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②本編

 薔薇(ばら)の甘やかな風が流れるバルコニーで、エレノアは新たな事実を知った。


 ユーリは兄セオドアに弟子入りして、『祈り』を習得したのだと言う。


「なぜです? なぜユーリは――」


「奴に聞け」


「ええ。ぜひ聞いてあげてください。とても素敵な理由ですよ」


 促されるままユーリに目を向ける。今度は二人の姉と母に囲まれているようだ。変わらず対応に追われてあくせくとしている。


(『祈り』を習得した理由……ちゃんと教えてくれるわよね?)


 甘くやわらかなシフォンケーキのような予感を胸に、エレノアは小さく息をついた。


「……久しぶりに見たぞ。お前が笑っているところを」


 誰かが零した。どうやらセオドアであるようだ。酷く不満げな顔を弟・アルバートに目を向けている。


 アルバートはほんの少し驚いたような表情を浮かべた後で、呆れたように深く溜息をついた。


「気張り過ぎだ。もっと肩の力を抜け」


「誰のせいだとお思いで?」


 セオドアは大きく舌打ちをした。窓辺で聞き耳を立てている従者達がぎょっとするのと同時に、アルバートの眉間にも深い皺が寄る。

 

「にぃさまぁ~、だ~いすき♡」


 セオドアは再びアルバートの真似をし出した。両手を組んで、首を傾げて。


 心の奥底にいる幼いアルバートの姿を再現しているのだろう。


(初心に返れと、そう仰りたいのかしら?)


 セオドアなりに気遣ってのことなのだろうが、やや小ばかにしたような態度であるために彼の真意がきちんとアルバートに伝わるか、やや……いや、かなり不安だ。


「芸がないですね」


 アルバートは冷静な態度を取り繕おうとしているが、そのこめかみにはハッキリと青筋が立っていた。


 手ごたえを感じてか、セオドアの挑発は一層ヒートアップしていく。


()()も一緒にせーしょく者になります。にぃさまをけっしてひとりにはさせま()()()!!」


「っ! 兄上……」


 今のはアルバートが最も大切にしている思い。


 今の彼を形作るに至った大切な動機だ。


 セオドアは王侯貴族のためではなく、下町に住む人々――何処の馬の骨とも知れない自分を温かく迎え入れてくれた人々を守るために、宿命を受け入れた。


 ()()()王都から出られなくなる。


 確信に近い予感を胸に抱きながらも、首を縦に振った。誰よりも自由を愛していたはずのセオドアが、だ。


 そんな時にアルバートが口にしたのが先程の言葉。自分もまた聖職者になるという『決意の言葉』だったのだ。


(ご記憶にある以上、セオお兄様にとっても印象深いお言葉であったのでしょうけど……)


 やはりどうにも誇張気味であるために、アルバートの思いを踏みにじっているように見えてしまう。


()()()()なんでしょうけど――っ!?)


「ごふっ!?」


「っ!? セオお兄様!!」


 セオドアが何の前触れもなくびしょ濡れに。彼の隣にいたはずのエレノアは、いつの間にかアルバートの腕の中にいた。


(硬い腕。胸も広い。とても(たくま)しいわ)


 聖職者でありながら武人でもある。


 兄・アルバートのその特異性と努力を改めて実感する。


「このオレに水をかけるとはな」


 セオドアはミルキーブロンドの髪を右手でかき上げた。余裕の表情。したり顔。酷く楽し気でもある。


 対するアルバートはと言えば、静かな怒りをその端麗な顔に湛えていた。細い眉を寄せて、唇を固く引き結んでいる。


「……くだらない」


「お前がな」


「……この」


「とっとと辞めてしまえ」


「なっ……」


「笑顔すら失うぐらいならな」


「~~っ、何をバカな。それでは貴方は――」


「表に出なければ良いだけのことだ。出るにしても、これまで通り他の者に喋らせて、オレはただ微笑んでいればいい」


「それでは、貴方の希望が。一般の信者や下町の人々との交流が――」


「構わん」


「……っ」


「潮時だ、アル。せめてお前だけでも楽に――ごふっ!?」


 アルバートの手から水が放たれた。再びセオドアの全身がずぶ濡れに。アルバートは怒りがおさまらないのか、追撃を加えていく。


(洗濯バケツいっぱいに注いだ水を、力任せに叩きつけているかのよう)


 その水の勢いからも、アルバートの怒りがひしひしと伝わってくる。


「ゲホッ! ゲホッッ!!」


 セオドアは防戦一方だ。それもそのはず。セオドアは攻撃の手段を持たない。


 扱えるのは『祈り』、『回復魔法』、『結界術』の三種。結界術は闇魔法に対してのみ有効、他属性に対して物理的な守護を行うことは出来ない。


(それでも一矢報いるのがお兄様なのよね)


「……貴方は……どこまでもバカで……美しく、……()()どこまでも狡猾で……醜い」


(……? アルお兄様?)


