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深海の白鯨  作者: 黒川文
3.永田町
7/21

(1)


 午後五時。

 芽衣は永田町にある合同庁舎三号館に来ていた。

 山本教授はえらくご立腹だった。

 親友である後藤室長や、本人の頭越しに事態が進んでいて、この時まで完全に蚊帳の外に置かれていたことがその一因だった。ただし、「完全に」と言うのとは少し違っている。少なくとも事前に芽衣を渡米させるための算段は組まれていたし、それを決裁したのも教授自身だった。その真の目的を知らされていなかった。その一点に問題があった。


 エレベータに乗り、七階へと上がる。

 エレベータホールには後藤室長の秘書官が待っていた。そして、教授を先頭に兄と芽衣はついて歩いた。

 会議室には先客がいた。

 大使館付武官であるジョン・マッケイ大佐と、高官であるアレックス・アンダーソン氏、そして、ウィルバー・ライトマンが座っていた。その対面には自衛隊の制服を着た男性が腰掛けていた。


 これまでにもマッケイ大佐を交えた会談はあったが、この顔ぶれで集まるのは初めてのことだった。もっとも、現実社会では単なる物理学専攻の大学院生の芽衣が顔を合わせることは絶対にない組み合わせとも言える。


 しばらくしてドアが開き、後藤室長とそのスタッフが額に汗を滴らせて入って来た。一抱えほどの書類の束とノートパソコンを手にしていた。


「今回、お集まりいただいたのは、アメリカ大使館からの要請に基づくものです。かなりイレギュラーな事態が発生している。そうですね? マッケイ大佐。ミスター・アンダーソン」

 後藤室長は席に着く間もなく、そう発言した。

 こちらも山本教授と同じく、何かよくわからない事態が、自分たちの知らない所で動いていて、重大な結果になる直前に話を預けられたことへの不満感がありありの口調だった。

 それに……である。

 世界政治をほぼ牛耳っているアメリカの高官が出揃っているのだ。

 彼らだけでも、単独で大抵の事態には対応出来ると言っても過言ではない。わざわざ、日本側の安全保障政策の担当役職へ話を持って来たこと自体が、そもそもイレギュラーそのものでもあった。


 後藤室長が席につくと同時にマッケイ大佐が沈痛な面持ちで手を挙げた。

「実は……。今回の深刻さに関しては誰も理解していませんでした」

 彼ははっきりとした発音で、単純な単語を並べた。

 しかし、わかりにくい言葉ではあった。

「それは、アルテ……、いや潜水艦のことですか?」

 芽衣も言葉を選んで発言した。


「担当者がいないことが明らかとなったのです。こんなことは、長らくこの仕事をしていますが、本当に初めての……初めての事態でした」

「担当者がいない? どういうことです?」

 横から山本教授が発言した。

「この事件の全貌は、現時点では明らかになっていません。しかし、これまでですと、どんなに機密レベルが高くても、どこかの情報機関が把握していて、完全に外部にも知らされないことはなかったのです。実の所、この話がライトマン主任から聞かされるまで、全く知らされなかったのです。いや、この件に関しては、この場にいる誰もが詳細を知らない状態でもあります。現在進行形の危機なのです」


「わかりやすくご説明いただけますかね?」

 後藤室長が質問の最後を締め括った。

「それについては私から」

 マッケイ大佐の横からウィルバー・ライトマンが手を挙げて発言した。「こちらでも把握していない新兵器と思われるものがDARPAの一部職員の手で開発され、あろうことか、完成してもいないのに、それが太平洋に解き放たれたのです。しかも、その職員たちも自分たちが何をさせられているのかを、いまいち把握していないままに作業を進めていたことが明らかとなりました。……日本語の例え話では、三人の目の不自由な人がゾウを触り、『壁のようだった。紐のようだった。柱のようだった』と言ったものがあるかと思います。それぞれの職員は、それが『ゾウ』だと言う認識がなく、自分の担当分の作業しかせず、そんな感じで成果物だけ作り上げたという訳……と、推定されるというレベルなのですが」

「そんなやり方で新兵器の開発なんかが出来るのですか? 普通だと、かなり高度なプロジェクト管理が必要なのでしょう? それでも失敗に終わることが多いと聞きます」

 と、兄が発言した。


「もう、偶然の悲劇が重なっていて、それらの連鎖反応が起こったとしか言いようがないのです」

「マッケイ大佐。この話の内容だと、米軍とDARPAの間だけの問題としか思えないのだが、どうして、今日、我々がここに集まることになったのかね?」

 後藤室長が不満ありありの口調で問い詰めた。

「この潜水艦に関しては、何もかもが不明なのですが、それでも、いくつかのヒントを残しました。偶然、近くを通過した軍用機のレーダーに潜望鏡らしきものが写ったこと、そして、現場で無線通信がなされたこと、さらに、そこに向かった駆逐艦が攻撃されて大破させられたこと。そして、今回、黒澤芽衣さんに対潜哨戒機に乗っていただいたことから、現在位置が曖昧ながらも推定されています」


