいたい」
ルーカス様が差し出されたのは立派な額縁に収まっている母と子の姿絵だった。
「!」
それを見て鳥肌が立つ。
何これ?
母親の顔がまるで……まるで……私にそっくり。
もう少し大人になれば私の顔はこうなるのでは?と思うほどよく似ている。
なんだか恐ろしい予感がしてきた。
「それは僕たちの母と三女の姿絵だ。僕とアリスが君の顔を初めて見た時どんなに驚いたか、それを見れば納得してもらえると思う」
「はい。本当によく似ていると思います。でもこれはきっと他人の空似ですよね?」
「その三女は生後八ヶ月頃に誘拐されて行方知れずだ。名前はマリアと言う。生きていれば君と同じ十五歳だ」
「……」
理解が追いつかない。
ルーカス様の言いたい事はわかるけど、さすがにそれは無いと思う。
いや思いたい。
「もちろんアウロラ侯爵家では総力を挙げて誘拐された三女マリアを探した。だが犯人は捕らえたがマリアは見つけられなかった。奴らが身元と名前を何重にも偽らせて侯爵家へ下働きとして潜り込ませた女が直接マリアを誘拐したことまでは突き止めたが、その女は惚れていた主犯に騙されて誘拐の片棒を担がされたと知ったらしく、マリアと共に姿を消した。その後の足取りがどうしても掴めなかった。侯爵家は各地の孤児院を片っ端から捜索したがやはりマリアは見つからなかった。だが当時、身元不明の女や乳児が亡くなっているという情報も無かったから僕たち家族は絶望一歩手前で踏み止まり、マリアはきっと何処かで生きていると信じていたんだ」
あまりにも重い話に私は思考停止状態。
アリス様も潤んだ瞳で私を見つめるのみ。
「あの階段転落騒ぎの際、君にあれこれ聞いたのはこういう事情があったからなんだ」
「はい」
「そして君のご両親は養父母だと知った。しかもご両親に君を預けた人はもしかしたら実母では無いかもしれないことも知った」
「はい」
「僕はすぐに君のことを家族に話した。父はすぐさま君のご両親の元へ使者を遣わし、君を引き取った時の詳細を教えていただいたんだ」
「え?」
「君に黙っていたことは謝る。だが不確かな話で君の心を騒がせることは避けたかったんだ。人違いであれば君には何も知らせないつもりでいた。だがそうではなかったんだ」
「……え?」
「ご両親に君を預けたのは我々が探していた女だった。ご両親は君が包まれていたブランケットを保管して下さっていた。そのブランケットにはアウロラ侯爵家独自の紋様、子供の健やかな成長を願う紋様が刺繍されていたんだ。だから君がアウロラ侯爵家三女マリアだということはほぼ間違いないと判断された」
急に思考が戻った。
貴族誘拐の場合、身内も連座となるんじゃなかった?!
それは絶対に嫌だ!
「両親は私を大切に育ててくれました!誘拐の片棒なんて担ぐような人ではありません!」
急に私が叫ぶように言ったのでルーカス様とアリス様が驚かれる。
それを取りなして下さったのはアルフォンソ殿下。
「マリア。落ち着いて。二人は君のご両親が誘拐の片棒を担いだなどとは思っていないよ」
「え?」
「君のご両親はよほど君を慈しんで下さったのだねぇ。私の印象でもご主人と女将さんはそういうお人柄だ。落ち着いてルーカス君の話の続きを聞いてごらん」
「あ……はい。申し訳ございません」
「いや、こちらも話の持っていき方が性急だった。すまなかった。もちろん君のご両親は誘拐には無関係だよ。それに君を預けた女は君の母上の又従兄弟の別れた妻だった。血の繋がりなどない赤の他人と言っていい。ただ君の母上から聞いたその情報が手がかりとなって主犯との繋がりが判明したんだ。誘拐事件の全容もここへ来てようやく明らかになった。これはアウロラ侯爵家にとってもある種の救いだったんだよ」
ああ。良かった。
そう思ったとたん、体から力が抜ける。
「我々は君のご両親に深く感謝しているんだ。マリアがこのように健やかに育ったのは君のご両親のお陰だ。そして我々に希望を与えてくれたのも君のご両親だ」
「あの、ありがとうございます。みっともなく取り乱したりして申し訳ございませんでした」
「気にしないで欲しい。むしろ君がいかにご両親を大切に思っているかよくわかったからね」
「はい」
急に恥ずかしくなって思わず俯く。
「それで、ひとつ君に決断して欲しいことがあるんだ」
ルーカス様の言葉に顔を上げる。
決断って?
