あの縁日の夜
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
あの縁日の夜を忘れる事はない。
人でぎゅうぎゅうになった参道。
赤や黄色、原色の屋台の暖簾に焦がしたソースの匂い。
テキ屋のオジサン達は頭にタオルを巻いて、たこ焼きをくるくると回しながら謳い文句を口にする。
石畳の上を下駄や白いスニーカー、サンダルが行き交い小気味いい足音が幾重にも連なる。
それから、楽し気な声。どこからか笛の音と低温に響く太鼓の音がした。
宙に吊られた二列の提灯は階段をのぼって本堂まで続いている。
私もすっかりお祭りの心地に酔い、草履を履いた足で駆け出そうとした。
でも意志とは反して体はぐっと後ろに引っ張られる。
振り返ってみると、子供が私の浴衣の裾を掴んでいた。
小学2年生ぐらいの甚兵衛を着た男の子で頭の横に戦隊もののお面が斜めにかかっていた。
右手で私の服を掴み、左手で目元をぐいぐいと拭っている。
迷子だ。
とっさに体を屈めて男の子と同じ目線になる。
「どうしたの?お父さんとお母さんは?」
そう聞いても男の子はいやいやとするみたいに首を横に振るだけで答えない。代わりに項垂れた小さな頭の下からしゃくりあげる声がする。
参った。子供の対応は苦手だ。
情けない私は男の子の傍でおろおろしていた。
そんな私を不思議そうな目で見ながら通り過ぎる人々。
ーー誰か助けてよ!
内心腹立たしく思いながら、泣きじゃくる男の子を参道の外れにあるベンチ?に座らせ、目についた黄色の暖簾に一縷の望みをかけた。
戻ってきた私に男の子は心配そうな目で見上げる。
もしかしたら私にも見捨てられると思ったのかもしれない。
そうだったら悪い事をした。
「はいこれ」
手渡された焼きトウモロコシを男の子は黙って受け取った。
醤油を垂らした黄色い実は程よく焼き色がついていて、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
すっかり泣く事を忘れた男の子は不思議そうに私の顔を見上げる。
どうやら何でそれを渡されたのか分かってないようだ。きょとんとした顔はちょっと可愛い。
「それ、食べていいよ」
驚いたように男の子は私と手の中のそれとを交互に見た。
それからまるでわんこのように鼻を近づけてくんくんと匂いを嗅いでいる。
どうやら焼きトウモロコシが初めてらしい。
男の子のリアクションに私は頬を緩めた。
そうだろうそうだろう、焼きトウモロコシが持つ魔性の魅力にはご機嫌斜めの子供だって抗えまい。
そのまま泣いていた事を忘れてかぶりつくがいい。
私は焼きトウモロコシ信者の先輩としてどこか誇らしげな気持ちで彼がその幸福を知る瞬間を待った。
「いらない」
一瞬自分の耳を疑い、次に私はさっき泣かれた時よりもあたふたとして男の子に聞き返す。
「え!なんで!?」
信じられなかった。
まさか、この世にこの魅惑の食べ物を拒否する生き物がいるなんて、、
だが、男の子は更に私を驚かせる言葉を吐く。
「なんか変な匂いするから」
気持ち的にはもののけ姫のモロの君だ。
大人げなく「黙れ小僧!お前に焼きトウモロコシの何がわかる!!」と叫んだ。もちろん心の中で。
流石に子供に対してガチギレはしない。
それでも大人にしては大人らしからぬ私だから、「じゃあ私が食べるからいいよ」と言った言葉は大分突き放した感じだったと思う。27にもなって恥ずかしい限りです。
ところが、男の子は難しいお年頃なのか「だめ」と言って食べもしないくせにトウモロコシを渡そうとはしない。
どんどん熱を失い萎んでいく黄色い実を前にしてまさかのオアズケ状態は中々精神的に来たが、頑なな彼の様子に仕方あるまいと諦める。それに焼きトウモロコシは醒めてからも美味しい。
「ちょっと調べるから待っててね」
私はさっさと任から解かれようと携帯を取り出して「○○祭り 迷子 場所」と打ち込む。
ところが、画面に出てきたのは支離滅裂な言葉の羅列。
当然、設定は日本語にしているはずだが、アラビア語っぽいものから、アルファベットにどこかアジア地域らしき文字、やけに画数の多い漢字や記号とが入り混じってどうにも意味不明だ。
買い換えたばかりなのに、、バグったか?夏の異常気象のせいかーー私は溜息を吐いて画面から目を逸らすと、何やら男の子がきらきらとした顔で私を見上げていた。
どうしたのだろうと首をかしげていると男の子が「きれい」と私を指差す。
訂正ーー人差し指は私の手元を差していた。
「夜空みたい」
「ああ、これのこと?」携帯カバーの金具部についているストラップを手に取る。
