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深海の白鯨  作者: 黒川文
7.対潜哨戒機
21/21

(3)


 G7サミットは九月二十九日に会合と浦賀水道でのセレモニー、そして翌日に各国の合意事項の共同声明の発表が行われ、午前中に解散となり、無事に終わった。芽衣は研究室のパソコンのネット動画でそれを見ていた。山本教授は後藤室長と一緒に行動していて、大学にはいなかった。しかし、その日の午後、上機嫌で帰って来たみたいだった。マッケイ大佐はじめ大使館スタッフから感謝の言葉を告げられたようだ。おそらく、文科省に申請していた研究費の満額回答もあったのかも知れない。

 そして、もう一つの問題が残された。

 例のセクハラ裁判だ。


 一〇月二日の金曜日、午後三時。

 山本教授から呼び出しがあった。

「例の件だが……」

 山本教授の言葉には、そんなに重大な雰囲気は感じられなかった。芽衣は不審に思った。これはある意味アルテミスより厄介だったからだ。

「君の分だが、加村のファインプレーがあったみたいだ」

「ファインプレー? 何ですかそれは?」

「『僕は黒澤芽衣さんを愛しています。なのでセクハラは成立しません』と断言したそうだ。委員会の話では」

「ええーっ? マジですか?」

「うん。本当のようだ。君たち、まさか付き合っていたのか?」

「いや、それはありません。やっぱり、加村くんのファインプレーです」

「うん。それでいいよ。問題化しなければ、結果オーライだ」


 芽衣は右手で頭をかいた。嘘でも好意を向けられると照れてしまう。

「あの先生?」

「渋谷と荒木の件か?」

「はい。あっちはファインプレーの要素が一欠片もないと思うのですが」

「いや、あった」

「はい?」

 そんなものがあるのなら、ここまで揉めたりはしなかっただろうと芽衣は素朴な疑問を抱いた。

「あいつらは卒業したら結婚するそうだ。愛し合っているので、こっちもセクハラは存在しない。今までの被害届は勘違いでしたと言っていたらしい」

「えぇー! マジですか?」

「こっちは本当らしい。まあ、渋谷も荒木とそんなに年は変わらないんだろう? 三十四歳というのには、わしもびっくりしたが、それはそれでいいと思う。どうせ、渋谷も就職したらすぐに縁談が持ち込まれるだろう。手間が省けたというものだ」

「やっぱり、結果オーライですか?」

「その通り。君に関してはこれからも、この教室のスタッフとして働いてもらうことになる。よろしく頼むよ。はは。後藤くんも大使館のマッケイ氏も君を高く評価していたからなあ」

「あ、はあ。頑張ります」

 としか言えなかった。いつからスタッフになったのだろう? 少しはギャラをもらいたい所だと思った。


「それで、もう一つの件だが……。あっちはどうなったんだい? 具体的な話は聞いていないんだ」

「はい。これをご覧ください」

 芽衣は対潜哨戒機P3Cの窓から撮った写真をウエストポーチから取り出した。他のことは「極秘」とされ他言は出来ないが、これを上司に見せることだけが許可されていた。

 真っ白で流線型の船体に小さな艦橋。艦尾のプロペラもなく、ただ、フィンが四枚ついていただけだった。

「ふうむ。まるでハーマン・メルヴィルの『白鯨』じゃないか。原題は『モビィ・ディック』だったっけ。差し詰めエイハブ船長はマッケイ氏だったのか。いや、スコフスキー博士だったのかも知れないな」

 と、淡々と語った。


 (※)


 午後五時。

 芽衣は品川駅の地下街にある「鯨屋」という高そうな居酒屋の前に来ていた。

 少し心配になり、ウエストポーチの中から財布を取り出して中身を確かめた。千円札が三枚と百円玉が五枚。先日に一個二百万円もする高額なソノブイを大量に投下したのとは大違いだと思った。——足りるだろうか? 少し心配をする。


 しばらくして、高校三年の時の担任だった浅川教諭と、クラスメイトの中原裕子が到着した。ゴルベンバエルに、放課後、勉強を教えていたのは主に彼女だった。芽衣は横で駄弁っていただけだ。