「調査結果もブランケットの存在も母と良く似た容姿も君がアウロラ侯爵家三女のマリアだと示している。だがそれだけでは国には認められない。こういったケースにおいて貴族の場合、家の乗っ取りの疑いを一欠片も残さず排除しなくてはならないからね。だからマリアは間違いなく現アウロラ侯爵とその夫人の子供だ、と証明するための鑑定を受けて欲しいんだ」
「鑑定、ですか?」
「そうだ。親子関係は国が認定した鑑定士に調べてもらうことができる。ただ親子関係の鑑定というのは繊細な問題を含むこともあるため、当事者全員が同意していることが鑑定を受けるための必須条件なんだ。その上で王国の権威の立ち会いの元、鑑定が行われることになる。もう現アウロラ侯爵と夫人は同意している。王国の権威の立ち会いはアーサー第一王子殿下が努めて下さることになっている。そして……実は君のご両親の了解も得ているんだ」
「え?」
「ご両親は君の意思を尊重する、と言って下さっている。だから、あとは君の同意次第なんだ」
「そうですか」
アリス様がここで初めて口を開かれた。
「マリアさん。あなたが今のご両親を慕っていることはよくわかりましたし、わたくし達はあなた方の関係を壊すつもりはありません。わたくし達はあなたの気持ちが決まるまで待ちます。強要はしません。ただ母は幼いマリアを失ったことで誰よりも苦しんできました。どうかそのことを考えていただきたいのです」
ルーカス様とアリス様の目には期待……というより縋るような色が浮かんでいる。
前世での私の人生は十五歳で終わった。
今の私も十五歳。
前世の事もあるから、いつ何時自分の人生が突然終わりを告げるかわからない、ということは十二分にわかっている。
だから私はやりたい事ややるべき事はすぐに実行して先延ばししないように心掛けている。
私の実母かもしれないアウロラ侯爵夫人の長い長い苦しみが終わるのなら、私がここで無駄に長く悩むより、できるだけ早く調べてもらった方がいい。
例え私が本当にアウロラ侯爵家の三女マリアだと確定したとしても、私をここまで育ててくれた両親はやっぱり私の両親に変わりはないし、恩返しをするという気持ちも変わらないんだから。
うん。
決めた。
こうなったら一日でも早く鑑定してもらおう。
「わかりました。私は鑑定を受けることに同意します」
ルーカス様とアリス様の表情に驚きと喜びの色が浮かぶ。
「本当にいいんだね?」
「はい。私はいつでも構いません。どうぞよろしくお願いいたします」
「ありがとう……本当にありがとう」
ルーカス様とアリス様の瞳は潤んでいた。
◇ ◇ ◇
五日後。
異例の早さで行われた鑑定の結果、私はアウロラ侯爵家の三女マリアであると確定した。
その瞬間、私はアウロラ侯爵令嬢マリアとなった。
まだ全然ピンときてないけど。
鑑定の場で私は初めて実の両親に会った。
サミュエルお父様、エルザお母様、嫡男のエドワードお兄様、長女のシャーロットお姉様、次女アリスお姉様、次男ルーカスお兄様が私の家族。
私はエルザお母様とシャーロットお姉様に髪色も瞳も顔立ちもよく似ていた。
涙ながらに皆に抱きしめられ、特にエルザお母様は滂沱の涙を流して私をしっかりと抱きしめてくれた。
こうして私生児だったはずの私には養い親家族と実の家族の二つの家族ができた。
◇ ◇ ◇
私の身元が判明して身分が変わったことは国へ届出し受理されたけど、まだ公に発表はされていない。
お父様とお母様はすぐにも私を屋敷に引き取りたいと仰ったけど、私が我儘を言って事が公になるまで寮生活を続けさせてもらうことにした。
平民の身から貴族へ身分が変わることへの覚悟がまだ固まっていないのと、私がいきなり寮を出て馬車で登校しだしたら騒ぎになるだろうし、特にマリアPとマリアHの反応がまったく想像できなくて怖かったから。
それなのに!
銀髪の美丈夫様が他人の目を気にせず私に声をかけてくるようになった。
むしろ人目がある時をわざと狙ってんじゃないの?て感じで頻繁に。
お陰でご令嬢方からの厳しい忠告が倍以上に増えたんですけど?
もしかしてこの間の意趣返しですか?
そう思った私は美丈夫様に文句を言ったんだけど、逆に丸め込まれてしまった。
「お前の身元が公になったらこんな騒ぎじゃ済まないぞ。その練習だと思っておけばいい」
「こちらの身が持ちません!」
「だが、誰がどう手のひらを返してくるか、それを知るのはこっちの利益になるぞ」
「それって私を囮にしてるってことですよね」
「まあ、そうとも言えるな」
「うー」
「唸るな。それに殿下もルース嬢も注視しているんだ。これから先、ご自分の側近くに置く者を見極める一助になるからな」
「なるほど。そういう面があるんですね。わかりました。鑑定に立ち会って下さったアーサー第一王子殿下への恩返しと思って耐えます」
「そうしろ」
そうしろぉ?
いい気なもんですことっ!
そもそもの原因はあなた様ですけど?
と、ぷんぷんしていたら美丈夫様は私の頭を撫でて言った。
「恩に着る」
「子供扱いはやめて下さい」
「それはすまなかったな」
銀髪の美丈夫様は珍しく口元に笑みをほんのり浮かべて去っていった。
それを見送った私は丸め込まれた悔しさより驚きでいっぱいに。
え?
今、笑った?
笑ったよね?
夢かな?
私は思わず頬をつねった。
痛かったから夢じゃなかったみたい。
あの美丈夫様が笑うだなんて驚きの新事実!
なんかちょっと素敵だったかも。
って、私何考えてんの?
◇ ◇ ◇
さて。今、私は目の前にいる人を見て内心でため息をついている。
久しぶりに顔を合わせたマリアPが私の前に立ち塞がっているから。
「あんた。これからちょっとつき合いなさいよ」
「どちらへ?」
「いいから来なさいよ。平民風情が貴族に逆らうのっ?」
はいはい。
もう面倒な予感しかしないんだけど。
校舎裏の人気の無い寂しい場所に着くとマリアPは仁王立ちして私を睨んだ。
「あんた。散々私の邪魔をしてくれたけど、どういうつもりっ?」
「は?」
邪魔って何?