子供の頃から大切にしていたストラップだ。
黒に近い青の石がついていて、確か青いライトみたいな名前だった気がする。
ストラップなんて今時つける所はあんまりないし、子供っぽいとは自分でも分かっているんだけど何故だか手放せなかった。
愛着ってやつだろう。
それにしても「夜空」だなんて、、
小さい頃は私も手の平でその石を包み込んで「私の手の中に星空があるんだ」なんて子供らしい可愛い事を考えて喜んでいたな。
しばらく忘れていた記憶が蘇ってくすりと笑った。
先刻は意見の不一致もあったが、中々この少年も見る目があるじゃないか。
「仕方ない、ちょっと預けておくよ」
男の子の手首にストラップを結んであげるとーー手にはトウモロコシを持っているからーー魅入られたかのように手を持ち上げて石の中を覗く。
大人しくなった男の子を眺めていると、私は重要な事を思い出した。
「そうだ、確か本堂の横に実行委員会の基地があった!」
二十数年前、迷子の弟がそこで保護されたという話を聞いた覚えがあるのだ。
「ねえ、きみ。
ちょっといい所があるから着いてきてくれる?」
すっかり不審者のような口ぶりだが、男の子はこちらを見もしないで手首からぶら下がっているストラップにご執心だ。でも、こくんと頷いたので聞こえはしているらしい。
男の子と手をつなぐと、まるで柔らかいパンをもっているみたいな感じだった。
これが若さかとしみじみする。ーーなんか変態っぽいので自重しよう。
提灯を辿りながら、ゆっくりと階段の方へ向かう。
すれちがう人達にはきっと親子とか思われているんだろうなぁなんて思いながら私は男の子が石に気を取られ転ばないように注意しながら進んだ。
「アオイ!!」
階段を苦心しながらのぼりつつ、目前に鳥居が迫った所で声が掛けられる。
「じいちゃん!」
ぱっと手が離され、男の子は私を置き去りにして鳥居の傍にいる中々年配のおじいさんの下へ駆け寄る。
どうやら、保護者の人らしい。
お役御免か、やれやれ。とあっさり私を捨てた男の子に苦笑いしつつも嬉しそうにおじいさんにしがみつく男の子の笑顔で何だか報われてしまった。
「こんなところに来て何をしてるんだ。お父さんとお母さんは?」
「だって、じいちゃんに会いたかったし、それにお祭りも行きたかったんだもん」
どうやら男の子は自分から迷子になったらしい節がある。
自分もおじいちゃんっ子だったから、その気持ちも分からんでもない。
「じゃあ、私はここで」
そう言って回れ右をしようとすると、おじじが呼び止める。
「ちょっと待ちなさい。この石はいいのかい?」
すっかり忘れてた。でも、男の子はとられるのを嫌がるようにいやいやと首を振りつつむくれた顔で私を睨む。
その様が実家の柴犬がおもちゃを抱え込む姿に似ていて笑いが込み上げた。
面倒ではあったが、なんだかんだ彼に会ってから久しぶりによく笑えた気がする。
「いいんです。お礼としてその子にあげます」
そう言うと、男の子は私に特大の笑顔を見せた。どんだけ嬉しいんだ笑
「ありがとう、優しい子になってくれてわしは嬉しいよ」
おじじはにっこりと微笑むと、驚いたことに私の頭をに手を置いて小さい子供に接しているようによしよしとし始めた。
いや、初対面の人にやるか?
成人して7年経ってますよ!?
田舎の子供はみんなの子供的なあれか??
私はおじじの突然のそれに唖然としていたが、結局その手を振り払う事も「やめてくれ」と拒否することもなかった。やけになれなれしいおじじだな、と思いつつも本当に不思議な事なのだが不快感はなかった。
おじじの体からする線香の匂いが自分の本当のじいちゃんを思い出して感傷に浸っていたのかもしれない。
「じいちゃん、これあげる」
自分のポジションをとられたと思ったのか、男の子は焼きトウモロコシで自分の祖父の気を引こうとしてぐいとそれを差し出す。
ーーおいおい、変な匂いするって奴じいちゃんに寄こすのかよ笑
「これ、食べてないだろうね?」
男の子が大きく頷くのを見るとおじじはほっとした顔をした後で嬉しそうに孫からそれを受け取った。
おじじもおじじで食いかけは嫌なのか笑
「ありがとう、アオイ」
お礼を言われてアオイ少年も嬉しそうだ。にこにこと笑っている。
少年よ、どうかすくすくと育ってそれで幸せになるのだよ。
甥っ子がいてもおかしくない年齢だからか急におばさん目線になる。私も年を取ったものだ。
ほほえましい二人の様子を眺めながら、私もそろそろ家に帰ろうかと思った。
、、、ん、あれ?私ずっと家に帰ろうとしてたんじゃなかったっけ??
