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深海の白鯨  作者: 黒川文
3.永田町
9/21

(3)


 午後九時をやや過ぎた頃、芽衣はメインディッシュを期待していたが、結局ありつけなかった。マッケイ大佐は途中で席を立ったのだ。

「場所を変えましょうか」

「え? は、はい」


 マッケイ大佐はギャルソンに席を立つと伝えて、持って来た伝票にサインしてそのまま店を出た。芽衣はどうしていいかわからず、後に続いた。

 彼がたどり着いたのは大使館近くのビルにある軽食店だった。

 店員はいたが、マッケイ大佐は自らカウンターへ行き、ホットドッグを二人分と飲み物を手にして芽衣が座った席まで持って来てくれた。

「え?」


 芽衣は少し戸惑った。

 ——まだお腹が空いていたのだろうか?

 フランス料理店のメインディッシュを食べずに出たのだ。食べる気があるのなら、そこで最後まで食べればよかったはずだ。最後にはデザートとコーヒーか何かが出たと思う。

 マッケイ大佐はにっこりと笑みをこぼしながらホットドッグを一つ手に取りかぶりついた。

「実は、フランス料理を食べたのは海軍で偉くなってからのことなのですよ。元々はそんなに裕福な家庭の子供ではなくてね。どちらかというと、こっちの方がご馳走感が強いんですよ」

 そう言って、さらにケチャップとマスタードを追加で塗った。

 芽衣もこっちの方が気負わずに食べられる気がした。

 しかし、である。

 フランス料理の代金は税金から支出されると言っていたのだ。目的もなしに場所を変えるのは理にかなっていないと思う。


「あの店は……実の所、関係者行きつけの場所でしてね。だから打ち合わせではよく使っていたのですが、ここから先はあまり同業者に知られたくなかったのですよ」

「そうだったんですね」

 芽衣もホットドッグを食べながら相槌を打った。


「あなたが言う通り、この事件と言ったらいいのか、実体のない影に怯えている子供みたいなことを各部署の人間がやっている面が否めない気がします。いや、もしかしたら、その実体すら、本当は存在しないのかも知れないし、出来ればその方が平和だと思います」

「そう思います」

「そもそも、アルテミスなんてものがなぜ生み出されたのか、そして、なぜ開発途上のものを太平洋に出してしまったのか。そのあたりが一番の謎でしかないのですよ。それに、これがわかれば、問題の八割は解決しそうな気もしています」

「何かが、DARPAとSISを動かして、こんなものを生み出し、極秘裏に実践投入に踏み切ったと?」

「そう。そして、DARPAはいいとしても、SISは公式の機関ではないはずなのです。何を目論んでいたのか、それがわからないまま動くのも水面下に岩があるのに気付かずに飛び込むようなもの。知らない顔でいた方がいいのか、全力で防ぐのが正解なのか。そこがわからないと、こちらもアンダーソンも動きようがないのですよ」


 芽衣は宙を睨んだ。

 全てのヒントは対潜哨戒機の中で盗み見たデータをUSBに落とし込んだものしかない。残されたファイルの情報からスコフスキー博士にハッキングを仕掛けるか、あるいは、他の情報源を探るか、その両方かだった。

 マッケイ大佐に協力するには、そのくらいはしなければならないだろう。しかし、フランス料理、しかも、途中までしかなかったものと、このホットドッグが代償とするならば、まりに安すぎる取引とも言える。と、そこまで考えたが、やはり、スコフスキー博士の一矢報いたい気持ちがあるのも否めなかった。

 忙しい時期にわざわざ偽の学会の名目でサンディエゴまで出張して、尚且つ、怪しげな作業にいいように使われてしまったのだ。山本教授なら何と言うだろうか、と少しだけ考えて、やはり考えるまでもないと思い直した。——無能な部下が一番嫌いなひとでもある。いかにアメリカの研究者とはいえ、いいように使われてしまって、なおかつそのまんまというのが一番評価が下がる項目とも言える。

