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深海の白鯨  作者: 黒川文
4.上野キャンパス
11/21

(2)


 正午過ぎの、世間では昼休みの時間帯。

 芽衣は五反田駅近くにある、ショート電機へたどり着いた。いわゆる家電量販店である。昔はビルの一階から二階にかけて売り場があった無線機の担当者に会うためだった。今では一番上の階の四分の一ほどのスペースになっている。ここに大勢の客が集っていた時代のことは芽衣もよく知らない。

 そもそも、携帯電話の普及で無線機自体があまり用いられなくなっている。

 あるのは、工事用などで使用されるものがメインだった。

 本物と言うのか、いわゆる昔のアマチュア無線などに使用されるものは、取り扱いに当たって免許が必要だったと聞いている。無線機を扱うための免許と、無線機を運用する局としての免許の二つが必要で、趣味でやる分にはいいと思うが、汎用には少しばかり面倒だった面が否めない。

 それゆえなのか、免許のいらないワット数の小さなものが工事用などとして取り扱われていた。


「園田さん!」

 芽衣は売り場の担当者のひとりを捕まえた。

「いらっしゃいませ。……って、君か? ひとりかよ?」

「すみません。勤務時間中にお邪魔して」

「お邪魔とは思っていないけど、何か買う風を装ってくれないか。無駄話と商談では上司の扱いが違うんだ」

「ああ……なるほど。で、ちょっとこれを見てもらえませんか?」


 園田健一郎は芽衣からスマホを受け取り、しげしげと画面を眺めた。

「これって……」

「何かわかりますか?」

「バージニ・セクレットとスタンプが押してある。重要機密という意味だよ」

「ええっ?」

「まあ、昔のものっぽいけどね。ソ連の崩壊の後、東側諸国からいろんなものが入り込んでいたからなあ。自動車から武器から」

「やっぱり、無線機なんかもあるんですか?」

「あったけど……でも、日本の規制には合わなくて、そのまんまでは駄目だったけどね」

「何の回路かわかりますか?」

「発振器と……ああ、マグネトロン菅ぽいね。アンテナの図面はあるかい?」


 園田健一郎は工学部の出身だった。芽衣よりかなり年上だ。

 そして、電子工作マニアでもあった。芽衣はコンピュータには自信があったが、ハードウエアはほとんど専門外だった。

 芽衣は彼が手に持ったままのスマホの画面をフリックした。

「ふうん。なるほどなあ」

「何ですか?」

「電源回路がないから何ボルトで動作するのかはわからないけど、アンテナなんだろうね、これ。普通はアルミのポールだけど、これは熱対策していると思われる。かなり頑丈そうだけど、何に使うんだろう。周波数は2ギガから6ギガヘルツくらいだろう。もしかしたら無線機ではなく、何かを焼き切るための熱源にするんじゃないかなあ」

「無線機をぶっ壊すみたいな?」

「それは……どうだろう。でも、そんなことしたら相手側から文句を言われるだけだよ。工具として使うんじゃないか?」

「なるほど」


 芽衣は頭の中に今日、荒木ノゾムの見せてくれた資料を展開した。

 回路図は、無線機らしきものであることはわかった。どちらかと言うと、通信用ではなく工具としての使い方が考えられる。しかし、だとすると、アメリカや日本の軍艦のアンテナを観察している理由がわからない。レーダーや無線機の回路を焼き切って、ぶっ壊す目的でもあったのだろうか。

 そして、肝心のミハイル・スコフスキーと言う人は、その成果物を祖国へは持ち帰らずに日本人女性と結婚して余生を過ごしていたと思われる。


 芽衣は、園田から無線機のカタログをもらい、そのまま帰途に着いた。

 彼の商売に見せかけるだけの証拠に過ぎなかったが。


 大学へと向かう電車の中。

 無線機のカタログのページをめくり、中身を眺めていて、ふと気づいた。

 新しいスマホにも搭載されていて、登山用の機器にもなっている衛星通信システムだった。これまでにも衛星通信機器はあった。しかし、アタッシュケースほどのサイズがあり、馬鹿でかい衛星用アンテナを展開しないと使えない代物だった。でも、どんなに馬鹿でかくても船に積むならそんなに邪魔にはならないだろう。

 そして、現在ではスマホに搭載されるほど小型化されてもいた。


 もしかしたら? と、芽衣は思った。

 軍艦のアンテナに向ける武器ではなく、アンテナの向け先にある何かを目標にしていたのではないか? 通信衛星やGPS衛星が世界中のあらゆる上空を飛んでいる。軍艦は自分の位置を探るのに、太陽や星との角度に頼る時代ではなくなっていた。

 この回路を履き切るほどの強力な電磁波を衛星に向けたらどうなるのだろう?


 マッケイ大佐に確かめなくても、太平洋を行き来する軍艦の動きが止められしまうほどのインパクトがあるのではないかと、そんな気がした。

 園田は図面に「重要機密のスタンプ」があると指摘してくれた。

 これが、当時の電磁波兵器であるなら、まさに「重要機密」だったに違いない。


 ミハイル・スコフスキーという科学者が、その後に何をしていたのか。

 これを荒木たち以外には誰も知らない所に問題の根源がありそうな気がした。


 午後一時。

 芽衣は大学の研究室に戻った。土曜日とはいえ、この時期は、これから当面の間に続けられる「卒業論文」の制作時期の始まりでもあった。遊んでいる余裕は微塵もない。特に学部の四年生にとってはだ。