最近、マリアPとの絡みなんて何も無かったよね?
「あんたの邪魔のせいで殿下ともアル様ともチェイス様ともルーカス様とも上手くいかないんだけどっ?」
「仰る意味がわかりませんが」
マリアPも逆ハー狙いだったみたい。
でも上手くいかないのは私のせいじゃないよね?
「あんた転生者でしょ!原作を知ってて私の邪魔をしたんでしょっ!時間ずらしたりルート変えさせたり姑息なことばっかりして!ほんっとに腹が立つわ!」
言ってることがさっぱりわからないんだけど。
何もしていないし。
「何か誤解されているのでは?」
「誤解?何言ってんのよ。私は知ってるのよっ!あんたって本当は誘拐されたアウロラ侯爵家の三女なんでしょ?!」
え?!
なぜそれを知ってる?
まだ公にはされていないのに。
その動揺が顔に出てしまったらしい。
マリアPが血相を変えて声を荒げた。
「やっぱり!何なのよ!原作を改変して!バカにしてるの?!」
原作を改変?
何それ。
「本当ならあんたは孤児院に入るはずだったのに!何がパン屋の娘よ!私なんか外腹だからずっと平民の底辺で苦労してようやくペリカン男爵に認知されて掴んだ貴族の身分だったのに!冗談じゃないわ!!」
いやそれって私のせいじゃないよね?
「あんた、自分が原作のマリア・シェーファー男爵令嬢だって知ってたんでしょ?!でも孤児院に入れられなかったからシナリオが狂ってシェーファー男爵に引き取られる話が丸々無くなったんだ。その段階をすっ飛ばして、実はアウロラ侯爵家の三女でしたって威張るつもりだったんでしょっ!ふざけないでよ!マリア・シェーファーがいないから私がヒロインになれると思ったのに!」
そんな逆恨みをされても困る。
てか原作のマリアってそんな背景があったんだ。
マリアPは原作の知識があるだけで鑑定結果を知ってる訳じゃなさそう。
でも私ではどうにもならない事ばかりなんだから八つ当たりされても……。
原作のマリアと私はまったく別物なんだし……。
と言っても通じないかも。
なんだか目がイっちゃってる感じ。
すごくやばそうなことだけはわかる。
逃げた方がいい?
「こうなったら私だって原作を改変してやるわ!だからあんたには消えてもらうわ!」
「え?」
マリアPはポケットから短い棒を取り出し、鞘らしきものを抜き払った。
よく見ればまさかのナイフ。
それ本物?
切れちゃうヤツ?
やばいやばい!!
マリアPがナイフを手に襲いかかってくる。
私は必死にナイフを躱した。
だけどか弱そうなマリアPとは思えない鋭さでナイフを振り回してくる。
今のマリアP相手に背中を見せて走って逃げるのは怖い。
でも動きを見極めて避けようと思っても所詮私は素人。
ナイフを避けた拍子に小石を踏みつけて転んでしまった。
そこにマリアPがナイフを振りかざして迫ってきた。
刃がギラリと光る。
まさしく絶体絶命。
でも。
また十五歳で死ぬなんて嫌だ!
こんな事で死ぬなんて絶対に嫌だ!!
今度は長生きするんだから!!!
そんな強い思いを抱いた私は、なぜか両手をマリアPに向けていた。
とたんに体が熱くなり視界が閃光に包まれる。
「ぎゃあああ!!!」
叫び声を聞くと同時に私の意識が飛んだ。
◇ ◇ ◇
「マリア!……マリア!」
切迫した声に私は意識を取り戻した。
目を開くと眼前に銀髪の美丈夫様のご尊顔。
あれ?
珍しくはっきりと心配そうな表情をしている。
「ああ、美丈夫様は人形じゃなかったんですね」
ちゃんと感情を表情に出せる人だったんだ。
人形でもロボットでもアンドロイドでもなかった。
って。
「え?」
なぜ美丈夫様がいるの?
私は驚いて身を起こそうとしたけど動けなかった。
よくよく見てみると私がいるのは銀髪の美丈夫様の腕の中。
どゆこと?
「気がついたか。良かった。痛い所は無いか?怪我をしていないか?」
「えっと……特にありません」
訳がわからないけど痛みは無いのでそう答える。
で、この状況は?
「すぐ医務室に行こう」
「ちょっと待って下さい。今の状況が理解できないんですが」
「お前はマリア・ペリカン男爵令嬢に襲われたが防御魔法で身を守った。そのため魔力切れで気を失っていたんだ」
「防御魔法?」
「そうだ」
「私に魔法が使えるはずがないんですが」
「身に危険が迫ったから目覚めたのではないか?とにかく詳しい話は後だ。医務室に行くぞ」
そう言って銀髪の美丈夫様は私を抱いたまま立ち上がって歩き出した。
すごい。
この体勢から立ち上がれるんだ。
って、え?