「帰るのかい?」
おじじの声にハッとする。
「ああ、はい」
「本当にありがとう。
帰り道は石の代わりに花火を目印にするといい」
「石?花火?」
突然、背後から光を感じ、それからぱらぱらと小さな爆竹が破裂するような音が響く。
「え、花火?」
驚いて振り向こうとした私をおじじが止めた。
「待ちなさい、
一度そちらを向いたらもう二度と振り返っちゃいけないよ」
「え、、」
「約束できるかな」
しわくちゃの小指が差し出される。
私も思わず小指を差し出し、まさかのこの歳で指切りげんまんをした。
おじじの指は骨に皮が貼り付いたみたいな感じなのにじんわりと温かかった。
「指切りげんまーん」男の子が音頭を取る。
「嘘ついたらハリセンボン!!」
「え」
ぷくりと頬を膨らませた男の子がきゃっきゃとはしゃぎながらおじじの周りを駆け回る。
離れていく小指、急に背筋にぞわっとしたものが這い上がってきて私はくるりと後ろを向いて階段を駆け下りた。
参道の先、黒い空に大輪の火の花がいくつも打ちあがっては沈んでいくのを繰り返す。
足を止めた通行人が空を見上げている。でも、その顔は誰も彼も黒く塗りつぶされている。
背後からあの声がした。
「行きなさい、
自分の名前を思い出せただろ?」
はっと目が覚める。
その瞬間に体に貼りつく嫌な汗を感じた。
それから自分の荒い息。
視界は白い。段々意識がはっきりしてくるとそれが白い天井なのだと分かる。
突然悲鳴のような声が視界の外から聞こえた。
知っている声にそちらを見ようとしたが、体が動かない。
動かそうとすると痛みが体に走り、うっと呻いた。
「無理しないで、ぁあ!拓斗!起きたよ!起きたのよ!!先生を、お願い、、呼んできて」
ばたばたと見えないところで意味不明な喚声と足音がする。
私の顔を覗き込むようにして母の顔が現れた。
何だか老けた感じがする母の顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
あれから数週間が経った。
1か月眠ったままだった私に母はつきっきりでサポートしてくれた。
日々食欲が増して顔色が良くなり、リハビリも順調。
これには脅威の回復力だ。と先生を唸らせた。
弊害として頬あたりが心なしかふっくらし始めたが、そこは見ないふりをしている。
「あれ、今日お祭り?」
窓の外から聞こえるにぎやかで楽し気な声に私は呟いた。
「そばに河川敷があって花火大会があるのよ」
反対側だから見えないけどね、と付け足す母に私はちぇっと思った。
そんな私の様子に母は呆れたように声を漏らした。
「あんたは本当に変わらないわね、昔に比べて体は丈夫になったと思ったら、階段から落ちるなんて、ほんといつまでも手にかかる子だわ」
そう言いつつ、何だか嬉しそうな母に私は照れくさいのと同時に申し訳なく思った。
一か月前、私は地下鉄の階段で足を踏み外したと教えられた。
酔っ払いみたいにふらふらと歩く私に怪訝な顔をしていたカップルは突然視界から消えた私に慌てたらしい。
確か数か月ぶりのまともな休みがとれてその帰り道、まだ暗い始発の空を背に地下に続く階段を見下ろしていた、、、でもその時どんな気持ちだったのか、そこら辺がぽっかり記憶から抜けている。
「花火大会いいなぁ」
そとから聞こえる花火の音に私はわざと子供っぽく不貞腐れた。
母はもう私の部屋を見ているだろう。家の事にかける時間がなかったから酷い有様だったと思うーーよく覚えてないけど。
「またそんな事言って」母はそう言ってから何かを思い出したみたいにはにかんだ。
「そう言えば、昔もそんなことあったっけ?