「ねえ、加村くん?」

「はい」

 加村雄一は机に向かって作業していたが、その手を止めてこちらに向き直った。

「オーヴィルを知らない?」

「ああ、多分、喫煙室だと思いますよ。さっき、あくびをしながら出て行かれました」

「そう」

 と、芽衣は自分の席に持っていたトートバッグを置き、後を追うか、帰りを待つか考えた。そして、オーヴィルの机の上にマグカップが置きっぱなしであることに気づいた。彼はタバコは吸わないし、喫煙室はコーヒーを飲む程度の場所になっている。マグカップを忘れたのでは用は果たせない。


「あのさ? 加村くん」

「はい?」

「あたしが留守にしていた時って、オーヴィルってここにいたの?」

「ええと。おられたと思いますよ」

「それは、確実なこと?」

「ううん。この時期です。重要な用事もないので休むはずがないかと」

「本当に彼を見た?」

「ええと。そう言われればそうですね。どうだったでしょう。でも、何か用事を言いつかったり、指示を受けた覚えがあるような?」

「それは口頭で?」

「どうでしょうか。そこまでは記憶には……。ちょうど研究室の中間発表の前じゃないですか。みんな他人の行動なんか気にかけていませんでしたし、それゆえ、オーヴィルさんが席に着いていたかどうかまでは確認していませんよ」


「ふうん。そうなんだ」

 芽衣は机の引き出しから先日に使用したパスポートをハンカチでつまんで取り出した。そして、同様にオーヴィルのマグカップを手に取った。

「芽衣さん。何しているんです?」

「接着剤はあるかな? 瞬間接着剤」

「ああ、冷蔵庫横の棚にいくつかあるかと思います。でも、何をするんです? マグカップが割れた訳でもないですし」


 芽衣は彼の言った引き出しの中から新品の接着剤を取り出した。

 そして容器になるものを探した。写真のフィルムを現像するための黒いプラスティックのものが棚の奥に眠いっていた。多分、研究室内で写真の現像なんかをやっていた時代のものなのだろう。それをひとつ手に取り、机へと戻った。

 パスポートの入国スタンプの押されたページをめくり、オーヴィルのマグカップを一緒に入れた。蓋をしようとしたが、マグカップが大きすぎる。半分閉めた状態で隙間から瞬間接着剤を数滴落とした。

 接着剤の液は容器の底に落ち、数秒もかからず固まって白い模様を描き出した。

 しばらくして、マグカップとパスポートの表面にうっすらと模様が浮かび出た。指紋である。


 それを持ち、同じ建物にある生物学科へと移動した。

 こちらの知り合いの大学院生に挨拶して、紫外線ランプと実体顕微鏡を使わせてもらう。


「黒澤さんって、いつも変なことばかりしているね」

 と、ここの院生である横溝武史が言った。

「変に見えます?」

「とっても」

 芽衣は彼に背を向けながら顕微鏡を覗き込んだ。

「これの写真って撮っていいですか?」

「いいけど」

 芽衣は角度を変えて何枚か、紫外線を浴びて浮かび上がった指紋らしき画像を撮影した。それを顕微鏡の画像出力につながっているパソコンへ転送してメモリカードに焼いた。


「指紋の照合かい?」

「ええ」

「何をしようとしているんだい? 何か事件でもあったのか?」

「まあ……」

「犯人の目星は?」

「まあ……」

「指紋は形状が一致する場合には、特徴点を照合する」

「ああ」

 芽衣が曖昧な返事をする中、横溝はディスプレイに表示された指紋の画像に目を凝らした。

「何だよ。まるっきり一緒だな」

「双子の場合はどうなります?」

「指紋は遺伝的要素にプラスして、成長過程での変化が加わる。一致する箇所は増えるが、違うものになる」


「ふうん。では、この指紋は?」

 芽衣が尋ねると横溝は腕を組んだ。

「同一人物だろう。丸切り一緒だよ」

「やっぱり!」

「でも、これだけでは犯罪捜査には使えないぜ。法律的な問題でだが」

「それはいいんです。同一人物だと分かれば」

「何をしたんだ? このひと」

「うふふ。内緒です!」


 芽衣は生物学研究室を後にして、ひとりで一階のロビーにあるジュースの自販機の前に立った。ウエストポーチから小銭入れを取り出して硬貨を入れ、紙パックのコーヒー牛乳のボタンを押した。がちゃんと音を立てて、取り出し口に落ちた。

 糖分をとりながら、オーヴィル・ライトマンとウィルバー・ライトマンのことを考えた。

 ——スパイのフリをした学生と学生のフリをしたスパイ。

 そんな所だったのだろう。

 双子のフリをされたのは意外だったが。

 東京で大学院生の顔をしてスパイ活動をしていたのだ。大学院生の肩書は結構便利だと思う。長期滞在しても当然のことと思われるし、たまに海外へ出かけるのにも違和感を抱かれない。そして、割と色んな場所へ潜り込むことも可能だった。双子の兄を装ったのは、本当に「急用」だったのだろう。芽衣と同じ場所へ行ってしまったが故に演技が必要になったのだ。そして、大学の中間発表に出席しなければ、それはそれで怪しまれる。ずっと東京に滞在してアメリカへは帰国していないことになっているからだ。それゆえ、空軍の輸送機を臨時に使ってまで、サン・ディエゴから東京への強引な移動を行ったのだ。

 それで、彼の行動に納得出来た。


 後は、オーヴィルの秘密に気が付かないフリをして、彼らの行動を追っていく。

 一連の工作の全貌が明らかになった時がチェックメイトだ。

 芽衣はストローをくわえて、ずずっと音を立てながら残りのコーヒー牛乳を飲み込んだ。



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