「待って下さい!自分で歩きますから!」
「ほう?それじゃ脚を動かしてみろ」
体を動かそうとしても脚どころか腕も動かせない。
体中から力が抜けてしまっている。
「どうして……」
「魔力切れだからだ。初めて魔法を使ったのだろう?しかもかなりの威力の防御魔法をいきなり発動したから、そうなるのは当たり前だ。今はあきらめろ。俺が医務室に連れて行く」
「……はい」
急ぎ足で歩きながら銀髪の美丈夫様が言う。
「ところで人形じゃないとは何のことだ?」
「え?今、それを聞くんですか?」
「今は俺の方に主導権があるからな」
「うー。……美丈夫様はいつも無表情で人形みたいなのに、さっきはめずらしく表情が出ていたから驚いたんです」
「無表情で悪かったな」
「悪いなんて言ってません。そういう個性なんだろうなと思っていただけです」
「で?美丈夫様とは何だ?」
「あれ?そんなこと言いましたっけ?」
「言った」
「……ウォーターマン公爵令息様と呼ぶのが面倒で銀髪の美丈夫様と内心で呼んでました。不敬でしたよね。申し訳ございませんでした」
「本当に口の減らない奴だ」
「えーと、お褒めいただきありがとうございます?」
「褒めていない」
「怒ってます?」
「腹が立っているだけだ」
「そこに違いはあるんですか?」
「ある」
よくわからない会話をするうちに医務室に到着。
隣室の寝台に寝かされ、医師の診察を受けるとやはり魔力切れだった。
まさか私に魔力があったとか魔法を使えるとか、びっくりだよ。
まだ半信半疑だけど。
医師には、ちゃんと魔法の使い方を習いなさい、と叱られてしまった。
とりあえず魔力回復ポーションとやらを飲まされた。
緊急避難的な使用だから最低限の魔力が回復するだけらしい。
あとは食べて休んで回復を待て、と言われる。
仕方がないのでそのまま寝台に横になっていると、私を医師に任せてさっさと帰っていったと思っていた銀髪の美丈夫様が戻ってきた。
そして手に持っている包みを私の目の前に突き出して言う。
「これを食べろ」
「何ですか?」
「サンドイッチだ。奢ってやる」
「ありがとうございます。まだ手を動かすのも大変な状態なので後でいただきます」
「そうか」
そう言うなり美丈夫様が私の上体を起こして背中にクッションを挟んでくれた。
そして寝台の縁に座ってサンドイッチをひとつ取り出すと私の口元に突き出す。
「これで食べられるだろ?」
えーと、まさか、あーんしろ、とか言うんじゃないですよね?
「ほら、口を開けて」
そのまさかでした。
でもまた無表情に戻っている美丈夫様に逆らうのはやめといた方が良さそう。
渋々口を開けるとサンドイッチを突っ込まれる。
ひと口齧ってもぐもぐする。
悔しいけど美味しい。
「ほら、もっと食べろ」
結局、全部食べ終わるまで美丈夫様はサンドイッチを口に入れてくれた。
どんな羞恥プレイ?
と思ったけど、途中でふと小さい頃兄さんと姉さんにこんな風にパンを食べさせてもらったことがあったなぁ、と思い出して懐かしくなった。
それが顔に出ていたらしい。
「何を笑っているんだ?」
「え?」
「今、少し笑っただろう?」
「つまらないことですよ」
「それは俺が判断する」
「小さい頃、兄さんと姉さんにこんな風にパンを食べさせてもらったことがあったなぁ、と懐かしく思い出していました」
「……そうか」
「はい」
「言っても仕方がないことだが……ルーカスにはそういう思い出が無いのが残念だ」
「そう……ですね。でもこれから作っていけばいいと思ってますから」
「そうか」
「ところでマリア・ペリカン男爵令嬢はどうなったのかご存知ですか?」
「あれはお前に防御魔法で弾き飛ばされて気を失った。その場で俺たちが捕縛して学院に突き出しておいた。あれがお前にナイフを振り翳していたのを目撃した者は何人もいるから証言には事欠かない」
「俺たち?」
「俺とルーカス、そしてアウロラ侯爵がお前につけていた護衛役たちだ」
「え?」
「皆お前が心配なんだ。だから侯爵は学院に通う身内同然の手の者にお前を見守らせていた。本来の身分に戻ることが公となり屋敷に戻るまで侯爵家は安心できないということだ。わかるだろう?」
「はい」
そこまで気を使って下さっていたんだ。
申し訳なさと嬉しさで複雑な気分。
「あの女がお前に目をつけていることはわかっていたからな。絡まれた時点で俺とルーカスに連絡が来た。駆けつけた時、あの女が今まさにお前を害そうとしていたから咄嗟に石を投げてあの女のナイフを叩き落としたんだ。お前はその瞬間防御魔法であの女を弾き飛ばした、という訳だ」
「助けて下さってありがとうございました」
「礼には及ばん。駆けつけるのがぎりぎりになってしまったからな。だが咄嗟に防御魔法を発動させたお前はたいしたものだ」
「どうして発動できたのかわからないんです。魔法が使えるなんて思ってもいなかったし」
「強い気持ちがあったからじゃないか?それまで魔法が使えなかった者が急に目覚める時はたいていそうだ」
「あの瞬間、こんな事で死ぬなんて絶対に嫌だ、と強く思いました」
「間違いなくそれだろう。もともと魔力はあったのだから、これまでにも無意識に使っていた可能性はあるな。階段に突き落とされた時は身体強化したかもしれない。動体視力や瞬発力も上がるから下まで転がり落ちるのを防げたんじゃないか?」
