2.大騒ぎになりました。
「まぁ。お早うございます、お嬢様。今日はずいぶんとお早いのですね」
扉を開けて入ってきたのは、ワゴンを押した二十代前半くらいの可愛らしい感じの女性だった。
多分、侍女さん……なんだよね?
転生すると、キャラの経歴なんかが流れ込んでくる小説を見たことがあるけど、駄目だ。
全く知らない人だった。
しかも英語がさっぱりわからない私からすると、西洋風の顔立ちってだけで緊張する。
やばい。この子が普段どんな風に対応してたのかさえ分からない。
小説の中のご令嬢ってどんな風に対応してたっけ。
まだ幼稚園くらいのおちびさんだったし、ここは遊びを装ってみる?
でも、流石にわからないことだらけじゃ、ボロが出るよね。
ごまかすのも難しそうだし、いっそ聞いてみちゃう? ここはどこ、私はだれ?って。
困ったまま黙っていると、侍女さんは何か察したのか、いぶかし気に近づいてきて私と目線を合わせるように膝をついた。
「……お嬢様?」
……言っちゃうか。子供の悪戯だと流される可能性大だけど、ワンチャン教えて貰えるかもしれない。
ええい! 言ってしまえ! なせばなる!
「……あの、あなた、だれ?」
「はい?」
「あのね、何も覚えてないの。だからね、あなたのこととか、私のこととか、教えてほしいの」
「は……? お嬢様、何を……」
「あ、お願い、みんなには言わないで。びっくりしちゃうから。えっと、私、だれ、だっけ?」
お祈りポーズで小首をかしげ、教えてプリーズ!っと目で訴えてみる。
唖然とした顔をしていた彼女の顔が、みるみる青ざめた。
「だ……誰か!! すぐに旦那様をお呼びして! お医者様を!!」
ちょ――――! 言わないでって言ったのに――――!
「ああ、お嬢様! お気を確かに!」
「ぁっ、うん、大丈夫。でも、」
「すぐ旦那様と奥様がいらして下さいますからね!」
「ぁ、うん、ありがと、で」
「今レイアン先生を呼びに行かせましたからね! 大丈夫で御座います、レイアン先生はとても腕の良いお医者様でいらっしゃいますから!」
「あの、ちょ、」
「誰か! 早く旦那様を!! お嬢様が!!」
……駄目だ、この侍女さん、テンパりすぎて何も聞こえてないくさい。
いや、信じてくれるのは話が早くて助かるけどさ。ガキンチョの言うことだよ?
あっさり信じすぎじゃなかろうか。
扉の向こうでは、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていて、バタバタと人が行きかう音や、「お医者様を!」「馬車を回せ!」と声が聞こえてくる。
あ…あばばばば……。どうしよう。大事になってしまった……。
***
「アリー!」
「何があったの?!」
「具合が悪いのか? 頭でも痛いのか? どこかにぶつけたのか!?」
あれよあれよとベッドに押し込まれ、諦めて大人しくしていたら、二十代後半くらいのいかにも貴族です!って格好をしたイケメンとドレスを着た美人さんと小公子みたいな男の子が飛び込んできた。
恐らくこの子の家族だろう。
すごい遺伝子……。美形ぞろいだ。
「旦那様、奥様、お嬢様が……。お嬢様が、私のことがお分かりにならないと……。ご自分のこともお忘れになられたようで……」
ぅっぅっぅっとハンカチを目元に押し当て、しくしく泣くのはさっきの侍女さんだ。
「な……。アリー、お父様だよ? わかるだろう?」
「アリー? お母様よ? わからないなんて……噓でしょう?」
「アリー、お兄様だよ!? いつも一緒に遊んでるだろ?」
ちっちゃな手に重ねられる、三つの手。気づかわし気に優しく髪を撫でる手。肩を抱く手。頬を撫でる手。
全身で心配しているのが伝わってくる。
愛されてるんだなぁ、この子……。よもや中身が格闘技を愛する筋肉系女子大生とは思うまいよ……。
罪悪感パねぇ――。
「ご……、ごめんなさい……」
「ああああ、謝らなくていいんだよ、アリー!」
「大丈夫よ、すぐにお医者様がいらっしゃるわ」
しゅんっとした私に、慌てたようにお父様、とお母様が、慰めてくれる。
お父様にお母様にお兄様……。こっぱずかしいけど、ここではその呼びをすべきだろう。
いち早く、冷静さを取り戻したように見えたのは、まだ十歳くらいの兄だった。
「何も分からないんじゃ不安だよね? 君の名前は、アウラリーサ。アウラリーサ・ブランシェル。僕は君の兄で、カシュオン・ブランシェル。アリーは、カシー兄様って呼んでくれてた」
「ア……アウラ……リー、サ……?」
なん…だと……?