「おう。黒澤! 久しぶりやな。元気しとったか?」

 と、以前と変わらない関西弁で挨拶をした。芽衣は少しだけホッとした。

「はい。元気です。先生もお元気そうで」

「ああ。今日はお前らと酒が飲めるとは思わなんだ。すっかり年をとったなあ」

 と、口にした。よく考えれば、高校を卒業して五年になる。年をとったのはお互い様だった。中原も浅川先生の関西弁に苦笑しながら横に立っていた。


「あ! ゴルちゃん」

 と、中原が声をかけた。幹事役なのに一番後からの到着だった。

「ごめん、ごめん。大きな仕事が終わって後片付けでバタバタしていて」

「ええわ。中に入ろうや」

 と、四人は店内に入った。


 あらかじめ、ゴルベンバエルが料理を頼んでいたらしく、予約席に通されるとすぐに突き出しが運ばれてきた。

「まずは乾杯と行きたいのだけれど、芽衣はお酒は飲めないんだよね?」

「うん」

「何や、つまらん奴やな。高校の時は知らんかったけど、そんな奴がいるんやなあ」

 と、先生は素朴な感想を口にした。


 ゴルベンバエルは手短に挨拶した。

「ええと。おかげさまを持ちまして、G7サミットも無事に終わり、我が国の大統領も上機嫌で帰国の途につきました。ええと」

「それは知っているよ。ゴルちゃん」

 と、芽衣は答えた。

「実は……大統領から大使館スタッフへボーナスが出たの。今日は全部こっちで持つから、たくさん食べて飲んでください!」

 と、嬉しいことを言った。

 高そうなお店でもあり、メニューを見ると実際に高かった。素材にもこだわっているのが見た目にもわかった。そして、一番の推しはやっぱり日本酒だった。各地の銘酒を冷やで出してくれる。美味しい料理をおつまみにして、好きな銘柄を飲み比べる。最高だろうなと芽衣も思った。お酒はだめ。最初に飲んだ時にアレルギーが出て気分が悪くなった。それ以来、研究室のコンパでもアルコール類を口にしたことはない。

 しかし、食べるだけでも楽しめた。全部が美味しかった。

 芽衣は少しだけゴルベンバエルのことを羨ましいと思った。実際、研究室のOBでも社会人になれば会社の経費で飲み食い出来ることは知っていた。学生だと自前である。


(※)


 月曜日、芽衣のスマートホンにマッケイ大佐から連絡があった。

「実は、大使があなたのことを気にしていましてね。ふふ」

 と、意味深長な言葉を口にした。

「何でしょう?」

「山本先生には文科省の研究助成金の形で報酬の代わりとしたのですが、あなたには何もしていないことを気にしているのです。つきましては、ささやかではあるのですが、お礼をしたいということなのですよ」

「ええーっ! マジですか?」

 芽衣は嬉しかった。

「つきましては口座番号を教えていただけますか?」

「はい。ああ」

 芽衣は残高のない預金通帳を机の引き出しから取り出した。そして、番号を伝えた。しかし、かなり長い間使用履歴ななかったためなのか、凍結されていた。芽衣は仕方なく通帳とハンコを持って銀行へと出かけた。

 口座を復活させ、スマートホンでマッケイ大佐と話しながらATMへと向かった。振込が成功であるなら入金情報が印刷されるはずだ。——ええと。もしもし。

 喋りながらATMを操作して通帳に記帳した。


「マッケイさん?」

「はい。さっき振込完了しました」

「えっと。こんなにいただいてよかったのですか?」

「原子力空母と大統領たちの生命と比べれば大したものではありませんよ。では、また何かありましたら、相談に乗ってください」

「はい。それはもう」

 芽衣は心の中で揉み手をした。


 その時、ATMの辺りで待機していた銀行員に声をかけられた。

「お客様。現在、振り込め詐欺の対策をしています。そのお電話は大丈夫でございますか? 知らない相手への送金は危険ですよ」

「あ、はい。大丈夫ですよ」

 と、芽衣は苦笑した。

 ある意味、アメリカの情報機関からの入金など、もっとヤバいかも知れない。了



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