「なるほど。その可能性はありますね。それにあの時も死は免れたいと必死になりましたから」
「危機的状況でもあきらめない。やはりお前は芯が強いな」
「そう、ですか?」
「ああ」
そう言って美丈夫様は私の頭を撫でた。
「子供扱いはやめて下さい」
「それはすまなかったな。それじゃ俺はもう行く。ゆっくり休めよ」
「はい。色々とありがとうございました」
本当に危機一髪だった。
今はひと安心、というところだけど……。
でも、まだマリアHがいる。
ここのところまったく姿を見ないのが逆に怖い。
もう何事も起こらないことを祈るしかないけど。
◇ ◇ ◇
数日後、いつものように噴水の縁に座って午後の授業に備え予習していた時、フッと人影が射すと同時に背中に何か硬い物が押し付けられた。
顔を動かすとマリアHの声が聞こえた。
「こっちを向かないで。立ちなさい」
声の調子がやばい感じ。
私は言われた通り立ち上がった。
「そのまま歩くのよ」
小突かれた方へ歩き出す。
私は噴水の前を通り過ぎて学院敷地内の奥まった人気の無い所まで歩かされた。
そこで背中をドンッと押される。
私は地面に転がり、起きあがろうとしたところにマリアHがナイフを突きつけてきた。
「あんた。よくも呼び出しの手紙を無視してくれたわね」
「あの名無しの呼び出しの手紙の差出人はあなただったんですね」
「三回とも無視するなんて許されないわよ」
「でも名無しの呼び出しなんて怖くて応じられません」
「煩いわね。まあいいわよ。どのみちあんたは今ここにいるんだから」
「何かご用ですか?」
「ふん。とりあえずお礼を言ってあげる」
「お礼?」
「あのバカ女。マリア・ペリカン男爵令嬢を破滅させてくれてありがと」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味よ。原作のマリア・シェーファー男爵令嬢に成り代わろうとした似非ヒロイン。あのバカ女、すっごく目障りだったのよね。消えてくれて清々したわ」
「原作?」
「あのバカ女から聞いてるでしょ。あんたは本当ならマリア・シェーファー男爵令嬢だったはずだって」
「本当ならってどういうことですか?」
「惚けないで。でもまあ、あんたが転生者かどうかなんてこの際どうでもいいことよ。あんたにもここで消えてもらうんだから」
「消えてもらうって……?」
「冥土の土産に教えてあげるわ。ここはラノベ『巴旦杏の実のみのる頃』の世界。ヒロイン、マリア・シェーファー男爵令嬢の成り上がり物語よ。私、入学前にそのマリア・シェーファー男爵令嬢がこの世界にいるか調べたのよ。でもいなかった。だから似たような生まれ育ちの私がヒロインに成り代われると確信したわ。あのバカ女は原作の設定から外れてるからどうせ自滅すると思って放っておいたのよ。でも原作通りに動いても一向に上手くいかないじゃない。攻略対象はみんな平民に過ぎないあんたにばっか絡んでる。それで気づいたのよ。これは物語の強制力だって。つまりあんたが原作のマリア・シェーファー男爵令嬢だって。何かが変わってあんたは孤児院に行かずパン屋の娘になった。でも最終的にアウロラ侯爵家の三女マリアだとわかる所は変わらないはずよ。そこが原作の肝なんだから。だから私はそこだけを美味しくいただくことにしたの。逆ハーより侯爵家三女の方が一生いい思いができるんだからそっちを選ぶ方が利口でしょ。そのためにはあんたが消えてくれなくちゃ困るの。ヒロインは一人いれば十分。だからあのバカ女とあんたを共倒れにして消去することにしたのに」
「まさか……そのためにマリア・ペリカン男爵令嬢を煽ったんですか?」
「その通りよ。あのバカ女、いつまでも逆ハーにこだわってたから悟られないように何度も邪魔してやったのよ。そしたらあんたに邪魔されたと勘違いし続けていったって訳。それが限界に達したところでちょっと囁いて煽ってやったら案の定、あの女、うまく踊ってくれたわ。あんたが死ななかったのは残念だけど、仕方がないから私が引導を渡してあげる。これで似非ヒロインと原作ヒロイン両方退場。私がアウロラ侯爵家の三女マリアだと名乗り出ればヒロインは私になるって寸法よ。私は孤児院育ちだしいくらでも捏造できるわ」
「捏造は無理だと思いますよ」
「できるわよ。私の演技力は筋金入りよ。騙すのはお手の物。原作にあった三女マリアの証明になる手がかりも準備したから楽勝よ」
「でも鑑定は騙せませんよね?」
「鑑定?何よそれ」
「本当の親子関係を鑑定することができると聞いたことがあります」
「ふん。そんなハッタリ私にはきかないわよ。さあ。そろそろ観念してもらうわよ。あんたが私に襲いかかって私は正当防衛であんたを返り討ちにするの。そういうことだから、おとなしく消えてちょうだい」
マリアHは手に持っていたナイフを再度私に向けた。
でも私だって一度経験しているから今日は一方的にやられるつもりはない。
それにきっと近くに誰かいるはず。
マリアHがナイフを翳し飛びかかってくる。
私が横に転がってナイフを避けると同時に近くの木の陰に潜んでいた銀髪の美丈夫様が飛び出してきてマリアHの手からナイフを叩き落とした。
ちょっと驚いた。
いつからいたんだろう?
