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深海の白鯨  作者: 黒川文
3.永田町
8/21

(2)


 午後七時三〇分。

 芽衣はマッケイ大佐の誘いで赤坂にあるフランス料理店「ラ・コース・コントレ・ラ・モントレ」に来ていた。二人っきりの会談だ。

「マッケイさん。他のひとも一緒でなくてよかったのですか?」

 芽衣が尋ねると、マッケイ大佐はギャルソンの持って来たメニューをじいっと見つめていた。彼の身分は大使館駐在武官であり、本来の目的は米軍とその駐在国の外交・軍事担当の官僚との橋渡し役である。

 しかし、彼に限って言えば仮の姿であり、本業は情報機関の人間だとは芽衣もこれまでのやり取りから察していた。どこの所属か、正確な所は知らないが、しかし、そこそこ高い身分のひとだとは周りのひとたちの態度から明らかだった。


 マッケイ大佐はメニューの中から、いくつかの候補を選び、芽衣に提示した。

 コースではなくアラカルトだ。こちらに尋ねたのは、あくまでも芽衣の立場を尊重したものである。芽衣は貧乏学生であり、フランス料理との接点はまるでない。彼の言った言葉の中から二番目に出たものを選んだ。


「ふむ。ワインはどうなさいます?」

 メニューをギャルソンに伝え、そのままワインを選ぼうとした。ソムリエを呼ばないのは最初から芽衣がお酒を嗜まないことを熟知していたからに相違ない。アルコールはまるで駄目だった。一口飲んだだけで、顔が真っ赤になり、そして気分が悪くなる。

 マッケイ大佐は自分の分だけワインを頼み、芽衣には料理に合ったソフトドリンクを選んだ。


「マッケイ大佐。さっきの質問の答えなのですが?」

「ああ。実の所、わたしは実務家でしてね。政治家のような無駄な作業は省きたいのですよ。それに、この料理と飲み物はアメリカ合衆国民の税金から支出されるのです。一セントたりとも無駄には出来ません。そして、質問の答えです」

「はい」

「正直な所、わたしが能力を評価しているのは、あなただけなのです。後藤氏や他の先生方は、あなたの立場を考えて、あえて声掛けしているに過ぎません」

「あたた。そんなことはよそでは絶対に言わないで下さいよ」

「もちろんです。わたしもあなたを失いたくはありません。ただ、今回の一連の作業ですが……。実の所、ものすごく……本当にものすごく大変だったのですよ。単に空母をよその海域へ派遣するのであれば、それはそれで費用が発生はしますが、大したことではありません。戦時であれば日常茶飯事でしょう」

「今回は違ったと?」

「そうです。各国首脳が集まるセレモニーだったのです。ヘリコプターで艦上に降り立ち、ちょうどいいタイミングで海軍艦艇と海上自衛隊の艦隊とすれ違う形での観閲式をかねていました。そして、セレモニーでの専用のスタッフの手配と料理その他の準備と」

「それは……大変そうですね」

「実の所、司令長官に話を持って行き、開催場所の変更を承諾させ、その上での変更案でした。しかし、後藤氏はそんな苦労も知らず、予定は棚上げ状態となっています」

「それは……。やっぱり、テロ計画が確実でなければ後藤室長も官邸に話を持っていけなかったのではないでしょうか」


 そこへ前菜が運ばれてきて、マッケイ大佐は一旦言葉を切った。

 芽衣は手元に並べられたナイフとフォークをどの順番に取るのか迷った。

「芽衣さん。今回の事件……事件かどうかもわからないのですが、何か腑に落ちない気分なのですよ」

 と、言いフォークだけを使って野菜と何かが混ざったものを器用にすくって口に運んだ。芽衣は真似をしようと思い、フォークを手に取ったが、同じことは出来なかった。そして、右側にあるナイフに手を伸ばしながら発言した。

「ことの本質は、実体のないことに振り回され続けたことにあるのではないでしょうか」

 と、芽衣は思う所を述べた。

「本質?」

「はい。皆が皆『あるとしたら?』とか『可能性が三〇パーセント程度』だとかを前提にしてしまっていて、誰もその裏を取っていないことにあると思うんです」

「ふうむ。それは確かにその通りですが、一〇〇パーセント確実になるまで対処しないというのは極めて危険側の推定ですよ」


「あたしに取り事件の始まりはスコフスキー博士から与えられた任務でした。でも、見えないものを見るという極めて抽象的なものだったんです。モニターにも画面にも何も映らない。そして、存在しないことが、その存在を示す指標だったと。でも、裏を返せば、そんなものは最初から最後まで存在しないとも言えると思います」

「哲学的ですな。しかし、スコフスキー博士は目的物がいることを確信していたのでしょう。そのためにわざわざ東京からあなたを呼び寄せたのです。……まあ、あなたを選んで送り込んだのはわたしですがね」

 マッケイ大佐はそう言って、鼻から息をふっと吐いた。

 すでに皿は空だったが、次の料理はすぐには出てこなかった。芽衣が食べ終えるのを待ってのことかも知れなかった。


「あの?」

「何ですか?」

「少し情報を整理したいのですが? アレックス・アンダーソン氏とウィルバー・ライトマン氏、それと、スコフスキー博士と、もっと言えばマッケイ大佐も。一体どういう関係なのですか? バラバラに見えますが、それでいて誰かが統率しているようにも思えます」

