90.イグナーツは天才でした。
「Aクラスに、戻ります?」
メモを取っていたフローラが、小声で不安げに聞いてくる。
「待って……」
本当は、今すぐにヴェロニカの所へ戻りたい。
でも、まだ聞いておきたいことがある。
もうちょっとだけ。後少しだけ。
逸る気持ちを抑え込む。
私は男子生徒にお礼を言ってから、また教室にいる生徒を見渡す。
「他に、何か気になったことはありませんか? どんなことでも結構です」
最初に話をしてくれた女子が、おずおずと話だした。
「あのお話を伺った時、なのですが、珍しいなって……。普段、ご自分からそういったお話をされる方では御座いませんし、あの時のご様子が何だか……。とても、楽しみにしているように思えなくて。なんだか、必死に笑みを作っているように見えて……」
「……ラヴィニア様って……どんな方?」
生徒たちは、皆顔を見合わせあい、眉を下げた。
「正直よく存じ上げませんの。あの方はいつも一人でしたし、普段は周囲を避けているようでしたわ。いつも何かに怯えているようにも見えました」
「でも、優しい方ですわ。以前わたくし、中庭で大事にしていたリボンを落としてしまいましたの。そうしたら、あの方、一緒に探してくださいましたのよ。見つかるまでずっと」
「わたくしも以前風邪をこじらせて数日休んでしまったことがありますの。その際、丁寧なお見舞いのお手紙と、早く良くなりますようにとハーブティーを贈ってくださいましたわ」
「わたくしも、おじい様がお亡くなりになって、悲しくて泣いていた時に、あの方、ずっと寄り添って、一緒に泣いてくださったの」
……うーん……。
アメリアが話したラヴィニアと、彼女たちの話すラヴィニア像が一致しない……。
ビアンカを階段から突き落とすように命じたり、シャーリィを倉庫に閉じ込めたり、植木鉢を落としたり、殿下の醜聞を撒いたりも、本当にラヴィニアがアメリアに命じたんだろうか。
そんなことをする子に思えない。
どちらかが、嘘を言っているの?
それとも、どちらも本当?
アメリアの事を、もう少し調べたいわ。
私はCクラスの人たちに丁寧にお礼を告げて、Aクラスへと急いだ。
***
Aクラスに着くと、そこにいたのは、ヴェロニカとシャーリィ、イグナーツの三人だけだった。
ヴェロニカとシャーリィは、イグナーツの周りに集まっている状態だ。
良かった、無事だった。
シャーリィがこっちを見ながらにこにこと手を振る。
「アウラリーサ様ぁ、お手紙渡しましたぁ! お任せくださいつってた!」
「ありがとう、シャーリィ。ヴォニー、ヴァイゼ殿下はご一緒では無かったの?」
「王宮からお呼びだしだそうで、わたくしが来た時にはもういらっしゃいませんでしたわ。ユーヴィン様も」
ヴェロニカは眉を下げて嘆息し、扇で口元を隠しつつ、ふるりと首を振ってみせる。
「アウラリーサ様ぁー、みてみて、この人すっごいんだよー!」
「シャーリィ、凄いって?」
「わかんないけどなんかすごい!! なんかむずかしそーなことしてる!」
わからんのかい。
「指を指すな。それと、僕はイグナーツ・メイナードだ。この人じゃない」
淡、と抑揚の無い声でシャーリィを咎めたイグナーツは、席に座ったまま、手の中で何か、かちゃかちゃと組み立てていた。
「イグナーツ様、それは?」
「あら、魔道具、ですか?」
私とフローラはイグナーツの席に寄り、彼の手元を覗き込んだ。
「……恩赦が出たら、母上に届けようと思って、作っていた魔道具なのですが、あなた方の役にたつんじゃないかと思いまして……。もっと、早くに出来ていたら、良かったのですが……」
そういえば、以前ヴァルターが話していたっけ。イグナーツは魔導具作りが趣味だって。
イグナーツは、掌にすっぽり入るくらいの小さなワイヤーで作った鳥かごのようなものの土台に、カチャカチャと針の様な道具で金属に魔法陣を刻んでいく。鳥かごの中には、小さな青い魔石が入っていた。
やがて、ふぅ、と息を吐きだすと、それを親指と人差し指で挟んで、ずぃっと私の方に向けた。
え。何。
「え、と。これは?」
「ん」
道具につけられたスイッチのようなものをイグナーツが親指で押す。と。
『え、と。これは?』
!!!
え、もしかしてこれ録音機?!
それもめちゃくちゃクリア!マイクも通していないのに!
凄い!! この世界で初めて見た!!
「えっ、なんでどして?! 喋った!」
なんでなんでと騒ぐシャーリィを無表情に眺めたイグナーツは、おもむろに紙を一枚取り出して、ぴんっと張って唇に当てる。そのまま、「あー」っと声を出して見せた。
「???」
イグナーツは紙を外すと、語りだす。
「声とか音っていうのは、振動するんです。この振動を魔石に記憶させれば、紙のように音を記録することができるんじゃないかなと思って……」
振動と記録がどう結びつくのかわからないけど録音ができるのは凄い!
イグナーツ、まだ私と同じ十五歳なのに!
天才か!
「最大で二十四時間だけだけど、音を記憶してくれます。……役に、たちますか?」
「え、ええ、勿論。でも、どうして――」
「もし、役にたったら……。母上に、この機械を、届けることを許して欲しいんです。……あんな、人だけど、僕にとっては家族だし……。母親なので。元気だよって、ただそれだけ、伝えたいだけなんです。一回だけでいい。勿論、音を調べて貰っても構いません。魔道具に可笑しな細工が無いかも調べて貰って構いません。だから。……アウラリーサ様。あなたなら、陛下も耳を傾けて下さるんじゃないかって……」
段々、イグナーツの声が、小さくなる。
「わかったわ。約束する。アイザック殿下も、きっと協力してくれる」
「……っ! あ、ありがとう……ございます!」
「アリー。……いいえ。アウラリーサ様。どうか、その魔道具、わたくしに預からせて頂けないでしょうか」
じっと、私たちのやり取りを見つめていたヴェロニカが、口を開いた。
何か覚悟を決めたような、決死ともいえる表情。
ヴェロニカが、何をしようとしているのか、察する。
ヴェロニカはきっと、ヴァイゼ殿下を信じ、彼にこの魔道具を渡すつもりなんだ。
一歩間違えば国家反逆罪。
国の機密を録音し、持ち帰る可能性もゼロじゃない。
情報を漏洩する可能性が高い、このメルディアを裏切ることになるかもしれない大博打。
「何かが起こったとすれば、それはすべてわたくしの責任です。わたくしの命一つで償えるとは思いませんが、すべての責はわたくしにあります。もしもの時は、わたくしが、刺し違えてでも、お止めします。ですから、どうか――」
あの、気位の高い、ヴェロニカが。
「どうか、お願いいたします――」
私達に、頭を、下げた。
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