全然わからなかった。
「こんなものを使いやがって」
吐き捨てるように言う美丈夫様にマリアHが言う。
「違うんです!先にこの女が私を襲ってきたからっ」
「嘘はやめろ。俺たちは始めから見ていた」
「っ!」
いつの間にか周りには五人の男子生徒がいた。
ルーカスお兄様以外の人は見たことがない生徒ばかり。
そのルーカスお兄様は怒りで顔を歪めている。
「こいつを連れて行ってくれ」
「はい」
四人の男子生徒が喚き暴れるマリアHを拘束して連れて行く。
「怪我は無いね?マリア」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
「妹を守るのは当然のことだよ。迷惑ではない」
「ありがとうございます」
銀髪の美丈夫様が口を挟む。
「俺には?」
「ありがとうございました。お陰さまで命拾いしました」
「同じ轍は踏みたく無いからな。今回は間に合って良かった」
美丈夫様の口調は本気で安堵しているように聞こえた。
この後、マリアHは国から派遣されてきた尋問官に取り調べを受けた。
貴族に対する刃傷沙汰の調査権限は国にあるからだ。
マリアPもそうだった。
そのマリアPは取り調べ後、処分が下されるまで国に拘束されていて学院から姿を消している。
それを知らなかったマリアHは事態を軽く見ていたらしい。
もちろん私の身元がとっくに判明していることも知らなかったから無鉄砲にも取り調べの最中、自分がアウロラ侯爵家の三女マリアだと言い、その証拠はこれだと侯爵家の紋章が刺繍された古ぼけたブランケットの切れ端を出してきたそうだ。
これが証人として立ち会っていたルーカスお兄様を完全に怒らせてしまった。
自分の目の前で妹の私を害そうとした上、偽の証拠品をいけしゃあしゃあと出してきた事にブチ切れてしまったらしい。
と言うのも、私は知らなかったけど、三女マリアを名乗る偽者が出てきたのはこれが初めてではなかったから。
証拠と称する品もお粗末な刺繍でひと目で偽物とわかる代物だったとか。
それに尋問官からすればこれはマリアHが三女に成り済まそうとしたことを自白したも同然の行い。
アウロラ侯爵家三女の誘拐事件は貴族界に知れ渡っていたから、マリアHはそれを知って成り済ましを画策したものと断じられたそうだ。
成り済ましはお家乗っ取りに繋がる行為と看做され厳しい処罰は免れない。
結局マリアHも原作のヒロインに成り代わろうとしたために自滅してしまった。
◇ ◇ ◇
この騒ぎのあと、私は寮を出てアウロラ侯爵家に入ると決心した。
一番の理由は三女マリアを名乗る偽者が出てきたのはこれが初めてではないと知ったから。
誘拐はお母様に執着していた男の拗らせた思いと政敵の思惑が一致して起きた事だったらしい。
さらに三女マリアの偽者まで現れて、芯の強いお母様も相当参ってしまったそうだ。
三女を誘拐された被害者の深い傷を抉るようなそんな酷い事をしてくる人がこれまでにもいたと知ったら、もう我儘なんて言ってられない。
決心してまずルーカスお兄様に話し、我儘を言って寮生活を続けていたことをお詫びしたら、それについては気にすることはない、と慰められた。
実はあのお茶会であの場にいた皆様は、私の話を聞き、他人の命より自分の欲望を優先するマリアPとマリアHの行動の危険性を無視できないものだと判断なさったそうだ。
私がアウロラ侯爵家三女のマリアであるとの鑑定結果が出たらすぐ公表する予定にしていたけれど、リスクを鑑み、公表を遅らせ、私には知らせず護衛をつけておく事にしたとのこと。
それは私が寮にいても侯爵家に戻ってもどのみち学院内ではそうする事に決まっていたそうだ。
「僕が学院内でマリアに話しかける頻度を増やしていったり、チェイスがやたらとマリアに構う頻度が増えたのは、あの二人の行動を見極め、周りの反応を探るためもあったんだ。ただマリアに対する令嬢方の厳しい忠告があそこまで増えるとは思っていなかったし、あの二人の度を越した行動はさすがに想定外だった。謝るのはこちらの方だよ。マリア。本当にすまなかった」
そう言えば銀髪の美丈夫様だけじゃなくてルーカスお兄様も人気があるんだよね。
全部美丈夫様のせいと思い込んでた私もうっかりさんだった。
でもこれしきの事で私はめげませんから。
「私は皆さんにしっかり守っていただきました。それにこの間の出来事を経て貴族になることへの覚悟も固まりました。だから皆さんには感謝しています。もちろんお兄様にも。本当にありがとうございました」
週末、私は寮の部屋を引き払い、アウロラ侯爵家のタウンハウスに引っ越した。
すでに私の部屋は整えられていた。
アリスお姉様が屋敷の中を案内してくれる。
そして家族揃っての夕食。
養父母と兄姉と一緒に小さなテーブルを囲んで賑やかに夕食を取るのも楽しかったけど、こうして穏やかで温かい雰囲気の中で家族揃って夕食を取るのも楽しい。
まだマナーに不安がありまくりなので、シャーロットお姉様やアリスお姉様の真似をしながら食べていると、優しく微笑むエリザお母様と目が合い、それでいいのですよ、と言うかのように頷いてくれる。
ああ、私は大丈夫。
ここでもちゃんとやっていける。
そう思えた。
週明け、私はルーカスお兄様と一緒の馬車で登校した。