 誰に話しを振るでもなく、ただ独り言のように呟いていた。


「っ! ……っ……」


 エレノアの視線に気付いてか、アルバートは罰が悪そうに目を伏せた。


「何だ? 今、何と言った!」


「……別に。何でもありません」


「何でもない、という顔には見えんがな?」


「お黙りなさい。折檻の最中ですよ」


「…………なるほど。既に手遅れというわけか。……ならば」


 アルバートは再び構えて水を放った。


 直後――セオドアが不適に笑い、五度目の放水を――(かわ)した。何をするのかと思えば、勢いよくこちらに向かって駆けてくる。


「っ! アルお兄様……?」


 エレノアの体がアルバートから離れた。彼女が自発的に離れたのではない。アルバートが押したのだ。そっと優しく。彼から二、三歩ほど離れた位置に落ち着く。


「ぐっ……!」


「だぁーはっはっはっ!! ざまぁみろ!!」


 セオドアが勢いよくアルバートの体に抱き着いた。


 セオドアは今、頭の天辺から爪先までびしょ濡れの状態だ。そんな彼に抱き着かれたことで、アルバートの白いカソックもまた水に侵食されていく。


「お前は昔っから詰めが甘いのだ」


「……っ」


 セオドアはアルバートの胸に顎を乗せて、ケラケラと笑う。まさにご満悦といった具合の表情だ。


「離してください」


「離すものか! お前もびしょびしょになるのだ!」


「……離せ」


「はっはっは! まったく無様なものだな、アル!」


 アルバートはセオドアの額を押して引き離そうとしたが――深く溜息をつくなり止めてしまった。


 呆れ顔だが、その表情は心なしか緩んでいるように思う。


「おい、ちゃんと笑え」


「これは笑っているのではなく、呆れているのですよ」


「いーや、違う! このオレにつられて笑いかけたんだろう?」


()()()()()()()()()()()()のでしょう? 残念、当てが外れましたね――い゛!?」


「わーらーえっ!」


 セオドアはアルバートの両頬を掴んで無理矢理に引き上げた。それに伴って、不格好な笑みがアルバートの顔に浮かぶ。


「い゛!? ひゃにをふる!!」


 アルバートも仕返しとばかりにセオドアの頬を掴み出した。


 いい年をした大人がびしょ濡れになって頬をつねり合っている。子供のような戯れをする二人に、次第に注目が集まっていく。


「セオドア様! アルバート様! どうぞこちらを」


 栗毛に猫目が印象的な少女メイド・アンナが慌てて駆け寄り、二人にバスタオルをかけた。


 直後、リリィの奇声が響き渡る。欲塗れの単語が突風の如く吹き荒れたが、エレノアにはいずれも不可解。リリィの真意が彼女に伝わることはなかった。


「ありがとう、アンナ――へくしゅっ」


「ははははっ! 自分の魔術で風邪を引くなど、世話がないな――びゃくしゅっ!!?」


「あらあらまぁまぁ……お客人もいる中で、それもいい大人がこんな夜更けに水遊びですか?」


「「っ!!??」」


 セオドア、アルバートの背が大きく跳ねた。母だ。笑顔だが、その目はまるで笑っていない。


「ぜっ、全部アルが悪いのです!」


「は?」


「言い訳は結構。反省なさい」


「「……………はい」」


(ふふっ、本当に幼い子供のよう)


 セオドアはバスタオルを目深に被ってぐちぐちと文句を。


 アルバートもタオルを被った――が、兄に比べればやや浅く、そのタオルの隙間からは確かに右の口角が持ち上がっているのが見て取れた。


(アルお兄様。肩の力、抜けたようですわね。流石はセオお兄様……)


 エレノアの口角が(わず)かに下がる。


 過るのは幼少期の頃の記憶。セオドアに置いていかれて、寂し気な表情で(うつむ)くアルバートを励ました時の記憶だ。


『ありがとう』


 アルバートは笑ってくれた。だが、その笑顔は優しさと義務感により作られたもので。


(セオお兄様でなければダメ。わたくしでは、癒して差し上げることは出来ないのだと……そう悟ったのよね)


 当時はえも言われぬ敗北感を味わった。幼いながらに、二人の間には立ち入ることが出来ないのだと悟ったのだろうと思う。


(あの時はとても寂しかった。妹がほしいとお母様に強請(ねだ)ったりもして)


 今にして思えば、ミラの肩をやたらと持ったりしたのも、そういった()()があってのことだったのかもしれない。


(まぁ、きっかけはどうあれ……ミラ、わたくし達も負けてはいないわよね?)


 夫ルイスと楽し気に話すミラに目を向けると、直ぐに視線に気付いて笑顔で手を振り返してくれた。


 エレノアもまた笑顔で振り返しながら、得意気に小さく鼻を鳴らす。


「では、わたくしはこれで」


「ああ。まぁその………………なんだ――」


「困ったことがあったら、どうか遠慮せずに相談してくださいね。私も兄上も、出来る限りの協力を――」


「っ! おい! それはオレのセリフだ」


「勿体ぶらず、さっさと仰られれば良かったのです」


(ふふっ、また始まった)


 背中越しに兄弟のじゃれ合いを聞きながら、エレノアは口元を押さえて破顔した。


 彼女に残された時間はもう2年もない。


 悲しみは避けては通れないだろう。


 しかし、それを差し引いてもきっと――濃密でいて笑顔に溢れた余生となるはずだ。


 そんな期待と言う名の予感が溢れてならない。そんな【再会/再開】の夜だった。




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