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この物語は、オンライン発表のための書き下ろし作品です。
既刊である「天空の狙撃手」(いるかネットブックス)の姉妹作品的なものです。物語中で用いた人名や組織名は架空のものです。
連載形式での配信となります。
二〇二六年九月九日、水曜日。
午前一〇時一〇分。
すぐ真下の海上で艦艇が炎を吹き上げ、爆発を繰り返していた。
黒煙が上空まで漂い、乗員たちは海へと飛び込む。近くいたと思われる別の小型艦が乗員たちに近づき、そして救助活動をしていた。
黒澤芽衣は、太平洋上空を飛ぶ対潜哨戒機P3Cオライオンの指揮所にいた。
目の前には五基の液晶ディスプレイが並び、そのひとつを凝視していた。ディスプレイ上部には磁気探知装置とラベルが貼られていた。多分、この位置から五〇〇メートル下の海中の何かを探しているものと考えられた。
「何か見えますか?」
と、芽衣の隣から画面を見ていたスコフスキー博士が尋ねた。
「あの? あれってヤバいのではないですか? ものすごい火災ですよ!」
「被害は甚大です。しかし、それはわたしたちの目的ではありません。気にせず目標物を探してください」
「でも……」
芽衣が計器を見るとパネルに海上にいる艦船のデータが表示されていた。爆発して黒煙を噴き上げているのはアメリカ海軍の駆逐艦、J.J.トムソン。救助に当たっているのは同じく海軍のミサイル・フリゲート艦のジェームズ・マクスウェルだった。この海域で何をしていて、なぜ爆発したのかは、パネルではわからない。芽衣たちがここへ来る何時間か前に「何か」があったのだろうことは想像がついた。しかし、スコフスキー博士は気にするなと言っている。芽衣は元の作業へ戻った。海上に放り出された乗員たちが無事に救助されるのを祈りながら。
「この黒い点々はノイズだと思います」
芽衣は短く答えた。
自分が何をさせられているのか? よくわからないままの任務だった。いや、任務とも呼べないかも知れない。本来ならアメリカ西海岸沿いの町にあるサンディエゴ工科大学で学会発表に出席しているはずだった。
それが、なぜかその時間にこうして太平洋上空を飛ぶ対潜哨戒機に乗せられている。
一点、不審に感じたのは、この機……P3Cオライオンはすでに退役しているはずのものだったことと、機体には白い塗装に青いラインが描かれ、さらにはアメリカ海軍の表示も一切なく、英文字で「オライオン・エア・サービス・リミテッド」という社名らしきものが入っていたことだ。
すでにアメリカ海軍ではP3Cは、新しい機種であるP8Aポセイドンに置き換えられているはずだった。そして、乗員はこの指揮所には航空会社の作業服を着た人員で占められ、機長と操縦士はよく見えなかったが、やはり、海軍のスタッフではないみたいだった。
「スコフスキー博士。ノイズには時間で変化するものと位置で変化するものがあります。もう一度同じ場所に飛んでもらえないでしょうか」
「OK。……おい!」
スコフスキー博士は耳に取り付けたインカムで操縦席に進路変更の指示を伝えた。
時間で変化するノイズは海面での電波の乱反射などがあり、位置で変化するものは陸地の地形で乱反射するものだ。どちらかを定めてフィルターを掛けると、そのノイズの中から何かが浮かび上がる。このときの芽衣にはどちらかであることを示す情報は入っていなかった。
機体はゆっくりと旋回して来た道をさかのぼって行った。
芽衣は腕時計をチラリと見た。――こんな所でこんなことをしていていいのだろうか。本来ならば学会で研究発表をして、他の発表者の講演も聴き、帰国してから上司である山本教授に報告書を出さなければならなかった。こんな所で時間を無駄にしていては何も報告出来なくなってしまう。
それでなくても、修士一年の大学院生は多忙だった。
「元の出発点に戻りましたよ。ミス・クロサワ」
「あ、はい。最初の針路から五度ほど左右どちらかに振ってください」
「OK」
スコフスキー博士は再び操縦士へ指示を飛ばした。
芽衣は液晶ディスプレイの下にあるキーボードを操作した。信号にフィルターを掛けるためだ。表示されるのは横軸に磁気センサーからの角度、縦軸には時間、すなわち位置となる。
「あっ!」
と、スコフスキー博士が声を上げた。
芽衣には何を意味するのかよくわからないままに、彼の視線の先を見つめた。
――何かが海中にある。ノイズから浮かび上がった何らかの「線」。それが情報の全てだった。
「スコフスキー博士。これって?」
「多分、これだと思います。……おい!」
彼はインカムで後部オペレータに告げた。「ソノブイ投下!」と。
芽衣が機体下部を映し出すカメラの白黒映像を見ていたらシュポッと音を立てて、五本の棒状のソノブイが連続して投下されていった。機体から出てすぐにパラシュートを開き、ゆっくりと海面に落ちていく。着水前にそのパラシュートを切り離して本体だけが海面に落ちる。そして、本体から信号送信用のアンテナを伸展して、さらに海中五メートルの位置へと集音マイクを侵入させた。
芽衣はスコフスキー博士と共に、隣の液晶ディスプレイの前へと移動した。
画面には横軸に海中から発せられる音の周波数、縦軸に時間が表示された。
鯨の鳴き声、海上をゆく船舶の音。
そうしたものは、ディスプレイ上では線として表示される。
しかし、異音は一切なかった。
「ふむ」
と、スコフスキー博士は息を漏らした。
「何かありますか?」
「見えない。が、確かにいるはずだ。……おい!」