さすがに馬車から降りる時は緊張する。
ルーカスお兄様がエスコートしてくれて、何度も練習した通りに遅滞無く馬車から降りることができた時はほっとした。
でもすぐに周りからの視線が突き刺さってくる。
驚きの目、疑問に思う目、嫉妬交じりの目、怒っている目、等々。
「堂々としていればいいんだよ、マリア」
「はい」
ルーカスお兄様に元気づけられて私は胸を張り前を向いた。
狙い通り、私がアウロラ侯爵家の馬車で登校したことは昼までに学院全体に広まったらしい。
三女のマリア?という密やかな声もあちこちから聞こえてきたし、聡い方々にはきちんと伝わった模様。
きっと早いうちに貴族の間に広まるはず。
これでもう二度と三女マリアを名乗る偽者は出てこないと思う。
◇ ◇ ◇
それからの私はすごく忙しくなった。
学院での勉強はこれまで通りだけど、魔法の基礎を学び始め、週末にはタウンハウスに教師を呼んでもらってダンスの特訓に高位貴族のマナーを叩き込んでもらう日々。
もちろんどんなに忙しくても十日に一度くらいのペースで養父母に手紙を書く事は忘れない。
さらにアーサー第一王子殿下が王太子となり、ルース様との正式な婚約と一年後には成婚の運びとなる事が発表され、その婚約式後のパーティーで、私がアウロラ侯爵家三女のマリアであることが判明して侯爵家に戻った事が王太子殿下から発表された。
お二人をお祝いする場で王族のお墨付きにより事が公にされたため、口さがない人たちもケチのつけようが無く、私は侯爵家へ戻れたことを大勢の方から祝福された。
そのパーティーで私は生まれて初めてドレスを着てダンスをした。
ドレスはコルセットをほとんど締めずに着られるようにデザインを工夫してもらったもの。
ウエストが細く見えるようなデザインになってる。
コルセットを締め上げると平民育ちの私は五分ともたないから。
そのお陰でお父様とエドワードお兄様、ルーカスお兄様とのダンスは思っていた以上に楽しめた。
ルーカスお兄様と踊り終えた時、横から声がかかった。
「マリア。次は俺と踊ってくれ」
正装姿の銀髪の美丈夫様が立っている。
なんかめちゃくちゃカッコいい。
この人って本当に絵になるなぁ、なんて考えながらルーカスお兄様を見ると、渋々ながら頷いてくれた。
「はい。よろしくお願いします」
踊りながら美丈夫様の顔を見上げると、やっぱりいつも通りの無表情。
サポートはとても上手で私のダンスが上達したのかも?なんて錯覚してしまいそうになる。
踊り終えてお互いにお辞儀をした後、美丈夫様は私の手を引いて歩き出した。
「あの?」
「もうダンスはお終いにしろ」
「?……はい」
「喉は乾いていないか?」
「はい。何か飲みたいです」
美丈夫様と飲み物が置いてある一角に行き、私は果実水をいただいた。
美丈夫様が手にしたのはお酒や果実水ではなくて薄切りのレモンを入れた水。
「ワインは飲まれないんですか?」
「ああ。今日は酔いたくないんだ」
果実水を飲み終えるとすぐまた手を取られた。
「バルコニーに出よう」
二人でバルコニーに出ると爽やかな風がすっと吹き抜ける。
「風が気持ちいいですね」
「ああ」
なんだか掠れたような声音だけど?
そう思って美丈夫様を見上げると、じっと見つめられる。
「綺麗だ」
「え?あ、このドレスですね?私もとっても気に入っているんです」
「そうじゃなくて」
「?」
「まあいい。今日のお前はこういう場でも臆すること無く振る舞っていたな」
「そう見えましたか?」
「ああ」
「それなら良かった。家族に恥をかかせる様な行動はしたくなかったから、気をつけて振る舞ったつもりだったんです」
「堂々としたものだったぞ。男どもの目を引くほどにな」
「珍しい生き物を見る目だったのでは?」
「お前は綺麗だ」
「あれ?よく化けたなって言われると思ってました」
「そんなことは無い。周りの男どもの視線に気づいていなかったのか?」
「気のせいでは?」
「学院でも蹴散らすのに苦労したんだぞ」
「学院で?」
「平民から貴族になった途端、お前は超優良物件になったんだ。頭脳と美貌と身分。その身分が足りなくて婚約の申し込みを諦めていた学院の男どもが目の色を変えるのは当たり前だろう。平民から成り上がったのではなく正当な身分に戻ったのだから尚更だ」
「全然気づきませんでした。ずっと忙しくて自分の事で精一杯でしたから」
「その成果が今日という舞台で花開いたということだな。それはいいが、そのせいで今日のお前はますます注目の的だ」
「きっと、教育の成果を遺憾なく発揮した私がちゃんとした淑女に見えたってことですね!ふふ」
「まあ……そう言えなくもない。黙って立っていればお前は儚げで美しい淑女に見えるからな。中身に儚げなところがあるとは思えないが」
「せっかくここまで盛大に持ち上げて下さったのに、最後ので台無しじゃないですか」
「そうか?俺はそういうマリアだからいいと思うんだが」
「もしかしたら今のは褒め言葉のつもりだったんですか?」
「ああ。俺は芯の強い女性が好きだ。だから婚約相手にはそういう女性を選んだ」
そう言えばこの美丈夫様にはまだ婚約者がいないんだった。
だからご令嬢方は希望を持つし、私は美丈夫様と喋っただけで厳しい忠告を受けるんだよね。
それがようやく終わる?