 マッケイ大佐の周りくどい話し方に、後藤室長と山本教授が段々と苛立ちを隠せない顔を見せていた。


「その潜水艦は北西へ向かっています。速度からの推定では、九月二十九日から三〇日まで東京で開催されるG7サミットの期間中に到達する可能性が出て来ています。サミットでは日程の初日に、我が国の最新鋭原子力空母であるベンジャミン・フランクリンの甲板上でセレモニーが予定されています。各国の同盟関係の確認と、それを世界中に発信するためのものでした。わたしは駐在武官のひとりとして、その裏方を勤めていたのです。もしも……ですが、そこでテロを起こされた場合、結果は極めて重大になります。各国首脳たちの安全が保障されないばかりか、『同盟が無力』だという誤ったメッセージを世界中にばら撒くものとなってしまいかねないのです」

「ええーっ!」

 会議室中に驚きの声が響いた。

 単なる行方不明物の探索が、そうではなかったことに初めて気づいた瞬間だった。


 芽衣の頭の中で全てが繋がった。

 偽の学会。旧式の対潜哨戒機。謎の科学者であるディック・スコフスキー博士。海上で燃え上がっていた駆逐艦。そして、探知機に映らない物体。

 誰もその正体を知らないままに、開発部署から解き放たれて太平洋上のどこかを航行しているのだ。行き先は、東京湾あたり。サミットでのイベントに合わせてのテロ攻撃の可能性。


「あの?」

 芽衣は恐る恐る挙手した。

「何かね?」

 後藤室長は不機嫌かつ不安に満ちた口調で尋ねた。

「仮に最新鋭の潜水艦だとしてですが」

「はい」

 マッケイ大佐は頷いた。

「どうして探知機で捉えられなかったのか。どうしてイージスシステム搭載の駆逐艦が簡単にやられてしまったのか。その辺りはどうなのですか?」

「それについてはこちらでも捜査中なので、今は何とも言えないのですが、ライトマン主任が聞き取りを行ったDARPA職員の話では、極めて静粛性が高く探知されにくいシステムの開発がテーマとしてあったと言うことなのです」

「それが実現したと?」

「そうです」

「それが脱走してテロリストの手に渡り、最悪の場合、サミットでセレモニーを行うために各国首脳が乗った原子力空母を撃沈してしまう可能性があると?」

「撃沈の可能性については、認めたくない気持ちですが、いや、もう、あらゆる可能性を考慮しておかなければならないでしょう。それに空母の撃沈だけだとは決めつけられない事情もあります。浦賀水道や東京湾内からミサイルを発射され、日本の総理官邸やアメリカ大使館に当たれば、それはそれで空母撃沈に等しい政治的影響があります」


 マッケイ大佐の発言により会議室の中は沈み切った雰囲気となった。

 G7サミット。ある意味、オリピックや万博より華やかなことさえあった。開催地は準備で大わらわとなり、参加する首脳や閣僚、そして、裏方を務める官僚たちの大きな「祭典」とも言えるものだ。それだけに議長国の責任は重大であり、面子を気にする政治家であればなおのこと、一点の過ちすら認められないだろう。


 そんな気配は十分に、わかり過ぎるほどわかっていたと思われる。教授の対面に位置していたアレックス・アンダーソン氏が口を開いた。

「万が一。そうです。万が一に備えて開催場所を東京から他へ移すことも考慮の余地はあるでしょうか?」

「ええ?」

 後藤室長はあからさまに嫌悪感に満ちた表情となった。

「すでに原子力空母を中心とする艦隊司令部には了承を得ています。東北や北海道、あるいは西日本や沖縄などです。艦隊や会議場となる大規模ホテルとの輸送にも問題はないかと思うのです」

「君ぃ!」

 後藤室長は語気を荒げた。

 芽衣は横目でチラリと見た。さっきから顔色が赤くなったり青くなったりと大変な形相のままだった。無理もない。そう思った。


 確かに、過去には地方都市で開催された事例はあった。

「よそでやるとしても、それなりの理由が必要なのだよ。ミスター・アンダーソン!」

 後藤室長の額には血管が浮かんでいた。

「それは重々承知しているつもりです。それに……」

「仮に! 仮にだよ! 君たちの言うとおり、テロが行われるとしても、それは確実なのかね? ええ?」

「いや。それが……」

 アンダーソン氏も口ごもり、隣のマッケイ大佐とウィルバー・ライトマン氏とこちらに聞こえない程度の小さな早口な会話をしてのけた。

「後藤室長。これは小さな可能性ではあるものの、的中した時の被害が極めて大きいのです。確率としては三〇パーセントもないかもしれません。しかし、もし各国首脳が乗った原子力空母に何らかの攻撃がなされるとしたら? もう、二十一世紀最大の惨事になリます。一歩間違えば、歴史の教科書に載ってしまうほどの事件かと思いますよ」

 と、マッケイ大佐は述べた。


「三〇パーセント? この期に及んでは大きいんだか、小さいんだかの判断は下せないがね。これを、これから、官邸に報告する私の身になってくれたまえ。テロが確実なら、確かに変更が第一選択だろう。しかし、七〇パーセントは外れると言うことだろう? それに、移動したら移動したで、そちらが狙われる可能性もあるのではないのかね?」

「それは……」

 マッケイ大佐はウィルバー・ライトマンの方をチラリと見た。

 これは返事のしようがないなと、芽衣も思った。

 そもそも東京が狙われていると言うのも、これまでに検知出来た潜水艦の位置と速度から単に「可能性がある」という程度のものであり、そんな仮定の上に仮定を重ねても、確率が単に低くなるという以外、何の保証もなかったのだ。




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