「そのことでしたら、お答えは出来ません。ただ、アメリカ合衆国には大小合わせて二十五の情報機関があります。それぞれ独立して、その組織に適した活動をしています」

「えっと。大体の所は予想はつくのですが……。CIAと国防総省情報部と先端技術開発局ですよね。ライトマン氏はよくわからないのですが、あの人は別の組織なのでしょうか」

「いい勘をお持ちです。大体は合っていますよ。ふふ。しかし、情報機関はその正体がわからないうちが花と言う事情もあるのです。ライトマンに関してはわたしも知らない情報機関のようです。かなり、高度な権限を持っているみたいですがね」

「謎の情報機関? そんなことってあるのですか?」

「かつて第二次世界大戦の時までは情報機関はありませんでした。その後、必要に迫られるたびに新しい組織が立ち上げられ、必要がなくなれば廃止され、予算がなくなれば統合されたりと紆余曲折を繰り返して現在に至ります。しかし、他国には活動はおろか、存在すら知られたくないのは事実なのですが、民主主義国家なので議会が予算を認めない限り何も出来ないという一面もあります。そして、『必要に迫られ』という一例が、今回さらに加わったと言うのが事実なのでしょう」

「ええ?」

「ストラテジック・インテリジェンス・サービス。戦略情報局という組織があるとは聞いたことがあります。略称は多分SISと言うのでしょう。ただ、議会への報告にもない組織ですし、何をしているのかも不明です。しかし、もし、ライトマンがそこのメンバーであるのなら、こうした事案を担当するためのものかも知れないですね」

「ああ……」


「芽衣さん。あなたは今回の『何か』についてどう思っていますか? 三〇パーセント以下の確率の話だとしてもいいので聞かせて下さい」

「えっと……」

「不確定な話でもいいのです」

「あらゆる計測には誤差と雑音……エラーとノイズが入ってきます。真に求める数字にプラスされて検出されるもので、実験を精密にやればやるほど小さくはなるのですが、ゼロにはならないという性質でもあります」

「聞かせて下さい」

「エラーには補正を行い、ノイズにはフィルターを通します。つまり、計測器や画面上に現れる数字やグラフはすでに何らかの加工が施されていると言っても過言ではありません。つまり、磁気探知機であれば、そのノイズは除去されます。例えば、地球の磁場の影響は計測されたとしても、潜水艦の探知の画面には映されないのです」

「それで、スコフスキー博士に対して、対潜哨戒機の飛行ルートを変えて、もう一度計測するようリクエストしたと?」

「はい。フィルターで除去されたとしたら、やはり、同じ結果になるはずでした。しかし、二度目の計測では全く同じノイズが乗ったのです。同じであれば、その段階でノイズはノイズではなくなる……」

「わかりやすく言ってください」

「ノイズが、何らかの信号と見なせることになるのです。ここからは完全にあたしの仮定です。潜水艦だとして、その表面に小さな電磁石を大量に貼って、表面の磁力をコントロールしたら、それが可能になると思うんです」

「磁器探知機に、地球の磁場と思わせると言うことですか?」

「そうです。そこに存在する地球の磁場であればフィルターを通った時にはノイズとして除去されてしまいます。なので、本来なら海底にある磁性を帯びた岩石の姿を描くことになるのですが、それが別の何かの磁場で偽装されたデータを表示されることになります。あえて飛行ルートを変えたことで、地球の磁場なのか、他の何かが作り出した磁場なのかを探ろうとしたのです。……データは二回とも同じものでした。すなわち何かが作り出したものだと」

「ふむ。音響探知機は?」

「それも、この電磁石がヒントです」

「説明してください」

「電磁石に電流を流すと、その周波数と同じ振動を発生させます。探信音波と同じ周波数で、位相だけ逆にする。……ノイズキャンセリング機能のヘッドホンやイヤホンと同じ原理ですが、それを使うと、探信音波は打ち消されてしまい、探知機のマイクには何も返ってこないと言う現象が起こります。本来なら、潜水艦の背後にある物に反射して返るはずのものが何も返って来なかった。それが何もないことが、何かがいることの証明になると、多分、スコフスキー博士は判断したのではないでしょうか」


 ギャルソンが二品目の料理を持って来ようとし、マッケイ大佐は手を挙げてそれを断った。彼は料理の乗った皿を持ち、そのままバックヤードへと引き返した。

「仮に……。仮にですが、スコフスキー博士がDARPAの研究者だとして、一体何をしていたのでしょうかね?」

 マッケイ大佐は眉間に皺を寄せて言った。

「潜水艦の正体を知っているなら、現在の位置と進む方角を探ることで、彼の任務を果たしたと考えたのかもです。もう、潜水艦……アルテミスが、DARPAの指揮から外れて、勝手に太平洋を横断して東京に向かった。一つ気になったのは……」

「行先不明の潜水艦が叛逆して、逃亡を図り、その上、東京でのテロに加わったと言う事実を早い時期に把握していたこと?」

「ええ。あたしもそう思ったんです。本当に正体不明で、行先も不明であるなら、事故で暴走しているのかも知れないですし、それなら、駆逐艦で後を追わせたり、対潜哨戒機で探し回ったりと言うのもおかしい気がします」


 芽衣が思ったことを述べて、冷めてしまった料理に手をつけてナイフとフォークを並べて置いた。マッケイ大佐は深刻な面持ちになり、腕を組んで考え込んだ。



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