『短編版』と『連載版』、中身が別物になってしまう現象について
初めましての方は初めまして。
そうでない方はお久しぶりです。
さて、挨拶もそこそこに語らせて頂く内容なのですが、まぁタイトルそのままですね。
『短編版』と『連載版』、中身が別物になってしまう現象について、少し話したいなと思い、このエッセイに手を付けました。
最近のランキングを見ている方でしたらお気づきでしょうが、今はランキングにおいて短編の割合が非常に高くなってます。
これはなろうというサイトの評価の仕方が、短編と非常に相性がいいからというのもあるのでしょう。あとはまぁ、そういう流れがきているということなんでしょうね。
どんな物事にも流行り廃りはありますし、今は短編の波が来ていると考えると納得できるかなぁと。
とりあえず前置きはこんなところにしておいて、さて本題に入りましょう。
自分は主に現実恋愛を中心に投稿しているのですが、ランキングを見ると短編が多いのは勿論ですが、短編と同じタイトルで『連載版』と前置きされた作品をよく見かけるように思います。
これは人気が出た短編を長編として再構成して投稿している再度投稿しているというわけですね。
以前から見かける形式ですし、自分も伸びた短編を連載版として投稿したことがあります。
その経験を踏まえてのことなのですが…これって、読者さんからはどう思われているのでしょう?
短編として一度オチは付けた上で伸びた作品がほとんどだと思うのですが、連載版を投稿するにあたって、見たかったのは短編の先のお話なのか、それとも長編として話を組み替えたお話なのか。
読者さん視点だと前者のお話を読みたいという方が多いのではないかなと、なんとなく思います。統計を取ったわけでもないので決めつけた言い方はしたくないのでぼんやりとした言い回ししかできないのが申し訳ないですが、ハッピーエンドのその先、アフターストーリーというものですね。
ですが、投稿されるのは圧倒的に後者のお話が多いことでしょう。
これは仕方ないことですが、連載するとあらば話を組み替えないといけないですからね。未読の読者さんのためにも、導入を書く必要もあるので必要なことだと思います。
でも、投稿していくうちに問題が起こるんですよね。
あれ、なんか短編の時とキャラ違うくなってるじゃん。
そんな違和感を覚えたことはないでしょうか。
短編ではあまり語られなかったキャラクターの内面が、長編だと浮かび上がってくるのですが、そうすると自分の中で抱いていたイメージとのズレが生まれることがあったりしませんか?自分はありますし、書いてて思ったりもします。
肉付けといえばいいのでしょうけど、その時点で短編の時とは別のキャラクターに変化しているんですよね。
言ってしまえば、ガワと名前が同じ別人の物語と化している。そんな違和感を、自分は覚えてしまいます。
見たかったのは短編の彼らのその先だけど、連載版だと名前が同じキャラクター達によるIFの物語が展開されている。
同姓同名の別人達が、違う物語を演じているわけです。ならそれは、ハッピーエンドを迎えたとしても『彼ら』のお話だったのでしょうか。
見たかったお話とは少し違ってしまったなと思ってしまうのは、少しひねくれすぎでしょうか。
別に文句を言っているわけではありません。自分も書いてて違うお話になってしまってることを後悔したりしましたし、そうなるのは仕方ないことだと思っています。
反省から短編は短編としてそのまま終わらせたほうが、お話として綺麗な時もあるとは、思ったりもしますけどね。読み手さんの想像に任せるのも大事だなと学んだりもしたわけです。
このエッセイも、こういう視点で読んでしまう人間もいたりするという、深夜のちょっとした小話でした。
それではまたどこかでお会いしましたら、その時はよろしくお願いします。
2022年もよろしくお願いします