と、再度後部スタッフへ命令を飛ばした。探信音波と彼は口にした。
カーン、カーンとソノブイから音が発せられる。海中に何かの物体があれば、そこで反射して集音マイクに探知される仕組みだった。
――しかし、期待にはそぐわず、ディスプレイ上には海底の地形と海中をゆく鯨しか表示されなかった。芽衣は「空振り」だと思ったが、スコフスキー博士の目は一層鋭さを増した様に見えた。まるで、何もないのが「何かがある」証拠の様な扱いだった。と、芽衣は頭の中で、海中で起こっていることを思い浮かべた。
「あの?」
「何です?」
「どうして、それがここにいるとわかったんですか?」
「それ? それは言えません」
と、彼は答えた。
磁気センサーにもかからず、ソノブイにも反応がない。
つまり何もないと言うことをこの機体のセンサーが示していた。しかし、彼はそこに「何か」を見ていたのだ。その証拠に、すぐさまインカムではなく衛星回線でサンディエゴの基地らしき場所へ、ここであった出来事を手短に伝えていた。
五時間前。この機に乗せられるときに、簡単な説明があった。
――四八時間前にこの近くを航行するアメリカ海軍の駆逐艦のレーダーが海面に何かが映るのを検知したと言うことだった。そして、その場所にひとり分のライフジャケットも見つかっていると。
それが何を意味するのか、肝心な所で何も説明はなかった。
多分、何かを探しているのだろう。そして、それは目に見えるものではなく……おそらくは潜水艦だと思われた。しかし、そうであれば、この対潜哨戒機の磁気センサーやソノブイの音響探知で存在そのものがわかってしまうはずだった。
それ以前に、スコフスキー博士は存在を示すものがない、その事実がこの探し物の存在の証拠だと言わんばかりの態度だった。
気にくわないのは、事実と、探し物が何であるのかをこちらに告げないことだ。それでいて、探し物を文字通り探させられているのだ。
なぜこんなことをしているのだろう?
芽衣は元々は学会に参加するべく準備をしてサンディエゴまで来てたのだ。
空港に迎えが来ていることに、少しだけ特別感を味わった。大学まで送ってくれるものとばかり思っていたのだ。しかし、実際にはアメリカ海軍の基地へ連れて行かれ、その上、海軍機っぽい機体に乗るよう指示されたのだ。「ぽい」と言うだけで、海軍ではなさそうな機体とスタッフだった。
そして、学会からの招聘状も通常と比べて極めて急だった。手持ちの論文があればこそ助かったが、そうでなければ上を下への大騒ぎになっていたに違いない。多分、山本教授も出席の許可なんか出さなかっただろう。
――もし、このままサンディエゴへ戻り、そのまま帰国と言うことになったらどうなるのだろう? と、芽衣は素朴な不安がわき上がったほどだ。大学へ行けば図書館などで適当な論文集が見つかるかも知れない。それのコピーを取らせてもらい、報告書にはその骨子だけを書いて出しておけばいいのかなとも思っていた。
「スコフスキー博士。ちょっといいですか?」
芽衣は彼の目をにらみつけた。
「何です?」
「サンディエゴ工科大学での学会の件です。あれって本物なんですよね?」
「ああ……」
彼は即答出来なかった。「実は東京の大使館からあなたが適任だと推薦を受けたのですよ。極めて優秀だと。そして結果を残した」
「はい?」
「学会は架空のものです。気の毒ですが」
「ええーっ!」
「でもご安心ください。情報部……ああ、いや、こちらのスタッフが論文集など、学会へ出席したと言う証拠は揃えていますよ。後は……ギャラの件ですが」
「何です? それは?」
「あなたの上司である山本教授との間で商談が成立しています」
「オウ!」
と、芽衣はため息を漏らした。
しかし、山本教授が知っているのなら、それはそれで問題がなかった。そして、彼はお金には汚い所がある。航空チケット代とプラスして、何万ドルかのギャラが支払われるなら、大学院生など世界のどこへでも出張させていたに違いない。
「ちなみに大使館とは誰のことなのですか?」
「海軍駐在武官のジョン・マッケイ大佐ですよ。あなたもよくご存じでしょう? 彼はあなたのことを非常に高く評価していました。それゆえ、機密事項に関わらず、あなたを当機に乗せることになったのですよ」
駐在武官とは大使館に駐在する軍のスタッフのことだ。
普段は相手国の外務省とよしみを通じ、有事の際には軍や自衛隊幹部と連絡を行うための役職だった。以前からマッケイ大佐には色んな手伝いをさせられていた。
その瞬間、指揮所の海上監視カメラが白く光を放ち、機内に「ビーッ」という警報音が鳴り響いた。
「スコフスキー博士! 国籍不明機からのレーダー波を受信しました!」
「オウ! 回避だ!」
「ラジャー!」
指揮所と操縦席との間で短いやり取りがなされ、その直後、乗っていた機体は左へ急旋回し、そして高度をぐんぐんと上げた。もしかしたら、ミサイルに狙われたのかなと、芽衣は漠然と考えた。本来なら自分の命もかかっている出来事だったが、あまりの現実感のなさに、そんな風には思えなかった。
もしかしたら、戦争なんてものは実際にはなくて、軍人役のひとと政治家役のひとたちが口裏を合わせて、あちこちで起こっている戦争や地域紛争を演じているだけかも知れないと、軽い現実逃避感に苛まれてしまう。
しかし、そんなものはひとそれぞれだろう。
所詮、テレビカメラの向こう側の世界の出来事だし、自分がその場に追い込まれて、暴力なり飢餓なり、悲惨な目に遭うことがなければ、死ぬまでそんなやばい世界にいることなど感じないのかも知れないなと思った。