その後、エキストラ
「100万円でどうでしょうか」サラリーマンにっとては大金である。もらえるのであれば、嬉しいのは間違いない。だがこれが小説が映画化される際の原作使用料と聞けば、意外に少ないと感じるというのが正直なところである。
辺見愚詠が初めて書き上げた小説『エキストラ』が書籍化されて、映画化されることになった。たまたまテレビの特集で、世間にドラマなどのエキストラが認知されたタイミングと重なった。トントン拍子に話が進んだのである。都合が良すぎてまるで安物のあるある小説のようにも思える。
応接室のソファーには、プロデューサー、脚本家、出版社、作家の4名が腰かけていた。プロデューサーは40代で高そうなソニアリキエルオムのジャケットを羽織ってチノパン、この場のイニシアチブをとっている。隣にいる野暮ったい50過ぎの男性は脚本家である。辺見の隣に座っているのは出版社の男性で見るからに高そうなドーメルのスーツをさり気なく着こなしており、大企業のエリート然としている。サラリーマン作家である辺見もスーツ姿である。生地こそロロピアーナであるものの、ユザワヤ仕立てたパターンオーダー品で5万円もしていない。
実際に制作側から提示された金額は100万円だが、3割は出版社の取り分になるので、実際に作家が手にするのは70万円。もちろん源泉徴収もされるので手にする金額はさらに少なくなる。それでも映画になれば、出版社や作家にとっては臨時ボーナスのようなものである。
小説が映画やテレビドラマ化される際、映画会社やテレビ局に作品の映像化の独占権を与える契約となり、原作サイドには原作使用料が支払われる。仮に映画ヒットして興行収入が何十億になっても、儲かるのは映画会社だけである。どれだけ売れても原作サイドは何も儲からない。できれば歩合での契約が欲しいところだが、ベテラン作家ならともかく新人に発言権はない。一縷の望みとしては、映画がヒットしてDVD化されれば印税収入は見込める。
また原作を手放した時点で、自分の作品が自分の作品ではなくなる。ストーリーをどのようにアレンジされるかは制作サイドに委ねられる。重要人物の生死すら変えられてしまうかもしれないし、結末を捻じ曲げられても文句は言えない。
ただ、一つ嬉しいこともあった。契約時にお願いをしてた主演の有村架純との顔合わせが実現した。本人も原作に目を通して気に入ってくれたそうである。
「なんか、素の私も描かれていて、少しびっくりしちゃいました。もちろん全部の私ではないんですけど」有村架純は辺見の目を見て、はにかんだ笑顔を見せてくれた。
(撮影)
映画『エキストラ』のクランクインの初日。撮影現場には、キャストとスタッフ、エキストラがいた。『ドラマを撮影している』と言うシーンなので、スタッフ役のエキストラもいる。青いスタッフジャンパーを着ているのがスタッフ役のエキストラである。本物のスタッフは黒っぽい服装をしているものなので、フィクションと本物の区別がつく。
『エキストラと女優が出逢うシーン』の撮影中である。カメラマンや音声などスタッフもエキストラ で、周りには本物のカメラマンや音声が控えている。
江藤乱次と有村架純が出逢うシーンでカットがかかった。
有村架純は、あるカメラアシスタント役のエキストラに気づいて、顔を左斜め下に向けて肩を震わせた。
「何やってるんですか?」有村架純は笑いながら近づいてきた。
「え?えーと、真剣にエキストラに取り組んでます」カメアシ役のエキストラはケーブルを捌きながら真顔で答えた。
「ふふふ。もういいですから、辺見さん。これ、監督さんとか知ってるんですか?」
「いや、こっそりエキストラに申し込んだから。監督にはまだ見つかってないみたいですね」辺見愚詠は少し身を屈めながら笑顔でおどけてみせた。
「他のスタッフさんには気づかれてないんですか?」有村架純は声のトーンを落として囁いた。
「監督と有村さんぐらいしかお会いしてませんからね。しかも、私が覆面作家だから、気づかれてないでしょうね。原作者であることは」辺見も小声で囁いた。
「わたし、途中で気がついたから笑いを堪えるのに必死でしたよ。ドッキリ?なんかの罰ゲームですか?」
「会社員が趣味でエキストラをやってるだけですよ」
「えー?ベストセラーの大先生なのに」有村架純は大きな瞳で返してきた。
「先生なんてやめてくださいよ。それこそ小説は趣味の一環ですよ」辺見は周りを気にしながら小声で答えた。
「何をおっしゃるんですか。こうやって映画化までされてるじゃないですか」
「いやいや、たまたまビギナーズラックだっただけで。次はないと思ってますから」これは辺見の本心でもある。実際にデビュー作で華々しく散っていった作家は、掃いて捨てるほどいる。誰もがカジュアルに小説が書ける時代になり、作品が大量消費されて消えていく。
「今日はこのままエキストラを?」有村架純は首を斜めにしながらのぞきこんできた。
「周りには言わないでくださいね。次回作のロケハンみたいなものですから。現場を見るのは重要なもので」辺見は手をあわせながら懇願した。
「どうしようかな〜。じゃあ、その次回作ができたら一番に読ませてもらえますか」有村架純は周りを見回してから、いたずらな天使のように囁いた。
「編集の人に見せる前に」
「えー、でも有村さんにどうやって連絡取るんですか?」辺見は少し期待を込めて応じた。
「あー、それもそうですね。連絡手段がないですよね。うーん、事実は小説みたいにいきませんね」有村架純が手のひらを返してきたので、辺見はキョトンとした。
「あれ?辺見さん。今、もしかして何か進展あると思ってました?」一瞬真顔だったが、その口角はすぐに緩んだ。
「ないんですか」辺見も少しふざけて残念がった。
「ふふふ。なにもありませんよ」
「ですよねー」辺見はそりゃそうだと言うポーズをした。
「そうですよ、映画じゃないんですから。うふふ」
ほどなくして次のシーンとなった。
辺見は、監督に気づかれないように気を配りながらエキストラを全うした。
もちろん有村架純が辺見愚詠を目で追っていたことには、全く気づくことはなかった。
やはり二人は結ばれることはなかった。