「それはそれは。もう申し込まれたんですか?」
「ずいぶん前にアウロラ侯爵家に釣書を送った」
「あれ?シャーロットお姉様もアリスお姉様も婚約者がいますよ?」
「今の会話の流れでどうしてそうなる?お前はたまに酷く鈍い時があるな」
「?」
「ここまで言ってわからないのか?」
「わかりません」
「俺はマリアに婚約を申し込んだ、と言う事だ」
「えーと……え?えええっ?!」
「やっと理解したか」
てか理解しろって方がムリでしょっ?!
「だって、元平民ですよ?美丈夫様のご両親が反対されるでしょう?」
「いや。説得して納得されたから釣書を送ったんだ」
「待って下さい。私はまだマナーも中途半端だし、足りない所だらけですよ。未来の公爵夫人が務まるわけないじゃないですか」
「お前なら大丈夫だ。打たれ強いし頭も良い。覚えも早いだろう?語学も合格点。知識も豊富。学院のマナー教育はトップクラスの成績。残る教育は二、三年あれば十分だろう。どこに問題がある?」
「なんか、既定事実になってません?」
「俺はお前を逃がさないと決めている」
「どうしてそこまで?」
「やはりお前は酷く鈍い時がある」
え?え?
ましゃか?!
「政略とかじゃなくて……?」
「俺はマリアに惚れているんだ」
うっそぉー!
「そんな素振りありました?一体いつから?」
「俺たちが初めて話した時からだ」
「……え?あの時だって私の後ろでチッとか吐き捨てていたじゃないですか」
「確かに最初は俺が借りたい本を狙いすましたかのように先に借り出す奴は気にくわないと思っていたさ。あの頃はあの二人のマリアに殿下は悩まされるしルーカスも俺もベタベタされてストロベリーブロンドの女が嫌になっていたからあんな態度を取ってしまった。だが初めて喋った時、マリアはひと味違う興味深い女性だとわかった。それからずっと惹かれていたんだ」
「あの時のあれはかなり失礼な物言いだったのに?」
「真っ直ぐな視線と物言いが実に良かった」
「私の夢は立派な通訳になって自立し、養父母に恩返しすることなんですけど」
「そのために学んだことはひとつも無駄にはならないぞ。むしろ好都合なくらいだ。ご両親への恩返しは形を変えてすればいいだろう?」
「でも婚約なんて早すぎません?」
「俺は今年で卒業だ。お前が卒業するまでに変な虫がついたら困る。だから早すぎではない」
「強引ですね」
「嫌か?」
ん?
あれ?
嫌じゃないかも。
これから先、いつも一緒にいるところが容易に想像できちゃう。
「……自分でも不思議ですけど、美丈夫様ならまあいいかな、と思えます」
「チェイスだ」
「え?」
「いい加減、俺の名前をちゃんと呼べ。その美丈夫様はやめろ」
「はい。わかりました。チェイス様」
言ったとたんにチェイス様の顔がほんの少しだけ赤くなった。
「妙に素直だな」
「ふふふ」
「何だ?」
「またチェイス様の新しい表情を見つけちゃいました」
「新しい表情?」
「今までに見つけたのはイラついているのと、しょんぼりしているのと、ほんのり笑ったのと、心配している表情です。今見つけたのはちょっぴり照れてる表情」
「人形は卒業できたか?」
「それはまだまだ遥かに遠いですね」
「そうか。無表情の癖はなかなか直らないだろうが、マリアにもっと新しい表情を見つけてもらえたらそれだけで十分だ」
チェイス様って無表情だけど怖い人じゃない。
何度も助けられたし心配してくれた。
本当は優しい人。
とても頼もしい人。
それはとっくにわかっていたこと。
「婚約のことは父と母に従うつもりですからどうなるかわかりませんけど、チェイス様のことをもっと知りたくなりましたから、またこんな風にたくさんお喋りして下さいますか?」
「ああ。在学中は出来る限り毎日。卒業後は必ずマリアのために時間を作って会いに行くよ」
「ふふ。楽しみです」
私がチェイス様の顔を見てそう言うと、急にチェイス様が私の手を取り、スッと手袋を外して指先に軽く唇を落とした。
えええええっ!!!
何?!
今の何?!!
顔から火が出ちゃう!
私の顔は今間違いなく真っ赤になってるっ!
「マリア。念を押すが、絶対に逃さないから覚悟しておけよ」
そう言ってチェイス様はほんのり勝ち誇ったような表情を浮かべた。
悔しいけど今はチェイス様に主導権を握られている。
でも悪くないかも。
また新しい表情を見つけたし。
チェイス様とのお喋りは本当のことを言えばとっても楽しいから。
「はい。覚悟を決めました」
「潔くて決断が早いマリアもいいな」
そう言ってチェイス様は私の手を持ち上げ、甲に軽く唇を触れながら私の目を見つめてきた。
これがっ!大人の男性が目に物言わす、というやつ?!
なんか物凄い色気が漂っちゃってる!
強烈な破壊力!!
今の私には刺激が強過ぎるっ!!!
またひとつ新しく見つけた表情に私は息も絶え絶え。
「マリア。お前のそういう顔も可愛い」
かわ……?!
ああもうダメ。
完全にオーバーヒート。
意識が飛んじゃう……。
「おい。マリア?……まさかこれで気絶するのか?」
遠くからチェイス様のちょっと焦った声が聞こえる。
やっぱり私はこの国で一番幸運な女の子かもしれない。
そう思いながら、大きくて温かい手が体を支えてくれたのを感じて、私は安心して意識を彼方へ飛ばした。