みんなで近所のお祭りに行こうとしてあんたは案の定熱出して」
「案の定ってなにさ、案の定って」
「イベントごとがあると必ず熱出す子だったのよ。
それで、毎回顔を真っ赤にしながら「拓斗ばっかりずるい!」って駄々こねてた」
「えー、そんなことあったっけ?」
「あったのよ、でもその年はあんたがいなくてよかったわ。
拓斗が迷子になっちゃって、あんたまで迷子になってたらきっと大変だったろうね」
「拓斗は迷子の天才だからね」
「それにお父さんアクシデントに弱いから、あれ?そう言えばあれはどうしたの?」
「?」
「あれよ、あれ。
小さい頃お姉さんにもらったって言ってたの、大事にしてたじゃない。ほらあの青い石みたいなキーホルダー」
「、、ストラップじゃない?」
「どっちでもいっしょでしょ。
さちえちゃんあたりかしらね、あれそう言えば同じ日だったかしら」
「?」
「そうだそうだ、思い出した。
あんたはお祭りでもらったって言い張ってたっけ」
「どういうこと?」
母はくすりと笑った。
「それがね、本当にお祭りに行きたかったんだろうね、
あんたが体調崩してお祭りに行けなかった日、父さんたちが出掛けた後に急に熱が上がって二人が帰ってきてもう凄いなされてて。本当に心配で、、拓斗なんか綿あめを抱えたまま涙ぼろぼろ流して、あの子おねえちゃんにお土産に、って買ってきたのよ」
「へえ、あいつにもそんな可愛い頃があったのか」
「あったのよ、それでねみんなであんたの布団の傍にいたんだけど、いつのまにか眠ってたらしくて、目を覚ましたらさっきまでうんうん唸ってたのにあんたけろっとした顔で目を覚ましてて「私、お祭りに行ってきたって」」
「、、、」
「「じいちゃんにも会えたよ、元気そうだった」って。
それからあんたは嘘のように風邪ひかなくなったのよ。
本当におじいちゃんのおかげかもね、あんたの事凄くかわいがってたから」
「ふーん、そんなことあったんだ」
私は枕に頭を預け上を見つめる。
シミ一つないクリーム色の天井はつるつると光沢がある。
ふと帰り支度をする母に私は尋ねた。
「ーーねえ私、小さい頃男の子みたいだった?」
「何よ急に、、そうね、あんたと拓斗はそっくりで、中学生になるまで兄弟だと思われてたわよ」
母がいなくなった静かな病室で私は頭の後ろで手を組みながら天井を見つめていた。
暑いけどまだ窓は閉めないでもらった。
病室に私しかいなくてラッキーだ。じゃなかったらブーイングを受ける事必須である。
窓の外からは賑やかな祭囃子が聞こえていた。
花火はもう終わったらしいが、まだまだ祭り気分から戻りたくないらしい人達の笑い声やカラカラと下駄が地面を鳴らす音が混じり合っている。
頭の中ではあの子の笑みが浮かんだ。
何だか数時間前と今とではこの白い天井の見え方が違う気がする。
「あれ、開きっぱなし」
当直のナースさんの声に私は振り返る。
「すみません、私も祭り気分を味わいたくて」
「もう、明後日には退院なんですから体調崩さないでくださいよ?」
「はーい」
窘められた私が気の抜けた返事をすると「まったく」と苦笑交じりの溜息が返ってきた。
同じ苗字だからか私は結構彼女に親しみを感じている。これまで親戚以外に被った事がない珍しい苗字で歳もおなじぐらい、多分相手も私と同じ想いを少しは覚えていてくれるのだろうか。患者と看護師の関係だが気の置けない存在だ。
窓を閉め、カーテンが引かれる音を聞きながら目を閉じる。
「来年、元気な体で行ってくださいね。
くれぐれも今年はダメですよ。
お祭りの人混みは危ないですからね、あ、それと明後日の退院の事なんですが、、
あれ?寝ちゃいました?葵さん」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ホラー様子は薄いので大丈夫かなとも思ったんですけど、どうだったでしょうか?
ちなみに今いちパッと来ないなぁと言う人やもやもやが残るという方には以下の情報を参考にしてもらえたら。
・ヨモツヘグイ……黄泉の国の食べ物を口にすると、黄泉の国の住人として認められ現世に帰れなくなる。
・オルフェウスとエウリュディケー……ギリシア神話の一つ。
地下の冥界に行ってしまった妻を蘇らせる条件として地上に戻るま で後ろを振り向いてはいけない。
・青いライトみたいな名前の石……道しるべや変化に対する石言葉のあるケイ酸塩鉱物の一種らしいです。
・ブラック企業務めがそんな短期間で精神回復するか……それは本当そうです。暫くは自分を責め続ける日々だと思うし自尊心は地に伏しているでしょう。でも本当、いつか目から鱗が落ちる時がきます。別に自分って不良品じゃないやん、価値観の違いだわぁって気づく日が来るんでその日まで飯食って寝て散歩するのがいいのかもしれない、そうじゃないのかもしれないって思います。
本当に最後まで読んでいただきありがとうございます!!