 従って、ここから先の作業はマッケイ大佐に恩を売ると同時に、失われかけた山本教授からの信頼を取り戻すことでもあった。


「ひとつだけ気になるデータが……いや、今となっては単なる数字の羅列に過ぎないのかも知れませんが。極秘扱いの情報があるのですよ。ちょっと見てもらえませんか?」

 マッケイ大佐は床に置いてあったアタッシュケースを取り上げた。

 普通のビジネス用の物より頑丈そうな鍵がついていた。

 彼は内ポケットから取り出した二本のキーを差し込んで回し、さらにその状態でダイヤルを回した。

「何だか、物騒な代物みたいですね」

 芽衣はごくりと唾を飲み込んだ。

「鍵だけではありません。第三者が開こうとすると内部の小型タンクから硝酸が流れ出して中身を完全に焼いてしまう仕組みになっています」

「えぇ!」

「ふふふ。わたしが開ける分には問題はありません」

 と、ニコリと笑みをこぼしながら、中から小さなケースを取り出した。

「これは?」

「国家安全保障局NSAが、普段から通信や電波を傍受しています。その中にあった物なのですが、彼らにも解読出来ないでいるそうなのです」

 と言い、ケースの中から小さなメモリーカードを取り出した。

「見ても?」

「ええ。そのつもりで持って来たのです」


 芽衣はマッケイ大佐からメモリーカードを受け取り、床に置いていたトートバッグの中からノートパソコンを取り出した。開くと瞬時に起動して画面が光った。自分の物ではなかった。研究室の所有物であるかなり高価な機種だった。

 受け取ったメモリーカードの中にはいくつかのファイルがあった。

 開くと、数字の羅列が広がった。

「むむ?」

「何かわかりますか?」


「これってどこで受信したものなのですか?」

「それは秘密ですし、実際にアルテミスに関係するものかどうかも不明です。ただ、時間的に駆逐艦J.J.トムソンが被弾する数時間前に、その海域に飛んでいた電波と推定されるそうなのです。なので、意味のあるデータなのか、単にそこで飛んでいた関係のない電波なのかも不明なのです」

「ふむ」

「どうでしょうか? 意味がありそうですか? それとも単なるノイズだったのでしょうか?」

 マッケイ大佐はテーブルの上から前のめりになり、まくし立てた。


 芽衣は小ぶりなパソコンの画面にデータを展開させた。

「ああ……」

「わかりますか?」

 マッケイ大佐は期待感に目を輝かせた。


「横軸に数字、縦軸に頻度としてグラフにします。そうすると、ノイズであれば全体に広がるだけとなります。でも、これには……大まかに見るとですが、山が一つあります。もしかしたら量子信号かも?」

「量子? 名前は聞きますが、どんなものなのです?」

「ええと。話せば長くなるのですが、簡単に言うと……思いっきり小さな粒子を考えてみましょう。原子を東京ドームに例えると、原子核はマウンド上のボールくらいです。さらに原子核を東京ドームとするとマウンド上の砂つぶみたいなものが、それです。このくらいになりますと、もう粒子ではなくなります」

「ふむ。小さな粒ですか?」

「それがですね。不思議なことに粒子でありエネルギーでもありという、つかみどころのないものなのですよ。そして、肝心なのは、粒子とエネルギーの両方が重なり合う性質があるのです。どちらではなく、両方の性質を同時に示すという」

「何ですか? わたしも以前に情報当局者から説明を受けたことがあるのですが、よくわからないままになっています。でも、粒子なのでしょう?」

「いや、何と言いますか、でも、粒子っぽいと思っていただいて結構です。これを通信に用いると、かなり秘匿性が強いとは言われているんです。つまり、正規の受け取り手がいて、途中で誰かが盗み見ると、情報が変わってしまう性質があるのです」

「盗み見?」


 芽衣は画面に浮かんだグラフに目をやった。

「これも盗聴したものなのですよね? おそらくは量子通信を衛星との間で行い、潜水艦はそれを受けるために海上に受信機っぽいものを出した。その時に、そちらの軍艦がその受信機をレーダーで捉えた。そして、残念ながらこの信号は盗聴に成功したのではなく、衛星とどこかの基地との通信を捉えたにとどまった?」

「ふむ。……大体は合っています」

「てへ」

「そうすると、このデータを解読すれば、あの潜水艦が何をしようとしたのかが、わかるのですね?」

「残念ながら……。量子信号は途中で捉えられることで、信号の値が変わってしまいます。元のデータのコピーは基本的には取れないのです。そして、元々の信号の受け手はデータが崩れてしまうことで盗聴されたことを検知できますので、即座に再送信のリクエスト信号を出しています。……あっ!」

「ふむ」

「データは一定時間置きに繰り返されています。内容はランダムですが、受信して盗聴を検知して、それから信号の再送信をリクエストするまでの間隔から、もしかしたら何らかのヒントを得られるかも知れません」

「できそうですか?」

「ふむ」

 と、マッケイ大佐のように相槌を打った。

 そして、隠し持っていたUSBメモリの情報を探った。

 マッケイ大佐の所属機関が何らかの盗聴を試みたとしたら、芽衣を利用しようとしたスコフスキー博士も無関係ではないはずだ。彼もこの量子通信を利用した可能性がある。それならば……。

「マッケイ大佐! スコフスキー博士の端末からなのですが、どこかの機関からハッキングがなされていた可能性があります。これは量子信号とは関係のない通信です。もしかしたら内容がわかるかもです!」


 芽衣はカタカタとキーボードを叩き、スコフスキー博士のコンピュータ端末へのアクセス記録を確かめた。これ自体が違法なアクセスなのだが、マッケイ大佐がいいと言うのならOKなのだろう。そして、こっちのアナログなハッキング手法には芽衣の頭の隅に記憶があった。東アジアで活動している国際テロ組織のパスワードのクラッキングソフトの痕跡があった。


「どういうことです?」

 マッケイ大佐は深刻な顔で尋ねた。

「おそらくですが……」

「おそらくの情報でも構いません」

「元々は潜水艦アルテミスには量子暗号を使用した通信システムが搭載されていた。DARPAのスコフスキー博士はアルテミスと基地との通信をしていた。ところが今回はこのテロ組織に量子通信衛星の制御コードを盗まれてしまった。そして、偽の命令か何かをアルテミスへと送り込まれた」

「それに気づいて焦ったスコフスキー博士が、アルテミスを追いかけるために、わたしとあなたを利用したと?」

「そんな所だと思います」

 芽衣はパソコンの操作をしながら返事した。

 もう少しで、スコフスキー博士のコンピュータ端末へ不正アクセスした犯人のIPアドレスが割り出せそうだった。そして、そのまま相手へのハッキングへと移行する。割と他人のコンピュータへの不正アクセスをしていると自身のセキュリティが緩くなりがちだった。よその家の裏口から忍び込んでものを盗む行為と似ている。盗んで帰って来るのに、自分の家だけ鍵をかけているわけにはいかない事情があった。


「これかもです」

 芽衣はマッケイ大佐にパソコンの画面を向けた。ファイルを開くと短い英文が表示された。

「大統領命令ですって? 『西経135度20分、北緯24度50分を航行中の駆逐艦J.J.トムソンがテロ犯に乗っ取られた。同艦には核弾頭搭載の巡航ミサイル・トマホークが積まれている。発射予想時刻はアメリカ西海岸時間の0時30分。直ちに撃沈せよ。繰り返す。直ちに撃沈せよ』? オー・マイ・ガッ!」


 マッケイ大佐は拳を握り、それをブルブルと震わせた。

 この偽の命令が、あの駆逐艦にミサイルが打ち込まれた直接のきっかけだったのだ。


 おそらくは、スコフスキー博士もアルテミスの位置を大体は知っていたはずだった。それゆえに極秘裏にアルテミスを追跡し、あわよくば自分たちだけで取り戻して、何もなかったことにしようとしていたのだ。

 そして……。スコフスキー博士たちがアルテミスを捕捉するために出動させた駆逐艦J.J.トムソンが待ち構えていることを知っていて、このテロ組織があえて偽の指令を送り、返り討ちにしたのだ。




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